横浜ドルフィjazz
2016年02月29日 | カテゴリー: 山木康世
昨夜の横浜ドルフィは音がよく非常にやりがいのある夜でありました。
ギター1本で2時間を人生るのは、体調が優れなかったり気乗りがしないときなどに考えると気が引けたり臆病になったりする。
昨日はすべてにおいて快調だった。
横浜には似たような名前のドルフィンがある。ドルフィは一昔前にいたアメリカのジャズ奏者ではないかと思った。ジャズの持つ自然体、普遍性、一貫性が好きだ。店内の変わらない雰囲気も好きだ。音の方は前回よりグンとよくなってやる気ムンムン。
僕が今取り組んでいる音楽はジャズに近いかもしれない。アドリブ、つまり即興満載の2時間なのである。この即興の待つ意外性が好きな人たちに支持されているのかもしれない。
ドルフィ、お客様良い夜をありがとうございました。
無玄流
2016年02月27日 | カテゴリー: 山木康世
「無玄」良い言葉である。無玄流、この名前を気に入って人生(やろ)うと決めた日が今日である。どんな無玄流で臨めるか、中野村でひとり気を吐いている。
陽気は上々である。
穏やかな226
2016年02月26日 | カテゴリー: 山木康世
何とも穏やかな226である。明日は待望の東京築地でのライブ。下見に行った年末に感じたことは、同じ東京でも偉い違いのある地であるということ。東京の台所、築地での我がライブはどのような様相を呈するか。
明日は中野村から築地村へ出かけてゆくお上りさんのような感じで入村する。
本来のお江戸の姿、空気、匂いをどうぞその五感で感じ取って楽しんでください。お天気の具合が宜しければ更に良いこと間違いなし。祈りましょう。
雪の226事件
2016年02月25日 | カテゴリー: 山木康世
静かな深夜だ。
昭和11年2月26日の東京は雪が降りしきる寒い一日だったようだ。
陸軍の血気はやった青年将校らが日頃の政府の企業との癒着、裏取引に我慢ならずクーデターを起こした。政府の要人らを斬殺して、なんとか軍主導の政府にしたかった。多くは東北出身の貧しい農家の出で、本気で日本を変えなければと思ったのだろう。
しかしクーデターは失敗、リーダーたちは処刑された。
そんな血なまぐさい世界が僕の生まれる14年ほど前に日本で起きていた。まるでイスラムの現在のようである。
それから日本は5年後太平洋戦争へ、しかし武力では世界は変えられなかった。
今は本当に平和な世の中である。すべて先人たちのお陰、賜であることをしかと肝に銘じて生きてゆかなければならないな。
「狸小路Waltz」と言う新曲を作った。
三成は光秀ではない
2016年02月23日 | カテゴリー: 山木康世
あー、なんたる間違い。
完全に勘違いをした長浜出立の朝。
昨日の秀吉と三成の出逢いの像を見ての思惑、発言、石田三成は織田信長とは何も関係がございません。怨念の人は明智光秀でございました。
ここに改めて謝罪、訂正いたします。
石田三成は長浜の偉大なる先人でした。
長浜駅前
2016年02月22日 | カテゴリー: 山木康世
豊臣秀吉と石田三成の出会いの像が建っていた。ということは織田信長、怨念の町ともいえる訳か。秀吉に会っていなかったら三成と信長の確執もなく、後の世の歴史も変わっていた。
新幹線で国が変わった。停車駅と停車しないで過ぎて行く駅との格差がどんどん広がって地域差が出てしまった。名古屋まで停車しない新幹線もあって、これなど経済優先、観光優先の感が強い。人が黙っていても集まってくる時代になった。
長浜あたりの町は、これから一息ついて見直す絶好の町かもしれない。急ぎすぎた.働き過ぎた、自ら気ぜわしくして命を縮めた。そんな団塊の世代の人、国の戦士、犠牲者がどれほど増産されたのだろう。
僕らはもっともっと先人の残した文化や考え方を大事にしなければ国が滅んで行く。まずはその地に行って風を感じてみるんだな。一極集中の窮屈さやガラス張りの高層ビルの権力、堅さを解き放そう。
本当に良い町は日本全国にたくさんあるんだな。ただ紹介されなかったり無視されているだけだな。
長浜、また来よう!
すさまじい夢
2016年02月21日 | カテゴリー: 山木康世
今日はなんだか疲れて朝食をいただいて、10時に出るところを12時まで延ばした。
部屋の床に水がたまってきた。どんどんカーペットを濡らしてゆく。この分だと廊下にもあふれ出ること必至。荷物をまとめて出る支度をした。
片付け終えてベッドを最後に忘れ物がないか上掛けを這いで点検した。ベッドの中から水がわき出てきた。みるみる間に黒々とシーツが濡れてくる。これは尋常ではない。ドアを開けて清掃のおばさんを呼んだ。
「部屋が水浸しだ!」
おばさんは急いで走ってきたがどうしようもない。そのうちどういうわけかベッドの上で火が燃え始めた。なんで火と水が一緒に?いつ来たのか知らないが一人の化学消防士のような消防士がホースを片手に部屋に入ってきて白い泡のような消火剤を吹きかけた。俺は「チョット待ってくれ、忘れ物があるかもしれない」
俺は水浸しで燃えている白い泡のかかったベッドを探すために部屋の奥へと向かった。さぁ、どうなった?
夢はきつくてすさまじかった。肩が両方とも凝っていた。
良い京都のライブだった。今日は長浜へ向かう。天気は朝見たら申し分なかった。ヨイショットーと椅子から腰を上げる。
覚えてますか
2016年02月20日 | カテゴリー: 山木康世
テレビに懐かしい人が。当時民主党総裁の野田議員だ。安倍首相に向かって「覚えてますか?野田です」
しかしこの覚えてますかは自分のことではなく、当時約束した議員数削減のことだろうな。それをいつまで経ってもやらないので、怒り心頭とこの発言になったのだろう。
野田議員が一番好きな歌が「思えば遠くへ来たもんだ」だった。あーこの歌が好きな人に悪い人はいないと思ったモノだ。長く続いてほしいと単純に思ったりもした。
思い起こしたらほとんどの元首相は顔は見せているが、なかなか国会に出て質問などしないで、そのうちいなくなる。
福島の事故の時、当時の責任者である往年の首相連はどう思っているか意見を聞きたかったが、一度も聞いた例しがない。就任時期が終わればハイサヨナーラーヨでは問題は解決しない。
野田議員頑張れ!
先日お会いした東京札幌会会長K氏は赴任先の遠くブラジルの地で「思えば遠くへ来たもんだ」をカラオケで歌ってこよなく愛してくれたと話してくれた。うれしいの一言である。
長浜良いとこ一度はおいで
2016年02月19日 | カテゴリー: 山木康世
【美味い物、土産】
鴨料理、小鮎の飴煮、湖魚の燻製、堅ボーロ、浜ちりめん、生姜糠、鮒ずし、親玉饅頭、豊公もなか、浜つむぎ、淡水真珠、別珍花緒、籐製品、盆梅。
しかしこれは昭和48年当時の情報である。果たしてスピード時代の現代、どれほどのものが残っていて、消えて行き、そして新たに生まれているかわからない。
姉川の戦いが行われたのが1570年、今から450年ほど前の話。好きな伊吹山付近に源を発して全長31キロの姉川の流れは今も変わらず滔々と日本の偉大なる湖、琵琶湖へと注ぎ続けている。
明後日は初めての長浜の町へ。どんな一日が待っているのやら。
木村松太郎
2016年02月18日 | カテゴリー: 山木康世
函館のとある網本の総大将、松太郎はニシンの季節になると樺太へ家族とともに渡った。
ヤンシュウと呼ばれるニシンの獲り手たちを数百人も引き連れて樺太へ。当時日本とソビエトで半分半分管理していた稚内沖の大型の島である。
松太郎の手には大型の双眼鏡が握られていて、さっきから海を凝視している。
そのとき海が銀色に光り波打った。
「それゆけー!」
松太郎の号令一下ヤンシュウの船団が浜を離れる。
沖では数万匹のニシンが群れを成して泳ぎ回っている。一斉に網を海中へ放り入れる。海上はニシンの油と体液でさらに銀色を増しギラギラ、ギドギド光っている。
松太郎の横では小学校に上がる前のおかっぱの女の子がじっと海を見ていた。
僕の母親とお祖父さんの在りし日の樺太における想像の世界だ。
何度か母から聞いたが、今本当に心底聞いてみたい話の一つだ。