となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

葛飾区「空の杜」にて51年前のMyLife始まりのことを陳情す

2025年06月30日 | カテゴリー: 山木康世 

今から思い起こすこと51年前1974年6月我が身24歳、内地初上陸の六本木界隈に住み始めたこと、そのことが後の僕の東京に対するイメージを大きく変えたようである。
才谷音楽出版事務所が六本木飯倉にあったので六本木の閑静な住宅街にアパートを借りて住んでいた。永遠の東京。事務所が用意していたもので木造2階建ての古い建物だった。しかし古いということは東京の昔を今よりも少し感じ取ることができたのである。玄碩坂(げんせきざか)という坂がテレビ朝日より下ったところにあって、曲がりくねった坂の途中に当時のアパートはあった。さらにその先を行くと金魚屋さんがあって、さらにその先を下ると麻布十番の町である。麻布十番こそ東京の下町のような感じを受けた。
それから時はずいぶんと経って六本木界隈は大きく様変わり、六本木ヒルズという巨大な城塞のような建物が全てを変えてしまった。あの頃に戻って若き日のほろ苦さを訪ねて行ってみたいなと思っても今では玄碩坂も残っていなく思い出もちょん切れたままで甘い感傷などに構ってはくれなく、全く残っていない 。地形、地名すらも変えてしまったヒルズの出現。我はただ思い出の幻の玄碩坂にたたずんで妄想するのみ。
聞くところによると玄碩坂には江戸時代、長州藩の長屋があったそうで、そこの武士たちが金魚を飼っていたそうで苦しい下級武士の生計を助けるための手段だったのかもね。
最初に住み始めた 六本木のアパートから始まった51年 、今でも玄碩坂でもあればまた違ったMyLifeがいるんだろうな。しかしそこに住む人たちの将来や自由に僕は入ってはいけない。僕の思い出なんかゴミのように六本木ヒルズの窓の汚れのように掻き消されてしまうだろう。
今日は空の杜ライブの前に玄碩坂のことを調べて少しセンチメンタルになっていて、空の杜会場の取り柄の一つ、庭を見ながらの午後のひととき自由空間に羽ばたく「空」ライブを忘れてしまったようだ。
世界中探し回っても、いくら大金持ちでもあんな巨大な恐竜のようなヒルズを作ったりはしないだろう。かつて太古の愛すべき恐竜たちは自らの大きさのために転んで立ち上がれず滅んでしまった。そのうえ隕石という空からの使者によって壊滅。そんなことを教えてくれる六本木ヒルズ。消すに消せない大きな大きな恐竜の亡霊の遺言を弔い慰め誰が埋めてくれるのだろう。
今日のライブは「野良犬HOBO」から始めた。2曲目は「永遠の東京」今度は沈黙の東京なんかを作ってみようかなと思った次第である。庭の見えるカーテンのことなどすっかり忘れて没頭したYAMAKING。
皆さん お暑い中お忙しい中 誠にありがとうございました。

リハーサルで


今日もアヒルと一緒