両者の言い草
2010年08月30日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
ご主人様「そりゃびっくりしたよ。ワシがちょっと考え込んで用を足していたら、視界の片隅になんか違和感を感じたんじゃ。よく見ると真っ黒い親指ほどのモノがこっちを伺っているようだった。一瞬凍り付き、まずこの狭い空間から早く出ようと思った。それと同時に早く奴が遠くへ行かぬ前に強力殺虫剤で一吹き。近くの100円ショップでホイホイを買ってこようと思った。一匹出てきたら100匹いるというからクワバラ、クワバラ。そんなことを考えて見ていたら奴は段ボールと段ボールの隙間にゆっくり逃げ隠れてしまった」
黒い奴「俺だってびっくりしたよ。あんまり暑いんで物音もしないからすっかり留守と決め込んで便器の水をいただこうと考えていた矢先、いきなり音と共に急ぎの用事のように入ってきた。俺も固まってしまってしばし様子をうかがっていたというわけさ。俺たちにとっても水がなくてはいけてゆけない。あの絶壁のようにそそり立った便器までよじ登って、壁を落下しないように這い降りなければならない。時間がかかるってもんだ」
ご主人様「それからワシは用もそこそこに早めに済ませ、強力殺虫剤を見つけて戻ろうとしたら、あいにく電話があったんじゃ。仕方がないから電話に出るとどうでも良いような電話が。長いもんですっかり奴のことは忘れてしまった。テレビを見ていて殺虫剤のCMが流れて思い出したんじゃ。恐る恐る音を立てないようにドアを開けると、奴も前のヒゲをピンとおったてて忍び足のような感じでちょうど隙間から出てくるところ。俺は急いで殺虫剤を噴霧、必要以上に奴をめがけて噴霧した。部屋は霧状の殺虫剤で充満した。俺は息を殺して、さらに追い打ちと隙間めがけて噴霧した。これで少しは安心した。しばらくは出てこないだろう、もしくはかなり弱って仲間に肩でも担がれて助けられて逃げ帰ったことだろう。そのうちにハウスを買ってこよう、と思ったのさ」
黒い奴「俺は隙間で音を立てないようにじっとしていた。奴は出て行ったようだ。きっと戻ってきて殺虫剤でも降りかけることだろう。いないうちにもう一度水を飲みにチャレンジだ。運が良ければあきらめて外出でもするだろう。そうなればゆっくりと渇いたのどに潤いを。そしたらいきなり物音も立てずに、プシューっと来たから、またまた隙間に逃げ戻った。しつこいったらありゃない。何度も何度も親の敵を討つかのように大量にかけやがる。自分だって身体に良くないと思ったよ。しかし人間って奴は油断も隙もありゃしない。こっちの裏をかくようにやってくる。俺たちの方が地球上で何倍も多くの時間生きて君臨しているのに、やりたい放題だ。しばらくは体勢を立て直して時間を見て出てこよう」
ご主人様「それから俺は店に行って2箱ほど買ってきた。合計4つの新設計ハウスを組み立てて壁の隙間にまるで長屋のように並べ設置した。奴はそのうち隙を見てやってくるだろう。しかし何とも良い臭いがしてくる。その臭いの元へ足を踏み入れたら最後、あららのら足がくっついてイヤーァン、何とかしてとなる。一軒目を何とか切り抜けたとする。またもやおいしい臭いの部屋が。またまた足を取られる。まさか4軒を無事すり抜けられる凄腕はいないだろう。間違えないようにセットしてと、ありゃ手にくっついた、かなり強力だね」
黒い奴「暗がりで聞き耳を立てていたら、やってきてなんかしていった。帰った後室内には何とも良い臭いがしてきた。腹も空いていたので出かけてみたら見事なお家が4軒も並んでいるではないか。そっと伺って見たら、おいしい主はここからだった。ゆっくりゆっくり部屋に入ったんだ、そしたらこれだべさ、ネバネバ、イヤーァンとなって立ち往生。仲間に応援を頼んだが未だ救出部隊は到着せず、その間にご主人様は何回か用を足しに来たが、中をのぞこうともしていない。きっと恐ろしいんだな」
やがて秋が来た。黒い奴は食い物、水、救援もむなしくご臨終。平成22年に死んだが未だ生きていて120歳という生存記録がゴキブリ区役所には保管されていて最長寿である。
時は平成23年121歳の誕生日を迎えようとしていた。ご主人様は61歳になった。
(山木康世)
「津軽鉄道各驛停車」快走
2010年08月27日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
子供たちが35人ほど音楽室に集合していた。学校の名前は五所川原小学校である。
連絡しておいた先生がロビーに現れて、その後3階の教室で合唱部の子供たちとご対面となったわけである。そこで自己紹介もそこそこに「津軽鉄道各驛停車」の歌詞を配布、歌ってもらうことにした。初め、子供たちは緊張の面持ちだったが、教室内に3回、4回と歌が流れるうちに溶け始め大いなる合唱の輪ができあがった。僕はまるで音楽の先生のように右手を高くかざして、心の中で「歌え、歌え!」と語りかけていた。大成功となった。ありがとう、名も知らぬ五所川原小の生徒たち。
合唱終了後、担当の女性教師が一台のギターを持ってきて「何か一曲歌ってもらえませんか?昔学生の頃コンサートにも行ったことがありますので…」
黒いビニールケースの中から取りだした一台のフォークギター。いやとは言えぬ性分、快く手に取りチューニングを始めていた。よく見ると真っ黒に錆びた弦が6本、これは年季が行っている、ここまで錆びるとはギター弦恐ろしや。今までこの世でお目にかかったことのない弦である。やがて1弦目を合わせ始めた。そのときピンという音と共にはじけ切れた。このギターの持ち主には何と言って詫びを入れたらいいか。これほどまでにギターを弾いて弦が錆びると言うことは非常に熱心な人か、はたまた無精な人に違いない。まぁこの際どちらでも良い。生徒たちと僕をガッチリこの真っ黒に錆びたギター弦のフォークギターが取り持ってくれた幸運に涙していた。
5本の弦で、まだ君たちが生まれる前のずっとずっと前のデビュー曲を歌います。幾つだったんですかと聞かれた。うれしい質問である。「23歳の9月、24歳になる歳だったよ」
先生も生徒も静聴してくれて得も言われぬ感動に酔いしれていた。こんな場面誰が想像していただろう。今朝起きたときだって、学校に足を踏み入れたときだって、君たちに会ったときだってまだ想像もしていなかった音楽会。何も言葉は要らないね。こうして僕の孫のような子供たちを前にして、昔々学生だった頃にコンサートで見たという先生たちを前に一つのドラマがあっという間に生まれて消えていった。
生きていると言うことは斯くも自然に、予想外のことが起きて何ともなく終わってしまう。
「津軽鉄道各驛停車」はこの後、地元の太鼓を入れて、津軽鉄道社長の「出発進行ー!」で走り始めた。
根津で雑魚音の歌人の精神が吹き込まれ、遠く離れた五所川原で完成の域と相成った。すばらしい傑作ができあがった。
「ふきのとう」は過去である。その「ふきのとう」を凌駕した楽曲が完成した瞬間でもある。
あぁ音楽人生は他人が思っているより数倍すばらしく、僕を前へ前へ推し進めてくれる。まるで津軽鉄道のストーブ列車のように大地を覆うほどの雪をはね飛ばして快走してゆく。やってまれ、やってまれ、いざ見参!!
作詞の藤田先生、チョー活きの良いカッコイイ「津軽鉄道各驛停車」整いました!
(山木康世)
ゴミの正体 その2
2010年08月26日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
実際に僕はプリンターを買いに出かけ箱は要らないのだが、と言った。初め困惑していた店員は売らないわけにはいかない。しかし箱の処理にも困った顔をしていた。問題が両者にはっきり見えてきた瞬間である。僕は駐車場に止めた車にむき出しで袋に入れられた新製品を運び込んだ。何の問題も起きていない。むしろ部屋は買い換えのプリンターが増えただけだ。あれで箱と一緒に買い込んでいたら、大事なスペースを不要なもので占領されるところだった。
この断ると言うことで問題が解決するかというとそうではない。「思い出」という表には顔を出さない内面のやっかいものが顔を出す。商品を買ったときの「こんな思い出」など抱え込まない方が良いのに、なぜか長時間家で保存しておくと脳細胞に深く深く刻み込まれて行き、捨てられないという事態に陥る。部屋はどんどん狭くなる。思い出は頭にどんどん蓄積される。
お願いです、企業の皆様、昔のように量り売り、新聞紙梱包(魚介類をパックしているあの白い柔らかい石油製品でどれだけの石油が浪費されていることか)の復活、過剰包装廃止(お菓子も実に近頃は手が込んだ商品になったもんだ)、木の箱のように頑丈な段ボール、過剰なプチプチの保護シートの廃止、電話会社等の毎月送付される領収書、請求書封筒のご大層さの廃止(これなどはがき一枚で足りる)、ポストに容赦なく入れられる企業のチラシ各種の迷惑(すぐに捨てられる運命なのだが、その中に大事な通知が混じり込んでいるかもしれない)ペットボトル全盛の華やかな時代、以上ご検討ください。
ゴミ問題がもしも精神的病を冒すと言うのなら、その前に最後の最後に残された手段と言えば、無人島で裸族となるしかない。
(山木康世)
ゴミの正体 その1
2010年08月25日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
中野区の燃えるゴミの日は火曜日と金曜日。まぁ各家庭から平均的に出るゴミがあふれる曜日なのだろう。すさまじい量のゴミが毎週二回、全国の各家庭から出る。そのために今では有料のゴミ袋でしか出せないような市町村も現れる始末。人口は減少しているというのに、いったいどこから蜘蛛の子のように沸きはい出てくるのか。
本屋に行ったとする。買ってきて部屋でまず本屋の袋を開ける。そして本には下腹部にふんどしのような帯が回してある。何のための帯なのか不思議である。それからその下にご丁寧に上着が被せられている。汚しちゃいけないという配慮か。その下に肝心の本の本当の顔が出てくる。実にシンプルな殺風景な顔だ。これだけで相当量の要らないもの、ゴミが出ている。ほとんどの人は本来不要なものを抱え込むことになる。
今度はPCソフトを買いに出かけたとする。売り場には本屋のごとく多くのソフトが並んでいる。今は、昔ほどソフトは売れていないだろう。PCから直接ダウンロードをする人が多いはずだ。これは音楽ソフトについても同じことが言える。
部屋でまず電気屋の派手な袋を開けると、これまた派手な大きな箱が現れる。箱にはイラストが書かれ、各種説明がなされている。買う前の説明である。中を開けしまっては一切の返却ができないためである。何千円もするソフトを箱の外に書かれた説明だけで買うというのだから、買う方もかなりの踏ん切りが必要である。箱を開けると本体のソフトが収納されたCDが出てくる。これも保護のためかプラスティックのケース付きである。CDはそんなにヤワではなく、表面に傷がついたくらいではデータが壊れることはない。割れてしまえばお仕舞いであるが、割れたという話も聞いたことはない。同じく説明書や案内書がごっそりと同梱されていて重量感を増すような工夫がなされている。買い手が買うときの重さも重要と考えてのことか。肝心の中身は数秒でインスツール。後は再インスツールまで不要と言うわけだ。そんな控えのソフト群の箱がが山のように積み上げられている。
その他電化製品などの過剰な梱包、買いやすい値段の服、家庭用品、日曜大工製品がために、いつのまにか不要なゴミの集積所のごとく増え続けるゴミで占領されてしまった部屋。部屋を探しに行った日のことを思い出す。せっかくましな部屋を見つけたと思ったのにこのざまだ。しかしある程度予測のできた事態ではある。
地球規模でゴミの問題を何とかしようとしている。その陰でせっせ、せっせと企業は過剰なゴミを作り続け売りつけている。かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人。みんなつながっていることは美しいのだがやっかいである。みんなの連帯責任ということである。
誰が悪いのではなく、まず末端の消費者が要らないと言えば良いのである。店頭で断れば良いだけの話だ。
明日に続く・・・
(山木康世)
山木康世が安宅関(あたかのせき)跡で「弁慶と義経」を唄います!
2010年08月24日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー
ステージ背後には弁慶、義経、富樫の銅像。
そのすぐ向こうに広がる松林と日本海。
夕暮れ時、500本の蝋燭が灯された中、潮騒、松林を通り抜ける風、山木のギター、ボーカルがどんなハーモニーを描き出すか…。
弁慶と義経の亡霊が現れる・・・かもしれません。
小松空港からタクシーですぐ。
安宅観光協会を挙げての幽玄なイベントにぜひお越しください
9月25日(土)
勧進帳のふるさと 安宅関コンサート
山木康世 「弁慶と義経」を唄う!
会場=石川県小松市/安宅関銅像前
開演=19:00
料金=無料
賛助出演=安宅太鼓会「弁慶太鼓」
主催=安宅観光協会
問い合わせ=0761-21-6734
梨元 勝「恐縮ですが」
2010年08月24日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
梨元さんが亡くなった。肺ガンであったという。
一度だけ仕事でご一緒した。
「自己流」という30周年記念事業をした年、今は亡き井上氏の運びで「思えば遠くへ来たもんだ」のレコーディングを行った。6年前になるのかなぁ。
打ち合わせと称して、夏に夜の渋谷の居酒屋でスタッフ数人と梨元さんをお待ちした。遅れて店に来た梨元さんは実に普通の人だった。マネージャーもおらず、テレビで見る人、そのものだった。
レコーディングでは味のある歌いっぷりを披露してくれた。僕はギター担当である。
その二日間しかお会いしていないが、訃報を聞いたとき信じられなかった。たばこも吸わないのに肺ガンで亡くなった。たばこのみには朗報かもしれない。しかし明らかに因果関係が出ているのに国の甘い野放し状態がよく分からない。
吸う方は、このご時世ますます肝に銘じなければいけないね。
世を挙げて健康志向である。2人に1人はガンで亡くなるというのに、テレビでは医者、評論家がガンをネタにおしゃべりするだけで、具体的に動こうとする気配は感じない。
若い頃ツアーで一緒に回ったメンバーが実に4人も他界している。そのうち3人がガンだ。みんな喫煙者だった。
たばこだけではないが、一番のやり玉に挙がっている犯人を黙って見過ごす事件のような見方もできる。その最中に何人もの犠牲者が出ても、いっこうに警察は捕まえる気配はない。
喫煙者の中毒という問題は問題外である。中毒者は他の病気では即隔離、治療専念であろう。それが空港ロビーにおける鳥かごのような、かごの中で吸引する中毒者。何とかならないか、あの哀れな姿。
医者の枠を超えて、国を超えてみんなで取り組むべく一番の問題は宇宙や深海ではなくガンの正体解明ではないかとつくづく思う。夜ごと行われる必要もないのではないかと思われるほどの道路ひっくり返し事業、巨大ビル建設などのエネルギーとお金少しだけ解明に向ける姿勢が出てこないものか。
核三原則ではないが、もっと怖い身近なたばこの「吸わない、買わない、作らない」というたばこ三原則の徹底を望む一禁煙者の声を上げてみた。
「恐縮です」と流行語にまでしてしまった梨元さんは、向こう岸に頭を下げて逝ってしまった。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(山木康世)
大江戸再訪雑魚音会 壱之章音始末記
2010年08月23日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
第一回目の山木塾の開講である。開校なのか、開口なのか、とりあえず「根津の甚八」6時集合。ちなみに同名の俳優は真田十勇士の一人、根津甚八から取ったものと想像す。「寝ず」の甚八だったそうだが、ことの真意は定かではなく作り話という話もあってロマンをかき立てる。
目的は荒んだ現代において、一服の涼を得んがために築100年になろうとする旧い建物での雑魚音会。地下鉄千代田線を降りて地上へ這い上がると、何とも江戸情緒の界隈に出る。それにしても今日も暑い。汗が吹き出る猛暑である。まぁ表通りはそれほど他の区と違いはないのだが、一歩路地へ踏み込むと旧いのである。良い感じの大江戸の臭いがしてくるのである。北海道出のせいもあろうが東京の顔の広さをいやと言うほど見せつけられる時でもある。道の向こうから山本周五郎が、池波正太郎が、とこよなく下町を愛した大作家連が歩いてくるようなたたずまいなのである。
通常の雑魚寝はあまり良い意味で書かれていない。一つの大部屋に何人もの人が一緒に寝泊まりするというもの。民間風習の一つに、年越しの夜に、その他一定の日に、神社などに男女が集合して、枕席を共にした。ともあるのでかなりいかがわしい寝方でもある。もちろん今夜はそんないかがわしさはみじんもない。字が「寝」ではなく「音」であるので、当然雑魚の音楽の集まりというところである。この雑魚音は小生が考えた造語である。音楽人としてはかなり良いセンスの造語であると自負している。今夜は「音」の雑魚であるが「根」の雑魚も考えている。
雑魚とは種々入り交じった小魚の群れと言う感じだろう。大物、小物の集まりともなる。あの巨体の鯨や鮫を支えているのは雑魚やプランクトンである。彼ら小物でも大勢集まるエネルギーが大物を支えている。世の中だって同じだ。もしも本当に現代において大物と呼べる人物がいたとしたら、その人を支えているのは我ら雑魚の集まりなのである。雑魚が泳ぎを止めたら巨体は生きてゆけない。
なんと終了時間を見たら驚いた。3時間45分に及ぶ塾であった。何も難しいことはない。難しい言葉も必要ない。ただひととき、正直な雑魚の食べ飲み交わしである。交流である。
その昔、美原には居酒屋どころか店と呼べるものが売店一軒しかない。雑貨屋が一軒である。子供たちには少々関係ないが、当時の大人たちには息抜きの場が必要だったのだろう。持ち回りで「お呼ばれ」と呼ばれる飲み会を行っていた。そこにお邪魔した子供が一人両親と一緒に写した写真が一枚残っている。生涯あまり幼い頃の写真が残っていない小生のお気に入りの家族の肖像の一枚である。
生きてもいない人間が我が国には100人以上戸籍上生きているという信じられないニュースが届く現代。本当に寂しい時代になったものである。霊園やお寺の広告が華々しく流れる陰に、こんな寂しいニュースが流れる時代になったのである。姥捨て山、ならぬ姥捨て国、世界に冠たる長寿国家日本。
平成になってかなり浮かれた感じの世の中になってしまった。道ばたで倒れている人に誰も目を向けたがらないような時代になってはならない。人間という尊厳のある「人」の道倒れである。お茶の間のテレビでレギュラー化しているお笑いが、ニュースショーが流れている一見平和なこの時間にも忘れてはいけない雑魚の道倒れを見過ごしてはいけない。
我らこれからもっともっと直面するやもしれぬ孤独という道倒れにならぬよう、せめてまず第一歩、こんな雑魚音の会を開講してみた。
「津軽鉄道各驛停車」に音としての足跡を、この夜残してくれた熟成した塾生に乾杯である。
(山木康世)
読書
2010年08月20日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
読書をすることは大切らしい。
しかし、いかに大切といっても何を読むか、どんな本をどんな感じで読むかで変わってくる。椅子にきちんと座って読むか、ソファで楽な感じで読むか、横になって読むか、はたまた立ち読みするか。立ち読みは意外と集中できて頭に入るものである。本屋の店先で読んで、あれほど高揚したのに部屋でしっかり読んでもあまり面白くないということが何度もある。
長い短いで良し悪しが分かるというものでもない。それにしてもロシアの文豪は長い。ロシアの風土がそうさせるのか。
僕も若いころずいぶんと本を買った。しかしすべて読んでいるかといえばそうではない、僕の買い方は、そのうち読書三昧の日々が来るだろう。そのときのために買い貯めておこうというものだった。しかしこれは結論としてだめだ。読みたいときに読みたいものを買ってきて読む、これに尽きる。肉体的な衰え、特に眼が弱ってくるという計算を入れなければならない。
読書は集中力がいる。これはある意味で体力のひとつだ。これも意外と衰えてくるもんだ。
ネットで読むPC読書は頭に入ってこない。そして一番の欠点は眼が疲れるということだ。バックライトのせいである。それでも読まないよりは読んだほうがましである。読書も習慣である。若いころなじまなかったら、なかなか年をとってからとっつき辛い趣味でもある。言葉を知って、漢字を知って、読後感のある本は個人にとってかけがえのない終生のものとなろう。
<読書の種類>
■精読
隅から隅まで一字一句逃さない読み方である。辞書を片手に一生懸命読む。しかし読んだあとで、意外に大したことがなかった本であったりするので気をつけた方が良い。大切な時間を泥棒されることになりかねない。
■乱読
これはあれもこれもと手当たり次第次から次へと読む読み方であまり詳しく読まない。大体の内容把握である。
気の多い人の読み方かもしれない。じっとしていられない人向きだ。
僕もこちらの方だ。途中で放り出してしまった本が何冊あることか。
■積ん読
これは字の如く買ってきた本を積んでおくだけの読み方だ。読んでしまうには惜しくて、そのうちじっくり読もうと思うが、眠たくなる。ちょうど手ごろな枕の高さに長編小説はもってこいだ。今もって一ページも開いてもいない。そのうちブックオフ行きとなる。
読書の秋が来る。いつもいつも同じお笑い芸人や、タレントの出るテレビを消して、せいぜい良い本に巡りあおう。
(山木康世)
クリーンエバーグリーンコンサート
2010年08月17日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
僕には大事な同じ歳の音楽仲間が、故郷札幌に二人いる。
一人は「水鏡」でヒットを飛ばしたすずき一平。
もう一人は「君は風」の佐々木幸男。
この二人はかけがえのない音楽人である。
デビュー時期はそれぞれ多少違いがあるが、今だ現役でバリバリでやっている。
他府県ではあり得ない同じ歳三人の存在である。
30歳で東京から札幌に居を移して、何かと札幌に再度溶け込んだ。そのころ誰とも言うことなく始めた三人による共演。
事務所の枠を超えてまずは札幌で大通り公園に樹を植えよう、ということで「クリーンエバーグリーンコンサート」と称して共演して三本の樹を植えた。
当日市役所公園課担当の役人がそれぞれの名前を読み上げて植樹の会を行った。
粋な役人でお見事三人の名前をお間違えになった。
「ササキサチオさん」「スズキカズヒラさん」「ヤマモトヤスヤさん」こんな絵に描いたようなエラーは二度とない。
やがて三本の木は毛利元就、三本の矢の教えの如き結集した。九州まで「クリーンエバーグリーンコンサート」を観光しながら敢行したことは快挙であると同時に、その後30年に渡って何かと結集した。
三人は還暦を迎える。先も土砂降りの中、共演こそなかったが同じステージで歌った。
来る九月十一日土曜に紋別市で地元札幌よりも理解があるのでは、と思えるような音楽理解者M氏の強力な力添えで四回目の「オホーツクフォークまつり」を行う。
嬉しいとともに感謝の念が耐えない。奇しくも記憶も生々しい9・11の日である。
1部丸まるを三人の還暦を祝ってジョイントを行う運びの予定である。そこでは三人の今の心境を語った新曲を披露しようというところまで合致した。
どんなステージになるか、当事者なのにワクワクしている。
たかがフォークソング、フォークギターであるが三人の木の結束力は相当に硬いものがある。今では誰が欠けても成りえない「クリーンエバーグリーンコンサート」。
いつまでもクリーンでグリーンな気の持ちようは本当に必要であるなぁと思う。自身たちの身体や精神が若かったころとは一味違うステージは、毎回新鮮に思えてくる。
フォークソングの魅力は「若さ」にあるのかも知れない。
男が三人
村のはずれの谷を超え超え
ギターかついで馬にまたがり
目指す港はオホーツク
毛ガニガリンコ号
「白い冬」だよ恋しや紋別
今だ現役バリバリの男が三人
北の港で別れた女
一夜限りの悲しい出会い
紅いルージュがポケットに
忘れ形見だよ
「君は風」だよ夕日の紋別
背筋ピンと張ってワンツースリー 男が三人
白いカモメよなぜなぜ鳴くの
おまえも一人はぐれ鳥か
今度生まれてくる時にゃ
町の鳥になれ
「水鏡」だよ黄昏紋別
隠居還暦感激の男が三人
山木佐々木鈴木三の木 男が三人
(山木康世)
終戦記念日考察
2010年08月15日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
65回目の終戦記念日である。
戦争が終わったのか、戦争を終えたのか。前者だと時間的運命で何かしらの力が加わり、終わったという、ある種無責任さが加わる。ネガティブ(受動的)である。後者は自らの意思で終えたということになりポジティブ(主導的)である。
終戦記念日という言葉自体があいまいなイメージである。果たしてどんな終戦で記念なのか。
バンザーイなのか、やれやれなのか、チクショーのイメージなのか。記念日はアニバーサリー、後々の思い出に残しておくこととある。どちらからといえば良いことの記念が良い。敗戦、終戦の記念は分かり辛い記念である。終戦の日で良い。
敗戦記念日でもあるのだが、敗戦だと戦争に負けるがネガティブ、ポジティブだと言葉が見つからない。あえて言うと放棄するであろうか。戦争自体がポジティブなので、敗戦というネガティブな言葉と矛盾してしまう。
戦いを能動的に行わずして戦争と言えるだろうか。戦争をやらされたというような戦争はない。個人的な戦ならあるかも知れぬや、国家間の戦争ではありえない。戦争のネガティブな最悪な結末は国の破滅である。
先の戦いは原子爆弾が登場した最初で最後の戦争だろう。悪魔の兵器は、もう二度と使えないように封印されるだろう。それでなければ地球の破滅ということがあり得るので、こうなると人類の破滅であるからだ。
日本は植民地化されたことがない国なので、国の消滅のイメージがわいてこない。他国に自分たちの現在、未来を管理されるのだ。これは屈辱、恨みしかない。英国が発祥の帝国主義の時代とはこんなことが当たり前のようにまかり通っていた時代なのでである。
おそらく能動的に始めたであろう戦争を終えるには謝るしかない。武装解除して敵国に頭を下げて謝罪するのである。これもおかしな話だ。例えばサッカーで、ボクシングで負けたほうが謝るなんていう話は聞いたことがない。
東京湾のミズーリー号甲板で行われた降伏調印文書に判を押す行為は何だったのだろう。両者の戦いをこれにて終えますという誓いの判なのか、あなた方に対しての数々の残虐な行為を謝り戦いを止めますなのか。戦争自体が残虐なので両者ともにおあいこだ。
作文では受動的な文章は薦められず、指摘される。能動的な文章が良いとされる。
素直に人に謝ることができる人は救われる。謝っても誠意のない態度、不真面目では謝らないほうがいい。アメリカ人は謝らないという。謝ると裁判で不利になるからという。
日本人は何かとスミマセンを使う。これは謝罪のスミマセンというよりお手数をかけますが、とかお世話様ですがというようなニュアンスであろう。時にはありがとうの時にも使ったりする。外人には理解できない相手に対してへりくだる態度の言葉だろう。
今朝の風は、昨日までの風と違い涼しい。海水浴もお盆までと言われたものである。それを裏付けるような風の吹き方である。名もなき兵士の英霊にスミマセンと誇りある戦死を再確認する八月十五日。
(山木康世)