となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

「津軽鉄道各驛停車」発信!

2010年11月28日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

「津軽鉄道各驛停車」でダンス!エアロビクス風の激しい振り付けでした。

 

テーブルの上には津軽鉄道沿線の名物が並びました。

「津軽鉄道各驛停車」や「雪酔」を熱唱!

 

11月27日、青森県五所川原市の中央公民館で、津軽鉄道サポーターズクラブ主催による「2010点火祭」が行われました。

ゲスト出演した山木は「津軽鉄道各驛停車」の作詞者・藤田健次さんとのミニトークのあと、ステージで3曲を披露。

楽しいパーティーとなりました。

かっち、聴いてるか

2010年11月14日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

「みなさん、見てください、あの雄姿を、地元の方は見飽きてるかもしれませんが、遠く内地よりお越しの皆さん、コンサートは一時中断、写真に納めてください」
旧体育館の会場からガラス窓の外を見たら、見事な羊蹄の雪をかぶった山頂が西に傾き始めた太陽の光を浴びて真っ白く輝いていた。見事としか言いようがない。名人の絵の数万倍心を打たれた。陽の当たる角度の具合が丁度良いのか実に立体的である。山頂より下方に伸びた、幾筋の山ヒダが陰になり、日向になり一幅の絵画である。切り取って持ち帰りたくなるほど、あの瞬間の山と光の表現力は芸術であった。陽は時間を追ってすぐに西に落ちて行き、見る間に山の表情を変えて行く。窓辺に駆け寄ってニコン、カシオ、フジを両手に山に向けてシャッターを押し続けている。

かっちは毎日飽きるほど見ていたであろう羊蹄山。あの日、重機とトラックに挟まれて粉々になったかっちの人生。棺の顔は作られた人形さんのようであったと聞いた。身体は包帯でグルグル巻き。何も悪いことしてこなかったかっちがなぜにあのような死を選ばなくてはいけなかったのか。可哀想にとしか言いようがない。かっちが生きていたら、また違った故郷巡礼になったのに、悔しい。おまえはいつものように薄ら笑いを浮かべて、妙に人なつっこく、決して俺には反抗的な言葉を吐かなかった。「山木さん、また喜茂別でコンサートやりましょうよ」これがおまえの最後の言葉か、まだまだ若かったのに、まだまだいろんな夢を見て暖かい冬を迎えられたのに。

かっち、聴いてるか、歌いに来てるぞ。羊蹄山だってこんなに歓迎してくれたぞ。

そしてコンサート会場は「弁慶と義経」が終わり、照明が効くほどの薄暗さになり「嶺上開花」最後の熱演、みなさんとお別れだ。3番のさびの繰り返しに来て、突然場内の電源が落ちて、暗くなり、アンプはダウン。一瞬のうちに生の歌声とギターになった。この音量の違いに異次元に迷い込んだような錯覚を覚えた。しかし異次元ではなく、こちらの生の方が我らの生きている次元であった。場内から力強い合唱が輪になって、こだまのように聞こえてきた。最後の最後に電源は復活、見事な演出。もしかしたら、かっち、おまえの仕業だな。

故郷巡礼、本当の意味で自分のバックボーンを育んでくれた羊蹄山山麓の11月に乾杯である。

2時間ほどで札幌に舞い戻ってきた。あの頃の札幌は、遠い山の向こうの知らない町、僕は父さんの肩におんぶされて降り注ぐ頭上の満点の星々を見上げていた。まさか六十歳になるころにここでコンサートをするなんてだーれも知らなかった。いつもいつも未知の妙薬で味付けされた毎日の連続で僕の心は休む暇がない。かっちが「お先に失礼します」と言って、先に休んでしまったことが未だ信じられない。

(山木康世)

比羅夫ライブ始まりました!

2010年11月13日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー

旧小学校を利用したホールで山木康世ライブが始まりました。

写真はリハーサル風景と本番ライブの様子です。

リハーサル

2010年11月12日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

いよいよ本日となりました札幌記念コンサート。

前夜は熱いリハーサルが行われました。

明日は晴れそうです。皆様のお越しをお待ちしております。

Terry’s Casual 山木康世シグネーチャーモデルお披露目

2010年11月08日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー, ミュージック・コラム

Terry’s Casual 山木康世シグネーチャーモデルのお披露目ライブとなった松本、三島ライブも無事に終了いたしました。

写真は三島の「アフタービート」でのワンショットです。

テリーズテリー物語

2010年11月05日 | カテゴリー: ミュージック・コラム

2010年7月某日
テリーズテリーが佳境に入っている。外観デザインはすでに確認済みだったが、細かいデザインに関して、昨夜綿密な打ち合わせを行った。山木倶楽部マークの大きさと入れる位置の確認。バックの板に書き入れるダリア「ヴァイオレット・キミ」を2輪、右下に入れることで合意した。かなり好い感じの山木モデルが完成しようとしている。世界に一つしかないデザイン、音のギターが今まさに産声を上げようとしている。無上の喜びである。製作者の中本氏は「すぐに好い音が出るとも何とも言えない。」山木「大丈夫ですよ、僕が当日音を出してみます。」悪いはずがない。中本氏のキャリアと性格と僕のキャリアと性格で、良い音が出ないはずがない。
音は確かにギター本体から出るのであるが、弾き手の如何によって変幻自在する。デザインと外観と昨夜の打ち合わせを見る限り、入魂の音が今にもサウンドホールから鳴り響いてくるような錯覚を覚えた。

60歳還暦記念モデルは終生のギターとなろう。このギターとともに、新たなスタートが切れる幸せ感でいっぱいである。お初のご披露は10月23日東京日経ホールになる予定である。ギブソンB-25は隠居の身というところだろうか。この18年本当に支えてくれ大いに感謝している。今まではB-25とともにあったと言っても言い過ぎではない。90年原宿竹下通りを歩いていて偶然入った楽器屋で見つけたギブソン。1964年のころのモデルだと思う。64年と言えば僕が中学生のころにアメリカで制作されたギターの一本が巡り巡って、日本全国を一緒に旅したわけである。前の持ち主が一人とは限らない。しかし90年から20年はアジアの国、日本の山木康世という音楽人にもらわれたのである。
テリーズテリー山木モデルは、今まさに60歳からの旅を始めようとしている。後ろ板には父が丹精込めて60歳退職から作り始めた山木ダリアの傑作「ヴァイオレット・キミ」が控えて一緒に旅をする。母が亡くなった年の父の新作を、僕がこれから引き継ぎ歌ってゆく。歌い弾くステージの興味も尽きないが、これからどんな歌をこのギターは僕にインスピレーションしてくれるだろうか。心のこもった歌を生きてる限り作って行こうと思っている。
我が子の誕生を今か今かと病院の待合室で待っている感じである。
フォークギターが全世界に何万本あるか知らないが、それぞれに誕生の瞬間があり、誰に弾かれて何年で終わったか、はたまた未だ現役でバリバリ。それぞれにドラマがあるはずだ。10月23日は一本のギターのドラマの初まりである。

2010年10月23日
ついに念願のギターが楽屋に運ばれてきた。見事な美しさ、手に取るのも惜しいほどの輝きを見せている。関係医師3人に付き添われ大事に運ばれてきた。ややグレイがかった頑丈、かつ柔らかいケースを開く。オギャー!丁寧に、大事に首の骨でも折れてはかなわん。しかしこの子供はしっかり首も据わって、どうぞと誘いの手をさしのべてくれた。
チャリーン、チャッチャ、ジャーン、キューン、ピーン…
人前で弾くことに慣れているのに、なぜかこういう場面ではいつも何を弾いたらいいのか躊躇してしまう美原育ちが顔をのぞかせる。
良い、良い、良いですよ、早速ステージで音を出してみましょう!!
かくして花の還暦ステージで見事、大役を果たして船出の一歩となった。
大勢の人がこのギターに魅了されたようで、後日反響が多くあった。うれしい限りである。我が人生における本当の意味での船出をこのギターが飾ってくれた。これからの航海に後悔はなし、有るのは有終の美あるのみ。
年輪を重ねることの大事さと同時に、着古した衣服の整理も大事とつらつら感じ入り今日この頃である。

2010年11月4日
還暦ステージから2週間ほど経ったこの日、完全に我がギターとなった。実はあの日、ステージで披露した後、もう一度最後の点検ということで引き取られて行った我が子。
中野通りに一台の黒塗りのバンが止まっている。中から見慣れた釧路出身のYさんが待望のグレイのケースを小脇に抱えて降りてきた。最高の秋晴れの下、桜の木は紅葉の準備中。そんなさなか5分ほどの経緯で我が手に戻ってきた山木モデル。
事務所で飽きずに眺めては弾いて、写真を撮って、弦を張り替えて、あー高校生のころのときめきと何も変わっていない。モノのあふれかえる時代、本当に両手を挙げてバンザーイと言えるモノは少ない。
さぁ土曜日からの人生行路、強力な我がソルジャーがコンディションを整えている。後は我が身のコンディションとお天気のコンディション。

松本、三島と来られる皆様、もしもギターにも大いに興味がございましたらじっくりと拝見ください。ざっくりと拝聴ください。質問等ございましたら、遠慮なさらずになんなりとお尋ねください。
あなた様の今後の時間を小生と同じモデルを所有なさって人生の楽しみを共有してみませんか?

何はともあれテリー中本氏の真骨頂、みなさん、どうぞご期待ください!!
(山木康世)