柏STUDIOWUU御礼
2023年07月17日 | カテゴリー: 山木康世
なんと各地で37度超え、さいたまでは39度と40度に迫る高温、しかし上には上がいる、流石世界である。イタリア、スペイン、ギリシャでは49度という信じられない猛暑。体温が36度ということを忘れちゃなるまい。49度なんて言ったら火傷だろうに、と思ってしまう中、常磐道をひた走る。ラジオでは2箇所渋滞、3キロ、8キロとまぁまぁな連休高速道渋滞事情。三郷辺りから人の歩行速度並みに停滞が始まり流山辺りまで続くと予想され腹をくくる。歩くこと50分ほどで渋滞の親玉視認、なんと軽によるかすり傷程度の追突事故現場。外からの見た目には何も創傷がない、この程度の親玉によって引き起こされた渋滞、警察も一人として見えない。やがて常磐道終了、続く国道16号の想定のノロノロはなく約3時間ほどで40キロをこなして会場へ。やれやれ。
会場へはエレベータで5階へ。入り口に「岡林信康55周年Live」のチラシが。大学1年の頃フォーク好きな仲間と支笏湖へ行った。夜たき火を囲んで歌った「友よ」思い出すなぁ。世の中はまだ拓郎も出ていなくてGSが若者の音楽、フォークソングは始まって間もないという感じで、日本のディランと呼ばれて岡林氏は憧れの人であった。高田渡、高石友也など関西系フォークは何かを訴えかけていた。我もその後5年ほどして音楽の道に入り始めたのであるが、今も変わらず何かを言いたくて今日も柏に来ている。決して商業音楽だけを目指して続けてきた訳ではない。結果お金になっても不思議ではないが、聴き手に深く濃く記憶に残る歌作りを根ざしてやってきた。
プレ配信を兼ねて5分前にスタンバイ、お客様への協力を仰いで本番午後3時半には何と、この猛暑にピッタリの選曲「12月の雨」アンコール「夕暮れの町」で締めくくった。良いLivelibraryだった。
お忙しい中、お暑い中、誠にありがとうございました。
帰り道、夕日が鮮やかで、富士山、箱根山系が西の空に映えておりました。明日も良い天気で猛暑は続くようだ。
東京都豊島区/池袋ムーブメントスタジオ 御礼
2023年07月10日 | カテゴリー: 山木康世
緩いカーブの効いた坂道をゆっくりとバスは日曜のお昼前、池袋駅へと上ってゆく。その後を付いてゆくように車は進む。日曜ということなのか車が少なくストレスもない。懐かしの池袋、久しぶりだ。右手に大きな工事中のフェンスが、あれが丸井の跡地だな。それにしてもどうして評判の良かった丸井がなくなるのか。それともそのうちニューオープンなのか。
恋人たちのホテル群を縫って車は目指すスタジオへ。眼のやり場に困るほどここは恋人同士の街なのだ。
角のスタジオは2階にある。ラッキー!エレベータがあるじゃないか。荷物をギターを運び入れ2階へ。
小劇場風のムーブメントスタジオは非常に使い勝手がよく気に入った。ひとつ壁のコンセントがむき出しだったのが気になった。感電でもしたらと思い少し怖かった。
客席は真っ暗で誰が来ているとも分からない暗さだ。集中できて良い。
先日の横浜で歌う予定だった「夕暮れの新宿に立って」大川さんを始めあの世から呼んでおいて歌わぬとは何事じゃ。きっちり歌って約束を果たした。
2時間の通例のLiveLibrary、最後に「夕暮れの街」を歌って旧友佐藤のお母さんの話をした。あのときお別れの席でこの歌が流れた。
♪さよなら 君はもういない♪
作った当時は22歳の頃、友との別れの歌だった。時を経て本当にお別れの歌に変身していた。歌は生き物なんだと強く感じたときだった。
そして終演。客席になんと佐藤がいるじゃないか。予期せぬ嬉しい珍客、何もアポもなかった。お母さんの降臨は、きっと息子に思いを託してここにこうして来られたのだな。
その後、中野でのいつもの青森出身の気の良いおやじの店で美味い冷えた黄昏のビールで乾杯。美味いことこの上なかった。
みなさんお忙しくお暑い中、ご参加ありがとうございました。1週間後配信有りの柏STUDIOWUUへと馳せ参じYasu。
神奈川県横浜市神奈川区六角橋Nap御礼
2023年07月08日 | カテゴリー: 山木康世
31度越えの猛暑の中、横浜のあまりなじみのない東神奈川方面へ車を走らせた。45分ほどで第三京浜で神奈川区六角橋へたどり着いた。横浜と言えば繁華街の関内辺りが思い浮かぶが、神奈川区六角橋は昭和の匂いプンプンの新幹線側の町並みと思ってほしい。
その昔上京したころジェフベックとチャックベリーのコンサートがこの地区辺りの、どこぞのホールで行われた。札幌にはあまり外人さんのコンサートがなくて、飢えていた。入り口にはトリのチャックベリーが体調が良くなく、もしかしたら順延されるかもしれないと書かれた張り紙が。
1部ジェフベックの演奏は見事だった。しかしその手の音楽にあの頃は付いていけなくて今に思えばもったいない話であった。
そしてチャックベリーは無事の案内と共に登場、場内はやんやの喝さいであった。しかしバックメンバーを見ると、いかにも米軍辺りのセミプロのような布陣を配していたような感じを受けて少し興ざめした。
その後も東京ドーム、武道館における有名ミュージシャンを見に行ったものだ。しかし音が悪く、お祭りのようなコンサートに自然足が遠のいて、近頃はディラン大阪公演が最後かもしれない。
七夕のlivelibraryということで、うたた寝は許されず、星の歌、天の歌など渾身の20曲を歌い整えた。規模と知名度は大きく異なるがお客さんを前にしての心意気は同じ、猛暑をぶっ飛ばせの弾き語り2時間はつつがなく終わった。
そして東京中野に戻ってアッと気が付いた。大川さん、近藤、天本、野澤諸氏を呼んどいて「新宿に立って」を歌い忘れた。
明日の池袋ムーブメントスタジオで歌おう。ご足労おかけしますが、みんな遊びにおいでよ、オレは待ってるぜ。
福島県二本松市/Livespot SOLA御礼
2023年07月03日 | カテゴリー: 山木康世
天気は一転、雲一つない30度越えの7月文月半夏生、厚化粧ではない。夏であるので暑いことは良いことなのであるが、さすがに車から出ると「アズーイ!」
安達太良山のおひざ元、二本松は2度目の訪問なのであるが、思い出せない。脳の片隅の記憶が徐々に動き働き出し、駅前のホテルに着いたとたんに一気に記憶の扉が開いて、鮮明によみがえってきた。不思議な脳の記憶の再現。すべてが赤裸々になる。
SOLAもすぐに戻ってくる。匂いまでも脳は記憶している。店の作りの隅々まで蘇ってくる。やがて地元の人々との再会の記憶が戻ってくる。
まだソロになりたての頃の会員様の動向はよく記憶されている。生まれて初めての環境における脳の働きはフル回転。いろいろな要素で散らばって記憶されている思い出が一気に蘇ってくる。
そんな中に仲良し三姉妹の記憶は消えていなかった。終演後グッズ売り場に声をかけて現れた3人の女性がおられた。一人が「名前をKと言います」僕の脳はすぐさま検索、3人を的中。当時会員が増えることを願ってふきのとう解散の負の動きをなんとか食い止めようと会社を面白がっていた。それでも無情なもので、こちらの意思とは無関係に止めてゆく人、滞る人になすすべもなく残念がっていたなぁ。仲良し三姉妹の登場は希望の人間の思い出として深く刻まれていたのだ。自分の福島県の会員様の動向も年と共に薄れていった。そしての再会である。不思議と名前をスラスラと述べる自分が不思議だった。元気で時を超えて会えることの重さと深さは何とも言い難い貴重なものである。
こうして過行く人生なのであるが、ここの3年ほどのコロナにおける今までとは違ってしまった人間の住むべき慣れ親しんできた社会の様変わりを痛く感じる。
個々人の力で取り戻すしかない。それとも割り切ってこれからの世の中を構築する方が良いのかもしれない。しかしそれぞの中に宿って記憶されている力は無視できないし消すことはできない。必要以上の恐れ対策は微妙に世の中を変えてしまうので、ネットにテレビ報道に振り回されないで己を信じて強く明るく生きることが大事なんだなぁ。
ホテルのエレベータの横の綿棒が目に入った。3本ほど耳の掃除にといただいた。しかしエレベータの行き先ボタンに直札触らず、この綿棒を使用してという綿棒だったのだ。
料理屋さんのトイレは自動化が進んでいて、ウオッシュレット操作坂に大きく書かれていた対策の文字。「絶対に手で便座を触らないでください!」それも二つ同じことが書かれていた。確かに転ばぬ先の杖ではあるが、そんなにコロナは急に現れたのか、そして今でも炎天下の元、蚊やアブのようにブンブン飛び回っているのだろうか。国民の一部が「杞憂」という心の病に罹っているような節も見られる。さっきまであった人間らしい世の中を取り戻すために日ごろからの治癒力、免疫力の強化に努めよう。
食いすぎは万病の元、クスリノリスクを肝に銘じよう。
三日間のツアーは無事つつがなく充実のツアーだった。お忙しい中お越しいただいた皆様、誠ににありがとうございました。
今日は南に南に針路を取って東京に戻って「普通の日常」を再起動、とりあえず当面の最大の目標は10月22日におけるバースデーを兼ねた音楽生活50周年お祝いコンサート「ギターと歌で半世紀半生記!」を成功させることだ。
ワタナベサンご尽力ありがとうございました。
喜多方市/FMきたかたライブスペース御礼
2023年07月02日 | カテゴリー: 山木康世
なんとソロになって2年目の1994年から数えて18回目に当たる喜多方ライブ。ラーメンと蔵の町である。何食食べたかねぇ、オダチューさん。
大和川酒造北方風土館を皮切りに、2000年から実に毎年、大勢のお客さんを前に喜多方プラザでの公演。石川先生ともCD「静かに水の流れが岸を削ってゆく」発売記念コンサート、そこで知り合いになった日本の音響の宝、ウスキさんを初めとするスタッフの皆さんに助けられ今日に至っている。
新宮熊野神社長床における神殿ライブ、日中線記念館、しぐれ亭、そしてFMきたかたライブスペースでの公演、30年を超えるつながりに拍手喝采である。
喜多方市は4万ほどの町で歴史における要衝の地として栄えてきた。コメの生産は江戸時代には8万石を数え、重要な食料の生産地だったのである。8万人を食べさせる力があったのだ。会津磐梯山は宝の山よ。
初めて訪れた翌日、みなさんとお別れ、磐越道を飛ばした。
磐越道にかかれたスローガンを一発で気に入った。こんな町は滅多にない。
「飛ばすな毛布、ベニヤ板!」
が始まりだった。
昨日は配信を含めて全国のお客さんへ今の歌を届けることができて幸福であった。僕一人だけの力ではなく以上のような長い経緯があっての昨日だったのだ。
「朝ラー」というひと汗かいた朝に食べに普通に暖簾をくぐるお店が複数ありラーメンの町、面目躍如である。
朝の光の中、会津磐梯山を遠くに臨んで、コメの目に鮮やかなグリーンを浴びて、今から朝ラーに行ってくるぞい。今日は安達太良山の二本松でliveる。
三条楽道横山酒店御礼
2023年07月01日 | カテゴリー: 山木康世
横山氏とお別れの雨のそぼ降る夜の三条、どこぞの暗闇で聞きなれぬ獣の声が。
オワカレヤジャ ゴブジデナ マタアウヒマデ ゲロゲロ
僕らの別れの気配や会話を聞きつけて雨傘をさした牛蛙様もお見送り。
コロナ禍を乗り越えて「楽道」はテーブルもリニューアル、壁に吊るされたガクドウたちが、世界が陥った現代の災いを生き延びた音楽の力強さとロマンを物語っている。
すでにステージにはいつ歌ってもいいようにスタンバイ。前回22年4月22日の写真を元に待っててくれる。そこで夜アーカイブを繰ってみた。確かに大漁旗、社旗などと共にあの日が蘇ってきた。
青春時代、時空を超えて僕らはいやがうえにもつながった。空気・水と共に必要な音楽という心の滋養が脳に深く刻まれて今に至っている。
説明などいらない。ただ長いこと生きてきた人生の線上で通りかかり立ち話。昔話に花が咲き心が潤い丸くなる。
ひっそりと静かに浮遊していたホタルのヒカリ。お別れの暗闇で鳴いていたゲロゲロ。こんなにも心に染み入る生き物たちの命の一生懸命さを忙しい人間たちは物欲にまみれた毎日から脱却、逃れて郊外や、山里で良寛様の心と一緒に感じ入ってごらん。
みなさんお忙しい中、誠にありがとうでやんした。格別に最後のおもてなし、極上のミヤザワシにカンパイでござる。
今日は山を越えてラーメンと蔵の町、喜多方へ50年のゲロゲロやヒカリをお届けに馳せ参じ致しyasu
何かとつながっている
2023年06月30日 | カテゴリー: 山木康世
新潟県は米の産地、美味い酒のメッカである。
その新潟の弥彦村に来ている。
村と言っても歴史は古く2000年ほども昔の頃からあったという。弥彦山がデンと構えている。ここの高さがなんと634メートル、かのスカイツリーと同じなのだ。そして山頂へは山のロープウエイが通じている。ここから晴れた日には日本海の向こうに佐渡島が見えるという。
夜も更けた暗闇の中ホタルの里があったので見に行った。目が慣れてくるとあちこちに光が飛びかっている。付近に葡萄畑はないがまるでデジタルなグリーン色のホタルに、亡くなった人たちの霊魂を感じていつもの大都会では全く感じられないホタルの飛び交う色に、つい声が出て胸が熱くなった。
明日の三条は燕と同じく金物で名を馳せているが、この由来が面白い。江戸時代日本で一番大きな川、信濃川の支流五十嵐川の度々の氾濫に手を焼いた偉い農民が和釘を製造したという。その後全国へ広めて大阪の堺、兵庫の三木と並んで三大金物町となったという。
近くに良寛様が生まれ晩年に住まわれたという出雲埼といところがあり、「布留散東」(ふるさと)という和歌集を出している。
明日の選曲をぼんやり考えている。
「我が友よ」「北風の荒野にて」「君は僕だけの太陽」「山のロープウエイ」「粒粒辛苦」「夏の夜には君を偲んで」「雨のパレード」「キューポラの街」「ぬちぬぐすーじ」「ふる里に春が来た」「さすらい(漂泊)」
因みに僕の両親は結婚式を札幌三吉神社で挙げて、市内を歩いて中島公園の近くにある「弥彦神社」まで行ったそうだ。
さいたま市/琴勝流大正琴本部 2Fホール御礼
2023年06月26日 | カテゴリー: 山木康世
埼玉県と言っても車で中野から20キロ。札幌で言えば道央自動車道大曲から中心部くらいの近距離である。しかし北海道との一番の違いは混雑、渋滞、人口過密が明らかに違い人の多さは東京と変わらない。下道国道17号線を走るとやがてY字型支柱が面白い高速道にぶつかるが乗らない。ここの合流地点にいつも泣かされる。分かっちゃいるけどやめられない。いつもの土日とは少し違い車の数が少ない。どうしたことだろう。なんかあるかいな。
途中で北海道のそば粉が基本の店でカツ丼を食した。脂身のロースカツは口中で旨味を引き出す。肉の旨味は脂にあり。美味いからと言って取りすぎは注意だ。美味いものには毒がある。美味い話には嘘がある。
5回目の大正琴本部は弾き語りに適した良い感じの会場である。
安行(川口市)は江戸時代から盆栽が有名で今では世界の安行という。「盆栽の歌」
その川口市は鋳物工場の煙突で有名なキューポラのある街でもある。「キューポラの街」しかし年々少なくなっているという。子供の頃の日活映画、吉永某、浜田某が記憶に残っている「キューポラのある街」
面白おかしくギラギラ太陽の元、つつがなく整いました。
お忙しい中皆様、誠にありがとうございました。
この日の修練は皆様の賜物と大いに感謝致す次第です。どうぞ夏バテに気をつけて又お会い致しましょうぞ!サンキュウ・アディオス・アバヨ!
大正琴本部への誘い
2023年06月24日 | カテゴリー: 山木康世
来る明日の日曜はさいたま市の琴勝流大正琴本部の会館での修練。ここはいつもは大正琴の修練の場なのであろう。生徒さんが先生に見習ってチントンシャラーン。
特にコロナ禍の元、全国各地色々な場に出向いた。
禁酒会館なぞは頭一つ図抜けていて脳裏に特筆されている。禁酒断酒を願っての会館なのだが、その趣旨はよく考えると複雑である。そこに集まって何をなさるのか。酒は百薬の長でもあるが、諸刃の剣、体を壊したという話はよく聞く話。
大正琴本部も一度耳にしたら忘れられない名称である。この会場でのライブは5回目であるが、たくさんのマイ大正琴が教室の棚に整然と並んでいた。ここで大正琴の好きな生徒さんが修練している姿は、シンプルに清くて良い。音楽に諸刃の剣はないだろう。子供の頃は良からぬ音楽で学業がおろそかになり、成績が下がり不良になる。なんて言われたが遠い昔の懐かしい子供の日の姿だ。
日曜はさいたま市まで車で出かけて山木ヒューマンソングの修練をする。良ければご一緒ください。
心身に磨きがかかってきたなぁと熟々(つらつら)感ずる今日この頃。お客様も帰りには心が軽くなり足取りも弾んで、気がつけば群馬県、千葉県、山梨県まで行ってしまうこと間違いないでしょう。十分お気をつけてください。
♪良い子の住んでる良い町は 楽しい楽しい歌の町♪
眠れない土曜の早朝に記す
東京都新宿区/新宿永谷ホール(新宿Fu-)御礼
2023年06月23日 | カテゴリー: 山木康世
昭和64年は1ヶ月もない。昭和天皇がご崩御されて国がいっとき喪に服し灰色になった。カラーの世界からモノクロの世界へ。前の年刻一刻変わるご病状に全国民が沈んだ気持ちでニュースを聞いていた。自粛というムードは列島を覆い尽くし笑いや華やかな世界は敬遠された。
若い頃、明治から大正、大正から昭和、そして新しいの時代の到来を迎える日が来るだろうと不謹慎ながら考えざるを得ないほど昭和天皇はご高齢になっていた。それがいつなのだろう?国はどんな状況になるのだろう?
当たり前のように40歳を前にその時がやってきた。僕は札幌にいて、ふきのとうのこともこのままやっていけなくなる日が来る。その前にもう一度東京に出かけて2、3年を目処にやり遂げよう。春には引っ越しをしよう。そして桜の4月に中野に越してきた。あれから30年以上が過ぎた。10年一昔、30年は人生の衣替えの時間と言われている。実は康世の世の字の旧字は十の字を3つ重ねた字で、30年も表している。
昭和が終わって平成になったある冬の日新宿の不動産屋へ出かけて新井薬師前に部屋を見つけた。西武鉄道新宿線の途中に新井の町もあり、先の不動産屋を訪れる前に、この電車に乗って当たりをつけていた新井薬師前駅に降り立って決めたのである。
新宿は好きな街である。出発の街でもある。今日はまさに東京都新宿区/新宿永谷ホール(新宿Fu-)における2回目のLIVELovelyの日であった。
ドアを開けて中に入ると少々古びた小洒落た会場である。長年染み付いた匂いが微かに鼻をつく。何人の、何組の芸人たちがこの小屋を訪れ去っていったのだろう。そのお仲間に遅ればせながらいつの間にか組みしていた。50年音楽人の修行・修練が今まさに繰り広げられて粛々と終了した。歌舞伎町もドンドン進化して新井薬師も同じく来年には大きく様変わりする。小さな進化を積み重ねて揺るぎなき世界を自然体で構築していこう。
お忙しい中、小雨そぼ降る中、皆様誠にお付き合いありがとうございました。
日曜には埼玉県さいたま市/琴勝流大正琴本部 2Fホールにおいて修行を重ねる。北北西に針路を取れ。