となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

愛の歌のカタチ 2023年8月31日

2023年08月31日 | カテゴリー: 山木康世

愛の歌を歌おう 雪の歌はきれいだ
風の歌は爽やかだ けれど愛の歌はもっと良い
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる

愛の歌を歌おう この世界から争いや
醜い人の妬みや 野望を取り除け
この世に男と女がいて ちょうど良いバランス
体と心が窓辺で 寄り添って笑ってる

ニッポンが大人の国にならないのはメディアのせいか

2023年08月29日 | カテゴリー: 山木康世

Z世代と言われる子供たちは僕らの孫の世代の人たちである。
個人的感想から言えば、妙にガチャガチャしていて受け狙いの目先意識しすぎの人が多いようで、複数集まると周りに配慮せず、はばかることなく大声で叫んだり、大笑いしたり。公共の場にはいろいろな人たちが集っていることが分からないような人が多い気がする。
コロナ明けの解放感ということも手伝っているのだろうが、それにしてもいかにも子供の集団だ。ネットばかり見て、まともに人と面と向かって話ができないのではといぶかってしまう。議論などその場に割って入る隙間もないであろう。
今から用意して慣れておかなければ月日はあっという間に経って、図体は大人でも中身は子供のままの人で充満する国になるのではと思ってしまう。学校の教育もある、メディアの製作する番組の中身もある、ネットのランキング重視の偏りもある。
他国へ出かけて行って「我が国の国民は戦う覚悟がある」など無責任な発言をしてくる元戦争跡かたずけの孫の重鎮もいる。戦争をしない努力の方がどれほど大事か、勇ましく述べても有事になれば命はもとより国土が荒廃することを彼は学んでいない。
そろそろアニメや漫画の国から脱却して、落ち着きのある他者、弱い人に優しい趣のある国になってほしいもんだ。

小岩ジョニー・エンジェル御礼

2023年08月27日 | カテゴリー: 山木康世

楽曲「ジョニー・エンジェル」は1960年アメリカで大ヒットした歌である。1962年日本では森山加代子、ザ・ピーナツがシングルでカバー発売、大ヒットしている。僕が中学生になりたての頃、物心がつき始め自我に目覚める年ごろであったのだ。洋楽はロカビリー主流であるがベンチャーズ、ディラン、ビートルズ辺りが聞こえてき初めたころでもある。
「白い冬」を昭和のレット一トビーが聞いたのは中学生のころと言っていた。よほど心に入ってきたのだろう。しかし肝心の僕がいくつだったかは不明である。お客さんはラジオやレコード、カセットテープ、ネット辺りで初めて聞くということもあり、早まってふきのとうのデビュー時と考えてはいけないな。
そんな昭和のレット一トビーとコラボしたわけであるが、この場に居合わせた人たちにはどのように映ったのか興味津々。お三方お疲れさまでした。久しぶりにふきのとう時の自分を思い出していた。20代、30代、40代と縁の下の力持ち的に生きることができたもんだとハモリながら思うことしばしだった。
会場の「ジョニー・エンジェル」は1960年代にタイムスリップしたような懐かしい感じの雑多なライブハウスだった。お酒や男女の娯楽のライブハウス。少し遠ざかっていたがソロになりたての頃はよく全国各地で遭遇したもんだ。この年になって少し場が自分の音楽性に相応しくないかもと違和感を覚える。自分が今懸命にliveって生きている場にはお酒はいらない。むしろ午後の紅茶辺りが気分的に相応しいと感じている。もう50年近く前に18年間楽しませてもらったふきのとうはジョニー・エンジェル的でもある。
初対面同士は丁寧に相手を感じ入る思いが大事である。生の人間同士は会話も必要である。決して世の中がAI的になろうとも握手、名刺交換などして一期一会を意識しないと時間は過ぎ去って思い出だけになってしまう。
お忙しい中皆さまありがとうございました。
今週末から長めの東北ツアー、北部戦線異常なし。ヨーソロー、ヨーソローでyasu

満員御礼、ありがとうございました!


昭和のレットイットビー&フレンズの皆さんと4人のステージ


リハーサルで。最前列はかぶりつき!

国立スペースコウヨウ御礼

2023年08月23日 | カテゴリー: 山木康世

下道でも中央道でもほぼ到着時間が変わらないということで下道を行くことにする。本当に頼りにならない中央道の高速さ。八王子までチョッコラ行ってくるとならない混雑状況。古き良き甲州街道も万年渋滞のイメージが強い。東八道路を西へ、
国分寺と立川の中間駅でクニタチとしたと聞いたことがある。なんとも古きお江戸の顔が泣く。
やがてダラリとしたたまらん坂が続き国立の町へ斜めに走る。谷保天満宮、保谷と似ている。保谷で長年不作が続き保谷の人間が移り住んで保谷の名前を忘れないようにと谷保にしたという。もともとはやぼであったが、谷保駅が開通するとき野暮につながるということで駅名を谷保にしたという。野暮天は野暮天満宮が語源という説もある。
YABOは僕の歌だ。ということでウクレレが似合うYABOを歌った。この歌を作ったときは32歳の頃、札幌行啓グランドハイツ501号室で作った。
この日はミスター鈴木理容店と友人の小樽出身学園後輩ミスター小野くんが来てくれた。鈴木君とは高円寺とんかつ店でお会いしましたなぁ。21年2月22日だったとうこと。良い数字が連なっている。小野くんはふきのとうが小樽市民会館で公演した際来てくれたという。高校生だったと照れながら喋った。
一回しかふきのとうでは小樽へ行ってないのでよーく覚えている。
お忙しい中、湿度の高い中、皆様お集まりいただき誠にありがとうございました。今日も良い人たちとの出会いがあって幸運でした。
今週末は小岩へ参上いたしyasu

ライブ途中で雷鳴が轟きました!


お客様は暖簾をくぐって客席へ

江古田マーキー御礼

2023年08月20日 | カテゴリー: 山木康世

なんでも今年一番の猛暑と思えば遠くへ来たもんだ。道理で暑いわけだ。その上湿度も並々ならぬ湿り気で、外に出ればホントみんな服着てサウナに入ってる感じで真っ赤な顔して通り過ぎる。そこで更に走ってくる男に出くわす。いくら運動不足とはいえ人の目も気にしてほしいもんだ。「不要不急の外出は控えて」と閉じこもりがちな国民に向かって無責任な放送が。生きると言うことは不要不急の不連続で続く刻々を呼吸して一日をやり過ごすことも大事なテーマで、皆が皆明確な目的を持って呼吸しているわけじゃないのよね。
てなわけで車で10分、ホームのマーキーへ。近所の駐車場が空いてるかどうかが一日の運不運が決まる。今年に入って幸運にも何故かしら「空」で運は確実につかんでいる。マーキーへの足通りも軽く、一日のLiveの日の段取りがスムースに運んでゆく。
スミジュンも機材をコンパクトにまとめたようで心持ちフットワークが軽い。
ヤマヤスは復活Gibson降臨の日である。もう何年になるのだろう、この地のこの会場で後始末の時に事故は起きた。あれ以来Gibsonのヘッドは片付けなくてはならない懸案事項のトップとして脳裏に刻まれて久しい日々が続いた。今日はそれが霧が俄かに嘘のように晴れたような明確になった記念日だったわけだ。ほぼ半年の入院の末、見事な再生復活を果たした。
これを入手したのは原宿は竹下通りのMという小さな小さな楽器屋だった。目的もなくブラリと立ち寄ったM。そこで偶然の出会い。ソロへの始まりの一つが平成元年竹下通辺りにあったというわけだ。
オープニングは時之介を偲んで3曲やらしてもらった。おーい、聞いてたか。後半はスミジュンとのコラボレーション、誠に清く正しく楽しく過ごすことが出来た。「天人様」の共同歩調は素晴らしいものがあった。息がピッタシは簡単そうで中々出来ない作業である。
スミジュン、お客さん、スタッフ一同、良い一日を過ごすことが出来た幸運に感謝。
火曜日は国立へ出かける。コクリツではない、ご愛嬌たっぷりにクニタチでLiveLovely。待ってますぞ!

久しぶりのギブソンB-25、これぞBOSSの音


角田さんと7曲を披露


「1022が待ち遠しいね」

時之介

2023年08月19日 | カテゴリー: 山木倶楽部

時之助はあの世の名前。この世の名前は時之介
間違えたわけじゃないよと言い訳を声を大にして言う。
ごめんなー

本日の江古田マーキーでタイムトラベル 皇帝ペンギンオーロラの空へ 歌うぞ、聞いててくれな。

タイムトラベルでもして今どこに居るのか

2023年08月18日 | カテゴリー: 山木康世

名前を矢上時之助という。と言った。彼はもうこの世にはいなかった。
1週間前ここ八王子にてフォークコンサートがあった。そしてここで本当は再会をしていたはずだ。彼は来ず友人がユーチューブで歌声だけを届けてくれた。
https://www.youtube.com/watch?v=lw71WnQ1Guk

なつかしさ一杯のもういない時之助との再会だった。
月日は残酷である。ふきのとうが好きで、この歌と「皇帝ペンギンオーロラの空へ」も好きだった。
僕よりもずっとずっと優しい男だった。

メディアに掲載

2023年08月17日 | カテゴリー: 山木倶楽部

本日8月17日付けの東奥日報(青森)に掲載されました。
ポスターを持っている方は津軽鉄道社長の澤田長二郎さん。
9月3日は五所川原へどうぞ!

こちらはアコギマガジンWEB
10月22日、残席わずかです!

●アコギマガジンWEB
https://acousticguitarmagazine.jp/yamaki-live/

老兵は死なず

2023年08月17日 | カテゴリー: 山木康世

山野病院に入院して6ヶ月。季節は冬から春を超えて真夏のお盆になっておりました。中野より40分ほどの台東区柳橋への道のりは懐かしく、病院に近づくにつれ記憶が鮮明によみがえってくる。スミジュンからの紹介の渡邊医師は、いかにも職人という感じで出迎えてくれて早速本題に入った。
なるべくオリジナルのロゴとロットナンバーは再現しましょう。ペグも当初の3連に付け直すとして、ざっと見て4ヶ月ほど時間がほしいところ。
患者のB-25はご主人様の帰る後ろ姿を黙って角の方で見送っていた。あれから実に半年が経っていた。
何度か渡邊医師から添付写真付きの状況報告があって待望の蒸し暑い台風一過のお盆の日となった。完全に壊れていたヘッドの修復も見事になされて買ったときとほぼ同じ状態でギタースタンドに輝いていた。復活の日である。手に持ったときの感動を一言で述べることが出来ない。複雑骨折をして10年は経つのであろうか。それでも自前でなんとか数本のネジと接着剤で持ちこたえてきた我が音楽人生の伴侶「GibsonBー25」1965年生まれと言うからアホウドリがギターを初めて覚え始めた年代と奇妙な一致をして奇遇にも符合した。何かの縁であろう。
土曜日の骨折現場の江古田マーキーで完全復活を出来る喜びをかみしめている。
さぁ再出発だ!

半年ぶりに手にするB-25。なかなか離さないで弾き続けるBOSS


山野楽器のテクニカル担当渡邉さん、ありがとうございました!

東京都台東区三筋シェアタイムスタジオ御礼

2023年08月14日 | カテゴリー: 山木康世

八王子翌日の日曜、お盆に三筋に行ってきた。東京都台東区三筋で、老舗の袋物製造業があったり斎藤茂吉が住んでいた町でもある。
日曜と言うことで、ご近所さんはお休みか人があまりおりませぬ。やたらと一方通行があり運転は楽だ。のんびり時間が過ぎて行く。
新宿渋谷池袋のエネルギーも、そりゃ大都会にはよく似合っているが、50年で建て替えなんてどうなんだろう。直下型地震に備えてなのかもしれないが、あまりにも贅沢すぎないかい。跡形もなく消え去るビルに空しさを感じる。そして自分の身のちっぽけさをいやと言うほど感じてしまう。
三筋のような古いこんな町の大江戸の風情も忘れたくないもんだ。
東京のあまりお目にかからない各所に足を運んで、それも仕事と趣味をかねて目的の時間を過ごすという、今まであまりなかった時間をコロナ以降ほどよく過ごしている。便利さも大事であるが、あまり過ぎてもいけない。それよりも心がほどよく和らぐ時間はもっともっと必要ですな。
忙しいなか土砂降りのなか三筋へお足を運んでいただいた皆様、お銭をいただきましてありがとうございました。
お子さま連れのお若いお母さんにもやる気をもらいました。今ごろお子さんはどんな夢を見ているのでしょうかね。ひきつけでも起こしていませんようにまた会いましょうね。今日は2時間ありがとう。

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