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島根県松江市/さんびる文化センタープラバホールに米粒の神様と一緒に

2024年11月21日 | カテゴリー: 山木康世 

ホテルのカーテンを開け放すと東の空から朝日が差し込んできた。待ちに待ったプラバホールの当日、天気は上々のようだ。90年のふきのとう「春の雨」アカペラですっかりとりこになって脳裏を離れなかった夢がまさに本日叶う。
会場に入ると下見をした15年程前以上の圧倒的スケールで飛び込んできた。客席中央で天井を見上げたら、何とも言えない気品あふれる作りで感動した。ステージ中央にはパイプオルガンが女神のように君臨していた。ふきのとうの時には気づかなかった女神の存在。
中央に50年音楽生活の弁天様とのツーショットフラッグも吊るし終えてリハも終わった。あとはお客さんを待つのみ。1時間の待ち時間ののちいよいよ夢の実現。
松江宍道湖湖はヤマトシジミの産地。オープニングはDmオープンによる「蜆の詩」作った当初は20番もある大作だった。しかしレコーディングで4番までとした。少し緊張もあるのか80点の蜆だった。なんだか右足の靴の底の1点がねっぱっているようで違和感を覚える。気づかれないように少し動かしてみる。やはり米粒の神様がへばりついているようだ。楽屋で食べた弁当の米粒が一緒にステージについて来てしまったようだ。まぁ米粒の神様とでも呼んでおこう。5曲ほどでいなくなった。アカペラで「春の雨」再現もしてみる。それからラスト「思えば遠くへ来たもんだ」を含み「水の底に映った月」全20曲アンコール最後の締めの「風来坊」は地元グループ「風来坊」と締めた、鳴りやまぬダブルアンコール。「メリークリスマス」でヤッター!
3か月ほど準備をして温めていた夢が今まさに終わった瞬間である。いや3か月ではない、下見をした15年ほども前からすでに僕の中では温めぬいてきた松江プラバホールの夢が今まさに終わったのである。夢は現実となって一つの歴史として刻まれた。
大勢の人が夢の実現のために動いて心を寄せてくれた。実際に松江まで飛んでもきてくれた。もちろん地元松江の人の応援は心強いものがあった。
幾つになっても夢は持ち続けなければならない。自分の身でありながら時間と共に老いという見知らぬ訪問者に口をふさがれ身動きが取れない身になることは怖いことである。それを夢という目的を持つことができれば時間を少し軽減できて訪問者に居留守を使うことができる。
みなさんどうもありがとうございました。大きなプロジェクトは大成功でした。来年の弾みになるはずです。蔵出しの良い酒を準備にかかる杜氏さんの心境で年末を楽しみましょう。

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