となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

さいたま市アトリエM御礼

2023年07月30日 | カテゴリー: 山木康世

格調高い木真面目風なアトリエM、目の前を走る道路は車が切れることがないほど混雑の道だ。
昨日の熱さは、大都会の排気ガスやエアコンの輻射熱などが大量に環八辺りに東京湾からの風を受けて大集合、そして落下、埼玉県の異常な高温はこの原理が働いているという。申し訳ない気分だ。江戸時代の夏は東京湾からの南風は涼風で涼しかったとかなかったとか。その涼風にチリンチリリンと風鈴が、パタパタと内輪辺りで済むような夏の風情が良い感じだ。もう戻ることはないのだろうか。故郷の夏休みは25度が最高温度で、いつの間にか30度超えの声を聞く。地球温暖化などという言葉は昔の言葉、今は地球沸騰化と言うらしい。
これが冬になれば寒い寒いと言ってるのだから、人間は身勝手な奴らと緑でなく蝉が言ったとか言わなかったとか。
青森ではねぶた祭が始まってるのだろうか。東京に越してきたころ、高速道路を信じて、青森を目指したことがある。6時間の後、夜の青森に入ったが車、車で規制があって、自由に動くことができなかった。サイトウ君に電話して泊めてもらったなぁ。ラッセラッセの声が聞こえてくる。コロナ明けの日本列島、お祭りや花火大会が正常に戻ってやれやれだね。
思い切って汗を流し、2か月、待望の新宿文化センターまでつつがなく、活発に生きて行こう。
みなさまお忙しい中誠にありがとうございました。ポスターチラシ何卒宜しくお願いいたします。太陽が燃え盛っている。

思い出の赤いポスト

2023年07月25日 | カテゴリー: 山木康世

思い出の赤いポストについて書こう。
1992年42歳、実に18年続けた「ふきのとう」に別れを告げたのが5月。20代、30代、40代と寝食を忘れて没頭夢中になった、学生の頃から始めたグループ活動に終止符を打って、半年がいつの間にか経っていた。
さてこれからの船を如何に進めていくのか、淀みなく順調に進めて行くのかの指針はおぼろげではあるが確固としたものはなかった。しかし未知なる世界へ沸々と心は燃えて、興奮と期待で血気盛んであった。今までの音楽人生の延長線上にとりあえず航路を考えて先ずは出港だ。
お世話になった才谷音楽事務所に出向いて自分のものを引き下げてきた。その中にあったファンクラブの会員名簿は船にとっての最高の明かりとなって光っていた。早速買ってまだ使い方のおぼつかないMacへの練習も兼ねて、毎日エクセルのセルへの書き込みの日々。初めてお目にかかる今までのお世話になった熱いお客様の個人情報である。打ち間違えの無いように慎重に時間をかけて打ち終わった。そして印刷である。ハガキを大量に買い込んで、深夜夜ごと模索の日々が続いた。何せパソコン本体もそうであるが、外付けのプリンターへの慣れも相当に要したが、この打ち込み作業によって手懐けることができた。憂い奴よ、近うよれ。
そしてこれからの山木号発信の目的や意義を手短に、しかし内容濃くまとめてハガキにしたためた。
或る夜、西武線の信号を超えて一番近距離の赤いポストに向かった。
どうぞ多くのハガキの返信が戻ってきますようにと柏手をパンパン、深夜の人気のない街なかに響く希望と願いのパンパン。この赤いポストが思い出の山木号出帆の出発港だったのである。50年目の節目に立ち寄った久しぶりの赤いポスト。パンパンはしなかったが感慨深いものがあって夜の蝉も鳴き止んでジッとこちらを見入っているようだった。

音楽生活50周年記念手ぬぐい

2023年07月24日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

本日、会報を発送しました。
会員様には音楽生活50周年記念の手ぬぐいを贈呈させていただきました!
到着をどうぞお楽しみにお待ちください。

会員の更新をお忘れの方、更新手続きをお待ちしています。
これから新しく会員になられる方にも手ぬぐいをプレゼントいたします。
入会方法は https://yamaki-club.com/yamaki_club.html に記しています。

よろしくお願い致します。

記念の手ぬぐいです

東京都新宿区/あんさんぶるStudio音御礼

2023年07月24日 | カテゴリー: 山木康世

暑い寒いに関わらず、お昼時になったら昼飯。今日は肉を食うことにする。肉と言っても鶏、豚、牛、他にもあるだろうが今日は牛にする。
美原時代の記憶では豚が多かった気がする。時々嫌な味がする時があったな。一般家庭ではまだ冷蔵庫の普及していない時代、少し傷んでいるのかもっぱら味付けをして出てくるのだが、肉は正直死ぬまで肉で、口中に嫌な記憶が残る。
次に鶏肉であろうか、鶏は好き嫌いがあって、兄などは未だに食べられない。唐揚げにすると非常に美味くなる。これを知らない人は人生ずいぶん損をしているな。
そして牛であるが、子供の頃は牛の記憶は一切ない。スキヤキも豚だった。大人になって初めて口にした時の牛の味は忘れられない。特に沖縄のJにはお世話になったし、今でも楽しみで通っている。そこで昨日は近くのTでステーキを昼から食した。サーロインだかロースだかはっきりしないがその手を140g。何の肉でも少し脂身がある方が好きなのでが、昨日はほぼほぼなかった。しかし最後に少しおまけのように脂が。まずまずの腹ごしらえ、ライブに向かって万全である。
そーだ忘れてはならない肉に羊のジンギスカンがある。美原時代の一番はこの羊肉だった。月に一度ほどのジンギスカンは最高の一夜だった。部屋の周りに飛び散った脂を新聞紙で吸い取って処理していた。昔の家家に独特の匂いがするのはこのような飛び散りが積もり積もって匂いになるのだな。今では消臭剤などで強制的に消してしまうので、家の匂いは少なくなった。
今では年に数度しか味わえない羊も栄養面では他の肉にはない価値があるのだろう。
いずれにしても偏りなく調和を持って和となす。あんさんぶるである。
ご参加のみなさんありがとうございました。
今日は123号会報発送、濃い内容の会報ができたと自負しております。乞うご期待!

定番の会場となった「あんさんぶる音」

相模原市ウエッジウッドクラブ御礼

2023年07月23日 | カテゴリー: 山木康世

東名高速で行くが、案の定横浜を過ぎると赤いテールランプの大行列。厚木まで90分と出ている。その昔同じことがあって記憶に新しい。
横浜市は日本で2番目に人口が多い事実をご存じだろうか。未だ大阪だとか名古屋を思っている人は相当に現実に疎い人だ。
その横浜と大東京の人々がこぞって家を飛び出して車に乗って、中には三途の川を超えてどこかへ走っておるのじゃ。混むに決まってる、こんな今にも梅雨明けしそうな陽気にゃ混むに決まってる。分かっちゃいるけどみな繰り出す繰り出す。人間の歩くスピードで高速道路は整列文句も言わず一糸乱れぬ日本国民。
あー青葉で下道じゃ。そんなこんなで行きは遠かった相模原、帰りはヨイヨイ信じられない土曜の高速道。
古き良き重厚な英国調の店内はなかなかに都会のオアシス。良い感じでまとめさせて頂きました。みなさんの帰りの明るい笑顔は救いでした。カウンターに並んだ物販の数々、目だけでも通してよと言いたかったけどまぁ良いか。
皆様お忙しい中、お暑い中まことにありがとうございました。幸せな猛暑の土曜の夕刻でした。
今日は初台Studioあんさんぶる、新宿副都心の高層ビルと空の縦横を走る高速道を見ながらこれも東京ケセラセラ、お待ち申し上げます。

猛暑のなか、多くの皆様ありがとうございました


ランプやキャンドルが飾られた空間

柏STUDIOWUU御礼

2023年07月17日 | カテゴリー: 山木康世

トーク少なめの全22曲


なんと各地で37度超え、さいたまでは39度と40度に迫る高温、しかし上には上がいる、流石世界である。イタリア、スペイン、ギリシャでは49度という信じられない猛暑。体温が36度ということを忘れちゃなるまい。49度なんて言ったら火傷だろうに、と思ってしまう中、常磐道をひた走る。ラジオでは2箇所渋滞、3キロ、8キロとまぁまぁな連休高速道渋滞事情。三郷辺りから人の歩行速度並みに停滞が始まり流山辺りまで続くと予想され腹をくくる。歩くこと50分ほどで渋滞の親玉視認、なんと軽によるかすり傷程度の追突事故現場。外からの見た目には何も創傷がない、この程度の親玉によって引き起こされた渋滞、警察も一人として見えない。やがて常磐道終了、続く国道16号の想定のノロノロはなく約3時間ほどで40キロをこなして会場へ。やれやれ。
会場へはエレベータで5階へ。入り口に「岡林信康55周年Live」のチラシが。大学1年の頃フォーク好きな仲間と支笏湖へ行った。夜たき火を囲んで歌った「友よ」思い出すなぁ。世の中はまだ拓郎も出ていなくてGSが若者の音楽、フォークソングは始まって間もないという感じで、日本のディランと呼ばれて岡林氏は憧れの人であった。高田渡、高石友也など関西系フォークは何かを訴えかけていた。我もその後5年ほどして音楽の道に入り始めたのであるが、今も変わらず何かを言いたくて今日も柏に来ている。決して商業音楽だけを目指して続けてきた訳ではない。結果お金になっても不思議ではないが、聴き手に深く濃く記憶に残る歌作りを根ざしてやってきた。
プレ配信を兼ねて5分前にスタンバイ、お客様への協力を仰いで本番午後3時半には何と、この猛暑にピッタリの選曲「12月の雨」アンコール「夕暮れの町」で締めくくった。良いLivelibraryだった。
お忙しい中、お暑い中、誠にありがとうございました。
帰り道、夕日が鮮やかで、富士山、箱根山系が西の空に映えておりました。明日も良い天気で猛暑は続くようだ。

リハーサルで。本場まであと1時間

東京都豊島区/池袋ムーブメントスタジオ 御礼

2023年07月10日 | カテゴリー: 山木康世

緩いカーブの効いた坂道をゆっくりとバスは日曜のお昼前、池袋駅へと上ってゆく。その後を付いてゆくように車は進む。日曜ということなのか車が少なくストレスもない。懐かしの池袋、久しぶりだ。右手に大きな工事中のフェンスが、あれが丸井の跡地だな。それにしてもどうして評判の良かった丸井がなくなるのか。それともそのうちニューオープンなのか。
恋人たちのホテル群を縫って車は目指すスタジオへ。眼のやり場に困るほどここは恋人同士の街なのだ。
角のスタジオは2階にある。ラッキー!エレベータがあるじゃないか。荷物をギターを運び入れ2階へ。
小劇場風のムーブメントスタジオは非常に使い勝手がよく気に入った。ひとつ壁のコンセントがむき出しだったのが気になった。感電でもしたらと思い少し怖かった。
客席は真っ暗で誰が来ているとも分からない暗さだ。集中できて良い。
先日の横浜で歌う予定だった「夕暮れの新宿に立って」大川さんを始めあの世から呼んでおいて歌わぬとは何事じゃ。きっちり歌って約束を果たした。
2時間の通例のLiveLibrary、最後に「夕暮れの街」を歌って旧友佐藤のお母さんの話をした。あのときお別れの席でこの歌が流れた。
♪さよなら 君はもういない♪
作った当時は22歳の頃、友との別れの歌だった。時を経て本当にお別れの歌に変身していた。歌は生き物なんだと強く感じたときだった。
そして終演。客席になんと佐藤がいるじゃないか。予期せぬ嬉しい珍客、何もアポもなかった。お母さんの降臨は、きっと息子に思いを託してここにこうして来られたのだな。
その後、中野でのいつもの青森出身の気の良いおやじの店で美味い冷えた黄昏のビールで乾杯。美味いことこの上なかった。
みなさんお忙しくお暑い中、ご参加ありがとうございました。1週間後配信有りの柏STUDIOWUUへと馳せ参じYasu。

スタジオは新井薬師「かざあな」の姉妹店です。どこか雰囲気が似ています

神奈川県横浜市神奈川区六角橋Nap御礼

2023年07月08日 | カテゴリー: 山木康世

31度越えの猛暑の中、横浜のあまりなじみのない東神奈川方面へ車を走らせた。45分ほどで第三京浜で神奈川区六角橋へたどり着いた。横浜と言えば繁華街の関内辺りが思い浮かぶが、神奈川区六角橋は昭和の匂いプンプンの新幹線側の町並みと思ってほしい。
その昔上京したころジェフベックとチャックベリーのコンサートがこの地区辺りの、どこぞのホールで行われた。札幌にはあまり外人さんのコンサートがなくて、飢えていた。入り口にはトリのチャックベリーが体調が良くなく、もしかしたら順延されるかもしれないと書かれた張り紙が。
1部ジェフベックの演奏は見事だった。しかしその手の音楽にあの頃は付いていけなくて今に思えばもったいない話であった。
そしてチャックベリーは無事の案内と共に登場、場内はやんやの喝さいであった。しかしバックメンバーを見ると、いかにも米軍辺りのセミプロのような布陣を配していたような感じを受けて少し興ざめした。
その後も東京ドーム、武道館における有名ミュージシャンを見に行ったものだ。しかし音が悪く、お祭りのようなコンサートに自然足が遠のいて、近頃はディラン大阪公演が最後かもしれない。
七夕のlivelibraryということで、うたた寝は許されず、星の歌、天の歌など渾身の20曲を歌い整えた。規模と知名度は大きく異なるがお客さんを前にしての心意気は同じ、猛暑をぶっ飛ばせの弾き語り2時間はつつがなく終わった。
そして東京中野に戻ってアッと気が付いた。大川さん、近藤、天本、野澤諸氏を呼んどいて「新宿に立って」を歌い忘れた。
明日の池袋ムーブメントスタジオで歌おう。ご足労おかけしますが、みんな遊びにおいでよ、オレは待ってるぜ。

ビルの3階にあります。皆様、階段たいへんでしたね!


ありがとうございました

福島県二本松市/Livespot SOLA御礼

2023年07月03日 | カテゴリー: 山木康世

天気は一転、雲一つない30度越えの7月文月半夏生、厚化粧ではない。夏であるので暑いことは良いことなのであるが、さすがに車から出ると「アズーイ!」
安達太良山のおひざ元、二本松は2度目の訪問なのであるが、思い出せない。脳の片隅の記憶が徐々に動き働き出し、駅前のホテルに着いたとたんに一気に記憶の扉が開いて、鮮明によみがえってきた。不思議な脳の記憶の再現。すべてが赤裸々になる。
SOLAもすぐに戻ってくる。匂いまでも脳は記憶している。店の作りの隅々まで蘇ってくる。やがて地元の人々との再会の記憶が戻ってくる。
まだソロになりたての頃の会員様の動向はよく記憶されている。生まれて初めての環境における脳の働きはフル回転。いろいろな要素で散らばって記憶されている思い出が一気に蘇ってくる。
そんな中に仲良し三姉妹の記憶は消えていなかった。終演後グッズ売り場に声をかけて現れた3人の女性がおられた。一人が「名前をKと言います」僕の脳はすぐさま検索、3人を的中。当時会員が増えることを願ってふきのとう解散の負の動きをなんとか食い止めようと会社を面白がっていた。それでも無情なもので、こちらの意思とは無関係に止めてゆく人、滞る人になすすべもなく残念がっていたなぁ。仲良し三姉妹の登場は希望の人間の思い出として深く刻まれていたのだ。自分の福島県の会員様の動向も年と共に薄れていった。そしての再会である。不思議と名前をスラスラと述べる自分が不思議だった。元気で時を超えて会えることの重さと深さは何とも言い難い貴重なものである。
こうして過行く人生なのであるが、ここの3年ほどのコロナにおける今までとは違ってしまった人間の住むべき慣れ親しんできた社会の様変わりを痛く感じる。
個々人の力で取り戻すしかない。それとも割り切ってこれからの世の中を構築する方が良いのかもしれない。しかしそれぞの中に宿って記憶されている力は無視できないし消すことはできない。必要以上の恐れ対策は微妙に世の中を変えてしまうので、ネットにテレビ報道に振り回されないで己を信じて強く明るく生きることが大事なんだなぁ。
ホテルのエレベータの横の綿棒が目に入った。3本ほど耳の掃除にといただいた。しかしエレベータの行き先ボタンに直札触らず、この綿棒を使用してという綿棒だったのだ。
料理屋さんのトイレは自動化が進んでいて、ウオッシュレット操作坂に大きく書かれていた対策の文字。「絶対に手で便座を触らないでください!」それも二つ同じことが書かれていた。確かに転ばぬ先の杖ではあるが、そんなにコロナは急に現れたのか、そして今でも炎天下の元、蚊やアブのようにブンブン飛び回っているのだろうか。国民の一部が「杞憂」という心の病に罹っているような節も見られる。さっきまであった人間らしい世の中を取り戻すために日ごろからの治癒力、免疫力の強化に努めよう。
食いすぎは万病の元、クスリノリスクを肝に銘じよう。
三日間のツアーは無事つつがなく充実のツアーだった。お忙しい中お越しいただいた皆様、誠ににありがとうございました。
今日は南に南に針路を取って東京に戻って「普通の日常」を再起動、とりあえず当面の最大の目標は10月22日におけるバースデーを兼ねた音楽生活50周年お祝いコンサート「ギターと歌で半世紀半生記!」を成功させることだ。
ワタナベサンご尽力ありがとうございました。

大勢の皆様ありがとうございました


前説は渡辺さん。お世話になりました

喜多方市/FMきたかたライブスペース御礼

2023年07月02日 | カテゴリー: 山木康世

なんとソロになって2年目の1994年から数えて18回目に当たる喜多方ライブ。ラーメンと蔵の町である。何食食べたかねぇ、オダチューさん。
大和川酒造北方風土館を皮切りに、2000年から実に毎年、大勢のお客さんを前に喜多方プラザでの公演。石川先生ともCD「静かに水の流れが岸を削ってゆく」発売記念コンサート、そこで知り合いになった日本の音響の宝、ウスキさんを初めとするスタッフの皆さんに助けられ今日に至っている。
新宮熊野神社長床における神殿ライブ、日中線記念館、しぐれ亭、そしてFMきたかたライブスペースでの公演、30年を超えるつながりに拍手喝采である。
喜多方市は4万ほどの町で歴史における要衝の地として栄えてきた。コメの生産は江戸時代には8万石を数え、重要な食料の生産地だったのである。8万人を食べさせる力があったのだ。会津磐梯山は宝の山よ。
初めて訪れた翌日、みなさんとお別れ、磐越道を飛ばした。
磐越道にかかれたスローガンを一発で気に入った。こんな町は滅多にない。

「飛ばすな毛布、ベニヤ板!」

が始まりだった。
昨日は配信を含めて全国のお客さんへ今の歌を届けることができて幸福であった。僕一人だけの力ではなく以上のような長い経緯があっての昨日だったのだ。
「朝ラー」というひと汗かいた朝に食べに普通に暖簾をくぐるお店が複数ありラーメンの町、面目躍如である。
朝の光の中、会津磐梯山を遠くに臨んで、コメの目に鮮やかなグリーンを浴びて、今から朝ラーに行ってくるぞい。今日は安達太良山の二本松でliveる。



喜多方シティFM会長の小田切さん、元日本PA技術者協議会の副理事長・薄さんらとお疲れ様会。薄さん(右奥)は1972年のディープパープル武道館コンサートの音響も担当したそう

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