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広島市SixoneLiveMOON日本も広い国だね

2025年09月29日 | カテゴリー: 山木康世

松山からしまなみ海道を一走り、山陽道に入り、走ること約4時間の旅。空では絹雲のような白雲が山水画を描こうとしているかのようだ。暑い暑いと今年の夏を何日過ごしたのだろう、確実に秋がそこまで来ている。吹く風の心地良さ。9月も終わろうとしている。北海道で走っているといつまで経っても北海道。アッという間に日が暮れて行く。四国から本州も今ではアッという間なのだが、県をまたいでくると、北海道の広大さとは違って日本の歴史を感じて、その昔の人たちが息づいていた頃の町並みが風と一緒に走って行き日本の顔を感じることが出来て思えば遠くへ来たもんだとなる。
今回はGibsonB25とクワイアンウクレレで2時間1本勝負を駆け抜けてきたが、実はGibsonは去年大修理、半年入院の末の姿だった。勝手にシンドバットであるが古いGibsonは総じてMartinよりも華やかさはないが、朴訥とした力強さが魅力的でソロになって随分と一緒に旅をした。退院後のB25は少し薄れたが、その分高音弦のきらびやかさが増したような気がする。優秀なクラスの子に仲間入りした親の気持ちである。クワイアンは小ぶりながら存在感のある音で楽曲に軽やかな表情を付けてくれてライブに潤いを持たせてくれる。
今回の速達便は「流星ワルツ」で皆と一緒にワルツをした。この世は取り敢えず男と女が奏でるハーモニー、足並みそろえていついつまでも。歌を作り始めた頃の学生時代の夢は、まさに将来良い歌を見ず知らずの人たちと歌える歌を1曲でも残せたら良いという願いも込めて創作し続けてきた。そしてその方はこの方ですよと思い出のショットタイムを22秒設けて刻んで貰った。元来飽きっぽい性格なので、いつまで続くやらと言う企画であるが、飽きずに今年いっぱいくらいは頑張ってみようか。バースデーカードに記したORコードも届いているのやらいないのやら。僕からすれば以前は考えられなかった魔法のような現代のテクノロジーに魅了され、あの四角に囲まれた中のゲジゲジのような謎の判じ絵を何時も感心して見ている。これを考えついた日本人の脳みそにカンパーイである。実は今書いている記事も一端QRコード化、文字変換の後、自分のメール宛てに飛ばしている。瞬間芸の一言に尽きるのであるが、この現場を見たらワァーゲロゲロ!と声を上げるだろう。
つつがなく西のツアー4日間を終了させてくださった時の氏神様と生身の皆様方に大いなる感謝と、これからも変わらない愛AI情とAIの豊かさを願って終了致します。それにしても能舞台いきなり今昔物語、僕の脳みそはピッカピッカに輝いていた。

晴天の広島。ですが、会場内は夜のムード


アヒルが定位置にスタンバイ

アイドルの撮影会ではありません。

愛媛県松山市スタジオOWLにフクロウが降りてきた夜

2025年09月27日 | カテゴリー: 山木康世

松山は雨も上がって穏やかな良い日和だった。少し汗ばむほどの秋の日、夏目先生の頃の松山に思いを馳せる。東京から赴任して数々の名作を生んだ我が国の巨匠。
正岡子規との出会いが素晴らしかったのか。門下生に芥川龍之介、寺田寅彦らがいて矢張り我が国の巨人だったわけである。
今夜の音響は素晴らしく我を集中させてくれた。近頃小規模自前音響の音場に慣れてしまったのか、場にそぐわないリッチで緻密なモニター音響が少々鼻につき集中力が持てなくなり、自然YAMAKINGSONGSが平坦になり長い2時間となる。しかし今日の2時間は我ながらあっという間だった。
エレボの良質なスピーカーが2台天井の隅に配置されていた。通常は転がしと言ってステージの上、演者の足元に配置されることの多いモニタースピーカー。正直デジタルな音が良すぎると、そちらの音が気になり退屈になり肝心な歌の内容が薄っぺらくなったりする。一番はやはりギター一本なので演者の周りを包み込むように自然に聞こえてくると豚は木に登ったりする。この音の他に場内からの返し、響きも重要なのである。
心が奏でて人の心に届く。説明のつかない音楽のシャワーを浴びて、いわゆる癒やしの心が生まれて口元が自然ほころび、目元が潤んで、さっきまでのスマホの見過ぎの眉間のシワがいっとき消える。笑うからおかしいのか、はたまたおかしいから笑うのか。鏡を見て笑ってごらん。脳みそが緩んで少し気持ちが軽くなるよ。不思議だな。
高齢者にシワ隠しやシミ隠しにと美容会社は躍起である。しかしそれよりも肝心なのは心の朗らかさ。気持ちの若々しさ。頬が重力でたるんで妙に近頃下降してきた。こんな人は口元を少し持ち上げるだけで気が軽くなる。お試しあれ。
アンコールふきのとうここにありの3曲。正しく歌わせていただきました。やはり日本中に響き渡った美しく良い歌曲で力があるなと実感した。すべて20代の頃の作である。
皆様と共に過ごしてきた長い時間、そして今の時間、まさに時の魔法にかかったOWLの時間は重要、かつ良質、良好な大人の夜のひと時だった。ちなみにOWLにはフクロウの他に夜ふかし(する人)の意味もあるそう。それともったいぶった人ともある。これは一寸遠慮しとくわ。

リハーサル中

スポットライト1本に浮かび上がるYAMAKING

岡山市ブルーブルースの楽屋には桃太郎さんがいた

2025年09月25日 | カテゴリー: 山木康世

岡山を訪れて何年になるんだろう。ふきのとうコンサートで訪ねた時ががお初であろう。北海道に住んでいて、それまで受ける岡山の印象はやはり桃太郎さんであろうか。桃太郎と言えば吉備団子。吉備とは備前、備中、備後、美作地方の古名とある。しかしきびには黍もある。黍で作った団子。それとも古人の遊び、掛詞かけことばによる団子か。
札幌の近くに栗山という町がある。ここにもキビダンゴがある。ちなみに製造元は私の遠い親戚である。そしてここのキビダンゴはまったく吉備団子と形状、質が異なると言うことを始めて知ったのもふきのとうの時である。
岡山の夜は怖い町なので、あまり暗がりや寂しいところには行かないようにと注意を受けた記憶がある。ふきのとう時代は駅の目の前の第一ホテルというところに投宿した。今の駅前の華やかさとは偉い違いだった。
桃太郎さんが町のシンボルというのは良い。断然良い!ゆるキャラの元祖であろうが鬼退治をする桃太郎は今でも必要な心のシンボル。社会には色々な鬼がいる。さしずめ詐欺鬼、大水鬼、飢饉鬼、戦争鬼、地震鬼、噴火鬼、病鬼、事故鬼、これらを退治してくれる桃太郎。事故に遭った原発の収束に40年もかかるという途方もない時間を費やすとは人間は賢いのか愚かなのか。今日は水曜日だったということもあり「柿の実色した水曜日」を皆と共有した。ネット時代になっていかにも何千、何万人にもつながっているようで、それは妄想かも知れない。むしろ昔の時代の方が少なかったかも知れないが人間として人とのつながりは強くて太く長かったような気もする。「拝啓こんには」昔の水曜日の自分に手紙を書いてみる。性根は腐って変わってしまっていないか。正しくお辞儀をしているか。心の豊かさを僕はすでに30年以上も前に歌で問うている。たばこの煙が他人に及ぼすマイナスの影響を作り出している会社のコマーシャルに疑問を感じてしまう。先ずは身近の人に優しくいよう。
「blue blues」オーナーの思わぬ降って沸いたような大けがを聞き、言葉を失ってしまった。誠に音楽好きできれい好きでいつもいつも何かしら向上心旺盛で控えめな彼に何故神様はあのような夜を用意なさっていたのか。
お忙しい中、皆様方ありがとうございました。くれぐれも事故や病気には注意されて、また元気にお会いしましょう。

今回のツアーはB-25一本勝負


マスター、どうぞお大事に

京都市冬青庵能舞台古き良き日本古来の伝統精神は良いもんだ

2025年09月23日 | カテゴリー: 山木康世

「冬青」という言葉を知ったのはここで9月にライブを行う、と言うことで今までの生活に於いてまったく関わりのない言葉だった。
「とうせい」と読んで調べると・ソヨゴの異名・モチノキの異名とある。ソヨゴもお初。ソロバンや駒に使われる堅い木とある。モチノキは聞き覚えあり。こちらは樹皮や果実から抽出した液をノリ状にして枝の先に点けて小鳥や昆虫を捕らえるために使われる。とある。
どちらも現代では使用頻度の少なくなった言葉である。しかしソロバンが子供たちに普及し始めているというニュースも聞いたりしているので、微笑ましいソヨゴのお話。ソロバンを算盤と書く。父は生前よく5玉の算盤を手にしていたな。僕は全くダメ。算盤が出来る人は、頭に算盤が浮かんで計算をするとき球をはじいて暗算を素早くすると言う。これは習っておいた方が良かったなぁと思ったりする。頭のためには脳を使わなくてはいけない。何でもかんでもカードで済ませて現金を数えなくなっては脳の一番の安楽である。小銭を所持していて乗り物の乗車くらいには使った方が楽しい。
トリモチの方は実際に使った例はないが、なぜか懐かしい風景。夏休みに昆虫や小鳥を捕まえる子供たちが夕景に浮かんでくる。妄想族の所以ゆえ許しておくれ。
さて肝心のお能の方であるが600年来の日本の伝統芸の一つである。その舞台を下見に伺った今年の春、「トウセイを知って、ソヨゴ、モチノキのことも知った。勉強になる。ここら辺はその昔冬青の木が生い茂っていたのか。そして今般の能舞台に多く使われているのか。良い名前であるなぁ。
礼儀として、ただ舞台を拝借するのは失礼と思い、烏帽子と黒の足袋、法被を用意して臨んだYAMAKINGS。
お陰様で満員の中、楽屋からGibson、ハモニカと共に「橋掛かり」という廊下を渡り松の描かれた背景の舞台へと登場、遂に始まった念願の能舞台、心身共に大変に新鮮で生き生きと2時間1本勝負は始まった。今回はノンマイク、アンプラグド果たしてどうなることやら。舞台の中央は音が良く響くように作られているのかお客様に良く届き渡っているようで「タイムトラベル」は直ぐに心を舞台に、今日の日になじませてくれた。この冒頭先発部隊は成功したようである。昨日の深夜の速達便「雪の町へ」も成功だった。汽車は走って走って北の町へ。そして撮影タイム。僕はお客様への感謝、サービスで舞台の周囲へ。大勢のスマホがこちらを見ていた。今日の良き日をどうぞお手元に共有して下され。アンコール、ここぞとばかりに「弁慶と義経」オープンDの全開、全力疾走、2時間越えの「冬青庵」は完遂した。51年はだてではなかった。やはり時間というモノは必要なのであるなぁ。付け刃では真似の出来ない身に染みこんだものがものを言う、と言うことを実感する。
大盛況、大成功、最後にオーナーが床に正座して頭を深々と垂れてお礼を申して下さった。普段立ったままで握手などをして慣れてしまった欧米風挨拶、別れの姿に忘れていた幼い頃の畳の文化、日本の古き良き古来からの人との交流を思い出してしまった。
本当に良い一日だった古都京都「冬青庵能舞台」よ左様なら。明日は岡山ブルブルが待っている。

満員御礼、ありがとうございます


撮影タイム!22秒


リハーサルです


高瀬川沿いを散策


ランチ後に鴨川を眺めるカフェでアールグレイティーを

雪の町へを大合唱 画像をクリックしてください

さいたま市音楽サロン トトボーノで幸運の美味しいを!

2025年09月17日 | カテゴリー: 山木康世

「音楽サロントトボーノ」音楽サロンはよく聞く言葉。「トトボーノ」はお初で一度聞いても覚えられない。店名や芸名は第一印象が大事で、二度三度聞いても覚えられない名称や名前は何かと不利であると常々思っていた。しかし今回の会場名は少々趣が異なっていた。
女将さんに娘さんが二人いて、一人はトトちゃん、イタリア語で「賭博や賭け」「幸運」もう一人はボノちゃん。イタリア語でボーノは「美味しい」。このことを知ってにわかに「トトボーノ」は近くて親しみのある会場名となった。女将さんはイタリア語の意味を知らないで付けたのだろうか。後に知ったとしたら驚いただろうな。
こちらの知識不足でイタリア語はまるでダメ。アンダンティーノくらいか。ちなみに歩く速度よりも少し早くという音楽用語であったような。
非常に綺麗で使いやすいトトボーノは僕の第一印象を変えてしまった。自分の印象など当てにならないということで勉強になった今日一日だった。打鍵楽器が出来ない僕にはピアノは邪魔と言えば邪魔だが調度品と思えば気持ちが安らぐ。けやきホールから使っている行灯は近所のアンティークギャラリーで見つけたもので、今のところ満足の品だ。ピアノの横にあると更に趣を良くした。荷物が一つ増えた感じで車内は狭くなった感があるが、それを上回る視覚効果があると思っている。
今日は川口市も近いので「キューポラの町」を合唱TOYOTAを飛ばして君に会いに行った。写真はうまく撮れてましたか。今度コンテストも考えてますのでこぞってご参加ください。狭いながらも楽しい我が家。どうぞまたワクワクしながら幸運の美味しいを見つけに来てください。お忙しい中遠くから近くから誠にありがとうございました。アホウドリも感想や雑感を手短にお聞きしたいと願っております。
心を込めて去りゆく友にアディオス!

落ち着いた良き会場でした。浦和駅からすぐ。


本日もスマホ撮影タイム22秒間

市川市妙典サクラコートホール6弦ブリッジピンへの困惑

2025年09月13日 | カテゴリー: 山木康世

関東各地を襲ったゲリラ豪雨、心配された川の氾濫はなく穏やかな朝である。
中野区の心配された雨による被害はお陰様で軽微で何よりだった。しかし都心の方ではかなりの被害があったと朝のモーニングショーで知った。
台風一過のような涼しげな風が久しぶりに吹いていた。
市川の方へは下道で1時間ほどの距離である。何も高速で行くほどではない。じゃーまぁーいっかー。
銀座を抜けて築地を抜けて江戸川を渡り、浦安東京ディズニーを右手に見ながら市川へ向かう。
妙典サクラコートはもう10回以上にもなるであろうか。一日最大1000円はうれしい近隣駐車場である。以前の斜めの少し煩雑とした駐車場よりも大きめの道にある駐車場へ車を入れる。歩いても2分もかからない適度な距離にある。
途中猛烈な雨に襲われたが、太平洋へ去ってゆく最後のお別れの雨の挨拶状。
突然我がGibsonB25の6弦ブリッジピンの叛乱が始まった。何だか弾いていて弦が決まらない。演奏しながら修正したのだが、収まってくれず最後にはピンが客席の方まで飛んでいってしまった。じゃーまぁーいっかどころの騒ぎではない。お客様の中にギターに通ずる人がたまたまいて別室にて応急修理と相成って事なきを得た。多いなるお助け、ありがとうございました。最後まで何とか持ちこたえたが、先日のけやきほーるでのピン紛失に続き心穏やかではない。帰ったら詳しく見てみよう。
そんなこんなで10分ほども要らぬ寄り道をしたが、人生にはつきものであるアクシデント。しかしピンによるアクシデント、ただただ申し訳なく平謝り。
朝の速達も皆でスマホを広げ確認、22秒の撮影タイムも無事終えて差し迫る会場次ぎ使用者への時間も慌ただしく後片付け、お店の方もご協力して下さった。
雨は上がって夕刻の6時はもうすでに暗い。遠くにスカイツリーの灯りを見ながら帰路へと就いた。

白の開襟シャツにはまっていたふきのとう時代の若き日があったなぁ。

妙典駅から近くの住宅街に会場はあります


22秒間で何枚撮影できましたか?


入場時はスタンプ帳に押印

東京都北区スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオ 音楽は偉大で永遠である

2025年09月10日 | カテゴリー: 山木康世

今日はStudio大繁盛で朝、昼、晩の交代制である。Studioに入る前、朝組の人たちの利用か、となりの駐車場は満車、仕方なく荷物を下ろし第2の駐車場へ向かう。しかしStudioに戻ってくるととなりの駐車場に「空」が出来たじゃないか。急いでそこに人を待たせて確保と相成った。
「プラットホーム」は若干22歳の青年が作って好評を博していたアマチュア時代の人気曲。そういえば兄貴もアルバムの中で一番好きだったと後に聞いたことがある。「敬老の日」が来週に迫っている。そこでみんなでシングアウトはどうだろう。2時間のライブの途中骨休み、閑話休題的な感じの「プラットホーム」を朝に思いついて「風のアホウドリ」に速達便で送った。Studioでお会いできる皆さんの元にも届いているはずだ。
♪雨の中で一人 見送るなんて♪
8小節繰り返しの素朴なメロディーのフォークソングだ。当時ススキノでアルバイトしていた「うたごえ」で何度もリクエストされ誇らしげに合唱したモノだ。
まだ電車という響きよりも汽車の方が世の中になじんでいた頃の「プラットホーム」である。白い煙を残して汽車は彼方に去って行った。もう帰ろうである。月日は青年をRAOJINに変えていた。
僕の母親はアメリカの大作曲家フォスターの歌曲が好きだった。アメリカの大草原に響き渡る至福のメロディ。本当にGibson、Martinが良く似合うアメリカ合衆国。いかなる状況に於いても原爆だけは願い下げだった。慈悲と慈愛に満ちたアメリカ人でいてほしかった。フォスターのメロディが似合う懐の深く大きな尊大な国であってほしいと願ってシングアウトした。
12日の市川市サクラコートホールの朝にも「風のアホウドリ」に速達便が届くだろう。何が届くかお楽しみ。徐々に徐々に過ごしやすい季節に向かって地球は回り続けている。異常気象という言葉に振り回されないで、せめて心に潤いをもたらす速達便を受け取って、その日そのときには皆で斉唱しよう。
音楽は目立たないかも知れないが、十六夜の月のように少し控えめに東の空から昇ってくる。僕らの生活になくてはならなく偉大で永遠である。

スマホで撮影OKの時間もありました

西新宿初台studioあんさんぶる音雨の日のけやきの良好なる後始末

2025年09月06日 | カテゴリー: 山木康世

こんなことは初めてである。
雨が相当降っていた。台風15号の影響で西からやってきた雨であろう。突然勢いを増してワイパーも追いつかないほどの雨になったリする。何も用事のない時の雨風景はそれはそれで風情があって好きである。
昨日は急いでいたし約束の時間もあったので何かと雨は厄介である。
西新宿あんさんぶる音はもう何度もお気に入りの会場なので、周辺駐車場事情も心得たものである。しかし今日の事情はいつもと違ってどこもかしこも赤色の「満」最後の頼みとして大通りを挟んだ高層ビル地下の駐車場へ。20分もロスした時間を雨のせいにして舌打ち「チェッ」。しかし雨の勢いはさっきがピークで、どうやら太平洋へ去っていくようである。
今日のlivelibraryは昨夜の「けやきホール」の後締めのような感じのlive。
こじんまりりしたオーケストラがリハーサルでよく使うようで黒い譜面台が何台も置かれている。いつも書いてある通りここは昔の東京都の水がめの跡地に作られた都庁をはじめとする副都心の高層ビル群のすぐ隣の住宅街である。頭上には首都高の高速道が忙しい隙間の住宅街。昔と今がまさに隣り合わせの西新宿なのである。
けやきの後片付けでギブソンの1弦のエンドピンがないことに気づいた。珍しいことである。弦の交換の時にはよくある話。ピンの紛失には気を遣う。それが本番中に気づかず抜けていたとは、本当に信じられない出来事である。さっきまで熱かったステージを捜索したが見当たらずで、家のピンを代用しようと考えて帰宅した。
そして今日のあんさんぶるで気が付いた。そうだピンをなくしたままだった。そこで一計を案じてスズキの1弦を拝借、代用となった。結局スズキは今日はお休み。駐車場まで行けばあったのだが、時間も押し迫っていたのでこれで今日は我慢した。
しょっぱなの「SeptemberMoonNight」を始めとする全23曲「神様にありがとう」まで、けやきと全て入れ替えのけやきに負けず劣らずのYAMAKINGSONGS。お陰様で良い後始末ができました。
お忙しい中、雨の中、昨日に引き続きの皆様をはじめとする多くのご来場者様へ、かしこみかしこみ誠にありがとうございました。道は続く続く。

ライブ後は雨もすっかり上がっていました

渋谷区古賀政男音楽博物館内 けやきホールに一条の光明の灯がともる予感

2025年09月05日 | カテゴリー: 山木康世

代々木上原という字面、響きは昔から清潔感、高揚感を感じて東京の新しい顔と受け取っていた。会場のけやきホールは道を挟んで相向かいの少々斜めの敷地にある。おそらく大きなけやきの木が立っていたんだろうな。古賀政男さんが活躍していた時代の街の様相を妄想する。何を隠そう上京してすぐに連れてこられた思い出のアパート富ヶ谷の交差点を突っ切った処だった。51年前の
不快指数100パーセントの肌にジンワリムシムシムンムンの富ヶ谷の夜は脳みその片隅にしっかりと刻まれている。待ち受けている日々はこれからどんな目まぐるしさで展開されていくのだろう。
会場の弾き語りにはもってこいの規模と雰囲気は一変で好きになった。どこかお役所的な著作権協会付属の古賀政男音楽博物館内けやきホールはもっともっと広く皆に認知されていい。
ステージを飾る見事な曲線美の木材はけやきなのだろう。お寺などによく使われるけやき、欅と書く。何となく読めそうだが書くとなると全く歯が立たない。スマホ全盛の時代、漢字を書かなく読めなくなったなぁ。
今日はいつも使っているパソコンより一回り大きな画面を用意した。それでもややこしい漢字には辟易、歌い飛ばしがあったことを深謝します。
冒頭に用意した「星空ホテル1022号室」一番が終わって大きな拍手で心に発車の灯がともり全開だ。ボーカル、ギターの響きがナチュラルで言うことなし。
また是非伺いたいと思って後にした。
皆さんとの記念写真、ふきのとう最後の札幌公演を思い出した。
奇しくも母の命日と同じ日だったけやきホールは何か因縁めいていて今後のお導きの一つとなったようだ、
お忙しい中、お暑い中、皆さん誠にありがとうございました。また元気でお会いしましょう!

ありがとうございました。


お花もいただきました


カメラマンの内堀タケシさん(左)、サウンドポートの城生さんと

埼玉県さいたま市/宮内家この暑さだって生きていればこその独り言

2025年08月31日 | カテゴリー: 山木康世

8月も残すところ1日。
指を丸めると、凸凹が指の付け根にできる。親指側からなぞって行くと小指にぶつかる。そこで折り返す。小指の付け根を二度トントンうかがって再度親指側に引き返す。8月はちょうどこの往復にぶち当たる。凸凹の凸なので31日となる。こんな月の覚え方をしたのはいつなんだろうな。そして誰が教えてくれたんだろう。初めての月の日数の覚え方に目をクリクリさせてきっと何度も自分の指の付け根を凸凹なぞったんだろうな。今だって今月は何日ある?疑問したとき凸凹をなぞる。
呪文のような富士山ろくにオーム鳴くも大事だ、サインコサインタンジェントも大事だ、水兵離別も大事だ。鎌倉幕府も大事だ、ニニンガシはどれだけ生活に潤いを与えてくれただろう。
しかし水と油でできている脳みそは生涯少ししか使っていないという。もったいない話である。バスに乗る時も幾ら手に持っているか数えなくなった。便利さの引き換えにさらに脳を使わなくなった。携帯で事足りるので漢字を忘れてしまった。人の名前や有名人の名前がとっさに浮かんでこなくなった。顔は見えているのに、名前が浮かんでこない。今からでも遅くはない、自分の脳は自分次第で老化を遅らせることができるという。
楽器をできる人とできない人では明らかな脳の老化の違いがあると論文で発表された。
今日の宮内家で2時間越えで脳を鍛えてきた。お客様があっての老化防止。
ライブの日は、日常のライブのない日に比べて、脳がフル稼働。終われば喉元一杯が美味いんだよな、と喉元を過ぎて胃の腑に落ちてゆく黄色い魔法のしずくに舌鼓。しかしこの魔法のしずくも飲みすぎると体に悪さをする。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。何事もほどほどの腹5分目で一日を終える。空腹こそが健康の源らしい。病の根本は満腹にあるという。病は気からということもある。ならば「気」はどこから来る何者なんだろう?分からないことだらけで終わって行くらしい。
最高の真夏の別れ方を演じて、今日の暑さは去っていこうとしていた。さいたまより少しだけ海に近い分、東京は中野の夜は涼しかった。今度の宮内家訪問は3月に決まった。襟を立てて寒い寒いと言ってるだろう。
見知らぬ歌ができているかもしれない。
また元気でお会いしましょう。今日はお忙しい中、お暑い中誠にありがとうございました。

ギターがまるで体の一部のよう


山木曼荼羅の色と合わせたかのような照明


こちらは赤


アクト9の上條さん(左)、宮内家オーナーの宮内さんと

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