となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

大阪5thStreetの夜は静かに更け行く

2026年01月26日 | カテゴリー: 山木康世  

?どうして2011年3月に国中がパニックに陥って、先の未来が見えないような不安の時期を過ごしてきた大人たちが懲りずに経済経済と再稼働。結局不具合が見つかって延期。それでも国は子供を騙すような嘘を付いて国民をたぶらかし続けるのだろう。

?世界の警察だった国の大統領が、今度は世界を自分の法律で好き勝手に獲得しようとする。しかしさすが経済人、ババ抜きだけはしない。武力を行使せず関税という税金を武器に秩序を保ってきた国々を牛耳られると思うのだろうか。

?日本橋という地名は東京と大阪にもある。しかし街をいつも走り回って人様のお助けをしているタクシーのプロがニホンバシかニッポンバシか混乱しているのだろう。♪お江戸ニホンバシ♪これが東京の地名。大阪はニッポンバシ。

?宿泊税などという今まで聞いたことのない税金を高額なHOTELが徴収する。入湯税、拝観税なんていうのも確かあったような。その上、荷物を短時間預かってもらおうと申し出たら1個に付き1000円いただきますと来た。ここまで来ると世も末だ。

?選挙が突然告示される。選ぶのは国民だ。しかし何を北極星の明かりを頼りに投票するというのだろう。その国のトップたちが日曜日に討論会をする。しかし司会者はやたら仕事とはいえ、今日も時間を気にして司会進行に徹する。こんな時こそたっぷり時間をかけて徹底討論討論会でと司会者自らがならんのだろうか。

?かつてお笑いの人間がトップ当選をした。そしてお笑いの名前で出演で違和感を感じる。そういえば僕が札幌を離れて上京した40代の頃、東京と大阪の知事は芸人だったなぁ。それを選んだのは市民。その頃からその程度のこの国の有り方だったのだろうか。

?ジャイアン松組の子どもたちの歌声は僕の精神構造を少し変化させた。50年経っても松組の子どもたちは生きているだろう。そのころ今日の会場に集まった人たちは僕を含めみんな居ない。50年の短さを感じてしまうなぁ。

そんなこんなの「5ThStreet」はいつになく燃えた。古くて新しいマイクのおかげか、それともお寒い中、お忙しい中、日曜に集った人たちの魂の結実か、テレビはすでにオールドメディアと言われて、AIが当たり前にネットで人格を持ち始める。せめて毎日がクリスマスの日と思い願いウキウキ生きたいと思うのも悪くはない。そんな願いで壁に大旗を掲げた。AIは嘘である。しかし何も犯罪を皆が望んでいるはずもない。楽しんで遊び心で50年歌を作り歌い続けてきた。
関西2日間つつがなく面白可笑しく終了完了。皆様のおかげです。またお会いしましょう!



配信画像もきれいです

京都市中京区/somenokyoto今日は寒い一日、でもココロはあったかいべ

2026年01月25日 | カテゴリー: 山木康世  

~晩冬の 昼空渡る 冬銀河~
何度も何度も記してきたが、somenokyotoの持つ場のエネルギーは丁度良い。今回も変わらず弾き語りYAMAKINGにはモッテコイ。手頃な楽屋オモテナシ、トイレ事情、袖から舞台への花道、いざ舞台へ。最適な良好な照明たち、最適な今音響、そして壁の不思議な色模様、そしてそこを支えてくれる人間たち。そしてそしてそこに集う皆様の相応なココロとカラダ。僕にとって心身穏やかでたおやかなる会場somenokyoto。
今日は珍しくなくなったLIVE配信の日。コロナ騒動以来マイナスをプラスに変えた人間たちの知恵と工夫でここまできた。全国各地、すでに回数を重ね日常的な楽しみ方と相成った配信行為。会場へ来られないお客様にとってはこの上ない楽しみ方。僕が逆の立場ならどんなに待ち望んで朝から落ち着かない一日。しかし死んでも逆立ちしたって楽しめない。残念である。
今日は去年の「冬青庵能舞台」の余韻と、ジャイアン先生と松組による「YAMAKINGS」進行形が柱だった。サブタイトルにもあるじゃないの。用意していたはずなのに歌われなかった「冬銀河」そして皆と歌われなかった「雪の町へ」どうしてなの、どうしてー!?と膝詰め談判と行きたいところだべ、と遠くの街から待ち望んだ視聴者の代弁也。
仰せの通り、ごもっとも、今後抜かりの無いようお取り計らい致します。どうぞご勘弁を。
「雪か雨か、みぞれかいな?」独り言のような寒さ厳しき街中を眺めながらの帰りのささやきに「北部の方は雪ですわ。」北の方から走ってきたタクシーの運転手さんはバックミラーの黒っぽい遠くの空を覗き込みながら反応してくれる。あったかくなる一瞬。タクシーも慌ただしい現代なかなか捕まらない希少な乗り物になってきた。エッチラオッチラ籠ではないが、京の都は籠に乗って帰りたい気分。でも籠は寒いぞー、RAOJINは吹き渡る寒風の中浪速の町へと歩を進めた。
皆様お忙しい中、誠にありがとうございました。

深い海の中にいるようです


マグマの中にいるようです


都に響くYAMAKINGSONGS

横浜とべ音楽館で飛びます飛びます

2026年01月23日 | カテゴリー: 山木康世  

小説家は一字一句選んで脳味噌より滴り落ちる言の葉を原稿という大海原に書きしたため、のちの読者諸君の皆に記憶という鉄槌を打ち込む。偉いもんだ、完成したら最後、文字の修正は許されない。

何故かというと出版社という版元と契約をしたので書き上げた大作はしっかりと克明に刻まれる。何百万という言の葉は小説家の命の証でもあるし出版社との固い絆でもあるからだ。

時間も押し迫って会場の借りた時間が「もうすぐ5時になるよ。5時半には返さないと違反だよ」と「RAOJIN」にささやきかけてくる。「RAOJIN」は8分の6拍子の勢いをエンドに向かって増し続ける。

昨夜畳み掛けるように「RAOJIN」を修正追記を施し強化した。しかしタブレットHpのデジタルの原稿用紙には収まりきれないほどの文字数と相成ってしまった。微かな不安が脳裏を横切る。「大丈夫かいな?いくら白内障を解消したからと言って米粒のような言の葉を噛み砕いて時間内に歌い切れるの?」不安は的中!しばしアップアップ、もう少しで大海の塩水を飲み込み溺れそうに。

♪RAOJINはライブに行き目を閉じてうなずいたりして聞いてるふりをする しかし寝不足で昼下がりうつらうつら周りに悟られぬようにうなずいたりする そして歌が終わったらすばやく気づいたように不自然な拍手をする 拍手をしない気難しい人よりはマシだろう♪

2回目の訪問の横浜とべ音楽館の最後は「RAOJIN」で締めた。少し舌っ足らずだったが今度はスッキリバッチリ決めるぜ。まぁやってみなけりゃ分からんが小説家じゃないんだから、ドンマイドンマイ、当たって砕けろだ。なにせ自分で作っておいて脳壁に完璧に刻み込んでないんだから仕様が無い。まぁ懲りずにまたお会いしましょう。

ウクレレも弾かなくっちゃ


本日のLovelyプレゼントは小アヒルとハッカ飴


今日はスズキギターも活躍するよ


今日はバイオリンも弾かなく・・・ん?


ラストは「RAOJIN」大合唱

埼玉県志木市ドットブリッジ志木ありがとうジャイアン松組との日々

2026年01月20日 | カテゴリー: 山木康世  

ジャイアン松組合唱団との遭遇は、ただ自分の歌の確認、汚れのない心を洗われる歌声にとどまらず、いろいろな変革をもたらしている。
歌に限らず人間は生きていて日常茶飯事においてあざとく生きている。これを悪と捉えるか善と捉えるかであるが、人間には他の動物にはない知恵の力がある。この力のお陰で進歩してきた。生まれたときには、未だ備わっていなく後に獲得するものと思う。
やがて知恵は悪い方にも考えるようになる。いわゆる悪知恵、浅知恵である。人を出し抜いたり、嘘をついたり、騙したりして自分は人より前へ。詐欺などは悪知恵の最高峰だろう。戦争を考えてみると、自国が勝って生き抜くためには技術的進歩、これは悪知恵のようにも見えるが知恵の恩恵なのである。こうなると悪も善も区別がつかなくなる。無常。子どもたちの行動。もちろん歌う行為なども小学2年生の頃はまだ未発達であろう。聞いてる人の気持ちなど無関係、自分が良ければそれでいい。おそらくこの頃が最後の年齢ではなかろうか。
僕達は大人になって失くしてしまったひとつに、この人に対して計算のない汚れのない心であろうか。いつもいつも損得勘定で生きることが良い道のように錯覚して計算しすぎて生きているきらいがある。もっと素直に大声で人への配慮も少し緩やかに生きていってもいいのではないか。現代社会の荒波にもまれて小賢しく、自分を我慢し収めて生きているのではないだろうか。そんな折での歌声に、ハッと気付かされた。あれ以来自分が歌う行為や人の歌う行為、既存の楽曲などへのあざとさが鼻につくようになって、少し方向転換。ドットブリッジでは普段あまり歌わない、どちらかと言うとサブメニュー的なYAMAKINGSでまとめてみた。実に楽しく心が弾んでいた。「ふきのとう」への反動であろうか。恐れ多くも松組にはなれなかったが、心は松組、忘れていたモノを少し取り戻したような気がして良い一日だった。
ありがとうジャイアン、松組、そしてあの日を采配してくれた神様にお礼を申し上げます。
まだ終わってはいない松組の感動。始まったばかりで今年のテーマのひとつではある。「無常」という言葉に突き当たる。こんなことを思いまとめてみた「瓦版花鰹133号」、すでに発送準備完了の良い心持ちの小正月も過ぎて、いざ発進2026年、オンマサンに飛び乗ってどこへ行こうか。


東京都新宿区あんさんぶるStudio音バッテリーの上がった日

2026年01月17日 | カテゴリー: 山木康世  

元来あまり腹の虫は鳴かない方だが、live後半で聞こえるほど頻繁に鳴きやがった。
今朝出ようとしたらエンジンはうんともすんとも言わず、冷汗がタラーリ。参ったな、live当日、それも出がけの予想だにしない発覚、体に良くない。全身の血が騒いでいる。
「どうすんだべ、まぁタクシーで行っても20分ほどで着くから問題ないが、荷物の整理をしなければいけんべな」「忘れ物の確認、大変だと思うよ」「まぁ51年のベテランだから抜かりはないと思うけど心の動揺は一寸法師だべな」体のあちこちから声が聞こえてくる。本人曰く「寒風で荷物整理の手先が冷たいのが一番堪えたよ」

腹の虫
■みんな故人をしのんでお坊さんを待っている
こんな神聖な場で鳴きやがる俺の腹の虫
厳かな葬儀場で襟を正してうつむいて
静まり返った悲しい場面で鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くなこんなところで 俺の面子が立たんじゃないか
■久しぶりのラジオの現場でアナウンサーを目の前に
静かなスタジオのマイクに拾われた俺の腹の虫
さぞかし得意で気持ちが晴れ晴れ良いだろうな
恥ずかしそうに頬杖ついて鳴いている俺の腹の虫
鳴くな鳴くなもう終わる 俺の身にもなってみろ
■眠れない一夜を誰が知るカラスがカァと飛んでゆく
君を思って切ない朝に鳴きやがる俺の腹の虫
今日が山場だ最後の詰めだがんばろうと
真剣な話し合いの場で鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くな鳴き止んでくれ 俺も惨めで泣けてくる
■暗い映画館で固唾を呑んで見ている
待ってましたクライマックスで鳴きやがる俺の腹の虫
まるで毎日懲りずの迷惑メールか楽天市場か
俺の意思とは関係なしに鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くな鳴き止まなければ 腹の虫がおさまらん
■西新宿の樂しそう初台studioあんさんぶる音
ギター奏でるYAMAKINGさっきから鳴きやがる俺の腹の虫
超高層ビル群と空を駆ける首都高に囲まれて
たっぷり2時間「きらめく星座」鳴きやがる俺の腹の虫
鳴くな鳴くなもう終わる みんなの耳に入るじゃないか

後日バッテリーは回復処置を施したが、こんな瞬間にも身近な希望達成の喜びを見つけることができた。

小アヒルも整列してライブの準備は万端



今日は小正月だから餅花を書こう

千葉県市川市サクラコートホール人生の航続距離を伸ばせ!

2026年01月11日 | カテゴリー: 山木康世  

免許取りたての35歳の頃、1円でも安いGSを見つけるとかなり遠方までガスを入れに走った。笑い話でもある。結局遠くまで行くのにガスを余計に使うということに後に気が付くのであるから人生は喜劇である。安いガスを入れにわざわざ離れ小島まで出かけて行くかという珍現象まで起きる。しかし当の本人は安いガスにしか目が向いてない。距離も時間も関係がなく安いガス、この一点しか眼中になく、恋は盲目にも似ている。
現代の車事情は昔と比して驚くべき燃費である。車メーカーのたゆまぬ努力の成果であろうが、排気ガス問題、地球温暖化、限られた化石燃料の将来への不安などで、今は考え方は電気自動車が主流になりつつある。しかし日本のメーカーがなかなか電気になびかないのは、環境的には向いているのだが経済的には石油に劣るということを聞いたことがある。つまり電気を生み出すシステムに石油が使われ、そこで思わぬ価格破壊が行われて意味がないというもの。なんだか離れ小島に安いガスを入手しに行く話とも似ていなくもない。ならば燃費を如何に伸ばして走りやすくして、環境への問題は日々の技術向上を図るのも手である。
本日アンコールは「RAOJIN」で締めた。中国のお酒に老酒(ラオチュウ)という酒がある。中華料理には老酒が使われていて、あの独特の味わいを出す。日本語の老人の言葉の響きがどうも僕には「老い」のマイナスイメージに拍車をかけているように思える。そこで或る日「RAOJIN」を考えた。誰でも時間とともに老いの航海を強いられる。そこで元気であれば航続距離を伸ばすような走り方ができる。元気であれば前向き、外向き、快活、ポジティブに天に向かって無責任に高らかに大声で歌い言い放つことで燃費は少し向上し航続距離を伸ばせる。
人間の完成形が「RAOJIN」でなくして何が人間社会か。意味深な人生の警句などを並べ立てたところで燃費は向上しないしガス欠を起こして路上で立ち往生。あの人は今などたまに必要なお笑いだ。
歌っている最中言葉がかなり乱れたがお構いなし、アドリブで結構。計算しつくされた物語など興味なし。子供たちの大声で計算のない穢れなき世界は僕を奮い立たせて鳥肌ものの感動を呼び起こした。
あの日は確実に僕の中で何かが改革を起こした。
みなさん、またお会いしましょう!

2026年版のタペストリーはいかがですか?


ライブにハープは欠かせません


どこか落ち着く和のホール


こんな雰囲気はどうでしょう


ポストカードではありません


「BOSS、今日も頼みまっせ」

埼玉県さいたま市音楽サロントトボーノあれから4か月一つ歳をとって世界も変わり続ける

2026年01月10日 | カテゴリー: 山木康世  

前回は昨年の9月に行っている。日記を見ると事務所の近所で行燈を見つけて初めて使用した日となっている。あれから車で移動できるところには必ず持参して会場内室内の調度品、実用的な灯として活躍してもらってきた。あれから度重なるYAMAKINGSの現場で大いに力をもらってきた。当方の管理不行き届きの性分も手伝って、ある日、不具合が生じて台座に支障をきたして回復を試みたがうまく直らず今回は不使用となった。
我々の生活、特に夜の生活には電気の存在は不可欠なものとなっている。その昔には夜の明り取りには火を焚いてその明かりで昼のように生活をする、しかし夜に活動するのは夜行性の動物と泥棒くらいで人間はもっぱら、夜は寝るということで決まっていた。そして一部の人間が夜も活動したいと思い、またはやむを得ず火を焚いて活動、朝の太陽の出番を待ち飲んでいた。それが現代では夜も昼も当たり前のようにスイッチ一つ昼のような明かりを得ることができる時代になった。
しかしその明かりも元がないと照らしてくれない。そこで究極の原子力という手段の明り取りが経済的に一番と世界各国で重宝される時代があった。しかしご存じのように2011年における東北の大地震により原発の重大事故が発生、日本は他国同様大変な時代に突入。そして巨大地震、富士山噴火の予測がたびたびニュースになり、それほど経済だけでは語れない局面に入った。それでも専門家の調査によって再稼働合否を決められ、一時止めていた原発再稼働、本当に大丈夫なのという物騒なニュースも入ってきた。人間の人知の範囲を超えた大自然の驚異にあれほどおびえて懲りてきたのでは僕なんかは思ってしまう、いわゆる喉元過ぎてなんとやらである。
ホテルの8階の窓から見える勝田台の夜景。朝まで寝ずに都会の明かりは消えないままが当たり前になっている。本当に必要なのか、こんなどうでもいいような明かりのために原発におびえて暮らしているのか。そんな疑問はいつも頭から消えない疑問符で脳みその片隅に点っている。
電気は便利で人間の生活を大幅に向上、快適にしてきた。しかし人間の歴史において電気の生活はごみのような一部通過点の一点でしかない。1600年あたりであろうか、世界的に学者がしのぎを削ってここまで来た。電気によって睡眠障害などの病気も出てきた。こうやって文章を書いているのも電気のおかげである。電気のない生活など考えられない時代ではあるが、ちょっと立ち止まって子供の頃を思い起こすと、夜は暗く昼は明るいが普通だった。異常にたよるのも良くないのかもしれない、が電気のない生活は考えられないとジレンマは続く。戦争や紛争などやっている暇はないのである。
分からなくなってきた。
近所で入手した行燈は4か月の命だったのか。そんなはずはない。もっともっと慎重に扱えばと思ってしまうが後悔先に立たずである。何とか復活をさせてみると格闘の日々は続く。
市川市のサクラコートホールでは使用は叶わないが、いずれ元気な姿を見せると確信している。

浦和駅からすぐの場所にあるトトボーノ


体調は90%okです


お客様は全国7つの道県からいらっしゃいました

東京都港区南青山MANDALA父さんの白いワイシャツ袖口に見つけた冬の寒さ

2026年01月05日 | カテゴリー: 山木康世  

自称「AI元年」と称して、ずいぶんと心逸って新年午年初YAMAKINGSに臨んだ。結論から言おう。予想に反して場内の反応は意外と冷静で「オヤッ?どうしたんだろう、面白くないのかな」と温めていた企画がもろくも冒頭でつまずいてしまった。プロジェクターとAIによるオモシロ画像の数々は、本人が一番喜ぶ結果となってしまったようだ。開演前から用意していたギターケースをぶら下げて街中を急ぐ意気込みも、あまり伝わらなかった様子で、同じように用意した出で立ちで登場したのだが、あまり受けなかった。もっとも同じカーキ色のジャケットがなかったもので、これはどうかなと事務所を出る前に少々危ぶんだのだが、当たってしまった。わざわざケースに仕舞っていたギブソンを取り出して「待たせたな」とマイクの前、挨拶をしたのだがこれも受けなかった。それに続く「思えば遠くへきたもんだ」はなぜかいつもより身に染みて歌えたのは何故か不思議だった。おそらく楽屋を勇んで出たはいいけど、それほど沸かなかったことへの反省やら云々があったのか。後ろ姿までお見せして、ストップモーションまでして演出したつもりだが、にわか演技はピンポーンといかなかった付け焼き刃の刃の脆さを露呈した反省云々か。新年早々とんだもんた、矢張り自然流が一番と実はギターケースを開けた心境を誰が知る。誰が知るもんか。そんなこんなの「思えば♪」であったのだよ。しかし心配はご無用。そこは52年のキャリアがものを言い、むしろほくそ笑んでしまった心中誰が知る。誰も知らんよ、という声が聞こえてくる。
父さん母さんゴメンな。何度も母さんにはお酌をさせて、おいらは虫歯の前歯をのぞかせてケラケラ笑っていただけだ。AIは8歳のおいらと父さん母さんに5秒の息吹を吹きかけてくれる。こんなこと今の今まで逆立ちしたってできなかった芸当なんだけどな。と声を大にして言いたかったよ。でもいいのさ、そのうち体と心が慣れてくれるだろう。期待しよう。小難しいことは、この際抜きだ。発見が一つあったことを最後に報告しておく。父さんの白いワイシャツの袖口に注目。なんと静止画には履いていなかった長袖の肌着が映像では履いていたのだよ。これが見えた時、当時の冬の室内でも寒かった寒さがヒシヒシと伝わってきたんだ。
みなさん風邪にはくれぐれもお気をつけくださいね。

プロジェクターを使ってAI画像をステージ上に投影


新年ライブらしく日本酒で皆様と乾杯!


モノクロの静止画がカラーになり、さらに動くんです。8歳の康世君の笑い声まで


配信ライブに参加の方と生電話


あっという間の2時間でした

東京都中央区日本橋小舟町東京音楽堂ピアノホール2025年が終わってゆく

2025年12月31日 | カテゴリー: 山木康世  

思い起こせば前回日本橋音楽堂ピアノホールで絵に書いたような夕立に遭って、立ち往生、傘もないので帰れなくなった。そこで一計を案じてタクシーを拾って近くの駅へ。しかしあまりにも近い距離は悪いと思い神田まで走ってもらった。神田まで行けば中央線にすぐ乗れる。何故か中野へ早く帰りたかった。中野に着くと雨はすっかり上がって穏やかな夕暮れだった。「今日はいつもとガラリと違う日本橋での初ライブ。お江戸日本橋七つ立ち。朝の四時に出立。京都への旅の時間である。何かと日本のヘソのような日本橋。ここから東西南北へ旅人は旅立つ。しかしトークで勘違いして銀座と思い話してしまった。これは気をつけねばなるまい」と戒めたのにまたもや勘違いしてしまった。まぁ良いか。
2回目の日本橋は暮れも押し迫って残すところ2025年も2日である。お客さんも忙しいだろう、無理を言って申し訳ないなと思いつつ、異常なほどセキュリティーの厳しいピアノホールでのYAMAKINGS。思い残しのないように存分に弾いて吹いて歌い収めよう。
本年は118本YAMAKINGS。118×20曲。実に2360曲歌いきったわけである。1日に換算すると7曲毎日歌いきった計算である。日頃述べている「修練」は精神や技術を磨き鍛え上げることとある。目的や到達地点はないのであろう。決めようがないのである。
何らかの事情で止めざるを得ないときが終点。走ってきた電車から降りる時なのであろう。
本日の本編ラストは「寝ぼすけじいさん」であった。作った頃は、架空のお爺さんに向かって歌っていた。それがいつの間にか自分に問いかけ励ましているようにも感じた。長い時間歌ってきたなぁ。無意識に指が手が指板を駆け巡る。生きている証である。「無常」の世界が頭を巡る。子どもたちの計算のない歌は僕を感動させた。心を揺さぶり「無常」を教えられた。お正月の会報で少しこの「無常」という言葉を考えて見たいと思っている。
前回の夕立も無情であったのであるなぁ。今回で2025年最後も無情である。子どもたちの歌声も今となっては無情なのである。色々なことを勉強した今年の75歳は来る来年76歳へ弾みや飛躍を秘めているだろうか。
ご来場の皆々様へお渡しした、奇妙な形と虫のような馬の絵馬を見ながら今日の日を思い出してくだされば幸いでございます。瞬間瞬間の刹那は愛しいものですが、無常でもあるのです。
本当に今年一年もお世話になりました。来年もまたお会いしましょう。健常な心身は絶対唯一無比な宝物ですね。

本年ラストライブ、ありがとうございました


輝く森のタペストリーを飾って


サイン会もありました

墨田区両国亭におけるクリスマスをイエス様は喜んでくれたでしょうか

2025年12月26日 | カテゴリー: 山木康世  

二日目の両国亭は晴れ。予報では雨で、初日はシトシトピッチャン。少々出鼻をくじかれて、せっかくのクリスマスお祝い。しかし今日は晴れているではないかい。自称晴れ男健在なり。はたまた皆様方の日頃の懸命なる人生行路の賜物か。有難いことである。
イエス様降誕の日はやはり晴れであってほしいと願っていたので幸いである。天に思いが届いたと思える朝であった。
イエス様は馬小屋でお生まれになったそう。しかしこの日は誕生日ではなく生誕を祝って行う行事の日らしい。世界中でお祝いされるようになったのだから、よほどの人だったのだ。キリストの象徴的な色は3種あり「赤」「緑」「白」それぞれキリストの血、永遠の命、純潔という意味合いがあるそうで、恥ずかしながら今知った。 
あの子どもたちの歌声の色は「白」か。歌の正体は作ったときに既に定まっていたはずだが、改めて歌い方、声、というものが如何に大事であるかということに気付かされた。ふきのとうを通じて51年、そんな心持で書き続けてきた歌の中に、将来にわたって子どもたちにも歌ってもらえるような素直な歌というものがあった。自分も時として失われつつある、またすでに失ってしまった感覚を取り戻すことも大事で、可能である。スマホが無かった時代僕らは今よりも少し他者に対して関心を持っていたはずだ。ジッと下から見上げている我が子をそっちのけでスマホ画面に夢中になっている母親に対して少し不安感を覚える。
忘年会では各テーブルを回って今年の感謝、来年への希望などを話すことが出来て充実の2時間だった。そこにはスマホを広げるお客様は皆無だった。人が集まる熱気や大事さを感じて雨の上がった両国を後にした。
明暦の大火事でなくなった10万人を超える死者を祀るために幕府が建てた回向院(えこういん)がクリスマスのイルミネーションと同居していて時代の移り変わりを感じるが、威厳を感じる良いお寺さんだ。
隅田川を渡ってやがて両国。町の名前は小さな頃あった国技館のイメージが強く残っている。相撲は国技である。天才力士がハリボテの馬に乗ってふるさと納税の歌を歌う。何とも奇妙なCMだ。時代だといえば時代だが、失くなってほしくないモノもある。いくらスマホやAIなどのネット時代であるが人間のスピリットはますます美しく強いものがほしいと思ってしまう。歳のせいだろうか。
良い一日を過ごすことが出来ました。すべて皆々様のおかげでございます。こうしてダイアリーを書かせてくれるのも皆々様のおかげです。どうぞ心身ともにお元気で。今年は後1回119回目を30日の日に本年の締め、抜かりの無いようにキッチリネジできつく回して止めて2度とやって来ない2025年にジョッピンかけて別れを告げたいと思っております。


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