となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

かっち、聴いてるか

2010年11月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

「みなさん、見てください、あの雄姿を、地元の方は見飽きてるかもしれませんが、遠く内地よりお越しの皆さん、コンサートは一時中断、写真に納めてください」
旧体育館の会場からガラス窓の外を見たら、見事な羊蹄の雪をかぶった山頂が西に傾き始めた太陽の光を浴びて真っ白く輝いていた。見事としか言いようがない。名人の絵の数万倍心を打たれた。陽の当たる角度の具合が丁度良いのか実に立体的である。山頂より下方に伸びた、幾筋の山ヒダが陰になり、日向になり一幅の絵画である。切り取って持ち帰りたくなるほど、あの瞬間の山と光の表現力は芸術であった。陽は時間を追ってすぐに西に落ちて行き、見る間に山の表情を変えて行く。窓辺に駆け寄ってニコン、カシオ、フジを両手に山に向けてシャッターを押し続けている。

かっちは毎日飽きるほど見ていたであろう羊蹄山。あの日、重機とトラックに挟まれて粉々になったかっちの人生。棺の顔は作られた人形さんのようであったと聞いた。身体は包帯でグルグル巻き。何も悪いことしてこなかったかっちがなぜにあのような死を選ばなくてはいけなかったのか。可哀想にとしか言いようがない。かっちが生きていたら、また違った故郷巡礼になったのに、悔しい。おまえはいつものように薄ら笑いを浮かべて、妙に人なつっこく、決して俺には反抗的な言葉を吐かなかった。「山木さん、また喜茂別でコンサートやりましょうよ」これがおまえの最後の言葉か、まだまだ若かったのに、まだまだいろんな夢を見て暖かい冬を迎えられたのに。

かっち、聴いてるか、歌いに来てるぞ。羊蹄山だってこんなに歓迎してくれたぞ。

そしてコンサート会場は「弁慶と義経」が終わり、照明が効くほどの薄暗さになり「嶺上開花」最後の熱演、みなさんとお別れだ。3番のさびの繰り返しに来て、突然場内の電源が落ちて、暗くなり、アンプはダウン。一瞬のうちに生の歌声とギターになった。この音量の違いに異次元に迷い込んだような錯覚を覚えた。しかし異次元ではなく、こちらの生の方が我らの生きている次元であった。場内から力強い合唱が輪になって、こだまのように聞こえてきた。最後の最後に電源は復活、見事な演出。もしかしたら、かっち、おまえの仕業だな。

故郷巡礼、本当の意味で自分のバックボーンを育んでくれた羊蹄山山麓の11月に乾杯である。

2時間ほどで札幌に舞い戻ってきた。あの頃の札幌は、遠い山の向こうの知らない町、僕は父さんの肩におんぶされて降り注ぐ頭上の満点の星々を見上げていた。まさか六十歳になるころにここでコンサートをするなんてだーれも知らなかった。いつもいつも未知の妙薬で味付けされた毎日の連続で僕の心は休む暇がない。かっちが「お先に失礼します」と言って、先に休んでしまったことが未だ信じられない。

(山木康世)