プラバホール終了後、打ち上げ先着40人
2024年11月11日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
11月20日松江コンサート終了後、山木康世も参加して、山木倶楽部会員の皆様とお疲れさま打ち上げを開催します。
プラバホールコンサートに参加された山木倶楽部会員様が、打ち上げにご参加できます。会員のお連れ様も参加OKです。
会場は、松江市内の居酒屋。プラバホールからタクシー5分(徒歩20分)です。
参加費はコース料理と飲み放題90分で一人5000円。
参加希望者は川口(kouenkai@yamaki-club.com / 080-3503-3813)まで。
詳細は川口より連絡させていただきます。
先着40人で締め切らせていただきます。
20241110葛飾区鎌倉空の杜
2024年11月11日 | カテゴリー: 山木康世
千葉方面へ、荒川を渡ると会場はすぐである。時折ビスタのフロントガラスに雨粒が。夜には雨になるという。しかし今のところ問題はないようだ。証拠に雲間から青空が見え隠れしている。日曜と言うことでトラックが異常に少なく快適な「空の杜」への出勤である。先日で今年100本目、今日は101本目のLIVElibrary。
ライフの駐車場は更に駐車スペースが増えていて快適この上ない。こんな駐車場があるかないかで今日一日の幸福度が違ってくる。
「空の杜」の窓からは大家さんのお庭が見えて、四季折々を見せてくれる。今の時期、彩りの紅葉系の木々がないのか殺風景なお庭であるが緑の木々は心を安定させて、移ろいゆく時間を感じさせてくれるのも幸福度の一つ。
一曲目「晩秋情景」
♪北風ピープー吹いてくる 私はひとり泣いている みんな何所へ行ったのさ 北風吹いてくる ♪
11月初旬、本来はこの歌のような風が吹いてくる季節だが、まだ穏やかである。
「山登り」
ギターを持ち替えて、しばし父のことを思い出す。父はもうすでに登頂済み、青空の彼方へ、果たして自分は何合目にいるのだろう。
「サヨナラの時は北風の中で」
少しコードアレンジをして臨んでみた。淡々と終始、あまり抑揚変化のない歌は身にしみてくる。
「ひとりの冬なら来るな」
思い出の札幌は豊平「中原マンション405号」ここで多くの歌を作った29歳の冬は忘れられない冬である。鉄の煙突付きのストーブの小窓から見える内部燃焼の炎は希望の明かりでもあった。真夜中に外に降りしきる雪を眺めながら妄想の泉の時間。隣の部屋の机の上には、何度も重ねることの出来る買ったばかりのティアックカセットレコーダーが。東京ではStudioでしか実現できない歌の録音重ね録り。こんなことが手軽に出来る時代になった。しかもカセットテープにである。絵に例えると夢の絵画制作である。朝まで何度も何度も夢中になって色を重ねたことだろう。
「哀しきゴンドラ」
小品であるが妹のいない僕にとって歌で夢を叶え癒やすことの出来る良い歌だ。
「季節の夕暮れ」
静かなる心のメッセージ。「空くう」の意味をもう一度確かめてみよう。
「三浦半島波高し」
横須賀に係留されている「戦艦三笠」は明治時代の立役者。鎖国を解いて日本国は何かと厄介な世界へと乗り入れ、まずはロシアのバルチック艦隊を撃破。名将東郷平八郎は世界的リーダーにのし上がって日本を強国に導いた。それから大きな戦争が2回あっての後、長くは続かず昭和20年の日本国破滅的ダメージ。2013年11月に「戦艦三笠」の中で行われたLIVEは意義深いものがあった。
「冬は夜空に星座を連れて」
四季折々の歌冬の章。いつか春夏秋冬を歌ってみよう。
アンコールは「濡れ手で粟」
北海道拓殖銀行破綻の時代をかみしめながら、学生時代の金字塔「夕暮れの町」で締めくくった。
歌った歌を全て語ったわけではないが、概ね本日季節柄「空の杜」におけるLIVEは僕の今の音楽観を発揮できた良いLiveだと自負して生ぬるい風を受けながらビスタは中野へ環七を驀地。
お忙しい中、「空の杜」にて時間を共有してくださったみなさん、誠にありがとうございました。
週末からは西日本、そして念願の松江へただひたすら生きるのみでYasu。
ラジオ出演のお知らせ
2024年11月10日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
11月11日18時15分ごろから、岡山シティエフエムレディオモモに電話で生出演します。
番組名「夕刊ラジオ~レディオモモ」
インターネットでお聞きいただけます。
http://www.fm790.co.jp/
よろしくお願いいたします。
西新宿あんさんぶる音本年100回目記念晩秋情景
2024年11月09日 | カテゴリー: 山木康世
ジョージがビートルズを辞めてソロのアルバムを出した。オール・シングス・マスト・パス。二枚組の大作で全米で1位を記録した。ジョージにしてみれば、してやったりで気持ち爽快だったろうな。在籍中には何かと二人の存在の陰にいてどんな気分だったんだろうと想像を巡らす。
アルバムの内容もさることながら、ジャケットが素晴らしい。過去、現在、未来を案じさせる意味深いアイデアである。
西新宿のあんさんぶるに立つと、一昔前のまだ超高層ビル群が建っていない東京都の水瓶であったころを夢想してみる。
デビュー時の50年前にはまだ確か一つ二つが建っていただけだ。それから見る見るうちに建ち初め都庁ができてビルの森に。中野に越してきたときマンションのベランダから、遠く新宿方面に光り輝いている不夜城の明かりを双眼鏡で眺めたものだ。いつかこのビル群も壊される時が来る。どんな感じで時代の交代が行われるのだろう。もちろん僕はこの世にはいない。
「あんさんぶる音」は本年一月に一回ライブしている。今日で通算100回目の記念ライブである。いつもは大勢で近くのホールで行われるコンサートなどのリハーサルとして使われることが多いと教えられた。
気が付いたら11月である。気が早いが「メリークリスマス」を歌った。ふきのとう時代初めて複数の弦の人をスタジオに招いてアレンジして見よう見まねで衣をまとってみたが、思うほどの効果がなく、この歌一曲で夢は断念した思い出の歌だ。四季折々の歌、冬の章も歌ってみた。完成間近でこの先少し歌詞は変わるだろうが、基本線は変わらなく春夏秋冬の章完成の日でもあった。いつかまとめて歌ってみよう。四季が昔ほどはっきりしなくなった地球、日本であるが心にはやはり四季の美しい日本であったほしいと1年越しで作った歌である。
もうじき西日本へ歌いにゆく。神様の故郷、島根はどんな心持ちで僕を迎えてくれるだろう。先日田辺でお払い、身を清めた。準備万端、心身いたって健全、人事を尽くして天命を待つ心境である。
お忙しい中、みなさま、まことにありがとうございました。急に寒くなりましたが日々つつがなくお過ごしください。
明日は葛飾区晩秋情景「空の杜」で何を歌って何を話そうか。
横浜へ
2024年11月07日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー
神奈川新聞社の取材を受けるために横浜へ。
BOSSが日本一おいしい、と認める勝烈庵のロースカツを食べて神奈川新聞社へ。11月18日の掲載予定です。
中野シアターかざあなと階段と忘れ物
2024年11月04日 | カテゴリー: 山木康世
NHKラジオからフォーレやガーシュインのSPレコード演奏が聞こえてくる。クラシックと言えば大げさに考えがちだが、レコード盤に刻まれてチリチリ、カリガリと共に聞こえてくるクラシック、実にシンプルでメロディが聞こえてくる時代のクラシック演奏、良いなぁ。
100年前の時代の人たち、町の風景がシンプルだったんだな。思うに今は演奏者の技術、特に早弾きなどに注目が集まりすぎて肝心のメロディが聞こえてこない。スピードの持つ魅力も分からないこともないが、スポーツ並みの早さやアクロバットを競っていても意味がない気がする。人よりも多くの情報、情報、情報の洪水、へたすりゃ自分の足下にまで水が来ているのに情報、情報。100年前の人間たちの心を覗いてみたい。レコード盤に微かに片鱗が刻まれているよ。
「かざあな」はどてっぱらに風通しの良い穴。
いつもは部屋の管理人不在、ドアノブに吊されたケースの中に渡された鍵で室内に入ることが出来る。もちろん事前に渡された暗号番号でケースを開けるのだが、コロナ禍以来、電話などで教えてもらった番号で入室するのである。が、今日は何故か開いていた。
ここは一歩踏み間違えるとゴロンゴロンと落ちてゆく必至の狭い急峻な階段のご挨拶がある。
今日の肝心のLIVEはいつもとどこか違っていた。おそらく弁慶社の御利益だろう。そして無事終演、あの階段にお別れして車で5分の我が駐車場へ向かった。
その2時間後、ハタと我に返った。着ているものがない。ウインドーブレーカーを羽織っていないではないか。連絡を取ってもらうが埒があかない。すでに次の部屋の使用者が使っていることだろう。行ってみるか。
10分の歩行の後、階段に再度ご挨拶。何やら中では若者数人がたむろしている。関係者のような顔をして楽屋へ向かった。あるではないか。見慣れた濃紺の薄いブレーカーが。言葉を一言も発せず、暗号の鍵も要らず衣服を取り戻してきた。階段にお別れを告げて帰ってきた。やれやれ。
お忙しい中、階段をものともせずYAMAKINGSONGSにお会いしに来てくださった皆々様、誠にありがとうございました。
来る7日、西新宿初台「あんさんぶる音」でお待ち申し上げておりますでYasu.
僕らは夜明けを待っている 配信開始
2024年11月03日 | カテゴリー: スタッフ・ダイアリー
2021年に発売した「僕らは夜明けを待っている」が 各サイトで配信開始です。
各サイトで 全世界で、配信 及び ダウンロードされます。是非、お聞きください。
またシングル音源とは違った形でライブでは歌われていますので、ライブでもお楽しみください。
本日ラジオ生出演
2024年11月02日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
本日16時15分から山陰放送(ラジオ)に電話出演します。
https://www.bss.jp/radio/bun/
メッセージなどお送りください。
田辺市鬪雞神社と弁慶さん
2024年11月01日 | カテゴリー: 山木康世
今日は朝から心がざわついていた。奈良紀宝町田辺ツアー最終日、弁慶さんの故郷、 和歌山県田辺市 世界遺産 鬪雞神社
「山木康世 Live Library 2024」
~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~歌奉納続き社務所内におけるLiveの日である。
先ずは駅前に堂々と屹立する弁慶さんにご挨拶。雲の中、時折顔を出す太陽の元、晴れ男健在なりの田辺駅前である。それから学校のすぐ脇の八坂神社にお参り、ここには弁慶さんが子供のころお座りになったという石が置かれている。丸くお尻の形にえぐられた椅子に座ってみるが途中で止めにする。座ったがいいが抜け出すのに大変だろうと思うくらいジャストサイズ。止めにした。
いよいよ鬪雞神社へ向かう。
弁慶さんのお父さんの時代に源平合戦があった。そこで双方から援軍を頼まれた。お父さんは水軍の大将だった。どうしたものかと思案、そこでこの神社内で7羽の鶏に紅白の印をつけて戦わせた。結果すべて白が勝ったので源氏方に付いたといういわくつきの神社なのである。
境内にある弁慶社の御前で歌奉納という運びになる。誰も参列者のいないひとりぽっちの歌奉納も寂しいな、そのうえ雨にでも降られては晴れの日に相応しくないな、など要らぬ心配だった。
宮司さんにお祓いを受けて玉串の奉納に続き社に向かって高らかに「弁慶と義経」出会い編を歌い上げた。長年身体に染みついたYAMAKINGSONGSは伊達ではない。夢中になって全国を歌いかけ巡ったあの頃を身体が覚えていることの不思議さ月日の長さの大事さをかみしめる。
30分ほど休憩ののち、2時間にわたる~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~は50年の長さを自らが感じ入る良いひと時を過ごすことができて幸福な田辺市の夕刻だった。大勢の皆さんにサイン、写真撮影も気分が軽かった。
終演後宮司さんによる鬪雞神社ご説明を受けてお札を奉納させていただいた。木のお札の一部をお守りとしてもいただいた。
お忙しい中、大勢の皆さんふきのとうつながりでの歌による絆は長い年月を経ても色あせていなかったね。本当に長い時間ありがとうございました。
最後に多大なるご助力いただきました森さん、そして泉さんご夫妻、そしてそして心の内なる弁慶さん、誠にありがとうございました。生涯の一日となりました。
[caption