札幌三吉神社奉納音始末記
2010年05月16日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
天気は完全に回復。美幌を後にして層雲峡、石北峠を抜け砂川PAで一服。高速道を一路札幌を目指す。
札幌の空も「三吉神社の杜の詩」にあるとおりの五月晴れである。我ながら天晴也。
すぐに札幌市電乗り場へ向かい、電車でGOライブ。真っ赤な日本人ジョニーとの再会。父を捜して三千里、放浪のギターマンにも会う。厳正なる抽選で選ばれし30名が市電に乗り込む。その前に全員でハイ、チーズ。
市電ライブも3回目となると自然、気持ちにゆとりが出てくる。お客さんのほころんだ笑顔が故郷に帰ってきた実感を増す。故郷の空気は良いもんだ。3年目となる市電ライブも我が人生の一つの行事になった。
今回は電車の内部を大学生有志が飾った。この一年の間に、市電ライブ企画に参加する人たちがずいぶん増えた。市電ライブが市民権を得てかわいがられてきていることが分かる。
出発進行。以前新年会をしたことがあるイタリアンレストラン「レッコルレーア」の大将、女将がいつも通り、店の外に出て、電車に行きも帰りも手を振ってくれる。
市電が藻岩山の裾野の歩道に差し掛かると、なんと抽選に外れた山木倶楽部会員が、激しく電車に向かってオレンジのストールをはためかせている。車内は笑いのるつぼ。最高の演出だ。付近を通り過ぎる車の運転手がごきげんな顔で彼女と電車を見ている。
やがて電車はUターンし、三吉神社へ向かう。
境内はぎっしり集まったお客さんでいっぱいだ。やる気が一気に出る。今年も五月の晴れの夜空で歌える幸せをかみしめて90分一本勝負。弁慶と義経が空から降りてきて過去最高の三吉神社例大祭奉納音楽会となった。
打ち上げでは、参加した新たな若い大学生のスタッフが紹介された。
札幌中心部の心の拠り所、神社は動き始めた。本来あるべき姿に戻りつつあると感ずる。人が出入りしなくては始まらないのだ。空気が淀んでしまっては何事も良くないのだ。ライブも同じだ。
「僕死ぬのをやめました。ありがとうございました。」二人連れが楽屋に戻る途中の松の暗闇で手を差し伸べてきた。がんばれよ、聴いてくれてありがとうね。
提案を記しておく。
土曜、祝日、休日市内中心部の駐車場を無料にする。路上パーキングは1時間に限る。駐車場への補てんは全商店街が知恵を絞ってひねり出す。人が大勢戻ってくれば、そんな金はすぐに捻出できる。警察も取締りばかりではなく、サービスで誘導したり道案内をする方向に向かわなければ人は戻ってこない。どうしてああも人を取り締まりたがるのか。子供だって親に怒られれば反発したくなる。同じで反感をもたれる警察のイメージを変えろ。田舎の駐在所のお巡りさんの心で市民に接してくれ。自然やさしい顔つき、やさしい心遣いになるというもんだ。
以上提案を述べて幸せの例大祭音始末とする。みんなありがとー、ありがとー。
(山木康世)