岡山BlueBluesに小川のイルミネーションを
2024年11月19日 | カテゴリー: 山木康世
水は大切ななくてはならない基本である。しかしその水が天から降り注ぎ止まないで災害を引き起こし甚大な被害をもたらす。これは太古の時代からの自然な営み。何も水に非があるわけではない。ここまで自然を舐め切った人間という生物の愚かな営みの結果である。
やはり水のある風景は人間の心に潤いをもたらし、ギスギスした都会の生活に潤滑油という油を注ぎもたらしてくれる。
岡山の中心部に夜になるとイルミネーションが施された、決してきれいではない小川が流れている。投宿したホテルのすぐ脇を流れている。
何度か岡山に来ているのに、この川の存在は知らなかった。春になったら桜でも咲いているのだろうか。今はイルミネーションが夜の川面を照らしている。
bluesは色で言えばblue、青、憂鬱なのである。何かとブルーな毎日を水に映ったイルミネーションのごとくたまにユラユラキラキラは悪くない。
bluebluesは感心するほど行き届いていて清掃されて木造りの良さに惚れてしまう会場である。お見せできないが楽屋の長椅子連が良い味を出している。この楽屋でもチョットしたLiveは可能である。ウッドベースが立ててあり、金盥を利用した楽器が面白い。
今日は「ステーション」つぶやきバージョンで始めた。自分の得意技でもあるつぶやき、ささやきバージョンは人の評価はともかく自分の声を生かした弾き語りにはもってこいの演奏スタイルと自負している。深夜一人座ってボロローンと歌作りをしているときは決まってささやきバージョンだ。人生の時間からしてこの方が長い気がする。詩を吟味するには自分に向かって歌うとよく理解できる気がする。
ステージではつい気が入りすぎて涙がこぼれ落ちそうになったりする。気を付けなくてはいけない、涙漏れ。50年のYAMAKINGSONGSは追想、回想、思い出では語りつくせない、ホテルの横を流れる小川の潤いのような涙を伴った心持にさせてくれる。
たくさんの人たちの心の隅に長く色づいている歌を作ってきたという喜びを、今本当にかみしめている。拍手の大きさを聞けば分かるというもんだ。評論家の下手な講釈など必要ない。ネットのランキングなど僕には無意味である。そんな歌作りをしてこれた皆さんに大いなる拍手を送ります。
明日はいよいよ神様の故郷、出雲は宍道湖のほとり松江でこの旅の最終章を飾る。準備万端、喉のイラつきも24時間で取って見せる。
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