新宿区あんさんぶるStudio音にヒグラシのカナカナが聞こえるか
2025年08月17日 | カテゴリー: 山木康世
今時は二十四節気で立秋、近頃の猛暑、酷暑の夏に対して何とも皮肉な季語であるが、8月7日辺りから秋が漂い始める季節の移ろい。吹く風も少し涼しくなりにけり、緑に露が降りて、ヒグラシが鳴き始める、と言うからなるほどな。高層ビル群からの風たちも少し日が落ちると確かに肌に優しくなったなぁと実感した今年の立秋。これが15日間続く立秋、その後は残暑となる処暑と言うらしいが、子供の頃に北海道には残暑見舞いなとと言う言葉は聞いたことがないくらい夏休みの最後の頃にはホントに涼しさを超えて寒かったな。タンスから出した母の計らい、ナフタリン臭い浴衣を無理に着込んでローソクを点けた提灯を片手に、暗闇に笛と太鼓の音を頼りに盆踊り会場へ、帰ってきたらストーブに手をかざしたもんである。
さらに二十四節気を3分割、七十二候では寒蝉鳴く(ヒグラシナク)とある。あの朝晩にヒッソリとカナカナと鳴いているヤツがヒグラシである。ヒグラシを「寒蝉」と書くとは知らなかった。どこからともなく聞こえてくるカナカナという鳴き声に真夏の蝉の大合唱の勢いはなく、どこか儚げで侘しさも感じたりする。なお中国で発案されて日本に入ってきて日本流の季節観にした日本人たちの季節観にも大天晴れである。ナイーブな感性の先人たちにカンパーイ。
そして80年前、太平洋戦争終結。敗戦の日が8月15日、昨日であったが、まさに朝から晴れた青空の下ヒグラシの大合唱だったのだな。どうして国は8月15日に降伏したのか考えてみた。
広島の惨劇が8月6日の8時15分、人類史上初めての大量殺戮、南のテニアン島から飛んできた一機のB29、搭載された原爆の名が「リトルボーイ」運んできた機の名前が「エノラゲイ」エノラはENOLA、逆さに読むとALOME。独りぽっちで孤独な機が運んできた悪魔の兵器。広島にとどまらず人類の滅亡すらも可能とする兵器の「リトルボーイ」人類がいなくなっても世界の阿呆なリーダーたちは拍手喝采。オレが勝った、オレが勝ったと小躍り。まさに茶番の悲劇を見せつけられて死んだモノたちがバンザーイとでも言って祝福、勲章でももらえると思っているのか、クソリーダーたちにオレの未来を奪い取られて堪るか、宇宙の片隅にヒッソリと息づいてきた人類地球の終焉を演じるクソ役者たちの演説を聴いて虫唾が走る。人間のエゴもこうなるとお話にならない迷演技、大根役者の粗大ゴミ。「ご町内の皆様」早急に永久に無料回収しなければならない。
次回の「あんさんぶる音」は9月5日である。その頃には札幌も終わって、東京けやきホールの翌日である。立秋も過ぎてヒグラシも鳴き止んで処暑、どんな「禾乃登」コクモノスナワチミノルに至っているであろう。
YAMAKINGも51年目の刈り入れを始める節季である。
明後日の神楽坂における、まるでさらに太陽の恵みの日差しをタップリ溜め込んだ植物園状態の「チャペルカグラ」で大いに自然のエネルギーを心身に浴び感謝の汗をかいて前進の糧としよう。
お待ち申し上げております。
本日はお忙しい中、お暑い中毎度ではありますがまことにありがとうございました。平身低頭。
※「リトルボーイ」の威力は20キロトン。キロトンは1000トン。つまり20000トンのリトルボーイだった。大きなフェリー並みのボーイだったわけである。クワバラクワバラ。
東京都墨田区お江戸両国亭は日本人による日本人のための演芸場だ
2025年08月13日 | カテゴリー: 山木康世
なんという理不尽さ。順番ってものがあるのに神様は聞き入ってくれない。
小樽のjourneysreasonのボーカルの神馬さんが急逝された。信じられなく絶句。ご病気だったのだろうか。それにしても若過ぎ、早過ぎだ。残された下兼さんの心中を察するに言葉が見つからない。ただただ今は故人のご冥福をお祈りするばかりです。
お江戸両国亭は名前の通り普段は落語、漫才の演芸場だ。僕のほかに音楽をここで奏でる人はいるのだろうか。
初めて足を踏み入れた日を思い出す。
駐車場がすぐ横にあって、お初の会場への期待と未知との遭遇にココロ踊って荷物を運び入れた。楽屋が演芸場していて、出入りする人たちが想像される。お囃子や太鼓、銅鑼まで用意されている。
ステージまで3段ほど高くなっていて、程よい高さで話芸を繰り広げる。こんなステージ今まで経験がない。見晴良好、おやおや客席の右手奥に何やら力士二人の大きな置物が。梅ケ谷横綱の在りし日の栄光である。
今では数回登壇しているのでだいぶ使い勝っても慣れて用意する時間もココロはやって疲れを知らない。
初めの頃の2回目までは歩いて袖から登場していたが、今は幕を使って板付き状態で演じている。思った以上に上り下りがきつくて,ふらつくこと多々あり、身の危険を感じて板付きにした経緯がある。
とても集中できてあっと言う間の時間である。日本の演芸であるので基本座りである。紫の大座布団近辺に配置されたギター、ハーモニカなどは我を支える重要なパートナーである。50年の結実に更に磨きをかける作業をしつつ成果を披露する。こんな音楽人生が待っているとは誰も知らない人生である。健康で長生きしたが故の事柄かもしれない。実に明快で幸福である。迷いなど一点もない。
お忙しい中、お暑い中ありがとうございました。
土曜日の初台studioあんさんぶる音でお持ちしております。

「春雷」から始めてみようか

落語も好きですよ
江古田マーキー己の脳みそのいわれなき思い過ごしには気をつけよう
2025年08月10日 | カテゴリー: 山木康世
今日は長崎に原爆が落とされて80年目。戦争において人の命は軽くなる。日常ではあれほど、地球より重い人の命などと言われるのに、いざ戦争という事態に陥ればチリやゴミのように軽くなる。日常では命の重さに差別はない。偉い大臣でも、ただの人でも、子供でも、大人でも、音かでも、女でもみな平等である。それがいざ戦争という名の下に差別が行われ、人の命など虫けら同然である。こんな愚行をいつまで続けるのか。人の殺され方にランクなどない。素手で殺されるのも、クスリで殺されるのも、兵器で殺されるのも、爆弾で殺されるのも、原爆で殺されるのも、殺される当事者は一瞬のうちに無と成る。
暦の上では立秋、二十四節気で8月8日頃の気候を言って、これ以降残暑となり今までの暑さが幾分和らいで、吹く風にも少し涼しさが加わってくると言う。40度越えの暑さは異常というしかない。経験したことのない暑さでメディアは盛んに不要不急の外出は控えて、熱中症には十二分に気をつけて水分、塩分をとって、クーラーは付けっぱなしにしておいて下さいと。そんな暑さも少し和らいだ今日である。
今日のLIVEの一番の執着心は些細な誤解が最後まで尾を引いた。
キーの話だがAのコードの次はA#ということはすでに60年も前に教わることである。さてその次はBなのであるが、ここが今日の脳みそには爪楊枝が挟まったように謎のらせん階段に陥ってしまった。
リハで楽屋で時間をかけて確かめたのに、ここのドツボにはまってしまい這い上がれないウスバカゲロウに捕獲されたアリの状態。
「水の底に映ってない月」は何とも言いようのない月で夜空にぶら下がっていた。すべてコードの勘違い問題が全てを引き起こし、脳みそを撹乱、全てを終わらせてしまった。
もう二度とこのような話はなしにする。返してほしいあの時間、自分の脳みそが思い起こしていた間違った解釈をした時間を返してほしい。しかし覆水盆に返らず。盆に帰るのはかわいい息子である。戦争も第三者、遠く離れて俯瞰して眺めれば、双方誤解、勘違い、取り返しのつかない意思疎通に欠く結果であるといえるかも知れない大事な国民の命を守る政府が犠牲にして何を得たいと言うのだろうか。
油断禁物、大敵、どこにいつ何時つまずきが待っているかも知れない。
お盆が過ぎて秋風が吹いて、木枯らしが吹くと「寒い、寒い」と天を仰いでいる2月だろう。
次回マーキーは2月の建国記念の日を予定しております。
今日はお忙しい中、皆様マーキーでの夕刻の一時を共有できたことに感謝致します。
どうぞ元気でお達者で、またお会い致しましょう。

広島、長崎を思いスイートホームメモリーを

マーキー、次回は2026年2月です
鎌倉市garden & space くるくると高尾山はつながっていた
2025年08月04日 | カテゴリー: 山木康世
八王子高尾山麓の「八王子ケルティックムーン」を終えて今日は鎌倉由比ヶ浜「くるくる」である。
八王子から横浜経由で鎌倉へ向かう。国道16号線を走ること1時間半くらいで鎌倉である。この国道は150年ほど前から絹街道と呼ばれ重要な道であった。当時は絹製品が重宝され大いに国の輸出品として活躍したのだろう。八王子あたりの環境下で多くのお蚕さんが飼われ絹製品が作られたことが想像される。今となっては絹製品など夢の夢である。
今時の「くるくる」の庭は緑に覆われて時折セミの大合唱、江ノ電 通過と合わさり賑やかである。
高尾山が出てくる「僕だけの太陽」昨日歌う予定がなぜか歌われなかった。今日はお礼を兼ねて歌った。その際、驚いたことがあった。
♪春はそよ風君を連れて 千鳥ヶ淵の夜桜
夏はビールで乾杯 鎌倉の浜辺へ
秋は高尾山のケーブルカー もみじの雨に降られて
冬は雪の降る白馬へ スキーに行こう♪
なんと高尾の前に鎌倉の浜辺が出てきたのである。作者も忘れていた八王子から鎌倉への歌の旅我ながら驚いてしまった。「くるくる」住所は由比ヶ浜である。
車で走ること1時間半、絹の産地から神奈川頼朝様のお膝元鎌倉への2日間はとても快適に過ごした2日間だった。
7月が想像以上に暑かったので8月に入ったのを忘れてしまうほどである。本来8月が夏本番。
今年も残すところ4ヶ月となった。重要な節目の75歳まで、あと2ヶ月。その前に札幌、東京、京都と大事なYAMAKINGSONGSがある。体調はもとより頭の働きにも十分に気をつけて過ごしたいところである。
皆さんありがとうございました。土曜日のマーキーまでしばし休憩です。

弾けば弾くほど奥深く多彩な古のスズキギター

鎌倉も暑かった、お客様の視線も熱かった
東京都八王子市ケルティックムーンで早起きブルースを吹ったぎれ
2025年08月03日 | カテゴリー: 山木康世
初台から八王子まで断続的に25キロ渋滞。八王子まで40kmなのであるが果たして何分かかるだろう。
高速の中央道はご存知のように渋滞が日常化恒常している。しかし、過去に80km渋滞を経験している我には25kmはさほどとは思う。ならば下道の甲州街道は?道幅が狭いので遠慮したいところである。高尾山といえば東京の山として知られるところであるが、一度も登ったことはない。
「ごんすけ」というお店で何年か前に暮れも押し迫った12月に一度食事ライブをしたことがある。あいにくコンディションが良くなく熱をおしての「ごんすけ 」だったことを思い出す。
思ったほど時間はかからずお昼時12時入り、予定に十分余裕で入ることができた目指す「ケルティックムーン」は名前の如くアイルランドのお店である。
アイルランドイギリスの北にある北海道ほどの島国で「ロンドンデリーの歌」などの名曲が思い浮かぶ。哀愁のある美しいメロディーが日本人に好まれる。僕もその一人である。
今日はリクエストで構成された~東京の端っこ高尾のアイリッシュレストランでおいしいリクエストライブ~。
「覚えているかい」「泣きたくなった夕暮れ」「すの前になる一寸法師の歌」懸案の「雨に濡れて」などなど。
そんな中「早起きブルース」が今日一番ホットだった。
途中から湧き出る言葉の泉が如く脳裏に浮かぶがままにベンベーン。音楽の女神がまるでお導きくださるようにベンべベンベンベーン。それとも遠くヨーロッパのかなたからやってきた料理のお味がお導きくださったのか。
30°c超えの風は強力に暑かったが、それでも高尾山からの風は爽やかで良好で幸福な1日だった。
ご参加の皆さん、料理のお味はどうでした?BBSにでもご感想などくだすれば幸いです。その後のライブはいかがだったでしょうか?
毎度毎度おおきに食堂、誠にありがとうございました。
明日は鎌倉に移動、盛夏の「くるくる」で思いの丈を歌い語る。鎌倉もきっとホットだが心は爽やか、くるくるはきっとクールクールだろう。
江の島辺りの一本道の動かぬ停車状態「渋滞のお化け」に遭遇しませぬように大きくパンパン!

八王子高尾ランチにカンパーイ!

背後のYAMAKINGが影のように見守る
東京都新宿区/あんさんぶるStudio音 治療中の奥歯の被せ物取ったろかー!
2025年08月01日 | カテゴリー: 山木康世
世間は8月1日、7月が終わって丑三つ時の今日1日の反省の弁も兼ねての独り言である。
今日は西新宿初台におけるライブ ライブラリー。
中野から車で20分もあれば十分な距離である。地下1階のスタジオは非常に使いやすい。本来は近くの大きなホールでのコンサートリハーサルのために用意されたスタジオらしい。スタジオの片隅にはたくさんの黒い譜面台が置いてある。 オーケストラが奏でることもできるスタジオ なので広さは想像できるというもんだ。音の響きもそれなりに良好である。
今日はバースデーのお客さんのためにはがきを持参、おめでとう、とお喜びの言葉を述べてQRコードを読み取り、あえて生演奏は控えた。ここが味噌である。 はがきに取り込み組み込まれた現代の魔法の文章作法による「おめでとう 乾杯!」はがきにはゲジゲジのような四角に囲まれた絵文字に演奏が刷り込まれている。これを読み取るスマホが偉いのかそれともQRコードが偉いのか考えてしまう。
話した言葉が書き言葉になるという不思議な世界が今や当たり前のようにかなりな正確さで提示してくれる。慣れるまで時間がかかるが書き言葉は脳みそが考えた話し言葉を手によって変換させるのだが、微妙に話し手の気持ちの揺さぶりが 反映され言葉の端々が変化してくる。
長髪の190cmは優にある若い男性が聞きに来てくれた。何でもセルビアからの留学生という。「ふきのとう」大ファンという彼は「ウスバカゲロウ」お買い上げしてくれた。喜んでサインをした。セルビアがどこだか一瞬考えた。バルカン半島の一国であるということを知った。はるばる日本へ勉強しに来た彼はなぜ日本に来たかったのか知りたいところである。10月には帰ると話していたが、是非9月の「けやきホール」には足を運んでいただきたいと思った。僕が札幌で音楽を志した頃の自分を思い出してもいた。
月日が経つのは本当に早いものである。しかしいろんなドラマがあってここまで来てるということは確かなことである。自分が他人によって生かされているということが本当によくわかる近頃である。
今日も1日暑かった。ライブが終わって階段を上り外に出ると心地よい風が吹いてきた。
日本で一番昼間が忙しい副都心にたまに顔を出すのは悪くない。100年後ここはどうなってるのだろう?ジョージ・ハリスンのソロアルバムのジャケットを思い出してしまう。
夏本番8月をつつがなく超えて行こう。
皆様お付き合いいただき誠にありがとうございました。 またお会いしましょう。さっきから30分経ってしまった。
相手に社会にイライラして泣きたくなったら次の言葉を真面目に話して笑ってください。
耳の穴から手を突っ込んで治療中の奥歯の被せ物取ったろかー!

あんさんぶる音入口で。

久しぶりの大漁旗がお目見え。
荒川区泪橋交差点でLive Library
2025年07月27日 | カテゴリー: 山木康世
どうやら40度前後の異常な暑さのニュースは今日限りであるようで、中野サンプラザからの夜の風は昼間の異常な暑さを和らげる涼風のように感じた。
中野から車を走らせること30分、空に灰色の巨大なスカイツリーがそびえ立っているのを目の前にする。 昼間 近くで見ると 634m の高さはやはりでかい。 故郷の藻岩山531m より 100m も高いということがよくわかる。
今日はホワイトハウス?泪橋?という一回聞くと?で、しかし2回目には非常に印象深く脳裏に刻まれる荒川区は明治通り沿いの泪橋である。
ホワイトハウスも珍しいが泪橋という名前もありそうでない名前である。
汗をかこうと思ってもニュースなどで 今日の異常な暑さから身を守るために 冷房は1日中つけっぱなしにしましょうなどと言われ、不要不急の外出も控えましょうと言われるほどの行動制約の毎日である。しかし 暑い時には思いっきり 汗をかきたい。そんなこと 簡単そうでなかなか行かないのが現代のエアコン至上主義、エアコンも大事であろうが フランスなどでは限定されているという。確かに エアコンの室外機による気温上昇は環境破壊の確かな原因であろうと思われる。街の室外機の横を通ると異常な熱風による高温度を感じる。
中野から向かうと、台東区を過ぎて荒川区になる。 隅田川の花火大会が今夜行われるというニュースを向かう途中で知った。街は大勢のお客さんで盛り上がることだろう。 その影響か昼過ぎからの会場近くの駐車場が全て満車という予想しなかった事態が発生。付近の駐車場をくまなく20分ほどかけて探したか やっと1台見つかったという次第である。 多くが 5、6台の小さな 駐車場の点々とした町並みを車を走らせて探したがなかなか見つからなかった。 こんなことはあまり近頃見かけない光景である。 やはり 花火大会の影響であろうか。やっと1台空いている駐車場を見つけて時間にも余裕がないので滑り込みセーフという感じで停めた。しかしそこがどこであるかよく確かめなかったことが後々の悲劇の原因のようになった。
駐車場を出る時、かすかな不安があったが ナビが会場まで歩いて4分という短さの安心材料も手伝ってよく住所を確認しないで ホワイトハウス 泪橋へ向かってしまった。 空の向こうには巨大なスカイツリーがこっちを見ている。これも安心材料の一つだった。
30分ぐらいも遅れて会場入りし準備を始めた。 それなりに キャリアと実績でつつがなく終了した。 さて 駐車場へ車を取りに行こうと思ったが 記憶もかなりいい加減である。 5時から6時までの1時間ほども 駐車場探しが始まった。 日差しはまだまだたっぷり。 T シャツに汗が大量に吹き出る。 こんなこと本当に久しぶりのことだ。 喉が乾いて ペットボトルを一気に飲み干す。 発汗の作用の偉大なる効力を実感する。 汗をかくことは非常に大事なことで病気を防いだり心身ともにバランスのいい生活をさせてくれる特効薬であるという。 適度な汗をかくことは今時 難しいが目的のある駐車場探しということも手伝って大いに歩き回った。 1時間も探し回ったということは 4km ほど 、中野から新宿まで歩いたという計算であるがさすが普段は 電車や車で済ましてしまうので汗をかくということが少ない車社会の毎日である。
汗に良い汗と悪い汗があるようで是非良い汗をかくように心がけたい。 駐車場を探している時にはいつまで 探し続けたら見つかるのだろうという不安なざわつきがあったが見つかった時の喜びの叫び声は今でも忘れられない。 あったー。 これは車を見つけた喜びだけではなく 脳に刻まれた記憶をしっかりたどってやっと見つけたという達成感のような喜びであったよう。
思わぬ 花火大会の混雑を目の前に転がった予期せぬ悲劇のような喜劇のようだ。 日常で忘れている何かを思い出させた喜びを帰りの車の中で感じていた。
皆様 本日はお忙しい中 暑さの中 お出かけ いただき誠にありがとうございました 今月末には 初台 西新宿のアンサンブル 音でお待ちしております。 またお会いしましょう。

都内も気温35度が日常になりました。涼しい室内で熱いライブします

最近のライブではドブロ演奏アリですよ

なみだばしは地名です

青空に映えるスカイツリー

「会報が届いたらコメント書いてね」
東京都国立市スペースコウヨウたまらん坂に牛の谷保天満宮
2025年07月23日 | カテゴリー: 山木康世
今日7月22日は父親の誕生日である。昨年亡くなったテリー中本さんの誕生日でもある。国立市のスペースコウヨウでのライブは何回目であろうか。
ここに来る前に甲州街道沿いの谷保天満宮に立ち寄った。そして牛と一緒に写真を撮ったが、ここら辺の地名は元々は やほではなく やぼが正式名であったという。JR が走った時、駅名をやほにしたのでここも やほにしたという。 やぼで良かったのにね。
父は丑年であった。なんか奇遇である。ちなみに 谷保天満宮は東日本で一番古い天神様で亀戸天神 湯島天神と並んで 三大天神というらしい。
ここの会場は非常に使いやすく 窓からの見晴らしも良く壁に設置されたコンセントの数の多さには嬉しい悲鳴をあげる。昨今スマホ電気の時代、コンセントはいくらあっても足りないということはない。
ライブは父の誕生日ということで 父の関連する歌を意識して歌ってみた。山登り マイファーザーズファーム 父と母の蝦夷戯れ歌 父と母は恥じらいと誇りを持って 薪割りの歌などなど。
父が生まれたのは大正2年、もう1年早く生まれていたら 明治の男として生きられたのにと生前 よく言っていた。 明治 大正 昭和 激動の時間を過ごした父親たちの世代の人間たちの青春を思うと大変だったろうなあと思うと同時に一生懸命に生きたであろうということがまざまざと 思い起こされる。その頃は10年に1度 戦争の日本であった。 江戸の眠りから目を覚まし 国際社会の仲間入り。 何かと軋轢のあった国際情勢であったろう。 その子供たちである僕たちも 高齢者になって何かと騒がしいネット時代を生きている。情報の嘘か誠を見極めて前向きに明るく生きていこう。
明日は131号の会報瓦版花鰹を発送する。 予定通りつつがなく発送できることは 何よりである。
皆様毎度お騒がせしております。そして毎日ありがとうございます。暑さにぶっ倒れることなく、またおよろしく会いしましょう。

谷保天神にけやきホールコンサートの成功祈る

毎日暑いなぁ
柏市studioWUU「驚康」は何もドンキだけではない
2025年07月22日 | カテゴリー: 山木康世
今日は一段と暑さが厳しい。直接上空から体に突き刺さるような感じで朝早くから迫ってくる。風もないのが拍車をかける。
連休最後の海の日は、何かと海に四方を囲まれた島国に住む僕にとって、海は飛行機が登場するまで鉄壁の守りをしてくれたんだとつくずく思う。。
今日の柏はいつもの配信がなかった分、のびのびと出来たようだ。ふきのとう結成以来半世紀、一人になって33年の音楽生活で趣味のように自らの思考、理念の歌を作ってきた。ギターも必ず脇に控えていて、工夫を重ねてきたし重ねている。実に面白く今でも時間を忘れて音の響きや微かな一瞬の音魂を楽しんでいる。贅沢な時間を過ごすことの喜びは計り知れないしお客様には感謝の言葉しかない。何かをしようとする目的のある人生に終わりはない。
明日7月22日は父の誕生日、父もダリアづくりに励んでいた時間は誰にも分かりえない喜びや幸福感に満ちていたのだろう。空の太陽を見ながら、今日はやけに暑いなと黒い土に向かって94歳まで生きた。しかし病は静かに忍び寄ってきていて幸福の延長を許さなかった。
誰のためでもない、自分自らのために今を生きている。あまりにも情報過多に流されている現実の世の中、必要のないもの、見たくないもの、聞きたくないものにはふたをして関わらない方が身のためだ。
ソロになって一番変わったことは何かと聞かれたら、紙の世界からの卒業、デジタル機器のお陰で脳みそからこぼれ落ちた膨大な量の言葉の破片を保管、保存できたことだろう。旋律も同じように保管、保存できたこと。いわば限りある時間をそれまでの何倍も何倍も楽しんで遊ぶことができたということだろうか。
「拝啓こんにちは」は解散後2年の年に作っている。旧くて新しい歌、温故知新を感じる自分を奮い立たせてくれる歌だ。「羊飼いの恋」「秋の夜」「ご町内の皆様」
「春雷」における我が身でも予期せぬくっさみでびっくりなされたでしょう。「驚康」でした。ありがとうございました。

ありがとうございます。次回は12月の予定

富澤一誠氏はAgeFreeMusic
2025年07月17日 | カテゴリー: 山木康世
Nac5AgeFreeMusicは長きにわたり847回を数えるという。そのうち僕は光栄なことに7回登場していた。
パーナリティは富澤一誠氏である。一誠氏との間柄は長く、最初に会ったのはふきのとうデビュー直後、六本木飯倉片町スペイン村にあった才谷音楽出版の事務所である。
ドアより登場の一誠氏、黒いサングラスに長髪、アタッシュケースを片手に毛皮のロングコート、黒のロングブーツで現れた。スターのようであった。方やふきのとうは田舎から出てきて日が浅い。蛇に飲まれる蛙状態でアッハッハー。
その後何度もお世話になった。周りにはライター、評論家、カメラマンなど同世代の音楽関係者が大勢いて世の中の一役を担っていた。ツアー同行取材なども行われ雑誌にも多くお世話になった。しかしいつしか世の中も変わっていなくなった人もいる。
そんな中いつものスタイルでひょうひょうとAgeFreeMyusicを発展させている一誠氏は頼もしき発信者である。
昨日は本番収録後、美味い居酒屋で短い時間ではあったが杯を交わした。
まだまだ現役元気で駆け抜けましょう一誠さん、良いお名前だ。僕の周りに「一」のつくおやじたちが多数いる。何かの引き合わせかもしれない。
ありがとうございました。

有楽町のスタジオで収録

富澤さん、9月4日お待ちしています