となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

東京都昭島市フローラカルチャークラブ御礼

2025年03月31日 | カテゴリー: 山木康世

年度末最後の土曜ということで、中央道は渋滞中。何かと支払いや3月に済ませておきたい事柄の人たちで混んで大変だろうと予想はしていて30分ほど大目に時間を余分に取ったが、やはり入り時間を遅延。おまけに小雨が降っていたので何かと心に厄介な焦りを募らす。いつもの線路沿いの駐車場へ急ぐ。車止めの板がせりあがるタイプの駐車場は少なくなっている、うまく侵入しないと上手く中央に収まらない。収まったと思っても白線を外れていたり、乗り上げていたりと冷静に入れなければいけない。荷物を出してよく見たら、タイヤがせり上がりを外していた。時間も少々かかったので板もすでにせりあがっていた。妙な感じで停めてしまったものだ。出庫するときに厄介なことが起きるのも面倒なので、ここはいったん清算をして出ることにした。今入れたばかりなのにと不思議がる人が目に浮かぶ。冷静に考えれば出るときに清算すれば何の問題もないのだが、遅延と小雨が判断を鈍らせた。そして一番頭を占領していた問題があった。事務所から持ってきたはずのリュックが見当たらないのだ。これがなければPCがない。ということはほぼ歌えないという事態になる。どうしたものか?事務所を出るとき確かに背負っていた。傘をさして階段を2時間前には降りていたはずだ。どこに消えたのか?もしかして事務所に置き忘れたのか。さっきの車止め以上に問題が厄介になっていた。これ以上遅れるわけにはいかない。小雨の中カルチャークラブへ急いだ。
そしてである。頭の困惑が一気に解消した。白いユリ置かれた会場に入るやいなや紺色のリュックを見つけたのである。関係者が駐車場車内から何のことはない持って来てくれていたのだ。
本日のLiveは成功間違いなしである。
時間は少し遅れたが小さな問題が何事もなく解決した。
頭スッキリ、身体も軽く順調に2時間超えのYAMAKINGSONGS。
2度ほど直ぐ頭上をジェット機が横田基地へ飛来していた。
あいにくの昨日とはうって変わっての寒さの中。ご来場の皆様、誠にありがとうございました。

リハは入念に


光る☆と百合の花がシンボリックな会場

東京都北区スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオtabatabatabata年度末

2025年03月26日 | カテゴリー: 山木康世

洗濯物、車の汚れ、喘息、アレルギーに気をつけろ。花粉も降っている。
明日は東京26度と夏日予想。
富士山噴火、南海トラフ大地震、何かと朝から慌ただしいワイドショー。
田端の坂道の希望のネコヤナギは間違っていた。いやはや坂道にティッシュのような白い大きな花弁が散っている。もしやと思い近づいて見上げると、あの花じゃないか。ハクモクレン。庭を掃除していたおじさんが「ハクモクレンですよ」2月のあの日、梅の木にメジロが鳴いていた。ホーホケキョじゃないよな、みんな騙されてるけど俺は騙されないぞ、隣のネコヤナギに確認していた。はずだが4月になろうとばかりの3月の今日、ネコヤナギにやられた。
今日は駐車場がどこも満車で、会場から500mほど離れたところにやむなく停めた。年度末の税金使い果たせのお役所さんの習いで、関係者がいつもの駐車場に停めるもんだから満車、中で休んでいる作業員風な人も見える。
「れもん」「時代の重さ」「アジサイの花」少し大人し目のYAMAKINGで始めた。「シルバーランドの朝」ではメロディ紛失事件勃発。最後は無事着地やれやれ。「万華鏡」「花ちゃんの離婚」万華鏡では、なぜ万華鏡というタイトルなのか。しかし歌っていて歌詞の中に発見。「男がひとり」花ちゃんの旦那は船乗りになっていた。東京港でしばしの休息。1人二役、この旦那を俯瞰、初試みの歌だった。ハイポーズ 決まった 男がひとり。こんな壮大なドラマを誰が知ろう。誰も知らない。進行途中で思いついた、とある男のドラマ。
お客様には、まだ馴染みが薄く時間を要するようだ。
お忙しい中tabatabatabata田端へ、ありがとうございました。何かと慌ただしい年度末、みんな調整の時期でございます。
週末の土曜は昭島フローラカルチャークラブでYAMAKINGSONGS。曼荼羅たちの歌を引っ提げて心よりお待ち申し上げております。

YAMAKINGSONGSを表現した曼荼羅の前で


月1回ライブ開催の会場、田端アンダンティーノ

埼玉県志木市ドットブリッジ志木 ~歌ってラブリー 志木で四季の歌~

2025年03月23日 | カテゴリー: 山木康世

志木市は初めて聞く街、荒川の町で、正確に言えば荒川に合流する新河岸川(しんかしがわ)の河港として発展、3と8も付く日には市がたったという町。江戸時代には江戸と川越を結ぶ重要な町であったのだ。
今は中野から20キロほどで、1時間もあれば着くという近場である。東京のベッドタウンなのだろう。人口は7万であるが、立派に整備された道路も追いつかないほどの混雑ぶりでラッシュ時には2時間近くも要される。練馬を超えれば朝霞の陸上自衛隊の広大な基地が見えてきて、その隣という感じの町。今の車社会の混雑ぶりは、江戸城の北の守りとして埼玉県は存在し城下町特有の狭くてT字路が多く残っているからであろう。ちなみに明治10年ごろの東京の人口は13万人と聞いたことがある。
川越街道は30キロほどの長さしかないが、その昔には中山道へと続く重要な脇往還(わきおうかん)であったという。
初めてのドットブリッジ、何か名前の由来はあるのだろうが、会場はliveスペースの域を超えて今に生きる空間である。広くて間仕切りがないので使いづらいと思えるが、再訪したら逆手にとって中央にステージを作って、周りにソファを並べて自由な空間でのライブも今後ありかなと終わって一段落、朝が明けたら思ってしまった。
しかしLive自体は良くてアッと言う間に終わってしまった。特に場内の響きが抜群に良くて、やる気を起こさせ歌い甲斐、弾き甲斐、吹き甲斐のある時間だった。
それ以上に江戸時代でも現代でも変わらぬ20度越えの陽気が身体の内側からサポート、やはり幸せの一部は青空の彼方からであると再確認。

チューニングは念入りに


池袋から20分志木駅から徒歩3分の会場でした

東京都新宿区/あんさんぶるStudio音から春の便り

2025年03月21日 | カテゴリー: 山木康世

昨日とは打って変わってなんて穏やかな日なんだ。もっとも昨日までしばらく愛知県に暮らしていたので、東京の雪はTVニュースで眺めていただけなのだが、それにしても朝の帰京への心配事は大変なものがあった。六本木からの中継はまるで雪国への招待状のようだった。ウェザーニュースで午後3時にはお日様マークだったので案外穏やかだったけどね。
今日が春分の日だったとは朝の朝まで知らなかった。その上祝日だったとは何という粗忽者。グンと気分が高揚した。国民お休みの日の久しぶり春の日のLIVE。

「桜の木の下で春を待ってる」

町は四月桜が もうじき咲くね
なんてのどかな良い日だ 電車に揺られて
新宿からこの町に来て あれから何年になる 
桜の木の下で春を待ってる
心豊かに穏やかに 毎日を過ごす
そのうえ元気ならなおさらに良い
お金はそこそこ あれば良いかも
桜の木の下で春を待ってる
みんなみんないつの間にか 長い道を歩いてきた 道はまだ続く
そよ風に吹かれてあなたを思いながら 
桜の木の下で春を待ってる

零戦は出てこないけれど、木が樹でもないけれど、これが元詩、昭和が終わって平成の世の中に繰り出した頃の我がYAMAKINGSONGS。「西武新宿線」は新しい世の中を邁進し始めていた。新井薬師前駅を降りると八百屋さんが、花屋さんが、古本屋さんが、惣菜屋さんが、お寿司屋さんが、郵便局が、パチンコ屋さんが軒を連ねて待っていてくれた。ホントに良い町並みだった。

皆さんお忙しい中西新宿楽しそう初台の町へお越しいただきありがとうございました。

月一の恒例会場のひとつ、西新宿あんさんぶる音


背後にはいつものフラッグたち

春日井市カフェ・カレドニア、窓際に置かれたふきのとう登場アルバム「ふきのとう」何をか語らん

2025年03月19日 | カテゴリー: 山木康世

一杯の紅茶を飲みに立ち寄った「カフェ・カレドニア」のマスターは若い頃、SONY名古屋営業所におられたという。当時ふきのとうはシングルを出すたびにキャンペーンと称して各地へ出向いた。名古屋は新幹線で2時間ということもありちょくちょくお世話になった。駅からすぐにある地下街公開スタジオは苦手な場所だった。人通りの多い通りにガラス張りのスタジオは今でもよく思い出す。「風来坊」の折には幟を用意してくれてラジカセを肩に乗せた社員の方たちと目抜き通りを練り歩いたもんだ。これもほろ苦き思い出。
今でもありがたいことに同じ会社にいたという絆で結ばれている。当時マスターはどんなはたらっきぷりの若人だったんだろう。直接お会いしてはいないが、確かに今の自分のずっと昔に何らかの関係でつながっていた。それで今がある。もうレコード盤だって擦り切れるほどの時間は経っている。今の時代のようにスマホで見せ合って、思い出をダイレクトに共有できないが、心のスマホの糸でつながれた強い磁石のような思い出だ。マスターの誕生日の日に大賀社長より誕生日おめでとう感謝状と共に、ふきのとうデビューの記念すべきアルバム「ふきのとう」をプレゼントされたそうだ。こんな粋なこと今は絶対できない時代だな。30センチのLPレコードの面目躍如たるところだ。51年後にこんな所でこんな人たちの前でこんなことが行われるとは神様でも仏様でも分かりっこあるまい。長く生きた者同士のドラマだなぁ。
今日は「思えば遠くへ来たもんだ」からスタートした。通常は後半かラストの歌である。しかし今日は違っていた。1年ぶりの再会とちっちゃなドラマの雑感なのであるな。朝には考えられなかった今日のYAMAKINGSONGS。そして「春の雨」でのRain Drop Rain Drop Rain Rain Drop
Rain Drop Rain Drop Spring Rain 小さな雨粒が徐々に会場全体の大粒の雨に。よかったよかった。みんなの雨粒と僕の雨粒が混然となって場内にしみわたった瞬間だ。
最後の徐福感謝への「水の底に映った月」で存分に響き弾かせてくれたB25よ。
愛知3連Live、いかがだったでしょうか。矢張り心にしみわたる歌を書き続けてきて良かったと思わせる春の雨混じりの中、お見送りのマスターとカフェカレドニアを後にした。
みなさんお忙しい中ありがとうございました。また元気でお会いしましょうぞ。

満員御礼、ありがとうございました


ラストは「水の底に映った月」で締めました

愛知県新城市/ライブステージ弦 もはや禅問答の境地か!?

2025年03月16日 | カテゴリー: 山木康世

ちょうど1年前、お店の前につながれたシェパードのワンちゃんを楽しみに訪れている。久しぶりの犬小屋の横に車を乗り入れて何だか空気が寂しかった。マスターに聞くと半年ほど前に病気で亡くなったという。元気に走り回って歓迎のワンワンという声も今はないという訳か。病気は人間でも動物でも切ない。刹那に生きる。
時間の最小単位で一つの意識の起こる時間の一瞬間を言うらしい。目の前の快楽を追い求めて生きることの切なさが刹那。なるほど。あまりにも手の届かない快楽を求めている間に、知らぬ間に忍び寄る病という名の本人自らの手に負えない事態に道半ばという話はよく聞く話。
ギター1本弾き語りの2時間は刹那の連続、連鎖で終わっていると言っても過言ではないかも知れない。
50年前には絶対に出来えなかった芸当である。
50年前の自分の言葉をメロディをかみしめてギターがそのお供をしての2時間である。コロナ禍以降特に感じる時間の大事さ、重要さ、そして虚しさ。刹那の為せる技か。明らかにヒット曲狙いの言葉、メロディではない音楽人生の50年であった。ふきのとう時代の18年は使命感に燃えていた。その時代を終えてからの33年はまさに自分のための修行のような時間だった。
人生とは自らの道の追及に他ならない。やっと解ってきた言葉と言葉の隙間の素になる時間の脳への刺激、決して音の大小ではない。むしろ聞こえない隙間に聞こえてくる、自分自身との対話である。なんだか禅問答のような話になってしまった。
人はどこから来てどこへ行くのだろう。
ディランは答えは風に舞っていると言ったとか言わぬとか。
終わってから「弦」の壁にサインをして確かな足跡を残してきた。3回目のアホウドリの飛来は、去年と少し変わっていたでしょうと自負する。
みなさんお世話になりました。傘を指してお見送りいただいたことに感謝します。犬小屋からワンちゃんのサヨナラも聞こえてきました。こうなると幻聴の域か、アブナイアブナイ。
お忙しい中みなさんありがとうございました。どうぞ自らの免疫力を信じてお元気で刹那を生き抜きましょう。

雨の中をお越しいただきありがとうございました。


オーナーの青山さんと


3度目の公演でした

愛知県豊橋市/LIVE HOUSE AVANTI(アヴァンティ) 豊橋は今日も雨だった

2025年03月16日 | カテゴリー: 山木康世

今回アバンティまで浜名湖を経由、下道を20キロ、いつもは豊橋市街からアバンティを目指す。印象が変わってくる。それでも空模様はここのところ同じで雨模様が多い。なぜなのか知らないが雨の溜まり場である。
荷物の搬入搬出時に、この光景は前回もそうだったなぁ、と急ぎばやにお店の中へ。Live中のMCで、どうしてアヴァンティなのか、アバンティではないのだ。辞書で後に調べたら、インド古い王国とあって粋な名前を付けたもんだと感心した。しかし間違っているかもしれない。今やインドは中国の人口を抜いて世界一だ。数字のゼロを発見した国でもある。当時、世界には1234などの数字の概念はあったが、0はなかった。加減乗除をよってたかってしてもゼロはゼロである。当たり前のように使っているがゼロの概念は偉大である。
幼児や虫や人間以外の動物、生物の概念はゼロである。僕らも遠い昔ゼロであった。それがいつの間にか知恵というものを授かってややこしいが素晴らしき発展を遂げ、今や人類を滅亡するまでの力を持つに至った。そのうえ人間が考え出したAIというものにとっ代われるほどの時代になった。
しかし人間の誰も見たことも触ったことのない魂というものにはAIも行き届かないであろう。
今日もベンさんのゆるぎなく妥協の許さない「OTO」は僕の魂を揺さぶってYAMAKINGSONGSに拍車をかけた。
「アヴァンティ」は現代の混沌とした行き場のない不安感を払しょくしてくれる。それはまさにベンさんの生き様そのものなんだろうな。
小雨の中、豊橋へ向かった。懐かしい広場に薬屋と大きな建物を見かけた。ここにあったアヴァンティの頃から、今のことを考えていたんだなと思った次第である。
お忙しい中、時間を割いてお聞きに来てくださったお客様、誠にありがとうございました。
明日は新城市「弦」で存分に弾き語り、あいにく寒くて天気は春が少し遠のくようですが、そこはそれゼロの趣で。

お気に入りの会場でYAMAKINGSONGSを披露


配信動画もバッチリ


「まれにはさんにん」の皆様ありがとうございました

東京都台東区SHARE TIME studio(シェアタイムスタジオ) ~春うらら サンキュー君に感謝する~

2025年03月10日 | カテゴリー: 山木康世

住所は台東区と在るが、蔵前である。蔵前と言えば続いて国技館とくる。のは昔の話。今は墨田区両国横綱にある。
副題にある通り、今日は昨日までのうだつの上がらない気とは一変、春ですなぁと相槌を打ちたくなるほどの陽気。シベリア寒気団の1週間周期による目まぐるしい陽気である。三寒四温なんて言う言葉も春を待つ意地らしい天気模様にも似ている。しかしこれも昔の話かもしれない。地球温暖化を通り越し今や地球沸騰化。物騒な話である。
寿司屋に「北海道産ブリ」なんていう表示がされていて何とも苦笑する。今までは宮崎産、北陸産辺りだったのに、表示を見ても何とも思わなくなってしまい当たり前になってくると怖いものがある。沖縄の海で見かける色鮮やかな魚たちが北に出没する。温かくなってしまったんだなぁ、北海道には流氷の風物詩もなくなるのか。果たして人間のせいなのか、それとも大きな地球のドラマのホンの微かな1ページに過ぎないのか。今年の夏には母なる太陽の大活動期、何かと厄介な地磁気問題を引き起こし電波障害なども起こるという予想もある。クワバラクワバラ。しかし母のやることなので見ているしかない。
「青色申告事務所」なぜかSHARE TIME studioの印象は薄いが、この青色に書かれた向かいの看板に差し掛かり記憶が鮮明に浮かび上がってくる。3回目のSHARE TIME studioか。中に入ると更にクッキリと脳ミソに刻まれた記憶の木っ端が大木になる。どちらかと言えば配信用studioである。真っ白に塗装された内部は何かと使いやすい。先ほどの青色の記憶であるが、看板もさることながらその前でオジサンが二人、道路で煙草をふかしていた景色と一緒になって刻まれている。
前回住所の「三筋」のことをダイアリーしたことも覚えている。この辺りの碁盤の目は、日曜も手伝って車も少なく長閑な冬と春の谷間にチョコンと腰を掛けた快適な一日だった。
お忙しい中元気なお顔でご参加してくださった皆様、誠にありがとうございました。
1か月後は横浜大倉山、馬車道でバシャッと馬から落ちて落馬しないよう、どうぞお気を付けてお越しください。

江古田マーキー太陽と水

2025年03月02日 | カテゴリー: 山木康世

今日から3月である。弥生3月桃の節句。昨日までの如月2月は他の月より二日三日少ないというだけで、アッという間に過ぎ去ってしまうという感じがする。2月は寒いので更に衣を重ねて着るので衣更着(きさらぎ)とはよく言ったものである。
そして明けて弥生の朝からハルー!という感じの日が始まって心身共に軽い足取りで駐車場へ。エンジンも心持ち軽くかかり良い日の始まりである。
車は偉大なる乗り物である。そして何と人間的であるか。ガソリンが血である。エンジンは血であるガソリンで動く。基本は血である。血がスムーズに動くには、程良い気温が必要である。血が隅々まで行き渡って健全な肉体を保つ。そのためには毎日繰り返しの補給が必要である。それもひとそれぞれの体に合った補給が必要である。年齢と共に腹8分目、更に腹5分目くらいが良いらしい。
人と会って良い話をする。話をするにはエネルギーがいる。エネルギーの元は血である。血が行き渡ってまともな対話や会話が出来る。そのためには補給が必要である。普段あまり活発に行われていない血の体内循環を大いに感じる。その流れを加速させるために食い物を食う。食い物を食うから腹が空く。腹が空くから食う。食い物が血となって体の隅々へと行き渡る。良い気分になる。良い発想が生まれる。良い人と会う。良いところへ行きたくなる。車と同じでやはり寒いよりは温い方が住みやすく過ごしやすい。年々歳と共にそう思うようになった。極寒で生きる人たちには大いなる敬意を表しますが、有限な時間で如何に生きるかというタイムイズマネー的な感じから察するに、幾分損をしているかもしれないとホントに思ってしまう。
笑うと体が温かくなる。これは血が行き渡っている証拠であろう。インドには「笑い教」という宗教があるという。考えてみたら笑いの元は複雑である。ただ単におかしなことを言うだけでは、腹を抱えての大笑いは得られない。人間には予想能力がある。それも場数を踏んだ大人になればなるほど長けてくる。まだ人生経験の少ない子供が面白いのは、予期せぬ行動を受け狙いなしに起こすからである。犬や猫も同じである。計算高い笑いは面白くない。大笑いしない。ゴムと同じように長く生きた分頭が硬くなっては面白いことに行き当たらない。そして涙が湧いてくる。本物の笑いだ。哀しいときにも涙が湧いてくる。感動したときもウルウル。どこから来る水なのだろう。何時間前に飲んだ水なのだろうか。温もりは太陽の恵みである。水は太古の生き物からの語り伝えである。高度な現代分明の陰に隠れた原点を日夜丑三つ時に発掘検証し見つめる日々である。
お忙しい中、みなさま誠にありがとうございました。
つつがなく面白かった今日一日を共に過ごしたことに感謝いたします。

リハの時間は静かに進んでいきました


10か月ぶりのマーキーライブでした

国立市スペースコウヨウで野暮な谷保天満宮

2025年02月25日 | カテゴリー: 山木康世

国分寺と立川の間にあるので国立。こくりつではない。くにたちである。中央道を走ると正面に東京の山々であろう稜線が青空の下広がっている。今日は高速道路の名に恥じない高速運転で国立へ。30分ほどで国立府中インター到着。こんな晴れの連休、おそらく渋滞であろうと踏んでいたが肩透かし。そして稜線の向こうに一段と勇壮な真白き山が目に入ってくる。霊峰富士である。富士を見かけたら「富士山だぁ!」と叫んで手を合わせてしまった。こうなるのが日本人というモノだろう。何故かしら皆の心に沸き起こる富士山の霊力は今でも相当なモノなので、昔の人にはもっと応えられないモノがあって、日本人の美意識の底流でもあったのだろう。
神社仏閣の屋根の反り具合、お城の屋根や城壁の緩いカーブ、日本刀のカーブ、つれない野暮な君のココロなどなど、すべて目を見張る裾野に広がるカーブは日本人の美の一つなのだろう。
その富士山が高層マンションの建造により見えなくなって、やむなく完成された建物を業者は急遽建て壊し、人間喜劇を見た感じの去年の国立市。谷保天満宮は何を思ったか。「野暮なことをする方もする方、される方もされる方」「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃなソンソン」
国立市の花は梅という。そこへ飛来したメジロを見て、鳴いてごらんウグイスよ。メジロは???
「さぁ中野に帰ろう」と中央道を引き返した午後6時頃、富士山上空は明るく霞がたなびいておりました。あー春がそこまで来てるなぁ。
お忙しい中、皆様誠にありがとうございました。曼荼羅模様の人生喜劇、面白可笑しく参ろうぜ。

午後の明るい時間帯のライブが多い国立


ウクレレ+ブルースハープも趣があります


ラスト曲は「夜の終わり」


入場時はスタンプ押しを担当したBOSS

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