となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

真昼の速達便

2025年11月07日 | カテゴリー: 山木康世  

今回のお便りは深夜の速達便ではございません。
石垣帰り真昼の速達便「水色の木もれ陽」でございます。
明日のお江戸両国亭で今年のライブ100回目。記念に写真もどうぞ!今からスマフォンのチェックお忘れなく。

「水色の木もれ陽」

スケッチブックには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの瞳に
動物園までの 続く道に陽炎
ブランコに母親と 膝の上に子供
あなたが好きです いつものあなたが好き
影踏みしながら 僕は片目つぶる
小さなコートには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの体に

日曜日の朝は 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの瞳に
あなたが好きです いつものあなたが好き
影踏みしながら 僕は足踏みする
小さなコートには 風がさらさら吹き
水色の木もれ陽を あなたの体に
水色の木もれ陽を あなたの体に

※コートは衣類のコートでスポーツのコートではございません。

沖縄県石垣市JAZZ BAR すけあくろ ここは沖縄琉球王国

2025年11月04日 | カテゴリー: 山木康世  

とうとうここまで来たな、という感じの石垣市、地図を改めてみるとすぐ目の前、海の向こうは台湾である。ちょうど故郷北海道の根室と千島列島の距離という感じであろうか。それもこれもみんなふきのとうの「風来坊」のおかげ。あの歌がなければこれほど人生で何度も訪れることができなかった沖縄、琉球王国。そして石垣島、あの夜、南麻布のマンションの一室でこの歌が生まれなかったらこの石垣島までつながっていないのだ。もちろんふきのとうがなければここまで行きつかない。あの夜石垣の「養老の滝」で近藤マネージャーと飲んで、港へ行ってほろ酔い機嫌で海のかなた水平線に見た南十字星はホント輝き光っていた。今は近藤もあの星のどこかにいるかもしれない。那覇の日の夜には山口にも会って近藤の話にも及んだよ。穏やかで良い人だったと振り返っていたよ。僕らは同じ歳で馬が合った。年に一度の皆での短い再会を惜しむかのように朝までよく飲んだな。
昔誰かが言っていた。ストーンズはベイビーだけでステージができるが、ディランはできないと。僕が高校生の頃、洋楽でも何を言ってるのかが問題だった。GSになびかなかったのはやはり歌詞にあったのかもしれない。今でも自分で作るようになっても詩の根本は変わっていない。今日のライブは「風に吹かれてMinstrel」から始めて、アンコールは「風来坊」「憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース」で終えた。
沖縄4日ツアーが終わった。日本であるが異国情緒満載の沖縄。

♪青い空が広がる ここは南の島 海はサンゴの緑色 ここは沖縄 レイレイホー♪

永遠であれ沖縄琉球王国!
みなさんありがとうございました。しばしの別れです。どうぞお元気でー

沖縄ツアー最後は石垣島で


会場は10年ぶりに訪れた「すけあくろ」


FM沖縄の野底美智代さんと

沖縄県沖縄市Crossover Café 614 またお会いしましょう!

2025年11月02日 | カテゴリー: 山木康世  

沖縄も本島最後のライブ。その昔はコザ市、そしてふきのとうデビューの1974年沖縄市が誕生。沖縄市民会館ができた年に栄えあるコンサートを開催している。初めて高速道路というものを沖縄県で乗ったような覚えがある。会館はお墓の上に建てられたおいう話を聞いた。沖縄のお墓といえば人が住めるほど立派な門構えで山や崖の裾にあって初めて見たときにあれは何だとき驚愕した。アメリカが上陸して人々が逃げ回ってお墓に逃れた人も大勢いるんだろうな思ったものだ。
今日は沖縄としては珍しいくらい湿度がなく過ごしやすいホテルを出ると少し肌寒いほどの気温である。小春日和という形容がピッタリの石垣島離陸の日である。前日の沖縄市Crossover Café 614は懐かしいデイゴホテルの直ぐそばにあった。角の赤いポストも健在、長い年月を持ちこたえて突っ立っていた。デイゴホテルに連泊した日を思い出す。
普段はロックが基本なのか、音響も照明も行き届いており本島最後のライブにふさわしい会場だ。マスターは若いころ本州で音楽関係の事務所におり北から南へと旅したそうだ。iPadを使って音の調節も念入りに行う。大勢の「ふきのとう」以来のお客さんで埋め尽くされ、幸福な2時間越えと相成った。
沖縄のお客さんは想像と違って大人しい人が多い。でも歌好きの人、酒が入れば踊りに興じる人も出てくる。昨日の反応も少し大人しめでいささか緊張した。
また沖縄、来たいと思いますが何時になるやら。どうぞお元気で体に気を付けてまたお会いしましょう。お忙しい中、みなさんありがとうございました。

沖縄市は沖縄県中部にあります。


石畳の雰囲気ある通りに会場はあります。


アメリカと日本が交錯する街OKINAWA

那覇市桜坂劇場ホールB未だ色あせぬ僕の中のOKINAWA

2025年11月01日 | カテゴリー: 山木康世  

天気予報は大外れ、過ごしやすい沖縄。いつも見慣れているスコールは突然やってきて去ってゆく。雲が勢いよく空を流れ音を立てているかのように移動する。来るなーと思っていたらフロントガラスにポツポツ、やがてザーッとやってくる思い出通り雨。
早沖縄にやってきて50年は経つ。72年に本土復帰、時の佐藤首相はノーベル平和賞をいただいた。そしてめでたく5年後、白い冬をひっさげて沖縄へ。まだこの年には右側通行、翌年日本の交通ルールに従う。年末に行ったので信号にカバーがかけられて来年から左側。慌ただしい沖縄だった。
そして沖縄が決定的になったのは「風来坊」だった。年忘れ野外ライブで大うけだった。雨の中大勢のお客さんは気にもかけず手拍子、指笛、離れ故郷は寒い雪の中での年忘れ。この信じられない光景にただ驚くだけ。思い出すなぁ20代の沖縄の印象は、水泳を除き本当にエポック的に脳裏に刻まれていて、今でも色あせないで鮮明に残っている。
国際通りも変わった。米軍の放出品ももうどこにも見かけない。ベトナム戦争が色濃く残っている沖縄だった。
そのころ「風来坊」がどんな感じで沖縄に流れていて、どんな人たちが夢中になってくれたのだろう。歳がいけばいくほど尽きない興味である。あのころギターで歌ってくれた中学生も中年の域か。彼ら彼女らフォークソング好きのうちなんちゅーに乾杯だ。ますますの健康・発展を願う。
昨日の桜坂劇場にお集まりの皆さんへYAMAKINGSONGSの素をお届けできたと思っている。ギター弾き語りの醍醐味、味わいを今後もますます深めて参ります。どうぞご期待ください。お忙しい中まことにありがとうございました。

年に一度の桜坂劇場で山木劇場を展開


お供の虎も静かに聴き入っています


那覇フライデーナイト、場内は大盛況!


旧友の山口さんとハロウィンのイルミネーションに彩られる


本日は沖縄市でお待ちしています

沖縄県名護市名護・バードランド は恩納村のお隣

2025年10月30日 | カテゴリー: 山木康世  

那覇から国道58号線を上ること1時間半、目指す名護に着く。途中嘉手納空軍基地を見て、そういえば今回のトランプ大統領は横須賀の海軍基地で兵士の労をねぎらい称え日本訪問を終えて韓国へ。今までだと沖縄の基地を訪問というのが正しいあり方のように思っていたが、横須賀へと向かった。トレードマークのアポロキャップを被って、歴代の大統領では一人もいなかった。時代を大いに感じる。トランプは経済大好き人間なので武器を使って人を犠牲にしての戦争はしない。その代わり関税とネットという武器を使って世界を相手に戦う。泥沼のベトナム戦争の渦中に生きたトランプは嫌いなのである。血を流してまでも戦いたくないのである。その代わりにダンスをして思想や宗教や主義などが好きではく、まさにジョンの「イマジン」を地で行ってるのかもしれない。
かつて一度「バード・ランド」へうかがっている。螺旋階段を3階へと上ると会場はある。前回は感じなかったが歳のせいなのか少しきつかった。
沖縄ツアーの初日を占うかのような節目の年齢の幕開けは大事である。いやがうえにも伸し掛かって迫ってくる高齢者という言葉の響きに負けてはならないが、むろん抵抗しても限界があり無理が生じてくる。肉体は確実に老いてゆく。しかし精神はどうかというと人それぞれ、強靭になって丸くなって面白くなる人も大勢出てくる。僕らは無人島で生きているのではなくて周囲の人とのかかわりあいで生きている。
自分に素直に、かといってあまりはみ出ないではつらつと軽快なフットワークで生きてゆけば自律神経は健全に保て、病は気からという言葉とは無縁に生きてゆけるだろう。
本日はお忙しい中、誠にありがとうございました。
今日は女の村、恩納村を戻って那覇へと南下します。

ペットの虎を連れてきました


アンバーな照明がYAMAKINGの歌にピッタリ

クリスマスソング ミニアルバム発売

2025年10月28日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部  

「YAMAKI YASUYO SILENT CHRISTMAS」

全7曲入りミニアルバムを明日の名護ライブから会場で販売します。
同時に「BASE」でもダウンロード販売します。
よろしくお願いいたします。


渋谷区代々木参宮橋「革命と鍛錬」と馬耳東風

2025年10月26日 | カテゴリー: 山木康世  

参宮橋と言うからどこを参宮するための橋だと思っていて今になって気づいた。すぐ近くに明治神宮という大神宮がある。そこへお参りをするための橋だった。では何処から明治神宮へお参りするのか。小田急線参宮橋前から徒歩で4分ほどで到着。別に橋という橋はなくてこのような経緯で地名はあった。
ちなみに明治神宮もそれほど古い神宮ではなく、読んで字の如く明治天皇様とお妃様を祀られていると言うから、天皇様がお亡くなりになられた後に大正9年に建立されたという。大正9年といえば母が生まれた年である。
LIVEは生モノである。「その後のオータムマン」で歌い始めた。オータムマンとは、その昔にでっち上げた僕自身の化身である。飽きっぽい秋の男とでも言ってくだされ。生まれ変わったオータムマンのこと、母の生まれ変わりは蜘蛛であること云々。そして9月4日のけやきホールで冒頭に歌った「星空ホテル1022号室」この日は奇遇で母の命日であった。そして「粉雪」の中に「虫たち 花たち」が出てきた。何も計算や思惑など一切無かった「参宮橋革命と鍛錬」先日のバースデーLIVEとは一味違ったYAMAKINGSONGS。
本来ふきのとうではない山木康世の得意とする歌たち本領発揮のLIVEだったようだ。
外はとっぷり暮れて、小雨がそぼ降る晩秋の参宮橋、そこにこの日の命題でもあるような「革命と鍛錬」なんだか言葉で説明のつかない、74歳のプロフィールで記した不思議な安心立命を感じた。筋書きのない2時間は時空のなせる技、妙に坂道のある一度迷い込んだら永久に脱け出せないようなラビリンス街のなせる技ではなかったか。
朝と夜が変わらない13度という肌寒い12月のような参宮橋を後にした。
鮫洲で自動車免許更新の後、晴れて琉球王国へひとっ飛び、1週間後にはお江戸へ舞い戻って来る次第です。
皆様お寒い中誠にありがとうございました。ちなみに本編最後は「馬耳東風」で終えました。明治神宮に隣接している「東京乗馬倶楽部」があったからではないです。ばじとうふうと読み、人に何を言われてもまるで気にせず、知らん顔をしていること。

新曲は「馬耳東風」。来年は午年ですもんね


レトロなビル内の会場は落ち着きました

南青山MANDALAで人生の節目を祝う

2025年10月24日 | カテゴリー: 山木康世  

75回目の誕生日。70代と80代の真ん中の日々。
60代は還暦という60年に干支が一回りして元に戻るという大節目の一大イベントだった。そして10年経って古稀という古来まれなる年代突入。人生50年と言われていた時代の人にとっては75年生きるということは未知の世界。一番は栄養状態なのか。その時代の人にとって塩は大好物。塩辛いものでコメを食う。しかし徐々に栄養学が発達していろいろなことが解明されてきた。そして今も続いている。
塩満載の海から上陸してきた生き物の末裔が我らだったとしたら、母親のような存在が海。海は塩辛い。その塩が血管に悪さをする。血管、つまり血の通り道が詰まったり破れたり、そして病を発生、死に至ったりもする。解っちゃいるけど母なる海の故郷が忘れられなく塩を舐める。方や砂糖はもっと手強いらしい。子供のころ母親の障子貼りを手伝って、最後に器に残った糊、つまりデンプン糊に砂糖を入れて食べた。美味かった、そりゃそうだ澱粉=馬鈴薯だもの。そのうえ甘い砂糖と来たら止められない。
今日から世間から後期高齢者と言われる。いかにもお役所的区分の呼び名だ。高貴、光輝、好奇などなど同音異義語がある。後期の次は何?末期、こりゃまずい、いずれにしても皆通り過ぎてゆく道。
3人に一人が60歳以上というニッポンらしい。僕も40代の頃にそんなタイトルのエッセイを書いた記憶がある。この度国勢調査が行われて人口分布の詳しい今を知ることになるだろう。
ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、エリック・クラプトンそうそうたる先輩80代ミュージシャン。いつの間にかここまで来る時代になったかという雑感。人生100年時代は本当なのかもしれない。
さすればまだ25年もある。しかし25年前と言えば50歳。確実に足の衰えは感じる。歩かなくなったからなのか歩けなくなったのか、どちらかであるが足から来ると聞いていた老いの始まりは確かなのである。
昨日高らかに「RAOJIN」を歌い上げて締めても良かった。「グッドナイトグッドナイト」で締めようという前夜未明の気分だった。
会報132号も発送完了。「山木倶楽部」は歳が行ってますます威光を放つ存在になるような気がするしそうしたい。そのためには中身の充実、健全、生きる意識の強さ。倶楽部自体の活況さ、ゴチャゴチャした個人的物議はさておいて、集団でいることの安心、強さを大いに感じて生きてもらいたい。
そのための羅針盤としての未だ見ぬ力のある歌を書いていこうと思ったトラオンパレード南青山MANDALAであった。
みなさん我が誕生会にご出席いただきまことにありがとうございました。遠方からの惜しみないご支援、ご協力、誠に感謝する次第です。
明日は参宮橋の「革命と鍛錬」何やら意味深な店名、お待ち申しておりまする。

75歳の出発も視界良好、前途洋々


寅年のパワー全開します


クリスマスムードの照明も

新宿永谷ホールFu-いよいよ高貴高齢者の仲間入り。

2025年10月22日 | カテゴリー: 山木康世  

先日白内障の施術をして医者嫌い病院嫌いと言ってられなくなったなとジョイさん連に感謝した。
鉄はいつの間にか酸化してボロボロになる。生きる者に必要不可欠な酸素の成せる技。鉄でさえあの様なのだから、もろくてナイーブな骨や肉などは必然的に壊れる運命にあるのだな。実に皮肉な神様の采配。
75年生きてきた。今年のバースデーライブは本当に贅沢で申し訳のない時間を皆さんと共有できて幸せである。古希の五日間も貴重なイベントだった。あれから5年が過ぎたとは、さすれば後5年も直ぐにやってくるのか。80代突入か。
いつの間にか歌で生きる道を歩いてきた。それも自作自演とは恐れ入谷の鬼子母神。
新宿永谷ホールは月日の匂いを感じさせる旧いホールだ。人間は生きていく上で匂いを発して生きて行く。毎日毎日新陳代謝をするためには食べて古くなったモノを外に排出しなくてはならない。しかし人類は匂いを消し去る技術を発明、クリーンな人間像をこしらえた。
人間臭い歌をより強く作らねば成るまい。それとも少し鼻の穴を狭めてしまえば済むかも知れない匂い問題。しかし美味しいモノの匂いまで分からなくなっては困るな。
昔の家の中は臭かった。いろんな匂いが入り交じって臭かった。習慣と慣れで自分の家の匂いは気にならなく、むしろ懐かしさや居心地の良さを感じたりした。他人様の家の匂いを奇異に感じたりした。早く帰ろうと母親と玄関を後にする。そして思いっきり外気を吸って「うまーい!」しかしその空気中に潜む酸素は鉄をボロボロにしてしまうんだぞ、とは気がつかない洟垂れ小僧も75歳になった。
早いですね。明日は本番、嘘偽りのない日で、母の子宮から空気を吸うために思いっきり這い出でた記念の日である。父は自転車で1時間もかかる職場から急いで駆けつけて何を思ったことか。1950年10月22日は日曜日なのでつじつまが合わないぞ。役場に届けた日なのかも知れない。札幌の10月と言えば晩秋情景。吐く息も白いつるべ落としの夕暮れは寒かったろうな。産婆さんの森さんのおばさん、ありがとうございました。森さんがいなかったら、先ず畳の上を第一歩、そしてこの世を歩き始められなかったのですから。
みなさんお忙しい中、誠にありがとうございました。
南青山MANDARAでお会いしましょう。

ちょっと間抜けな顔の虎ですがよろしくです


後ろ姿も気を抜けません


ご主人様、チューニングしておきました


正座ができないのでこれでお許しを

新宿永谷ホールFu-はどうしてFu-?

2025年10月21日 | カテゴリー: 山木康世  

西武新宿線の始発地は西武新宿ホテルがある通称ぺぺビル、新宿歌舞伎町の勢いがここの線路によって断たれる。その線路沿いの沿線風景は昔の痕跡を留めて独特の味わいを出している。駅から歩いて沿線直ぐにFu-の青い看板が目に入る。ここが永谷ビル。ここの永谷さんはどうやら不動産屋さんで理念を持っていて芸人の育つ根拠地にしたいというものだ。と楽屋の壁の張り紙に書いてあったような記憶がある。
昨日は落語の催し物があったようで、そこを訪れたお客さんが今日の日を知って来られたという話を伺った。僕は全く思っていないのだが、世間の75歳のバースデーライブというイメージは相当な老齢な弾き語りシンガーという感じであろうか。
そんな噂話をよそに今日はバースデーライブ初日ということでアマチュア時代の歌、なんと50年以上、つまり半世紀前に作った歌20曲オンパレードと相成った。まぁ自分で言うのも可笑しいが今とさほど変わっていないビル建物の外観であるな、という印象であった。しかし住んでいる住人は大いに風貌容姿は変わっているし周りはドンドン変わって行くのが現状である。歌の特に歌詞は原形を留めている。しかし歌い手の心理は天と地の違いもあるほどの時間的経緯がある。つまり昨日と少しずつ変わって行くシワの深さ、長さ、頭髪の有無、目や耳、歯などの衰えによる時間的経過で50年前と偉い違いのヒトがそこにいる。そ
の人が醸し出す歌曲、これは相当に面白い体験なのであるな。機械やAI技術では成し得ないその場でしか成し得ない事実、実に興味深い事実なのである。本人が言うのであるから間違いがないが、熟成、発酵などに似ているかも知れない。一歩間違えば腐敗ということにもなり得る事実。
昔と今の渾然一体。表裏一体と化した2時間であった訳である。これは一つのドキュメント、即席では作れない時空間、未だ解明されていない脳という生命維持装置器官が作り出している生き物の世界の奇妙で、はたまた理性的な現実空間の経験は金銭で買うことの出来ない財産であるような感じに見えてくる。
日が明けて2日目の今日は、より今に近い時間内に作ってきた歌たちの2時間としたい。
すっかり10月の中旬の顔をした西新宿歌舞伎町でドキュメントの出来る幸福感を味わいたいと沸々と心底思っている丑三つ時を後にして、もう寝ます。

ペットのトラ2頭がステージに登場


鈴木さん、毎度お世話になります


北海道から九州までお客さんにお越しいただき感謝です

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