となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

大阪市5ThStreet関西から西は牛を当たり前のように食べていた

2025年05月31日 | カテゴリー: 山木康世

もっぱら幼い頃の肉事情は豚か羊か鶏かで、牛肉は食べた記憶がない。牛はホルスタインで乳牛を製造する動物。故に製造元を食べちゃいけない。しかし大人になって畑で働く牛を見たときには、ちょっとした感動を覚えた。色も白黒のブチではない茶色い少し小型のゴツゴツした働き者という感じの牛だった。水田や田んぼで働く牛は野山でのんびりと草を食んでいる姿とは同じ牛という感じではなかった。そして焼き肉やに並ぶ牛はどんな牛なんだろう?おそらくアメリカやオーストラリア、はたまたヨーロッパ生まれでCOWCOWと鳴くんだろう勝手に思った。牛肉を食べたのは大人になってふきのとうを始めた頃がお初であろう。すき焼きも豚だと思っていた。それよりも北海道では羊をジンギスカンとして当たり前のように食べていた。
大阪に来ると必ず食べたくなる鶴橋の焼き肉店がある。ほぼランチを目指して行くのであるが、そこそこにリーズナブル、これでこの質の肉が食えるのかという感動すら覚える。前日から予約を入れないと並ぶほど人気の店だ。予約を入れてもなおかつ損はないという牛の焼き肉やさん。昼時にはアッという間に満席、地団駄を踏んで引き返すという始末。近頃歳のせいか粗食に努めようと白米も小で行こうと決めている。たまに贅沢をするときは高くても美味いモノを食べようと思っている。ここの牛を腹に入れてリハに臨んで本番。なかなか良いルーティンではある。
5Thの主人は音楽熱心な方である。いつも精力的に独り言をのたまわってあちこち汗をふきふき動き回っている。今回は4月からスピーカーシステムを一新、更なる音の追求にいとまがない。YAMAKINGはマイク録りを基本にしているので何かと音の回り込みには神経を使っている。今回も前回と同じく良い音でLiveってくれた。有り難い話である。目に見えない音の追求、ますます盛んになること必至。いくら時間があっても足りないくらいだろう。2時間という制限の中でどれほど納得のいく音を提供できるか、先ほどの焼き肉屋の店主もお客様への納得度という点では同じであろう。
次回の5THはどうなっているであろうか。夜ごとブツブツ言いながらあーでもないこーでもないと自身との格闘の日々が続くであろう。それは僕自身にも当てはまる日々の連続、人生とはかくの如く人知れず格闘の姿と言っても良いかもしれない。まるで子供がおもちゃ箱をひっくり返して格闘している姿に似ている。やがて子供は学生になり大人なって年季が入ってくる。しかしその人の根っこは何も変わっていないというのがホントのところなのだろう。前田さんまた遊びに伺います。その前に焼き肉屋さんに寄ってからでしょう。暑い沸騰の夏を乗り切ろう!

いつも良い音でLiveができる空間。ありがとうございます


大阪万博を祝う御堂筋のイルミネーション


ん?ハナカツオ?

京都市SOMENOKYOTO力士の旅は続く続く。

2025年05月30日 | カテゴリー: 山木康世

とにかく音が抜群でやる気、弾く気が最後まで持続、かつてその昔一度あったがあれ以来である。今回のSOMENOで感じた音場感が説明が付かないほどの素晴らしさがあった。聞くと音と同時に照明が綺麗で配信映像としてはピカイチなものがあったとのこと。嬉しい限りである。
コロナ以降デジタル技術の粋ここにありという感じで、アナログ特有の必要のない音が整理されて、良い意味でクッキリ、それ以上に頭がスッキリ、いつまでも弾いていたいと思わせる一日だった。その昔にはリハーサルで音を上手く整理することは大変な時があった。それがバンドともなれば自分は最後で良いと割り切ってことに臨んでいた。音というモノは人それぞれによって違いがあるので、一概に説明の付かないモノである。それを解決したのがMaciPadアプリによる耳と目で持ち運んできて弾き手の場所で操作、音を作ると言うモノだった。もちろんスピーカーやアンプなどもデジタルである。アナログは暖かいという神話は嘘ではないが、いざ演奏となると特定の周波数の広がりが厄介なモノとなる。残尿感は困るが残音はある程度必要である。その微かな広がりは余韻をもたらす。脳が余韻を感じて次に弾き出す音の決め手の指への司令となる。その連続で2時間越えのLiveとなる。本当にLiveは生もの、生き物である。短時間ならば勢いで片付けられるが、長時間になると注意散漫、慣れ、マンネリなどを引き起こす。場内のお客様の多い少ない、季節などの状況にも音は左右される。今はギターをマイクで拾っている。ラインと違って楽器自体の音も直接耳に入ってくる。そこで自分好みのギターを持って行くのであるが、人によっては妙に癖のある音に仕上げる。このときの作業員に説明をして両者ともに納得というのは時として面倒である。そこでLiveを始めるとやはり長い2時間となる。
加齢と共に聴力は落ちるというのが常識であるが、若いときから続けてきた耳への訓練は常識を覆すモノがあると思っている。むしろ敏感になるような気もする。
選曲は全てお客様のリクエストで構成された。メロディもさることながら何を言ってるかという言葉はそれ以上かも知れない。それ故に日頃からの面白い情報をどれだけキャッチして記録して歌詞に反映させる。歌詞は年季の行った人にかなわないかも知れない。しかし妙に分かったような歌詞は禁物である。諭す言葉も徒となる。納得のいく美しい言葉の徒然草は今も昔も変わらない。初対面の人との人への配慮は必要である。それは言葉に限らず全てに於いて対他者への配慮ともなるのである。
YAMAKINGSONGsの完成形に近いような一日が出来たことへ自ら拍手を送りたいと思っておおります。
暑くもなく寒くもない京の一日、5月も終わり、一年の中盤へ向けて勝ち越し、否全勝を目指して力士の旅は続く続く。

99%リクエストで構成された選曲


タチアオイの花が満開の路地でパチリ


冬青庵能舞台を下見に行きました。9月22日お待ちしています。

埼玉県さいたま市/宮内家近くて遠いさいたま市にも道はつながっている。

2025年05月26日 | カテゴリー: 山木康世

ひとたび車を走らせれば、鹿児島の南端から稚内の北端まで車外に出ずに日本を縦断することが可能となるわけである。車の免許を取った動機にはこんな遠大なロマンも加担している。
当時のガソリン価格は100円前後、安いときは80円代の時もあったと記憶する。今の170円代が嘘のような話である。アメリカでは30円代で売られていたような記憶もある。まさに現代の経済の根本は車の往来の是非という感じである。上京した頃都内の渋滞はひどかった。あっちへ行ってみたい、こっちへ行ってみたいと休日ごとに夢は膨らむのだが、道路の設計の不備なのか、はたまた人の多すぎなのか何度か遠出してみては、道半ばでやむなく帰宅したという無念の思い出も残る。高速道路は低速道路と化し、遊びに出かけることがめっきり少なくなった。
さいたま市は東京にほぼ隣接、中野から20キロほど、通常だと30分といきたいところだが何せ人口過密、そうは問屋が卸さない。2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市が誕生。どおりでピンとこないはずである。ひらがなのさいたま市がピンとこなかったのである。
25年ほど前に大きな聞き慣れた街が忽然と姿を消して新しいひらがなの巨大な街が誕生したということに今更ながら、そんなことがあったんだと驚いている始末。浦島太郎ではないが直ぐ近くで色々な人間模様を乗り越えてドラマが進行していたとはつゆ知らず、反省している。3つのそれまで持っていた歴史、伝統などの大きな街が一つになるとは想像以上の壁が立ちはだかっていたのではと推測憶測する。一番の難題は街の名前、相当な神経を関係者はとがらせたことだろう。最後に皆に不公平のないようにひらがなの「さいたま市」が誕生したというわけか。
今年あと2回残している2回目の宮内家は照明など良い感じでまとめることが出来た。旭川の横ちゃんが宮内家誕生に大きく関わっていたとは少なからず驚いたり、感動したりである。元自衛隊員の横ちゃんとは長い付き合いである。元気で歌って店経営をしているだろうか。
一つ残された疑問を述べておく。「桃扇」は父が命名したオリジナルダリア品種であるが辞書を繰っても出てこない。読み方はトウセンなのであるが、辞書に桃花扇トウカセンは出てくるのだが、果たしてどんないきさつで父は命名したのか聞いてみたくなった。造語であったらどれほどの思い入れがこのダリアにあったのだろう。
次回は8月酷暑の日のさいたま市宮内家であろうが、ご主人並びにジジ、関係者、最後にお客様の健やかなる無事の日々を願い、そのうえ吾は良い歌を引っさげて参上、皆と再会したいものである。SARABAじゃ。

葛飾区両国亭に降臨したデカアヒルに拍手拍手ブラボー

2025年05月24日 | カテゴリー: 山木康世

あんなにも関係者全員が声を上げておかしかったのに、両国亭の本番では笑い声一つ聞こえなく、少し不気味でもあったな。
なにかってかい?ステージのスピーカーの上にチョコンと置かれた黄色い孤独な子供のアヒルさ。子供の頃から見慣れた黄色いアヒルはお腹に穴があって、風呂の水上にプカプカ浮いている。赤い大きなくちばしが開いた例はない。お腹から水を吸って穴からピューッと吹き出すときにピーッと鳴く。
関越道の三芳パーキングでこいつの30倍ほどもドデカい大人のアヒルに遭遇した。駄菓子や売り場でオレの目の前に燦然と輝いていた。それも複数で。感動で笑いを堪えるとこができなかった。これを来る両国亭で早速やってみっか。そのほかに大小4種類ほどのアヒルの家族が数十羽いたもんだから分かるでしょう。三条より飛ばして多少疲れていた体と心が一気に吹き飛んでガァガァガァと元気になったのさ。
両国亭ではお客さんはきっとあの幕が引かれて登場したいつものアヒルの逆襲とばかりの悠然と構えた親アヒルの自信に満ち満ちた姿に笑いを抑えることが出来なく、拍手喝采場内万雷の拍手の趣となること間違いなしだ。これで両国亭の成功は問題のないところとなった。
しかしである、オレの思惑とは裏腹に大誤算、拍手は沸き起こったが通常とそれほど変わらない遠慮がち伏し目がちの拍手だけだった。どうしたことか、何が起こったのか、面白くないのかい、あのチビアヒルがこんなにもデカアヒルになったんだよ。可笑しくないのかい。面白くないのかい。
そこで途中で聞いてみた。
「アヒルにびっくりしたでしょう?見てなかったの」
「山木さんの顔を見ていました」
受けを狙いに言ったわけじゃないが、当ては外れるものであるという教訓を胸に懲りずにさいたま宮内家の登場と相成るわけであるが、受けは必ずやあるであろう。もひとつ感動まではいかないか。
三芳パーキングでの驚きの突然の遭遇は、スタッフ共々久々の感動すら覚えたのである。
おそらくいちアメリカ人が考え抜いた極上シンプルイエローアヒルは時を超えて再び降臨、混沌とした今の世界に一条の潤いの光を天上より我が心に突き刺したのだった。

両国亭のステージもすっかり馴染みになりました


子アヒルがこんなに成長しました

三条市横山酒店「楽道」 やささ(大佐三)ツアー完了

2025年05月19日 | カテゴリー: 山木康世

栃木県佐野市から高速を走ること4時間で新潟県三条市に着く。途中谷川岳トンネルを越えると風景はがらりと変わる。トンネルを抜けるとそこは北国だった。まさに10キロ(1万メートル)の地底を走ると群馬県は新潟県に。完成までに何年かかったのか、いつもここを走ると先人たちの血と汗の結晶の努力に敬服せざるを得ない。土木工学を一応専攻したので橋やトンネルへの興味は未だ尽きない。子供のころ日本は海で離れていて、つながっていなかった。それがいつの間にかつながって便利になった。唯一沖縄だけは飛行機で行くしかない。その分異国情緒たっぷりで、日本も広い国だねとつい歌ってみたくなる。
約2年ぶりの三条、壁にずらりと架けられたギター、ベース、ウクレレを眺めていて横山店主の気持ちが痛いほど伝わってくる。店主との出会いは10年近く前になるのだろうか。第一印象は自分からずけずけと人を押し退けて歩いてきた人じゃないな、少し控えめな酒屋の主人と言った感じだった。あれから何度か伺って、こよなく音楽と楽器、周辺機材をこよなく愛する音楽人と分かってきた。昨日は終わってから寿司屋で2時間あまりも話ができて面白かった。ふきのとうは僕が参上した日から勉強したそうだ。若き日にはチューリップ三昧の人だった。今でもそうだろう。そこに少し入ることができて何よりだった。
ますます充実の「楽道」お客さんも大勢いらしてくれて感謝の賜だ。中学生の時「風来坊」を知って、今年還暦を迎えたという男性、高校の仲良し同輩仲間ともふきのとう音楽と共に全国車旅の話、初めてソロになって喫茶店にお呼ばれしたときの息子さんが40を越えていた、超おもしろ興行しは元気そのもの昔と何も変わっていなかった。柏崎からいつも熱い視線でいらしてくれるMさんとは寿司屋で店主と共に夜遅くまで話をした。
三日間の神奈川→栃木→新潟、つつがなく終了した。
みなさんのご理解・応援のもと元気でいられることの幸運をかみしめ感謝の意に絶えません。
目には青葉山ホトトギス初鰹 山口素堂
新緑が目に染みて山にはホトトギス、海には初めての鰹が心身に潤いを与えてくれる。良い季節になった。そのうち暑い暑いと天をにらんで冬の寒さを懐かしがったりする。大いに今の季節を満喫しよう。新潟米どころの田圃に青空が広がり、白雲がたなびいている。♪yasassa-yasassa-♪

客席は1曲目からステージに集中


ブルーの照明の中で歌います


懇親会も盛り上がりました

栃木県佐野市/ぎゃらりー酒蔵楽に人魂と音魂と弁天様

2025年05月18日 | カテゴリー: 山木康世

佐野は朝から雨である、それも音を立て地面にしぶきを上げている。当分止みそうもない温い雨である。
金ピカの佐野厄除け太子堂の鐘楼を思い出すなぁ。42歳の大厄除けに東京から車を飛ばして来たときには、もっと地味だったな。
数年前の佐々木幸男と二人ジョイントライブ。思い出すな。元気だろうか。いつの間にか二人とも金ピカに。でもいいや、世間にはいろいろな事情があるってもんだ。
今回は出流山(いずるさん)の湧き水の近くの参道へ続く山道で出会った琵琶を弾く弁天様への感謝を込めたYAMAKINGである。偶然の出会いであったが、大きな旗にして全国へ持ち歩いたほどのインスピレーション。この直感は大事である。滅多に当たらないが、脳内にこだまして次のステップの足掛かりとなる直感。これで半世紀以上来たと思っている。
ふきのとうの頃は、関わりあう人も同じ世代の人が多かった。事務所、レコード会社、地方のイベンター、お客様などみんな同じ時代を同じ感覚で生きていた。それが時間とともに徐々に違ってきて家族ができて、さらに広がってゆく。そして永遠の別れという人も出てきた多様性の同世代人の行方。
「ぎゃらりー酒蔵楽」は600年ほど前に創業されて、栃木で最古の酒蔵として営んできた由緒ある酒蔵である。会場となる蔵は米蔵であったという。それを20年ほど前に改築、梁はそのまま生かして床を少し持ち上げて響きのいい会場に仕立て上げたという。程よい床からの響きで音響もナチュラルリバーブが効いてイイカンジである。天井は気持ちがいいほど高い。
お客様が傘をたたんで暖簾をくぐってやってくる。本当にこの雨の中ありがたいことである、
♪酒を飲むなら美味い酒 今宵時間を忘れて♪
オープニングは米蔵へ、酒林へ敬意を表しての「我が友よ」である。CDアレンジをした鹿児島の彼もいつしか向こうの人となった。
そしてリハの時と全く違う響きに気が付き修正する。そうだ大勢の集まったお客様の服、帽子、髪の毛、自らの重さが作用して音の響きを吸収したのである。このことはプロとしてやってきた手前、場内における変化を何度も体験、体感してきた。しかしLiveは生き物、生ものであるので状況次第で予測不可能なことがある。
昨日とは同じ人間であるが、一晩寝て雨も降っていて、細胞も違っている。ミトコンドリアも違っている。思考や魂も若干変化している。それがYAMAKINGSONGSに微妙な味付けをして披露される。蔵出しのような感じか。それが面白くて半世紀作り続けてきた一番の動機だろう。
自分のため、自分が面白く今日を元気で生きるため、決してノスタルジーで商売している訳ではない。時々顔をのぞかせるほどの懐古、しかし2時間の蔵出し味付けには必要不可欠な要素ではある。
一同が退けた会場から余韻をいただく。そして暖簾の向こうの外は雨も上がっていた。
まだ陽も高い。ひとっ走り新潟県三条市へ向かおう。この分だと4時間ほどで着く。

お客様との一体感青感じたライブでした


会場入り口です


栃木県最古の酒蔵


蔵人のアルバイトでもするか


庭も素敵。売店の甘酒ソフト、うまいっす


高速道のCD売り場ではいつものお仕事を実施

神奈川県大和市/スペースつきみいつもココロに太陽をクチビルに歌を

2025年05月17日 | カテゴリー: 山木康世

大和市は2014年にこう宣言している。「60歳代を高齢者と言わない街」
2018年「70歳代を高齢者と言わない街」
僕がこれを見たのは、とある日東名高速道を走って東京に戻る時だった。高速道の上をまたがった横断歩道路に旗がかかっていた。それまで大和市の存在も知らなかった。
そして大和市の街のスローガンを見つけたときは、お年寄りを目鱈やったら高齢者というひとくくりで扱うことに多少の抵抗感もあってか声にして口に出して見たほどである。
その上現在では75歳以上を後期高齢者としてくくっている。その昔には考えても見なかった還暦、古希の自分がいつの間にか当たり前のように生きている。それも好きな音楽を生業にして更に回数を重ねて充実のお年寄り、老人の仲間入りして生きている。しかし国は「人生100年時代」などと無責任にの賜ってもいる。長生きは確かにお目出度いことではあるが、薬漬け、病院通いの毎日の100歳では考えてしまう。ちなみに全国で100歳以上の方は9万人おると言う。そんな中、人口25万人の大和市の宣言はいろんな意味で意義深いものがある。
笑顔、感謝、生き甲斐を忘れずに「なかきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」室町の頃から歌われている回文によるお目出度い和歌である。これを知ったのは「七福神」を作った頃である。初夢に宝船に乗った7名の神様たちの到来を願っての切なる希望を、枕の下に紙に書き込んだ昔の人たちの風習。
今忘れているのは困難、絶望、病、見えざる将来の不安などが声高に言われすぎ、蔓延していて、お目出度いことが遠回しになっているような気がする。いくら遠大な博覧会など開催しても、心の奥に潜んでいるモヤモヤが晴れなければ先の歌などを読み下す余裕も楽しみも生まれてこない。スマホによる情報は洪水のように押し寄せるのだが、自分の能力を超えてしまい、結果何も見なかった、知らなかったと同じ人生では息を詰まらせてつまらない人生となる。
先の回文は「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」となる。読んでいるだけでも「なーるほど!」と合点が行き一時的にでも幸せな気分となる。
こんなことを考えながらの大和市のスローガン、にやっとした街におけるYAMAKINGS、結構なお時間でございました。皆様方、いつもココロに太陽をクチビルに歌を。誠に有り難うございました。

初めての大和市ライブでした


「別れのワルツ」で終了

横須賀市音楽ホールこだち千葉から東京、神奈川へ

2025年05月12日 | カテゴリー: 山木康世

千葉県東金から木更津へ、そして海ほたるを川崎方面へ。89年に行われた横浜博から30数年、海ほたるは何年になるのだろう、過去3回走ったことがある。幕張が見える。スカイツリーが遠方に、誠に気持ちの良い5月の東京湾の潮風である。
浮島で横浜方面へ、大黒ふ頭、レインボーブリッジを超えて横浜八景島が見えてきた。八景島と言えば「シーパラダイス」東京に越してきた頃、横浜は博覧会真っ最中、そして八景島を知った。ある日そこにある水族館に行きたくなり、午後の遅い時間に車を走らせて閉館間際に着いた。そして「皇帝ペンギンオーロラの空へ」を作った。
「こだち」のある横須賀市追浜は直ぐ近くである。一度ここをおとずれているのだが全く記憶にない。会場に着いたら「あーここだ」と通常は落ち着くのであるが、今回は楽屋に入っても全く記憶にない。それどころか追浜が横須賀駅前の中心街とはかなり離れていることも意外だった。YAMAKING面目なく穴があったら入りたいほどの記憶力である。
「皇帝ペンギンオーロラの空へ」「三浦半島波高し」「小春日和」と冒頭3発を神奈川に敬意を評し特化して選曲。
ラストの「水の底に映った月(徐福伝説)」まで2時間超えの渾身のYAMAKINGSONGS、如何だったでしょうか、是非感想などお寄せください。
現代はマスの時代、音楽などは量より質という大事な局面もあるのですが、あまりにもランキング重視が気になるところ。本当は歌の持っている質も問われるところ。ある種作り手の思考が大きく関わる問題とも思っている。後世まで長く記憶に残る歌を作り出せるか、発見を見いだせるか?Beatlesの偉大なところはアイドル的顔面の良さもさることながら、数々の楽曲の良さであることは間違いのないところ。時を超えてYouTubeに登場するBeatlesはもはやクラシックの領域である。同じ時代に生きたことは奇跡かも知れない。良い時代に生まれ育ったもんだ。
規模はゾウとアリほども違いがあるにせよ、音楽人として生きる心意気は何も変わりはない。
追浜はその昔、源氏の某が追われて遂に逮捕された浜で、村人が追い浜→追浜と言う地名にしたそうで、街に歴史有り、人に歴史有りである。

追浜で2度目のライブ。北海道からお越しのお客様も


東金から横須賀へは東京湾を横断。海ほたるで休憩


やっと150年

千葉県東金市八鶴館で花火を打ち上げよう

2025年05月11日 | カテゴリー: 山木康世

丁度1年ぶりの八鶴館、東金市まで車で2時間である。北海道の人で東金を知っている人は何人いるだろう。僕は小学校のころから地理が好きで、理由は分からないが東金は知っていた。おそらく東のお金とかが面白くて知ったのだろう。
その昔家康が鷹狩りとしてこの地を訪れていた。小さな池を見て、大きな人造湖を吉田某に作らせたという話を前回来たときに知った。春にはサクラの名所で各地から賑わうという。
「山木」のご本家は千葉県で「八巻」がルーツらしい。道の途中に「ヤマキ質屋」「居酒屋康世」を見かけた。ヤマキはそれほど珍しくなくなってきたが、康世には驚いた。お客様からの情報でした。生涯3人しかお目にかかったことの無い名前のこと故、非常に驚いた。
ネガティブにでは無くポジティブに生きよう。
そこで早速実践した。「花火」という歌があって歌のラストに「もう消えちゃった 僕の花火 もうなくなった 僕の花火」という最後、それを「まだ消えてない 僕の花火 まだなくなってない 僕の花火」とした。今までの寂しく終わってしまう花火の命に力強い息吹を吹き込んでみた。良いのである。52年ぶりに改作してみた。どうせ生きるのであれば、せめてポジティブに。とても大事なことのように感じて力強さを僕ももらった。
年に2回訪れても良いなぁと思うほど目の前の池と八鶴館のたたずまい。場内の音の響きが更に後押し、もう少し地元の人にもより多くアピールをしたいと家康つながりのYAMAKINGSONGS。
お忙しい中お越し頂いた皆々様へ感謝の意を、そして僕の歌たちによって明日からの生活が少しでも潤うよう祈願します。
またお会いしましょう、どうぞお元気で。

山木節炸裂


ご夫婦でのご参加が多かったライブ。皆様もお誘いあわせください


重要文化財の建物も見ごたえあり


家康ゆかりの八鶴湖

神楽坂イタリアンアズーリ+チャペルの昼下がり

2025年05月08日 | カテゴリー: 山木康世

先日3日土曜西新宿あんさんぶる音で行われたYAMAKINGの後、「これから丁度1週間空いてますな、体が鈍って心配だわ」とささやいた。それを聞きつけ、「探しますか?良いですよ」という返事。「腹ごしらえを皆でランチして、歌の歌詞に飲食のキーワードがある歌をリクエストして貰うというのはどうだべな?」
それから3日日を置いて快晴の元、神楽坂チャペルで今ではもうかけがえのない隣人様たちとのYAMAKING。
アズーリにおける皆様たちとのお食事。大満足の御満腹、お腹にたっぷりブーちゃんを仕込ませて、はす向かいという程に近い日差したっぷりのチャペルで「飲食関係限定演奏会」
誠に満足の連休明けのYAMAKINGSONGS。遠く栃木・福山からもご参加頂き只今現在健全である心身に感謝、これからの身体安全家内異常なしを祈願、2月以来のチャペルは音の響きが最高で、脳みそがリラックス幸福へといざなってくださった。別れを惜しみつつ神楽坂という坂で神様と楽しんで坂道を下って参りました。
医食同源、病は気から、幸せは青空の彼方から、心より皆様方へ感謝、まだまだ道は続く。良い人生への同伴者、随伴者として今後ともどうぞよろしく御お願い奉り申し上げ候也。

明るい初夏の日差しが差し込む会場


100%リクエストの楽曲でした

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