となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

西新宿楽しそう初台「あんさんぶる音」は新宿区?渋谷区?

2025年11月14日 | カテゴリー: 山木康世  

今まで初台は新宿区だとばかり思っていた。今朝調べたら渋谷区だったので少々驚いた。「あんさんぶる音」の住所は西新宿楽しそう初台となっていたので混乱していた。それにしても楽しそう初台とは粋な住所(ビル名)である。ここら辺は江戸時代からの大街道甲州街道が直ぐ横を走っている。街道の先は直に目の前新宿である。地図を見ると、丁度くさびのような感じで楽しそう初台は打ち込んでいる。しかし初台と言ったら渋谷区である。どうですか、僕の今朝の混乱、この楽しそう初台にあったのがお分かりいただけましたか。
「あんさんぶる音」近隣は住宅街で殊の外食堂が少ない。
11時から営業している一軒のと或る食堂は今日で2回目である。多くのサラリーマンで11時になると満席になる。今日も相席である。普通の中華なのであるが味がいけてて満席になる理由が分かるというもんだ。頼んだ焼き肉定食の豚肉の大きさと分厚さに戸惑った。どちらかというとトンカツならば話は異なるのであるが、焼き肉となると少し小ぶりな肉が好みである。しかしここの肉は見た目のごつさに比して柔らかく口中でうま味がにじみ出てきて印象が変わってくる。ステーキのような豚肉がやみつきになるかも知れない。巷では風邪やコロナが流行っていると言う。ビタミンBは皮膚の免疫力を高めてくれる。クスリのリスクを念じて是非食べ物でウイルス撃退、寒さと乾燥で病が好き好んで近寄ってきそうな季節、日々の丈夫な心身を心がけよう。
♪拝啓コンニチハ お元気ですか♪風も冷たくて吹き抜けて行くけど♪と自分に問いかけて「あんさんぶる音」は始めた。
そして♪懐かしいだろう 昔々のお前さ♪と締めくくった。2時間前に吟じた♪拝啓コンニチハのワンフレーズで幕を閉じた。気がつかなかったでしょうが、2時間の連続したドラマのような感じで構成したかった今日の「あんさんぶる音」
アンコールではクマ問題は地球温暖化ではあるが、ある意味身勝手な人類が招いた人災でもあるなぁと思ってしまった。生きていく上で食べなければ終わってしまう。クマも同じである。モグラも同じである。野生の生き物たちとの節操節度のある態度で共存を思い生きていきたい。将来もっともっと近くの市街区にクマが出没などという風景が当たり前になったら事は重大である。そうなる前にどうか穏便に収束、そして懸命なる対策を望むモノである。そんな思いを大いに感じながらの2時間越えの「あんさんぶる音」であった。
皆様北風ピューピュー晩秋午後の一時如何だったでしょうか?しかし暦の上では立冬であるが、暖かい。昔、花園神社の「酉の市」で飲んだ酒は美味かったがテントに吹き付ける風は本当に冷たく寒かったなぁ。見知らぬお客と相席して飲んだ、あの夜の熱燗は身にしみてホット一息ついたモンである。
紅葉の季節、明後日日曜は国立市スペースコウヨウでお待ち申し上げております。元気でお会いしましょう!

スタンドの仄明るさが心地よい


沖縄で買ったピックが使いやすいのさー


ライトアップされたあんさんぶる音の入り口

東京都新宿区BACK IN TOWN「風説二人旅」入口に立った日

2025年11月11日 | カテゴリー: 山木康世  

「佐々木幸男・山木康世ジョイントコンサート」
何日振りか幸男に会うのは。今年は会っていないか?マネジャーの目黒氏に会うのは幾日ぶりか?BITオーナーの山田氏に会うのは何年振りか?BITを訪れるのは何年ぶりだろう?疎遠になっていたBIT。マネジャーの安井氏は寂しいことに、すでに他界。中野のソバ屋の近くでご夫婦にたまたま出会ったのが最後の日。大変気に入ってるお店で、月に1度二人で食べに来ると仰ってたな。
BITでは「春雷」「やさしさとして思い出として」でスタート。幸男のハスキーボイスが響き渡る。俺は18年昔取った杵柄か、自他ともに世界で一つの自画自賛ハモリが喜びの響きとなって場内に響き渡る。「ふきのとう」時代の輝きが渋くシルバー色に再現展開されているような喜びが響き渡る。これは一つの財産であるな、と思いつつ「旅鴉の唄」へ、これは今現在修練中のYAMAKINGS精神の方が上かなと思ったりする。
来年は幸男との共演回数を少し増やそう。俺が思う「ふきのとう」を言葉ではなく歌で再現、お披露目、そして自分並びに幸男への感謝を感じ幸男に大いに助けてもらおう。音楽は言葉では言い尽くせない偉大なるパワーを持っている。それを更に感じ入る来年にしてみよう。
昔の記憶にある出来事はただノスタルジーという言葉で済ますほど単純ではないし、断捨離などで済む問題でもない。生きている人間の醸し出す芸術である。それでなければ長く生きる意味がない。今回はその入り口に立ったような感じのBIT。乞うご期待!
この日のために用意していた「風説二人旅」は後日のために大事にしまっておこう。

「風説二人旅」

北国生まれのヤスとユキ
風雪交じりの茨の道を
若気の至り何が好きで
こんな齢まで血の池地獄
顔良し器量よし気っぷ歌良し
今が噂の風説二人旅

北国育ちのヤスとユキ
恋の甘いや酸っぱいを
スマホを片手にウェザーニュース
明日の天気を占って
顔良し器量よし気っぷ良し
今が噂の風説二人旅

皆様お忙しい中、誠にありがとうございました。

二人が醸し出す空気感に引き込まれた2時間


リハーサルで

墨田区両国亭秋の夜長にクマったモンだ

2025年11月09日 | カテゴリー: 山木康世  

石垣帰りのYAMAKINGは二日置いて墨田区におりました。墨田区は隅田川、お隣に荒川区、江東区、江戸川区、葛飾区を配し、人口は28万人、ちなみに中野区は35万人、ほぼほぼ同じ、ちなみのちなみ豊平区は23万人、これもほぼほぼ同じ。僕は、まぁ30万人が暮らしている日本の一部に暮らしているわけですが、石垣市は何人かというと5万人弱。上記の区の約6分の1、わぁー空いてるわ!そんな長閑な石垣も本島那覇市31万人から飛来、地図を眺めれば、もう台湾だ。何かと中国の物騒な騒ぎを考えるに、ただ単純に有事の際の我が国の態度を問題にするのではなく、平時における友好態度が必要だ。石垣の先の台湾にもっともっと観光などで気楽に行ける航空路増設、仲良しさんが大勢出てくるといくら軍事大国と言えども脅しなどかけてこないだろう。なんて石垣で思ったモノだ。
しかし遠く離れた墨田区、今日は土曜、車は少なく30分ほどで自律神経安定の元お江戸両国亭の高座にいた。
スルスルと音を立てて人力による幕間。

♪悲しくて泣けてくる 無責任で気まぐれな 麗しき君の思い出♪

♪空を飛ぶ鳥落ちるな せめて子供が飛べるまで♪高橋忠史を追悼。

♪スケッチブックには 風がサラサラ吹き♪ウクレレによる真昼の速達便。

そしてアンコールラスト

♪雲が流れて 月は昇る 静かな秋の夜♪

ちゃっかりあんなに40度越えなどと騒がせていた暑さは影を潜めて秋の訪れ、腹を空かした山親爺も勝手に上がり込んで冷蔵庫の中身を食い散らかしてズドーンと撃たれた。なんでも札幌我が豊平区にも出没、怖ーい。

次回の両国亭は12月24,25日


たくさん写真を撮れましたか?

真昼の速達便

2025年11月07日 | カテゴリー: 山木康世  

今回のお便りは深夜の速達便ではございません。
石垣帰り真昼の速達便「水色の木もれ陽」でございます。
明日のお江戸両国亭で今年のライブ100回目。記念に写真もどうぞ!今からスマフォンのチェックお忘れなく。

「水色の木もれ陽」

スケッチブックには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの瞳に
動物園までの 続く道に陽炎
ブランコに母親と 膝の上に子供
あなたが好きです いつものあなたが好き
影踏みしながら 僕は片目つぶる
小さなコートには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの体に

日曜日の朝は 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの瞳に
あなたが好きです いつものあなたが好き
影踏みしながら 僕は足踏みする
小さなコートには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの体に
水色の木もれ陽を あなたの体に

※コートは衣類のコートでスポーツのコートではございません。

沖縄県石垣市JAZZ BAR すけあくろ ここは沖縄琉球王国

2025年11月04日 | カテゴリー: 山木康世  

とうとうここまで来たな、という感じの石垣市、地図を改めてみるとすぐ目の前、海の向こうは台湾である。ちょうど故郷北海道の根室と千島列島の距離という感じであろうか。それもこれもみんなふきのとうの「風来坊」のおかげ。あの歌がなければこれほど人生で何度も訪れることができなかった沖縄、琉球王国。そして石垣島、あの夜、南麻布のマンションの一室でこの歌が生まれなかったらこの石垣島までつながっていないのだ。もちろんふきのとうがなければここまで行きつかない。あの夜石垣の「養老の滝」で近藤マネージャーと飲んで、港へ行ってほろ酔い機嫌で海のかなた水平線に見た南十字星はホント輝き光っていた。今は近藤もあの星のどこかにいるかもしれない。那覇の日の夜には山口にも会って近藤の話にも及んだよ。穏やかで良い人だったと振り返っていたよ。僕らは同じ歳で馬が合った。年に一度の皆での短い再会を惜しむかのように朝までよく飲んだな。
昔誰かが言っていた。ストーンズはベイビーだけでステージができるが、ディランはできないと。僕が高校生の頃、洋楽でも何を言ってるのかが問題だった。GSになびかなかったのはやはり歌詞にあったのかもしれない。今でも自分で作るようになっても詩の根本は変わっていない。今日のライブは「風に吹かれてMinstrel」から始めて、アンコールは「風来坊」「憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース」で終えた。
沖縄4日ツアーが終わった。日本であるが異国情緒満載の沖縄。

♪青い空が広がる ここは南の島 海はサンゴの緑色 ここは沖縄 レイレイホー♪

永遠であれ沖縄琉球王国!
みなさんありがとうございました。しばしの別れです。どうぞお元気でー

沖縄ツアー最後は石垣島で


会場は10年ぶりに訪れた「すけあくろ」


FM沖縄の野底美智代さんと

沖縄県沖縄市Crossover Café 614 またお会いしましょう!

2025年11月02日 | カテゴリー: 山木康世  

沖縄も本島最後のライブ。その昔はコザ市、そしてふきのとうデビューの1974年沖縄市が誕生。沖縄市民会館ができた年に栄えあるコンサートを開催している。初めて高速道路というものを沖縄県で乗ったような覚えがある。会館はお墓の上に建てられたおいう話を聞いた。沖縄のお墓といえば人が住めるほど立派な門構えで山や崖の裾にあって初めて見たときにあれは何だとき驚愕した。アメリカが上陸して人々が逃げ回ってお墓に逃れた人も大勢いるんだろうな思ったものだ。
今日は沖縄としては珍しいくらい湿度がなく過ごしやすいホテルを出ると少し肌寒いほどの気温である。小春日和という形容がピッタリの石垣島離陸の日である。前日の沖縄市Crossover Café 614は懐かしいデイゴホテルの直ぐそばにあった。角の赤いポストも健在、長い年月を持ちこたえて突っ立っていた。デイゴホテルに連泊した日を思い出す。
普段はロックが基本なのか、音響も照明も行き届いており本島最後のライブにふさわしい会場だ。マスターは若いころ本州で音楽関係の事務所におり北から南へと旅したそうだ。iPadを使って音の調節も念入りに行う。大勢の「ふきのとう」以来のお客さんで埋め尽くされ、幸福な2時間越えと相成った。
沖縄のお客さんは想像と違って大人しい人が多い。でも歌好きの人、酒が入れば踊りに興じる人も出てくる。昨日の反応も少し大人しめでいささか緊張した。
また沖縄、来たいと思いますが何時になるやら。どうぞお元気で体に気を付けてまたお会いしましょう。お忙しい中、みなさんありがとうございました。

沖縄市は沖縄県中部にあります。


石畳の雰囲気ある通りに会場はあります。


アメリカと日本が交錯する街OKINAWA

那覇市桜坂劇場ホールB未だ色あせぬ僕の中のOKINAWA

2025年11月01日 | カテゴリー: 山木康世  

天気予報は大外れ、過ごしやすい沖縄。いつも見慣れているスコールは突然やってきて去ってゆく。雲が勢いよく空を流れ音を立てているかのように移動する。来るなーと思っていたらフロントガラスにポツポツ、やがてザーッとやってくる思い出通り雨。
早沖縄にやってきて50年は経つ。72年に本土復帰、時の佐藤首相はノーベル平和賞をいただいた。そしてめでたく5年後、白い冬をひっさげて沖縄へ。まだこの年には右側通行、翌年日本の交通ルールに従う。年末に行ったので信号にカバーがかけられて来年から左側。慌ただしい沖縄だった。
そして沖縄が決定的になったのは「風来坊」だった。年忘れ野外ライブで大うけだった。雨の中大勢のお客さんは気にもかけず手拍子、指笛、離れ故郷は寒い雪の中での年忘れ。この信じられない光景にただ驚くだけ。思い出すなぁ20代の沖縄の印象は、水泳を除き本当にエポック的に脳裏に刻まれていて、今でも色あせないで鮮明に残っている。
国際通りも変わった。米軍の放出品ももうどこにも見かけない。ベトナム戦争が色濃く残っている沖縄だった。
そのころ「風来坊」がどんな感じで沖縄に流れていて、どんな人たちが夢中になってくれたのだろう。歳がいけばいくほど尽きない興味である。あのころギターで歌ってくれた中学生も中年の域か。彼ら彼女らフォークソング好きのうちなんちゅーに乾杯だ。ますますの健康・発展を願う。
昨日の桜坂劇場にお集まりの皆さんへYAMAKINGSONGSの素をお届けできたと思っている。ギター弾き語りの醍醐味、味わいを今後もますます深めて参ります。どうぞご期待ください。お忙しい中まことにありがとうございました。

年に一度の桜坂劇場で山木劇場を展開


お供の虎も静かに聴き入っています


那覇フライデーナイト、場内は大盛況!


旧友の山口さんとハロウィンのイルミネーションに彩られる


本日は沖縄市でお待ちしています

沖縄県名護市名護・バードランド は恩納村のお隣

2025年10月30日 | カテゴリー: 山木康世  

那覇から国道58号線を上ること1時間半、目指す名護に着く。途中嘉手納空軍基地を見て、そういえば今回のトランプ大統領は横須賀の海軍基地で兵士の労をねぎらい称え日本訪問を終えて韓国へ。今までだと沖縄の基地を訪問というのが正しいあり方のように思っていたが、横須賀へと向かった。トレードマークのアポロキャップを被って、歴代の大統領では一人もいなかった。時代を大いに感じる。トランプは経済大好き人間なので武器を使って人を犠牲にしての戦争はしない。その代わり関税とネットという武器を使って世界を相手に戦う。泥沼のベトナム戦争の渦中に生きたトランプは嫌いなのである。血を流してまでも戦いたくないのである。その代わりにダンスをして思想や宗教や主義などが好きではく、まさにジョンの「イマジン」を地で行ってるのかもしれない。
かつて一度「バード・ランド」へうかがっている。螺旋階段を3階へと上ると会場はある。前回は感じなかったが歳のせいなのか少しきつかった。
沖縄ツアーの初日を占うかのような節目の年齢の幕開けは大事である。いやがうえにも伸し掛かって迫ってくる高齢者という言葉の響きに負けてはならないが、むろん抵抗しても限界があり無理が生じてくる。肉体は確実に老いてゆく。しかし精神はどうかというと人それぞれ、強靭になって丸くなって面白くなる人も大勢出てくる。僕らは無人島で生きているのではなくて周囲の人とのかかわりあいで生きている。
自分に素直に、かといってあまりはみ出ないではつらつと軽快なフットワークで生きてゆけば自律神経は健全に保て、病は気からという言葉とは無縁に生きてゆけるだろう。
本日はお忙しい中、誠にありがとうございました。
今日は女の村、恩納村を戻って那覇へと南下します。

ペットの虎を連れてきました


アンバーな照明がYAMAKINGの歌にピッタリ

クリスマスソング ミニアルバム発売

2025年10月28日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部  

「YAMAKI YASUYO SILENT CHRISTMAS」

全7曲入りミニアルバムを明日の名護ライブから会場で販売します。
同時に「BASE」でもダウンロード販売します。
よろしくお願いいたします。


渋谷区代々木参宮橋「革命と鍛錬」と馬耳東風

2025年10月26日 | カテゴリー: 山木康世  

参宮橋と言うからどこを参宮するための橋だと思っていて今になって気づいた。すぐ近くに明治神宮という大神宮がある。そこへお参りをするための橋だった。では何処から明治神宮へお参りするのか。小田急線参宮橋前から徒歩で4分ほどで到着。別に橋という橋はなくてこのような経緯で地名はあった。
ちなみに明治神宮もそれほど古い神宮ではなく、読んで字の如く明治天皇様とお妃様を祀られていると言うから、天皇様がお亡くなりになられた後に大正9年に建立されたという。大正9年といえば母が生まれた年である。
LIVEは生モノである。「その後のオータムマン」で歌い始めた。オータムマンとは、その昔にでっち上げた僕自身の化身である。飽きっぽい秋の男とでも言ってくだされ。生まれ変わったオータムマンのこと、母の生まれ変わりは蜘蛛であること云々。そして9月4日のけやきホールで冒頭に歌った「星空ホテル1022号室」この日は奇遇で母の命日であった。そして「粉雪」の中に「虫たち 花たち」が出てきた。何も計算や思惑など一切無かった「参宮橋革命と鍛錬」先日のバースデーLIVEとは一味違ったYAMAKINGSONGS。
本来ふきのとうではない山木康世の得意とする歌たち本領発揮のLIVEだったようだ。
外はとっぷり暮れて、小雨がそぼ降る晩秋の参宮橋、そこにこの日の命題でもあるような「革命と鍛錬」なんだか言葉で説明のつかない、74歳のプロフィールで記した不思議な安心立命を感じた。筋書きのない2時間は時空のなせる技、妙に坂道のある一度迷い込んだら永久に脱け出せないようなラビリンス街のなせる技ではなかったか。
朝と夜が変わらない13度という肌寒い12月のような参宮橋を後にした。
鮫洲で自動車免許更新の後、晴れて琉球王国へひとっ飛び、1週間後にはお江戸へ舞い戻って来る次第です。
皆様お寒い中誠にありがとうございました。ちなみに本編最後は「馬耳東風」で終えました。明治神宮に隣接している「東京乗馬倶楽部」があったからではないです。ばじとうふうと読み、人に何を言われてもまるで気にせず、知らん顔をしていること。

新曲は「馬耳東風」。来年は午年ですもんね


レトロなビル内の会場は落ち着きました

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