となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

新宿区曙橋コタンの夜は更けてゆく

2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世

中牟田と聞けば海援隊の不動のギター、作曲者としての音楽人である。
その昔学生の頃音楽雑誌などで見かけて知っていた中牟田氏に間違いはなかった。しかし今日の中牟田氏はその息子さんである。御年38歳、只今曙橋で人生を切り盛りしている中牟田氏。
コタンと言えば四谷に在って、フォークの老舗であった。時代に動じないコタンの店に今日はお邪魔する。8年前に曙橋で再起動、マスターは親譲りのマーチンと共に懸命である。老舗ではあるが音は妥協していない姿に共感を覚える。デジタル時代において音響は大いに飛躍的な変化を遂げている。変な偏見を捨てて認めるべきは認めて楽しまなくてはならない。
今夜は知り合いの中牟田氏が来るかもしれないと聞いていたので「蝉」を用意はしていた。しかし確信が持てなかったので僕一人の場として2時間を超える音楽に興じた。
終わって後始末をしていたカウンターの方で手を振ってやはり彼は居た。ずっと変わらない彼の姿に共感を覚える。ずいぶん久しぶりである。ここからすぐ近くのバックインタウンで共演した夜を思い出す。
海援隊の打ち上げの席から思い出したように電話を何度かくれて互いの状況を話し合った若き日の夜。
今年の夏に何か一緒にやろうと決意のもと再会を約束して別れた。しかし昭和の青年たちの決意である。意外と時間はあっという間に過ぎていった、という結果になるのはザラである。ただ一つ、健康で元気で会おうという決意の元にどう見ても間違いのなくなって久しい高齢者のお別れの夜にカンパーイである。
みなさんお集まりいただいた方たちに御礼と今後の元気さを願って長い一日の終わりとします。ありがとうございました!

コタンは念仏坂のふもとにあります


海援隊の中牟田さんとライブ後にビールで乾杯

新宿区曙橋コタン前哨戦Z世代との対峙

2024年03月30日 | カテゴリー: 山木康世

久しぶりの地下鉄曙橋駅。今日は新旧織り交ぜての長い一日になりそうだ。
昼下がり中野の駐車場を出るころ、空は雨を降るのをやめて南の空に青空を見せ始めた。この分だとこの先は晴れだなと持ってきた傘を車において、GibsonB25、ハモニカ、カポを持って普段と少し違って身軽に出かけた。もちろんノートpcは忘れていない。
先ず大学生Tくんと喫茶店で落ち合う予定である、彼の論文取材のためのインタビューを受ける。「山木康世とフォークの時代」がテーマなので孫のようなZ世代と言われる人との会話に胸が弾む。予想以上に僕の作ってきた歌に詳しく、かつ彼なりの考察に舌を巻いた。ずっと昔の自分のその頃とは雲泥の差があるZ世代の現代に生きる力を感じながらの会話の交流は本当に面白いものがあるなと一生懸命応えた。 Tくんは新譜ジャーナルまでバッグに忍ばせていた。まだ彼が生まれる前の昭和の僕の青春時代の詰まっている雑誌である。その時代を僕や僕の作ってきた歌から探ろうとしている令和の青年は何をか思わんである。
今一番会いたい人が何せ山木康世だったので少々面映ゆかった曙橋のコタンへ向かう足取りは妙に軽かった。

卒業論文にBOSSはどう描かれるか。Tさんと。

春日井水辺のカフェカレドニアは春爛漫

2024年03月28日 | カテゴリー: 山木康世

あの店の紅茶、飲んだことあるかい?
どこの何というお店?
名古屋から30分ほどのカスガイという街のカフェカレドニアっていうアイリッシュ音楽大好き人間のマスターのお店だよ
なんでも山木さんは10年ほど前、名古屋でのライブの帰り際に、とある男性から春日井という街でカフェカレドニアという店をやってます。一度liveに来てください。と言われたそうだ。
マスターはその昔CBS SONY名古屋支店に居たという話でその後、山木さんは絆を感じて。あれから10回以上もliveで訪れたそうだよ。そして昨夜はサリーさんという二胡弾きの女性をゲストに春爛漫水辺のカフェに歌い咲くというliveをしたそうだよ。そしてサリーさんはなんと「白い冬」「松太郎さん樺太へ」「風に吹かれてMinstrel」ではボーカルをとったそうだよ。本来なら山木liveなので本人が歌わないとだめそうだけど、山木さんはふきのとう時代のように変幻自在にハモリをしたかったそうだよ。山木さんのハモは天下一品だからね。実によくコラボされてたそうだよ。
満員の会場は老若男女で盛り上がったそうで、久しぶりのお客さんも大勢楽しんだそうだよ。用意したグッズも大いに売れたそうで何よりだったね。

終演後表に出ると夜空の中天に円いお月さんがコンバンワ。
ほんと4日ぶりのご挨拶。ずっと梅雨のような長雨。明日は待ちに待った晴れだ。

イッテラッシャーイとマスターとサリーさんは手を振って言ったとか言わなかったとか。

サリーさんとの共演はすでに10回以上になりました


ご夫婦、親子でご参加の方もたくさん


移動の途中、瀬戸焼の窯を見学しました

豊橋アヴァンティ ウナギと弁天とUFOが桜を連れてくる

2024年03月25日 | カテゴリー: 山木康世

なんとウナギやさんが23日,24日と連休。店先には幟まで出ていたのに残念しきりである。代わりに今日は勝つぞということでトンカツ屋さんでロースかつ定食をいただく。
ベンさんが仲間と一緒に自ら手作りで作ったというアヴァンティはとても良いライブハウスである。音に関しては譲らぬという感じで機材のすべてにプロ級を感じる。妥協を許さない良い音を今回も出してくれてうれしくなる。
弁天様との大旗もピタッと似合っている。お店の方が貼ってくれて大助かりである。この旗は何かと去年の10月以来、心の支えになっている。確か栃木のどこぞで撮った一枚の写真。あれ以来各地で弁天様の微笑みは力を貸してくれている。
いつもの二人もいつもの二人で山木ソングを皆様にご披露、雰囲気を醸し出し盛り上げてくれる。「人生へのメッセージ」は武田さんとの数ある共作の一つ、20代、30代と懸命に作った懐かしき若き時代を思い出す。今頃中国では「思えば遠くへ来たもんだ」が制作されているだろう。新たな息吹を吹き込まれた名作に期待が弾みspringhascomeである。
UFOがアメリカでは委員会ができて国として取り上げられるほど日常茶飯事の出来事として扱われる時代になった。果たして事の真相はというところだが、アンコールで「星の旅人」を歌って夜空の平和なUFOに思いと願いを託して幕を下ろした。
みなさまありがとうございました。あと1週間で桜も開花、ほんとにもう春なんだなぁですな。元気でまたお会いしましょう。

記念タペストリーが背後の壁にピタリと収まったステージ


まるで弁天様と共演しているよう


花田ジャイアンさん(右)曰く「山木さんと共演させていただくのはこれで18回目です」

新城市ライブステージ弦

2024年03月24日 | カテゴリー: 山木康世

しんしろしはしが多すぎるか。遠く北海道の人にとってしんしろはすぐに頭に浮かんでこないはずだ。なぜか印象が薄いのである。さいたま市のような平仮名の市町村名はいただけないが、新城はいい名前であるのに残念である。ちんちろしの方が良いかもしれない。ちんちろりん。
新城は4回目である。「弦」は2回目である。玄関横にいたシェパードのワンちゃんに会う目的もあった。しかし2年ぶりの歳月は残酷だった。病気で亡くなっていた。生き物には必ず死があって有限である。分かっているが、宿命としての死は元気なうちはつい忘れがちである。それでなくては生きていけない。
「弦」はお店の地下にあって音楽人にとって非常に使いやすくしっかりした作りは下手なライブハウスは顔負けである。弾き語りにはもってこいの良い会場である。
今回の「弦」の盛り上がりはどこから来たのかというほど盛り上がった。ライブ会場では、一人の人間の言動、行動が物を言うほど演奏者にとっては繊細にならざるを得ない。そこに集まる人のエネルギーが大いに物を言う。それをキャッチ、演奏者が受けて返す。もちろん初めの発信者は演奏者であることは言うに及ばない。そして時間が経つと得も言われぬ予想もしない雰囲気が出来たりする。今日の出来は満点をつけて良い。だからライブはやめられない。みなさんありがとうございました。
今日はウナギで精をつけて「豊橋アヴァンティ」へ向かいます。天気もまぁまぁ、素敵な配信者でいたいですなぁ。

手拍子足拍子ありがとうございます

アコースティックライブに心地良い空間

神奈川横浜能見台に心の切れ端を置いておこう

2024年03月23日 | カテゴリー: 山木康世

あんなに青空に満ち満ちていた弥生の空は一転、寒い雨の日となりました。新城への道を東名高速をひた走り、本来見事な富士山を右手に見ながらなどと報告したかった。
神奈川横浜能見台は非常に気分が安定、落ち着いておりました。
聞くところによると甥っ子の将平がコロナ前に何度か訪れていたそうな会場でした。女性マネジャーは人当たりもよく自らも会場づくりに手を貸していただきました。
隣接するファミレスで鶏の竜田揚げ定食を頂いてお腹も満足、申し分のない午後となりました。
竜田揚げと言えば一時期目がなかった食べ物です。特に豚のバラ肉の竜田揚げは口中に広がる脂と衣と下味の妙味で脳天が驚愕「美味い!」の一言でした。自分でも十八番の料理と一時期切磋琢磨したもんです。
昨日の一番は「狸小路ワルツ」故郷の昔を思いながらのワルツは竜田揚げと同等の味わいがあって自分でも納得の得ちゃんでした。
非常に気の利くお客様に手厚い快き心良きオーナーの元何の差しさわりもなく良好な音楽の場をお借りいただき心より御礼申し上げます。
冷蔵庫に村上市からのタラコを入れておいて、すっかり忘れて思い出したのは宿へ向かう東名道の月のきれいな場面でした。

本日は満席ありがとうございます

「もう春なんだなぁ」からスタート

東府中分倍河原ジェリージャムスタジオ

2024年03月17日 | カテゴリー: 山木康世

東府中分倍河原へ行ってきた。分梅河原とも呼ばれるが僕はこちらのほうが
好みである。
鎌倉時代新田氏と北条氏による戦いが1333年にここで行われたという。元弘の乱。東府中駅前にはモニュメントが建っていて、新田氏とある。後醍醐天皇の時代で鎌倉幕府、北条氏が滅亡した戦いであると知って、これは日本史における重要な戦いと思って調べた。
時代は鎌倉が終わって室町に移る。
新田とは新田義貞{につたよしさだ}北条は北条泰家{やすいえ}である。新田は多勢の幕府軍北条を破って新時代を築いた。今から700年ほど間の話である。鎌倉の武士の時代から金閣銀閣の文化の足利時代の始まりだ。やはり武力豪傑よりも穏やかな平和が良い。
今回の会場を建てる際、鎌倉の遺物が発見され大変だったそうである。当時は今よりも大いに栄えた分倍河原東府中辺りは江戸よりも活気を呈していたのであろう。
東府中在住の従兄弟ご夫妻もお見えになり、LIVEも大いに盛り上がりました。
もう春なんだなぁとつい口を衝いて出るほどまっこと素晴らしき快適な陽気の下、分倍河原に静かに日は落ちて令和の弥生の土曜の夕刻、車を飛ばして中央道をお江戸を目指しました。
それにしても随分と日が長くなりましたなぁ。

あという間の2時間でした


ウクライナとロシアの「もうやめよう」


松原さん、お手伝いありがとうございました

さいたま市大和田ヨリアイ大和田スタジオでヨリソウ

2024年03月11日 | カテゴリー: 山木康世

車で高速を使ってでかけた。空は気持ちのいい弥生そのもの。梅は終わって、桜の出番準備中という自然の営みを存分に感じて駐車場へ向かう。
大和田はお初であるので地理的イメージがわかない。埼玉県と言えばさいたま市が基本中心である。大宮と浦和が合併してさいたま市が出来たのはそれほど古い話ではない。それにしても「さいたま市」のひらがな都市名が苦手である。全国にひらがなを用いる新しい地名が誕生するたびに違和感を覚える。地名には長い時間かかってできたそれなりの所以があるのでもったいない気がする。
関越で行こうか、それとも東北道か、この考え自体が古かった。神奈川横浜と同じように東京首都高と埼玉首都高は繋がっていて、わざわざ高速道路の必要はなかったのである。ちなみに僕の使用しているナビは7,8年前のもので、時には道なき道を進ませて困惑させる代物である。
着いたは良いが大和田も先日の本郷と同じように駐車場がなくて30分ロスした。
大和田は古い地区で、その昔には宿場町として栄え、今より活気があったようだ。
明けて11日は、あの3,11である。冒頭で「復興前夜」を謳い上げ気持ちを奮い立たせた。しかし1曲めは早すぎて少し重たかったか。
最終演目は「きらめく星座」で締めた。
40年ほど前、星空のもとツアーから札幌に帰るジェットの下、太平洋の眼下に広がるきれいな赤く連なった4個の明かりは福島原発の煙突の明かりだったのか。そしてその明かりは未来に起こる誰も想像できない不吉な輝きでもあったのか。
今すぐ全国の全原発稼働停止して、日本列島どこにでもすぐに起こり得る大地震に備えるべきであると警鐘の明かりでもあったのだ。原発に変わる代替エネルギーを皆で知恵を絞って模索しなければかけがえのない祖国が滅んでしまう。
歩き疲れた旅人の姿が駐車場を探す僕の車から路傍に見えた。
「おつかれさん、今夜はここにお泊まりですか?」
お集まりいただいたみなさん、まことにありがとうございました。
ヨリアイでヨリソイの一日でした。

皆様と長閑な午後のひとときでした

文京区/あんさんぶるStudio和

2024年03月06日 | カテゴリー: 山木康世

西新宿のあんさんぶる音と合わせると和音になる。お客様の中には間違ってあちらの方へ行かなければ良いなぁと懸念したが、取越苦労だった。東大赤門前を住宅街の方へ左折するとやがてあんさんぶる和の入っているビルが見えてくる。ナビで駐車場を探すが、想像以上の「満」で近所をグルグル、30分も貴重な時間をロスしてしまう。
会場に足を踏み入れても、なぜか会場の記憶が蘇らない。あんさんぶると言えば近場の西新宿が体に染み込んでいて、すぐに思い浮かぶ。
「和」の記憶にあることといえばハモニカフォルダーごと忘れて翌日取りに行ったこと。そして大きな道に出る前の急坂がしっかりと残っていた。
自前の音響セットを運び込んでのライブを始めた頃ではなかっただろうか。確かコロナ禍のピンチをチャンスに変えるために、色々な意味で軽い心身で執り行うことに努めたLIVEは修練のような感じで随分と勉強になったなぁ。
あんさんぶる和音のポリシーは一貫しているようで使いやすく嬉しくなる会場だ。今では担当者も会場に足を運ばずリモートで貸す方、借りる方が成立している。人と人が接しないで一日終えることができるという方式は慣れたが初めの頃は違和感を感じたものである。
小雨、お寒い中お集まりいただき誠に皆様ありがとうございました。
来る日曜10日はさいたまヨリアイ大和田スタジオでお待ち申し上げております。
それにしても寒いですなぁ。

BOSSの日常の一部となった穏やかなライブ


今日のライブはいかがでしたか?


魚の骨のオブジェが入り口の目印です

東中野マヤンはムーンロード

2024年03月04日 | カテゴリー: 山木康世

ホントに昭和にタイムスリップ。こんな良いモダンな音楽酒場は滅多にお目にかかれない。初めて訪れてからもうかれこれ25年にもなるんだろうか。あれから4回ほどLIVEでお邪魔している。
今回はマヤンの50周年、自らの音楽生活50周年を兼ねての記念ライブ懇親会。
適度に落とした照明の中でLIVEはもちろん、懇親会も大いに盛り上がって結構毛だらけ。どこでも進められている再開発の波。しかし何が何でも今や未来を見据えてのやり過ぎ再開発にはいささか反対の手を上げる。せめて50年ほど前に当たり前にあった、いわゆる昭和の遺産を守らなければ薄っぺらい文化になりかねないほどこの国は画一的、同じ方向を皆が見て枠にはめられているような節がある。
容れ物の前に心が肝心である。表情豊かな時空間にいて初めて心が豊かになる。世界に向けての文化だけでことは済まない。地元密着、発信ももっともっと必要である。
地方から見れば東京は一大都会である。しかし東京には様々な歴史や文化の違いで独自に発展してきた、地方に負けない位の地方色が濃く多彩である。
マヤンのママは再開発の非情な壊してしまえ発想にはいささか意を唱えて、秋のお祭りを開いているという。そこには区長も来るという。そしてとりあえず駐車場はやめて、そこに小屋を建てて音楽、演劇、絵画などの文化を行える創造空間を夢見ているという。
いつか近い将来東中野区にそんな館ができることを夢見る。
お雛様の桃の節句にお集まりいただいた皆様、面白かった一時でした。誠にありがとうございました。東田ママ何かと色々ありがとうございました。どうぞお元気で。

マ・ヤン50周年おめでとうございます!


明石の「魚の棚」市場から取り寄せた鯛をママからプレゼントされました!感謝!


骨までしゃぶるぞ


敬子ママ、次回もよろしくお願いします


マ・ヤンでの1回目のライブの様子

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