高円寺メモ
2024年01月31日 | カテゴリー: 山木康世
地名の由来は同地にある高円寺というお寺から来ているという。源頼朝も来ているというから古い街だ。
江戸時代にはお殿様が鷹狩をして遊ばれた高円寺。
桃園トウエンがあって季節になると、今のような桜ではなく桃の花を愛でたという。それが後に中野に移ったという。桃園モモゾノという地名が中野に在る。
吉田拓郎の「高円寺」という歌で学生時代、地名を知った。当時はフォークのメッカという感じの街だった。
前中野区長は高円寺に住んでいて、中野区役所に就職、区長まで上り詰めた。新井薬師駅前に在ったラーメン屋「一番」の壁に区長のサイン入り色紙が貼ってあったなぁ。ちなみに小樽出身の区長だった。
さいたま浦和アトリエM
2024年01月29日 | カテゴリー: 山木康世
高速で1時間早く着いたのでロイヤルホストで時間をつぶそうと思いドアを開けると順番待ちの客が。駐車場に停めて近くのアウトレット館へ。マウスとキーボードを買う。よさげなキーボードだったがMac用キーボードだった。事務所に戻って気が付いた。充電の差し込み形状がライトニングというMac独自の形状。故に使用不可能。充電できなきゃただの箱。通電しなけりゃ無用の長物。今はtypeCが世界の基準。MacもtypeCになったとか。
パソコンはMacから入った。そのころの(1992年)のWindowsは使い方が難しかった。その点Macはアイコンをクリックするとソフトが立ち上が分かり易かった。WindowsがMacそっくりな画面になるのは95年、記念すべき1995年である。ちなみに僕がWindowsに切り替わるのは2000年である。8年Macの身だった。Macは好きだった。しかしMacはほかの電気メーカーに製造を許さない。方やWindowsはライセンス生産可能。日本の電気屋さんも次々とWindowsを生産していった。小型の持ち運び用ノートブックもたくさん製造され始めた。それでMacとおさらば。Macの独占的態度と独自性が鼻につき始めていたこともありさらばMac。
「アトリエM」には立ち寄った人の記す記念ノートが置いてある。その1ページ目は誰であろう僕である。2022年6月コロナに翻弄されていた世の中、立ち寄っていたのだ。今回は輝く太陽を背景に、また来ますと書き入れた。光陰矢の如し、月日は百代の過客也か。
国立市スペースコウヨウ御礼
2024年01月23日 | カテゴリー: 山木康世
誰のせいでもありゃしない、みんなみんなオイラが悪いのさ。
帰りの中央道は本来の高速道で快適だった。それにしても15時を何故か13時と思ってしまった、ちょっとした心のすきが長い一日を作ってしまった。
長い一日が終わった。すべて思い込み間違いが今日の始まりだった。
終わって夜の駐車場へ。目ん玉が飛び出しそうになった請求額。久しぶりの高額だった。これは国立を侮っていた。
コウヨウは何度になるのか。使い勝手の良い会場である。今日は大旗を間仕切りに使ってまとまりの良い部屋に改造した。お陰で集中ができて良いLIVELOVELYの日となった。皆様にはサイン入り生写真を。
国立の駅前を散策することにした。いつも車で通り過ぎていたので、歩きの今日は良く分かった。
近所の居酒屋でランチを所望する。刺身定食と行こう。出てきた魚の種類が青魚系だった。体に良いと分かって入るが苦手な血の気の多い青魚。
なななんと15時ではないか!今は13時、2時間も早く着いてしまった。仕方あるまい、荷物を車に引き入れて今後の行動を考える。いつもの駐車場へ行くが満車。向かいのお初の駐車場へ車を入れて考える。料金は確認しなかった。無駄な2時間、どこにも停めようがない。
そして何と1時2分、2分遅れで会場のある光陽ビルに到着。荷物おろしにかかる。半分おろして時間の確認。
駅前のロータリーが新しい町を感じる。地図を見たら分かるが、駅に向かって北の方へ大きな矢印のような道路の町だ。
久しぶりの国立の町は国分寺と立川の間に国鉄が駅を作って国立だ。これは随分前に書いた記憶がある。
右折許可青信号を3回ほど待っていざ国立へ。すでに30分経過している。渋滞の魔界中央道は今日は順調だ。頭の中の時計の針は13時を目指していた。中野から国立までは27キロほど、下でも高速でも1時間あったら着くはずである。
環七を大原まで。ここの選択は間違いではないが混んでる時は選ぶべきではない。なぜかというと中央道に入るには中野方面から行くと甲州街道に入るためには右折しなければならない。この信号が短い。
今日の入りは15時だ。時計の針は右へ直角に、といつもの時は頭に刻み込む。しかし今日は少し上、12時から少し下に曲がってイメージされた。
今日のダイアリーは時計の針を逆戻しして書いてみたが、やはり文章は時系列に並べて書いたほうが分かりやすく読みやすいということがよく分かった。しかしこの作業は脳みそのためには、たまには良いかもしれませんな。
皆様アケルナクウコウ、無事つつがなく終演いたしました。
125号会報は今頃サガワの車に乗って我が事務所へ着々と向かっていることでしょうか。
週末はさいたま市アトリエM、ダイヤルMを回せが頭に描かれております。思い込みはほどほどにと自戒の念を込めましてお待ち申し上げております。サヨウナラ。
葛飾区鎌倉「空の杜」御礼
2024年01月22日 | カテゴリー: 山木康世
妙正寺川を覗くと白いサギとカモが仲良く遊んでいる。声をかけると、いつもは警戒心の強いサギは一目散に逃げるのに今日はカモがいるので安心しているのか。
昼の12時に駐車場を出る。そのときハモニカホルダーのことを思い出す。事務所に確か置き忘れている。それを持って行かねばいつもの調子が出ない。そんなわけで少し逆戻り、5分余計にかかってしまう。
27キロとある。1時間かかるとナビは教えてくれる。環七をひた走る。日曜ということで渋滞知らず、雨が降るか降らないかもあるな。これがドライブ日和だとグンと人手が増えて、5割増しの時間を覚悟しなければならん。
3分遅れで「空の杜」到着。住所は東京都葛飾区鎌倉である。
ここは中庭がガラス越しに一面見えてそれだけでホッとする良い会場である。「空」の理念があちこちに生きている木造建築は心を穏やかにする。
まとまった感じの選曲で2時間超えはあっという間、我ながら天晴の空の杜。
大旗が計算されたようにマッチしておりました。ここの管理人さんは行ったらすでに椅子を並べてくれておりました。嬉しかったです。
帰りの夜の環七は行きと同じくらい快適に戻ってこられました。
お忙しい中みなさんありがとうございました。
明日はアケルナクウコウ最終日、コウですね。お待ち申し上げております。
西日暮里ルナ・ファン御礼
2024年01月15日 | カテゴリー: 山木康世
新年1月も半ばになっても、おかげさまで関東平野の晴れは続いております。幸せの一つが天気であることはまちがいないですね。
懐かしい古希お祝い5連続コンサートで通った街並みが思い出されます。西日暮里駅前風景はあの日のまま。
約1000日前行ったり来たりで5日間過ごしたんだ。コロナが始まったばかりで、この先どうなるんだろうと思い煩った。しかし目に見えない敵にどうやら勝って、僕らは生き残っている。でも敵は消滅したわけではなく、時折弱い人に悪さをし続ているようだ。
まぁ兎に角餃子の王将のビルの6階に集結、いつもの馴染みの音楽会を開いた。JR山手線は、この辺りカーブでかなりきしんだ音を立てて建物に侵入。お客様にはご迷惑をおかけいたしまして、改めて謝りたい所存です。それと最後の最後「3番サード」におけるチューニングをミスってしまい、落ち着かない気分を作ってしまい謝ります。6弦のEを何故にC#などに調弦してしまったのか。
開演時間が午後5時20分という冬場には日が西の空に落ちる時間、カーテン越しに控室から見た西の空に何とも言えないグラデーションを発見、明日の晴れを予感させる冬空に幸せな気分で登壇しました。
世界のリーダーたちは果たしてあのグラーデーションの奇麗な空の地球を幸福に導いてくれるのでしょうか。
皆様お忙しい中、西日暮里のビルの6階にお集まりいただき誠にありがとうございました。
アケルナクウコウ、ルナが終わりました。来週の日曜はクウです。その前に125号会報作成猛ダッシュです。
川越あけぼのホール御礼
2024年01月13日 | カテゴリー: 山木康世
風は強いが、空には雲の一片もない。概してこのような日は寒いのだが、それほどではない。
中野から川越まで1時間40分とある。関越を使って行こう。金曜日ということもありスイスイである。これが土曜日、祝祭日になると予想のできない渋滞となるので時間が読めなくストレスとなる。練馬から22キロほどで到着予定である。昼時なので三芳SAで昼食をとる。
お母さん手作りのカレーが美味そうである。写真ではニンジン、ジャガイモ、玉ねぎが大きく一口大で写っていてカレーの色も黄土色している。これは不味いはずがない。近頃美味しいカレーを食べた記憶がない。あの昔風な豚バラの味がうま味を出しているカレーライスがない。妙に黒いカレーが多い気がする。この手のカレーは美味しくない。待つこと10分。どうも隣に先を越されているようだ。カレーは皿に装ってハイ、お待ちどう様、急いでいるとき重宝するメニューなはず。調理のおばさんに’まだですかね?。半券を渡していないので準備していませんよ。白衣のおばさんは促してくれた。拙者としたことが何という不覚。これじゃいくら待っても日が暮れてしまう。番号を呼ばれないではないか。やがて呼ばれた199番。きたきた野菜ゴロゴロ、昔風おばさん手作りカレーじゃ。
川越を降りて10分ほどで着く予定であるが、目指す住所がないと中野の駐車場でナビに言われたので油断してはならない。見過ごして周りをグルグル、いくら少しのどかだと言ってもあなどってはいけない。ナビに翻弄されることしばしである。もっとも最新のナビだと間違いはないのだが、当てにならない10年ものよ。約20分ロスをしてしまった。
あけぼのホールは2度目の訪問である。会場付帯の駐車場は有難いが少々中にシッカリ入るにはそれ相応の技術を要する。
この会場は大旗が存分に発揮される広々空間であった。
大学生が二人終わってから声をかけてきた。
フォークソングの論文を書こうと思ってますので、時間を作ってインタビューを宜しくという話だった。なんでも中学から高校の頃に随分と励まされて今に至っているという。近々彼らの夢を叶えよう。
皆さんお忙しい中ありがとうございました。
明日日曜はアケルナクウコウのルナにお邪魔します。
市川市さくらコートホール御礼
2024年01月08日 | カテゴリー: 山木康世
日曜日の東京は本当に空いていて快適この上ない。30キロほどを1時間内で走ってしまう。江戸川向こうの市川市までストレスなくほぼ1本道で行ってしまう。道案内や道自体がよく作られているのは地方からの人が多い土地柄のせいではと思ってしまう。
弁天様との旗は見事に会場にマッチした。冬至を過ぎた冬の今は夕刻には暗くなり始め照明効果も出ていい雰囲気で終始アットホームで過ごすことができた。
ぜひ桜の時期に行ってみたいと思いつつ未だ実現せず。お庭には咲き誇るらしいが、見る限り苗木も植わっていない。もうかれこれ5年にもなるのだろうか。基本畳の良い会場だ。
皆様ありがとうございました。
南青山MANDALA御礼
2024年01月08日 | カテゴリー: 山木康世
ただただ山本店長を始めとするお店のスタッフの粋な純の心意気に感謝します。失くしてはならないアマチュアリズム。
僕の40年前の南青山の思い出を3個記しておきます。
①お百度参りの神社は未だ健在、裏通りにヒッソリありました。母の回復を願ってお参りした大事な神社だ。
②江川卓が阪神から巨人へ黒い移籍入団。住んでいたマンションの大家、船田某が後見人だった。葬式に物々しく記者を引き連れてやって来た学生服の江川。すれ違って気がついた。
③246にあったピーコック。ここによく買い物に来た。日用品や食物はここで大方足りたもんだ。
以上まだまだ尽きないが、必ず脳裏を横切る南青山の日々。
ご参加の皆さん誠にありがとうございました。次回は5月に予定しております。
そうだ南青山MANDALAへ行こう!
2024年01月05日 | カテゴリー: 山木康世
明日は久しぶりの南青山MANDALAライブ&配信である。
南青山と言えば、日本でも有数の憧れの地。渋谷から表参道を通り青山、神宮外苑を貫き赤坂へと抜ける大通りが246ニイヨンロクである。
ここには六本木や麻布台あたりの異様に高い高層タワーだけは建ってほしくない。空の広がる空間を狭めないでほしい。どうして誰が何があんなに高いビルに憧れるのだろう。
かつて45年ほど前住んでいた南青山。南青山MANDALAの話を聞いたのは、その昔、吉祥寺のマンダラ2で店長をしていた小倉氏からだった。ライブ後の打ち上げの席上、彼は青い設計図面を広げて。来年の4月にオープンしますのでその際には是非出演を。どうしているんだろう、会いたいな。
気取ったりお洒落が苦手な僕は地のままで出続けてきた。明日はこの歳にふさわしい心と外面で真っ向勝負だ。是非遊びに来てください。蔵出し生搾り新曲もご用意いたしました。