神楽坂イタリアンアズーリ+チャペルの昼下がり
2025年05月08日 | カテゴリー: 山木康世
先日3日土曜西新宿あんさんぶる音で行われたYAMAKINGの後、「これから丁度1週間空いてますな、体が鈍って心配だわ」とささやいた。それを聞きつけ、「探しますか?良いですよ」という返事。「腹ごしらえを皆でランチして、歌の歌詞に飲食のキーワードがある歌をリクエストして貰うというのはどうだべな?」
それから3日日を置いて快晴の元、神楽坂チャペルで今ではもうかけがえのない隣人様たちとのYAMAKING。
アズーリにおける皆様たちとのお食事。大満足の御満腹、お腹にたっぷりブーちゃんを仕込ませて、はす向かいという程に近い日差したっぷりのチャペルで「飲食関係限定演奏会」
誠に満足の連休明けのYAMAKINGSONGS。遠く栃木・福山からもご参加頂き只今現在健全である心身に感謝、これからの身体安全家内異常なしを祈願、2月以来のチャペルは音の響きが最高で、脳みそがリラックス幸福へといざなってくださった。別れを惜しみつつ神楽坂という坂で神様と楽しんで坂道を下って参りました。
医食同源、病は気から、幸せは青空の彼方から、心より皆様方へ感謝、まだまだ道は続く。良い人生への同伴者、随伴者として今後ともどうぞよろしく御お願い奉り申し上げ候也。

明るい初夏の日差しが差し込む会場

100%リクエストの楽曲でした
端午の節句
2025年05月05日 | カテゴリー: 山木康世
今日はこどもの日。端午の節句。心に鯉幟を打ち上げよう。
雪の溶け始めた5月の風に乗って翻る6匹の鯉幟。東京の節子叔母さんからのプレゼント。
冷えて冷たい畳の上に母が広げた新聞紙にくるまった吹き流し、緋鯉、真鯉たち。オレのは一番最後の小さな鯉だ。黒が基調の鱗模様だったのを覚えている。
叔母さんは遠く離れた大都会東京で山の中の姉さんの家の生活を考えて贈ってくれたんだな。長い半年の冬の暮らしは想像を絶する他と隔離された世界。雪が溶けて春の初まり。子どもたちの嬉しい顔を思って贈ってくれたんだ。と思いたいが真相は闇の中。
中国人と結婚して大久保界隈で中華料理店を営み、離婚、ブラジル人と再婚したのを覚えている。波乱万丈の人生を送ったようだ。
鯉幟を見ると節子叔母さんの笑顔を思い出す。母からすれば国家公務員の地味な生活、妹の恋多き華やかな東京の生活をどう思ったことだろう。叔母さんの晩年は京都でアパート一人暮らし。仏像の世界に執心、生きていたようだ。
みんなが生前中は、そのうち時間ができたら色々と聞いてみたいと思ったことが聞けずじまい。惜しいことをしたと思う事柄の一つだな。
ご両人とも漁師網元松太郎さんの娘たちである。
新宿区あんさんぶるStudio音から50年の足音が聞こえてくる
2025年05月04日 | カテゴリー: 山木康世
「お客さん、ここは東京都の水瓶、来年にでも何処かに移転して副都心が作られるそうですよ。」
「へぇー!副都心か、未来都市ですね」
「陰で政治家の暗躍が見えてきますが、私どもにも情報が来たってくれぇ裏でゴッソリとお金が動いてるんだろーなー」
「これだけの膨大な街作り、どうなってるんですかねぇ。まぁ淀橋なんかの昔の住所が声なき声で教えてくれますね。」
「そうですね、昔の面影を住所が教えてくれますね、アーハァハァー」
僕がデビュー前に東京を訪れたときのタクシードライバーとの会話だ。
あれから50年以上が過ぎ去って、今ここに立っていると感慨深いモノがある。僕が札幌からお江戸へ移住したのが平成元年4月、サクラが咲いてたよ。ベランダの遠く向こうに生き物のような高層ビル群の赤いランプが点滅している。初め京王プラザホテルが建ち初めのろしを上げた。あれから随分増えた副都心ビルだなぁ。
ニュースでは何でも霞ヶ関の都庁が移ってくるそうだ。世界的に有名な建築デザイナーが設計をするそうだな。
巨大な建物が仁王立ちしているような都庁には頼もしさも感じるが、同時に威圧感も感じた。ここが副都心の顔、東京の顔、日本の顔でもある訳か。そこには未来は感じるが、先人が遠大な時間をかけて作り上げてきた日本固有の伝統文化の面影は微塵も無い。そこでは都の水を売ってて、ビルの巨大な壁にはマッチング映像が年間億単位で映されているそうだけど、そんなために税金ははらいたくないなー。バブルの時代を見つめてきたビル群、バベルの塔ならぬバブルの塔に見えなくもない。
今新宿駅前は大改造中だ。6年はかかるらしい。不便を強いられて6年か。若い6年はさほどでも無いが、歳行ってからの6年は長い。先日渋谷の街に行ったが、どこぞの街かと思われるほどの大変貌、人並みに飲まれて息が苦しくなった。果たして6年後の西新宿はどうなってるんだろうかね。
蔵出しの新曲を徐々に徐々に出して味わって頂こうと画策中だが、6年有れば何か良い蔵出しが顔を出していることだろう。
今週末土曜には千葉の東金、八鶴館にお邪魔する。前回伺った際の目の前の家康が作らせたという巨大な人造池が今回はどんな気持ちを我に与えてくれるだろう。
車で1時間半でのどかな街や風景が広がる。
近頃のYMMAKINGSONGSは本当に自分を助けてくれていると実感する。それを感じさせてくれる皆さん、昨日もありがとうございました。またお会いしましょう。

月1回のペースでライブをしている「あんさんぶる音」

入り口です

終了後のサイン会
東京都中央区日本橋東京音楽堂 ピアノホール(B1) に雨が降る
2025年05月03日 | カテゴリー: 山木康世
東京でも一番東京らしいモダンな界隈銀座日本橋。そこでもmitsukosi辺りは世界の東京に恥じない心が晴れ晴れする不思議な街並みだ。1400万人が暮らす大都市東京。
子供のころ三菱アワープロレス中継でガラス張りのネオン華やかな丸ビルが必ず空から映し出されて、これが東京かと日曜日の8時に思いを馳せたものだ。
海からお邪魔するとこの銀座の奥座敷に江戸城がドンと控えている。お殿様のお家の玄関だったのだろう。明治時代は人口が13万人だったと聞いたことがある。新潟や金沢、富山、島根辺りが断トツに人口は多かったという。
それが何度かの戦争でついにお江戸は焼け野原、戦後復興で銀座は蘇った。そして今、信じられない変貌を遂げていた。
今日は久しぶりに電車でお邪魔した。何かと駐車場事情に不安を覚えたからである。切られ与三郎状態のビスタに少々哀れさも正直感じたこともある。
中野を出るときはほぼ雨は0%、中野駅に着いて発車したら20%、地下で走ること30分目指す日本橋に着いて地上に出たら0%、これは晴れ男の挑戦を受けている天の服従の構図。
やたらセキュリティーの厳しいピアノホール、トイレにも鍵が必要だった。
愛情100%のお客様のお陰でYAMAKINGSONGSはイイカンジで2時間越え、明日のあんさんぶる音の西新宿へ弾みをつける。
皆がお帰りになって地下から地上へ、雨が大地をたたきつけている。驟雨とうヤツだ。富岳三十六景の雨のシーン、はたまた三船敏郎7人の侍シーン。こりゃタマラン、タクシーで何とか最寄りの神田まで。
何とか5時半の豪雨の日本橋から脱出、中野の街まで中央線はひた走り、一日が無事終わった。世界のコスプレの町、中野は33年である。やはり落ち着く、住めば都、しかしたまに世界の銀座日本橋へ出かけるのも悪くない。やれやれ、土曜になってしまった。

静かな空間に心地よい音が響きます

雨の中ありがとうございました