となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

江古田マーキー太陽と水

2025年03月02日 | カテゴリー: 山木康世

今日から3月である。弥生3月桃の節句。昨日までの如月2月は他の月より二日三日少ないというだけで、アッという間に過ぎ去ってしまうという感じがする。2月は寒いので更に衣を重ねて着るので衣更着(きさらぎ)とはよく言ったものである。
そして明けて弥生の朝からハルー!という感じの日が始まって心身共に軽い足取りで駐車場へ。エンジンも心持ち軽くかかり良い日の始まりである。
車は偉大なる乗り物である。そして何と人間的であるか。ガソリンが血である。エンジンは血であるガソリンで動く。基本は血である。血がスムーズに動くには、程良い気温が必要である。血が隅々まで行き渡って健全な肉体を保つ。そのためには毎日繰り返しの補給が必要である。それもひとそれぞれの体に合った補給が必要である。年齢と共に腹8分目、更に腹5分目くらいが良いらしい。
人と会って良い話をする。話をするにはエネルギーがいる。エネルギーの元は血である。血が行き渡ってまともな対話や会話が出来る。そのためには補給が必要である。普段あまり活発に行われていない血の体内循環を大いに感じる。その流れを加速させるために食い物を食う。食い物を食うから腹が空く。腹が空くから食う。食い物が血となって体の隅々へと行き渡る。良い気分になる。良い発想が生まれる。良い人と会う。良いところへ行きたくなる。車と同じでやはり寒いよりは温い方が住みやすく過ごしやすい。年々歳と共にそう思うようになった。極寒で生きる人たちには大いなる敬意を表しますが、有限な時間で如何に生きるかというタイムイズマネー的な感じから察するに、幾分損をしているかもしれないとホントに思ってしまう。
笑うと体が温かくなる。これは血が行き渡っている証拠であろう。インドには「笑い教」という宗教があるという。考えてみたら笑いの元は複雑である。ただ単におかしなことを言うだけでは、腹を抱えての大笑いは得られない。人間には予想能力がある。それも場数を踏んだ大人になればなるほど長けてくる。まだ人生経験の少ない子供が面白いのは、予期せぬ行動を受け狙いなしに起こすからである。犬や猫も同じである。計算高い笑いは面白くない。大笑いしない。ゴムと同じように長く生きた分頭が硬くなっては面白いことに行き当たらない。そして涙が湧いてくる。本物の笑いだ。哀しいときにも涙が湧いてくる。感動したときもウルウル。どこから来る水なのだろう。何時間前に飲んだ水なのだろうか。温もりは太陽の恵みである。水は太古の生き物からの語り伝えである。高度な現代分明の陰に隠れた原点を日夜丑三つ時に発掘検証し見つめる日々である。
お忙しい中、みなさま誠にありがとうございました。
つつがなく面白かった今日一日を共に過ごしたことに感謝いたします。

リハの時間は静かに進んでいきました


10か月ぶりのマーキーライブでした