となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

足助のかじやさん楽屋にて

2010年04月30日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

本日のライブは「足助のかじやさん」。
ライブ観賞を兼ねて、遊びにいらっしゃった、さかうえけんいちさんと、K.Yairiの松尾さん。
松尾さんが23年前に作り、ふきのとう時代の山木がステージで使用した「エメラルドの伝説」ギターの話で盛り上がりました。
もうすぐ、本番です。
今日はK.Yairiのギターもステージに並んでいます!

横須賀苺畑後始末記

2010年04月30日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

1975年11月11日(火)横須賀文化会館、ふきのとう公演以来で実に35年ぶり、ソロ初めての横須賀ライブ。ふきのとうでも一回切りである。しかし、去年の6月、横浜ライブから茅ヶ崎へ移動の際、戦艦三笠を見学しに横須賀に立ち寄っている。
三笠は明治時代の立役者である。日露戦争では強敵ロシア艦隊を打ち破った連合艦隊の旗艦である。東郷提督が乗り込んでまさかのロシアをアジアの小国が撃破したのだ。世界中が驚きの拍手だったそうだ。
横須賀と言えばアメリカの海軍基地と「ミナトのヨーコ ヨコハマ ヨコスカー」のイメージが強すぎた。

そして三笠を見て歌を作った。

三浦半島波高し

昭和の良き日を思い出す 吹く風も穏やか日は優し
明治は遠くなりにけり 時間も精神も空の果て

どっこい港 横須賀は 観音崎にたたずんで
浦賀水道ながむれば 微かに血潮が騒ぎ立つ

祖国の存亡岐路に立ち カイゼル髭をピンと立て
軍服姿に身を包み 迎え撃つなり日本海

打ちてしやまんバルチック 祖国日本は救われた
列強しのぎを削る中 生き延び東郷ヒットエンドラン 

それから何度か戦争が 国を挙げての総力戦
戦に破れた我が国は 一から出直し昭和20年

時は流れて平成の世 百年後三笠は陸にいた
血が騒ぎ泣けてきた港横須賀 三浦半島波高し

ストロベリーフィールズは横須賀の小高い丘の上、アメリカの片田舎の喫茶店にフラッと立ち寄ったようなお店でコーヒーがうまい。店内にはギターがあちこちに置かれて、おまけにロフトには天体望遠鏡まで置いてある。パパ&ママはジェームス・テイラーがお気に入りで何も話さなくても悪い方向へ行くはずがない。

「昭和の日」の午後、「苺畑」に差し込む西日は徐々に長い影を店内に落としていった。
優しい心の持ち寄りはやはり幸せの基本構図である。
みなさーん、お忙しい中、遠路はるばるありがとー、ありがとー。
(山木康世)

旺盛であること

2010年04月29日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

父は何かにつけて旺盛な人だった。
第二の人生で土地を一町歩ほども買い込んで、自ら開墾し、家を建てて念願のダリア研究生活に入ったのが60歳からだった。それまで国家公務員の仕事中どれほど好きなことをしたかったことだろう。
車の免許を取ったのが70歳、ハンドルは遊びが大事だと必要以上にハンドルを遊ばせて、ハラハラしながら空港まで送ってもらった懐かしい思い出。
父はラジオの人だった。昔の人はみなそうであろうが、テレビを見ながらの食事をきつくたしなめたりした。確かにテレビが我が家に来始めの頃、食事時は消していたかもしれない。家族の会話がなくなる、とぎれる、テレビの話題で話が明後日の方角が話題になったりしたら、父は家族の会話を大事にしたくて嫌がったのかもしれない。しかし子供たちがみな大きくなったらそんなことも忘れてしまったように、テレビは付けっぱなしだった。母の法要でお坊さんが来てお経を上げていたとき、茶の間の片隅からNHKアナウンサーの声が聞こえたりしていた。
テレビは目と耳を持って行かれる。ラジオは耳だけで済む。旺盛に生きたければ、目を自分の道にもっともっと向けて生きて行く必要があるかもしれない。
テレビを見ながら畑仕事はできない。テレビを見ながらおいしい料理は作れない。テレビを見ながら受験勉強は身に入らない。テレビを見ながら人の相談相手になれない。テレビを見ながら針に糸を通せない、裁縫で着物をうまく仕付けられない。テレビを見ながら子供をうまく躾けられない。
テレビは大量の情報を送り込んでくれるかもしれないが、大事な何かを毎日毎日一秒一秒を無駄にしてドブに捨てるような日々を送らせるようにし向けているのかもしれない。
父はダリア畑でSONY製「ふきのとう記念」携帯小型ラジオをこよなく愛して持ち込んで聞きながら勤しんでいたようだ。父の何事に付けてもの旺盛さを懐かしく思い出す。父のことを思い出すと真面目にならざるを得ない。
さぁ今日から10日間西日本を彼方此方旺盛にライブに勤しもう。
(山木康世)

誰かが見ている!

2010年04月28日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

昨夜、小型の黒い革バッグを見失った。早朝起きてブログを書いて、二度寝をした。この時点ではまだ何も黒いバッグのことなど思い出してもいない。
起きてハガキの整理、今日は明後日からの長旅に備えて車のメンテナンス、オイル交換とでも行こう、と思って、さてと黒いバッグはどこだったか?
しかし部屋のどこかにあるものと思いこんでいた。さして重大なこととまだ思ってはいない。
S急便より発注のポスター200枚が届きサインを済ませる。昼前まで出かけられなかった訳はこのポスター受け取りがあった。各地へ前もって送るライブ告知ポスターは功を奏して、追加注文となったのである。午前中受け取りの電話を入れておいたのでそれを済ませるのだ。そして済ませた。

さて出かけるか。バッグはと、ないな、どこだ、どこだ? 見当たらない。服の下にでも、物の陰にでも隠れているか。ゴソゴソと探し始める。徐々に不安が、焦りが生じてくる。ない、ない、なーい、ないなーい!ここでにわかにバッグの行方不明が本物となり、所在が分からなくなった。
確か夜に車で出かけて駐車場から自転車で戻ってきた。いったんバックの忘れ物に気がつき車内に取りに戻った。そして前のカゴに入れたまでの記憶がよみがえってきた。
多少雨が降っていたので急いでいた。自転車に鍵をかけて小走りで部屋の中に階段を上った。そして疲れていたのですぐに寝た。ここまでが昨夜の記憶の限界だった。
もしかしたら、もしかしたらである。自転車のカゴである。しかし置き忘れたとしても、翌日の昼近いこの時間まであるだろうか、あるはずがない。火曜日は燃えるゴミ出しの日で、朝の通勤客も大勢通る大通り、中野通りである。そんなことを思いながら階段を急いで小走りに駆け下りた。
水色の自転車のカゴを目指す。建物の陰に見えた自転車。そしてなんと黒いバッグが前のカゴに。あったのだ、信じられない! 多くの人が目撃したであろう小型の黒い革のバッグは健在なり。東京都中野区民のマナーも捨てたモンじゃない。昨日の夜10時半から翌日の11時半まで、実に12時間半よくぞご無事で。すぐに収容して小脇に抱えて階段を走って上った。中を調べたが何もさわられた形跡がなかった。全くの奇跡といっても良い。こんなことがこの時代、この大都会で起こりえるのか。

気を取り直して、足取りも軽く階段を再度下りて駐車場へ向かう。自転車置き場のすぐ近くの町内の掲示板にポスターが貼ってあった。
「誰かが見ている!」歌舞伎役者の隈取りをした男がじっと見つめていた。
(山木康世)

奥羽三県かっ飛ばし後始末記

2010年04月27日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

東北3日間桜ツアーは大成功で終了。
お天気も80点で及第、演奏、ノリも満点合格でした。
帰り道は350キロほど、二度の休憩で無事帰京となりました。

道中、ふと2月初旬の弘前病院院内コンサートでのことを思い出しておりました。
終わってから楽屋で患者さんと、スタッフの方々と記念撮影となったんだよなー。
初めに小太りの男性ありき。その方は上下パジャマ姿でございました。入院ご苦労様でございます。
二人並んでハイチーズ、男性は小声で小生に話しかけささやきました。
「渋谷ジャンクションできましたね。今度はだいぶ便利になるようですね」
「…?」
相づちを打つには打ちましたが、しばらくして彼の頭の中を解剖したくなりました。所在なき手前味噌。
青森は雪深い弘前病院の楽屋と、東京の渋谷ジャンクションの話がどうしても結びつかなかったのです。

あれから2ヶ月半あまりが経ったわけですが、未だに謎の会話をふと思い出したわけです。
脳味噌は自分のものであるが、神の領域である。いろいろなことが解明されつつあるが、将来にわたり「魂」の所在先だけは解明されないだろう。それとも理路整然と解明される日が果たして来るのだろうか。すでに夢をパソコンなどの画面に映すことが可能になったとニュースで見たことがある。はっきりした画像ではないが、ボンヤリと輪郭が黒っぽく映し出されていた。

最終日茶蔵の「風に吹かれてMinstrel」は音楽の神様が乗り移った瞬間でした。今まで、過去に経験のしたことがない歌となりました。自分が歌っているのに、どこかへ連れて行かれそうな気分で心が感涙いたしておりました。もしかしたら先ほどの渋谷ジャンクション様が青空の彼方から降りてこられたのかもしれません。
だから音楽はやめられない。人生をやめられない。
(山木康世)

米沢茶蔵後始末記

2010年04月26日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

どうしたというのだ。茶蔵社長ご乱心を。
「茶蔵(sakura)」の中庭にはせ参じた大勢の皆様の前で、可憐に咲き始めた桜にあたったか「本日は大勢の皆様、お天気も良くヤマモト…やまきやすよさんをお迎えしての中庭ライブ、最後までお楽しみください。それではお呼びしましょう、やまきやすよさんです」
どうしたというのだ。PAご乱心を。
社長の挨拶に動揺したのか、真っ赤な衣装にあたったか、はたまた単純なスイッチの押し忘れ。
「こんにちは、やまきです。それでは1曲目、木蓮の花」
表の音が出ていない。モニタースピーカーによる挨拶、1分ほどとても小さな音量の屋外ライブの始まりとなりました。お客さんは不思議に感じていたことでしょう。突然ガーンと大音響が!表のスピーカーに音が出たところです。演奏を中断「なんか中途半端なので初めから元い、それでは1曲目、木蓮の花」大丈夫、大丈夫、何かとイベントにハプニングはつきものだ。
雲一つない米沢の空は、まことに健康的なそよ風が吹き、人間が快適に過ごせる理想的な青空となりました。
PAも良いし、お客さんも久しぶりの音楽を楽しんでいるのがよく分かりました。
1時間半、90分かっ飛ばし野郎1本勝負。休憩なしで青空の下、桜の木が見守る中最高のライブができて幸せの行ったり来たりで、雀のつがいも隣家の屋根の樋で戯れておりました。

  ♪幸せの形って 人それぞれにある
幸せのひとつたとえてみれば 
こんなふうに晴れた日の日曜日
こんなふうに晴れた日の日曜日 ♪

誠に良い歌たちを残して置いたモンだと我ながら自賛自照。
やがて西の空に黄金色の太陽がゆっくりゆっくり落ちてゆきました。
打ち上げの後、車に乗り込むとこれまた不思議な現象が。車の時計の針に目をやると「10・22」誰が最初に席を立とうと心に思ったか、その行動結果がこの時間を決めたのだ。何ともすごいラッキーナンバーに思わず声を上げ「山木還暦!」

日本茶は渋めでこくのある山吹色のものが良い。味の素入りで、色の良いお茶はすぐに見抜けるほど日本茶通になりました。スイートな店でツイート(つぶやく)な音楽を。
上杉謙信様のお膝元、全身を流れる血統の4分の1を山形に持つ自称「ツイッターミュージシャン」は最良の日曜日を堪能いたしました。
みなさーん、本当にありがとー、ありがとー、深謝。
(山木康世)

喜多方、米沢ライブ

2010年04月26日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

24日喜多方の酒蔵ライブ、25日米沢のガーデンライブ、大成功に終わりました。
お越しいただきました皆様、ありがとうございました。

喜多方大和川酒造北方風土館後始末記

2010年04月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

♪来たかった喜多方へー 夢が今叶う 
煙吐いて走るSL 磐越西線田園風景♪

遙か遠方の山々の頂きには白い雪がたくさん残っている。
見事な春先の東北は喜多方の春風景でございます。
晴れ男面目躍如、仙台のトンネルを抜けると雲の合間から青空が顔を見せておりました。
時折、通り雨の東北高速道をかっ飛ばし2時間で懐かしの喜多方風土館に到着でございました。
さっそく喜多方ラーメンプラスソースカツ丼というカロリー満点の昼食を喜多方の仲間と共にペロリ。うまーい!

16年ぶりの風土館は装いも新たに、非常に好感度の建物に進化しておりました。初めて一人っきりでソロを行った日がよみがえって参ります。木の持つ肌触りはやはりアコースティックギターと相性が合うのです。鉄とコンクリートの醸し出す「剛」はそれなりに強さを秘めて良いのですが、木造建物の包み込む「柔」にはかなわない。木は生きている。ギターの木も生きている。呼吸をしている。日々細胞が変化している。
良い木の建物で良い音に包まれて、あー幸せな音楽の一日でございました。
心から幸福感に満たされる一日はなかなかありそうでないものでございます。
風土館にはせ参じた皆々様の気が木に乗り移り、発散され演者の元に届き、送り返す。
音魂(音の魂)は空中を漂い脳みその中で電気信号となりビビビと頭の中で発光、お酒も発酵、日々の憂さを晴らし浄化する。

山口から、岡山から、滋賀から、名古屋から、東京から、新潟から、仙台から、北海道等々からよーくおいでなさいました。サンドイッチ、寿司、各地からのお土産、大和川酒造の名酒は五臓六腑に染み渡り感謝の涙を流しておりました。
幸せな一日を共に過ごせたことをお天気の神さまに「ありがとーございました」と深々と御礼申し上げます。
今日もホテルの窓の外では晴れの春の日が待っている、さぁ米沢の桜の中庭へ、いざレッツゴー3匹!
(山木康世)

仙台茶店人形後始末記

2010年04月24日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

なんとすばらしき桜満開ではあーりませんか。
小雨の中、360キロをかっ飛ばして参りました仙台は5ヶ月ぶり。やはり北国は寒いです。
去年は11月にライブを行った。同じような小雨の仙台、店が分からず20分ほども探し回った記憶。
ホテルで聞くと歩いて5分ほどの近場にあった。
確か米沢からの移動で、お釜を見に山道をクネクネと登っていったら、なにやら看板が「冬期閉鎖」。なんとその日からの記念すべき「この先行ったらだめ」のバリケード。その後、食堂で故郷を思いながらジンギスカンを食した。
そんなこんな以来の仙台サテンドール。

リハを終えて去年も行ったハンバーグ店で夕食を採った。ガーリック醤油味ハンバーグ150g。ライスと味噌汁。
去年のその日を日記で尋ねて見たら、同じガーリック醤油味を頼んでいた。人間の嗜好なんて半年ほどでは何も変わっていないというわけだ。

なぜか落ち着くサテンドール。ダン・ヒックスというカントリーの大御所が去年来店、演奏を行ったという。
店内にはレコードジャケット、カントリーギター、ドブロなどが飾ってあり、アメリカの名もなきライブハウスにふと立ち寄った印象を覚える。通が知るぞ知る、こんなさりげないカントリーの店が、地味な通りの地味な建物の地下にさりげなくある。実に肌に合う。なぜか東京ではショーアップされがちな昨今のライブハウス事情。訳の分からない「バンド」と称される一団が一時占拠してしまった感の地方のライブハウス。集団の子供たちがスタンディングで飛び跳ねて酔狂するライブハウス。
違うんだよなー。たかが音楽、されど音楽なんだよなー。

幸せな気分で2時間はあっという間に過ぎていった仙台は、小雨の夜でございました。
ご来店のみなさーん、遠くから忙しい中ありがとー、ありがとー、笹カマボコー。寸志。
(山木康世)

今日もエンジン快調

2010年04月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

今日もエンジン快調

今日から三日間、東北巡礼です。
どんな自分を表現できるのか、未知の期待感で一杯でございます。
あいにく天気はパッとしませんが、そこはそれ晴れ男、本領発揮と参りましょう。
父方の父母の故郷が山形でございます。「山形はおじいちゃんの故郷」目一杯歌って参ります。
桜も満開のようでございます。今夜は仙台サテンドール、なんだか9時間後にはライブ真っ最中と言うことの現実味がありません。

今日から丁度半年後、きっちり半年後には「この国に生まれて60年」でございます。これまたなかなか現実味を帯びません。
僕たちは毎日24時間で回る地球の上で生きているのでございます。そして太陽の周りを1年かけて回っているのでございます。今はどの辺を回っているのでしょう。僕は60回回ろうとしているわけです。
それにしても年々早い一年につい口をついて出てきます。もう四月か、まてよ、もう五月かと言う方が当たっていますね。

さぁいざ出発と参りましょう。
4時には仙台着予定、各地でお会いできる皆さん、楽しみでございます!

♪My Car My Car Safety Drive My Car
    安全運転シートベルト 今日もエンジン快調♪

(山木康世)

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