墨田区両国亭におけるクリスマスをイエス様は喜んでくれたでしょうか
2025年12月26日 | カテゴリー: 山木康世
二日目の両国亭は晴れ。予報では雨で、初日はシトシトピッチャン。少々出鼻をくじかれて、せっかくのクリスマスお祝い。しかし今日は晴れているではないかい。自称晴れ男健在なり。はたまた皆様方の日頃の懸命なる人生行路の賜物か。有難いことである。
イエス様降誕の日はやはり晴れであってほしいと願っていたので幸いである。天に思いが届いたと思える朝であった。
イエス様は馬小屋でお生まれになったそう。しかしこの日は誕生日ではなく生誕を祝って行う行事の日らしい。世界中でお祝いされるようになったのだから、よほどの人だったのだ。キリストの象徴的な色は3種あり「赤」「緑」「白」それぞれキリストの血、永遠の命、純潔という意味合いがあるそうで、恥ずかしながら今知った。
あの子どもたちの歌声の色は「白」か。歌の正体は作ったときに既に定まっていたはずだが、改めて歌い方、声、というものが如何に大事であるかということに気付かされた。ふきのとうを通じて51年、そんな心持で書き続けてきた歌の中に、将来にわたって子どもたちにも歌ってもらえるような素直な歌というものがあった。自分も時として失われつつある、またすでに失ってしまった感覚を取り戻すことも大事で、可能である。スマホが無かった時代僕らは今よりも少し他者に対して関心を持っていたはずだ。ジッと下から見上げている我が子をそっちのけでスマホ画面に夢中になっている母親に対して少し不安感を覚える。
忘年会では各テーブルを回って今年の感謝、来年への希望などを話すことが出来て充実の2時間だった。そこにはスマホを広げるお客様は皆無だった。人が集まる熱気や大事さを感じて雨の上がった両国を後にした。
明暦の大火事でなくなった10万人を超える死者を祀るために幕府が建てた回向院(えこういん)がクリスマスのイルミネーションと同居していて時代の移り変わりを感じるが、威厳を感じる良いお寺さんだ。
隅田川を渡ってやがて両国。町の名前は小さな頃あった国技館のイメージが強く残っている。相撲は国技である。天才力士がハリボテの馬に乗ってふるさと納税の歌を歌う。何とも奇妙なCMだ。時代だといえば時代だが、失くなってほしくないモノもある。いくらスマホやAIなどのネット時代であるが人間のスピリットはますます美しく強いものがほしいと思ってしまう。歳のせいだろうか。
良い一日を過ごすことが出来ました。すべて皆々様のおかげでございます。こうしてダイアリーを書かせてくれるのも皆々様のおかげです。どうぞ心身ともにお元気で。今年は後1回119回目を30日の日に本年の締め、抜かりの無いようにキッチリネジできつく回して止めて2度とやって来ない2025年にジョッピンかけて別れを告げたいと思っております。



東京都墨田区お江戸両国亭年の瀬の慌ただしさに拍車をかける「満」の赤字
2025年12月25日 | カテゴリー: 山木康世
久しぶりの雨である。ここのところ雨知らず、小春日が続いていた。そこへ来て今日、明日と雨の予報。寒さも一段と冬である。
しかしクリスマスの季節、街はクリスマス。それが終わると大掃除、餅つき、神社へ行って鐘もつこう。百八つもつけば煩悩も滅却するだろう。年の瀬、一夜明けたら新年のご挨拶。忙しい、忙しい、目まぐるしく変わる師走の毎日。先生も走らなければ追いつかないほどの慌ただしさが毎年恒例の年末風景。
今日明日と連日の両国亭である。が近所の駐車場が「満」ちょっと前まではなかった光景である。どこもかしこも「満」。後に判明したことだが、これはお昼の時間帯における騒動。年末の慌ただしさに拍車をかける。それでも町内を一周、運よく1台空いていた。捨てる神あれば拾う神あり。もともとここの両国亭はすぐとなりが駐車場だった。当初はこの安心感がコンディションを良くしてくれた。それが2年ほど前から周りに塀を作って、整地を始めてしまった。それからは駐車難民、快適さは失われても何とかやってきた。独特の和のステージはギター1本弾き語りの味わいと風味を増してコクが良い感じで増えた気がする。
今日はクリスマス用特別の大幟を壁に掲げて雰囲気を盛り上げた。正面にはおニューのYAMAKINGS。
「メリーメリークリスマス」「雪の街東京」「憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース」「SnowStarShow」「クズ」「サヨナラの時は北風の中で」最後の「路地裏のオータムマン」まで冬色に染めてみた。
明日はさらにクリスマスムードを加速、本番と行きたい。キリスト教ではないけれど、地球世界の平和を願いキリスト降誕を大いに祝おう。今日歌っていない「砂のクリスマス」「メリークリスマス」はもちろん用意している。

クリスマスライブ1日目のタペストリー

クリスマスソング満載のライブ

明日もお楽しみに
東京都江東区/スタジオ シェ・クロード降って湧いたようなバッテリー消失問題
2025年12月23日 | カテゴリー: 山木康世
責任や義務などの対人間同士のルールは、時と場合、人種、男女などにより異なり、これといった一つのモノで決められない判断なのかも知れない。
人は誤った行為などしたとき、その場に居た者に対して先ず償いをする。次に謝りの対象は予期せぬ事への釈明。それに起因、追随する事柄への影響を考えての釈明。などを行い人は徐々にその出来事を何事もなかったかのように忘却の彼方へ葬り去る。
御託を並べたが、スタジオシェ・クロードにおけるパソコン電源ダウンにより緊急停止。電気がなければ只の箱、文字通りの真っ黒な物言わぬ四角い画面が目の前に立ちはだかっているだけ。あれほど抜かりなく今までは臨んでいたのに、些細なことから油断と精神的不備からこの事態を招いてしまった。過去今までに3回ほど経験しているが、非常に体に悪くお客様には多大なるご迷惑をおかけした。
なにやら画面に警告のような文字群。バッテリー不足の忠告。まぁ30分ほどは持ってくれるだろう。文字数の多いややこしい歌を優先することにした。
「RAOJIN」を久しぶりに歌った。決して自身の事を歌ってはいないと申し開きをしてから歌った。たたみかけるように5分以上を歌いきる。
脳裏を横切る「バッテリー不足」そして最悪が訪れた。突然の「ダウン」不幸は突然訪れる。脳味噌は予想はしていたが、意外に早く訪れた思わぬ事態にパニック。この事態を解決するには事務所に置いてきた専用バッテリー意外に解決方法はない。今時はスマフォなどと共有できるCType電源ができない。
この電源問題は何かと長いこと悩みの種でもあった。PC各社手を変え品を変え本当に色々なバッテリーを専用に取りそろえて来たもんだ。先ず内径と外形の違い、違いにも大きさと+、-があって落ち着く暇がなかった。どうして各社これほど違うモノを考えるのか、これはお客様を考えたら直ぐに解決できる問題だろうと、いつもあの頃は憤慨していた。
そしてCType供給という夢のような解決方法が待っていた。頭の良い人たちが時間をかけてよってたかって解決した問題にしてはやはり独自性ということが問題となってくるのだろう。民主主義的に考えれば、お客様の幸福を優先に考えてくれたらもう少し早く解決していたであろう供給問題。電気がなければ只の箱。このお題目は一番のお題目なのである。
この日の全ての問題は自身にある。バッテリーを鞄に詰めさえずれば問題はなかった。今まではこれを保険で持ち歩いた。しかし今日は何故か置いてきてしまった。わずかの省略が仕事に大きな穴を開けてしまった。大いなる教訓である。保険は二重三重にかけても問題はない。少しの労力を惜しんではいけない。何が待っているやもしれない。脳味噌はフル回転、いつにもない重労働の日だった。
PC本体の性能向上は目を見張るものがあるが、未だに電気の供給に関しては未開の土地にクワを打ち込んで、金さえ出せば20時間フル活動などが関の山である。早く1週間程度は持つようなシステムを誰かが考えついてほしい。燦々と降り注ぐ太陽の恵みを常時確保できるようなソーラーシステムの開発など出来そうなことは幾らでありそうな電源問題。福島や柏崎辺りからも1000万都市住民は恩恵を被っている。忘れては成るまい、今や電気は国境を越えて世界の共通問題なのであるな。
お忙しい中、お寒い中お越しいただいた皆様、ありがとうごいました。
明日、明後日はクリスマス、サンタクロースの訪問を体で大いに受け止めて良き日にしよう。お待ち申しております。

ステンドグラスがきれいな会場です

リクエスト曲も歌いました

天照大御神を祀る深川神明宮
今日のあんさんぶる音は諸事情により変幻YAMAKINGSONGSと相成った。
2025年12月20日 | カテゴリー: 山木康世
今日のあんさんぶる音は諸事情により変幻YAMAKINGSONGSと相成った。
2時間の途中でユニコーンカード(タロット)によるお客様の、今日の今の心を覗き見させて頂いた。結論を言おう。すべての人に共通して「癒し」「分かち合い」「LOVE」が導き出された。非常に理にかなったカードが引き出された。51年続けて来ての僕の音楽心理、音楽モットーなのであった。こんなに分かりやすいカード遊びに大いなる感謝をした。
占いや易は、退屈な人生における道草、遊びなんだろうな。理詰めや計算だけでは人生は肩が凝ってしまう。そこで一寸骨休み、箸休み的なひと時で脳みそを撹拌する。風呂の水を時折撹拌するの似ている。淀んでいては居心地が悪い。思いが偏ってしまう。悪い方へ悪い方へ考えがちだ。そこで湯水を撹拌。まるで宇宙の星星の渦巻きにも似ている。ジッとしている、つまり之は死を意味する。動いていることこそ生きている証なのだ。生きていなくては意味がない。そのために遊びも大いに必要なのである。否むしろ遊びのほうが主であるやもしれぬ。その遊びの中から、本当に必要なものや人が浮かび上がってくる。「働いて働いて」なぞは誰が考えた導きなのか。間違っているかもしれない。人が生きるとはそれほど数字で決められるほど単純ではないのだ。割り切れぬココロというものが物を言うのが生きることなのである。その中に数字もある。数字に追われて息苦しい世の中。間違っているのかもしれない。江戸時代の人々の暮らしぶりや人間関係や大自然、大宇宙を考え直すべきなのかもしれない。国を挙げての戦争などもってのほか、何のための結果を待っているのかサッパリ意味不明。莫大な軍費をかけて一般民衆の幸福などありえない。本当にメディアも政治家も妙な舞台で踊り狂っているとしか思えない。決して僕らの生活の潤い、幸福を考えているとは思えない。破滅の方角へ導いているようにも見えてくる。
一万円、五千円、千円札の偉ぶってニコリともしない賢い先生たちに時折AIで微笑んでほしい。
宿寂びる 庭の木の葉の積るより 人待つ虫も 声弱るなり/秋篠月清集

リラックスムードのライブ
さいたま市アトリエM/「好酒 佳肴 良客 満座」
2025年12月17日 | カテゴリー: 山木康世
「好酒 佳肴 良客 満座」
大きな額に掛かっていた言葉。なかなか奥深く意味深な言葉と思って記憶した。台湾料理店の壁に掛かっていた言葉だ。
ネット社会になって色々なモノが僕らの目に入るようになった。以前には考えられなかった情報量の中で僕らは一つ一つ考えて自分に合うモノを種々選択しているだろうか?案外、自分ではあまり考えずに、世の中の大きい声に流されて生きていないだろうか。
そんな中でさいたまアトリエMの夜、中野で見つけた額である。
僕の仕事に当てはめてみた。
好 佳 良 善 宜 good nice ヘ(~。^)/ =満席
色々な顔を持つ言葉に気がつく。
月並みであるが、やはり悪いモノ、ヒトより良いモノ、ヒトの方が良い。
数や量が、より重きとして置かれるネット社会。置き去りにしてはいけない質の問題が問われる時代なのであるな。
経済=お金。お金には質がない。良いお金や悪いお金の区別はない。ヒトによって価値観が変わるのは確かだが、お金はあるに越したことはない。お金がお金を生んで富めるモノは拡大して行く。それだけで果たして良いのか。幸福になれるのか?
幸福の前に立ちはだかる病という大敵。老いに付きものの一つに病が挙げられる。
病は気からという言葉がある。略して山木である。
遠い昔の人の書いた額の言葉を見て考えた次第である。
人が集まるところには、先の額のような言葉や心があれば自ずからいっとき幸福になるなぁ。
アトリエMにお集まりの皆様、お忙しい師走の中、寒風の中、誠にありがとうございました。
明後日19日は西新宿あんさんぶる音でお待ちしています。


次回のアトリエMライブは2月です

素敵なリースが出迎えます
2023年東京新宿文化センターホール50周年記念コンサート 記念DVD発売のお知らせ
2025年12月13日 | カテゴリー: 山木倶楽部
2023年10月22日に開催致しました
「山木康世 Live Lovely 2023 TOKYO」
山木康世 50周年記念コンサート
~ギターと歌で半世紀半生記!~
新宿文化センターでのコンサートの全曲収録のDVDを発売します。
発売日は 12月24日(通販は申込確認後12/26以降の発送)です。
DVDと写真集セット 7500円(税込)
写真集のみは、ライブ会場販売 1500円(税込み)、通販は 1700円(税込、送料別)
購入方法は以下のとおり
①ライブ会場
②ゆうちょ銀行
ゆうちょ銀行 口座番号:02760-9-101611
口座名:山木康世オータムマンコンサート
青い振込用紙に、住所・氏名・連絡先電話番号・申込 内容を必ず記入して下さい。
申込内容は、新宿文化センターDVD と 購入枚数を記入して下さい。
7500円×購入数+送料430円を送金ください。
写真集のみは、1700円×購入数+送料(1冊は210円、複数冊は430円)
③山木倶楽部通販ショップ
https://shop.yamaki-club.com/
今回のDVDは、写真集とのセット販売です。
内容は、当日のステージ写真のほかに 秘蔵写真も! ご期待下さい。
お問合せは、山木倶楽部広報担当 080-3503-3813 kouho@yamaki-club.com (川口)まで。
<収録曲>
十六夜の月/孤独/二人が/やさしさとして想い出として/山のロープウェイ/津軽鉄道各驛停車/長距離運転/ほととぎす/つのる思い/向こう岸/嶺上開花/思えば遠くへ来たもんだ/白い冬/風来坊/春雷/ターコイズナイト/風に吹かれてMinstrel/旅鴉の唄/僕らは夜明けを待っている/きらめく星座
<encore> 天人様/柿の実色した水曜日 全22曲

千葉県柏市/柏StudioWUUケーキと紅茶はリラックスタイム
2025年12月13日 | カテゴリー: 山木康世
いつもは時間になると1ベルが鳴ってBGMが大きくなり、やがて場内が暗くなり集まったお客さんの私語もなくなり、やがて登場。ステージが始まりだす。演者がスポットライトを浴びてお客さんの待ち望んだこの瞬間を一気に開放、期待に存分に応える。まさにこの瞬間のためにステージはあるのかもしれない。やがて脳内を駆け巡る待ちに待った歌やメロディたちが続々と平和な軍隊のように行進を続ける。得も言われぬ「場」の強烈なエネルギーは人々の感情を揺さぶり、時には笑い、時には涙、時には大いなる明日への賛歌として有限な時間を最大限、打ち上げ花火のように大きく花開き、やがて突然の終焉となる。まるでそれは人生の始まりから終わりまでを集約したようなイベントなのかもしれない。コンサートやステージが相も変わらず行われるのは、そんな物言わぬ演出の集約なのである。こんな分かっていそうで分からないまま若い時分は当たり前のように18年も、夢のような時間を過ごしてきたのかとハッとした。人生はまたいろんな人たちの、いろんな形のステージでもある。それが80年も続くのであるから長いといえば長い、アッと言ってしまえば短い。
僕が近頃週に3回、年に100回越えの弾き語りYAMAKINGSと称して音楽人生の幕引きを行っている現実の姿を思えば納得のいく人生劇場を繰り広げているのかもしれない。実に自分にとっては重要で貴重な時間の過ごし方である。一言では言い切れない自分流の音楽観を毎回毎回確認、向上、刈り入れ、修練のような感じも時折感じる。そんなとき今日のようなティータイムは何かを語り掛けてきた。リラックスのつもりで音楽をして生きてきたが、そこに本当の意味でリラックスはあっただろうか?
他人と共有できるリラックスタイムは実に重要な、今現在過度に発達したネット社会の時代に生きる我々現代人たちの精神は疲れていないだろうか?その昔の10年に一度の戦争と言うの時代のストレスはないが、忍び寄る老いへの不安、このままでいいのだろうか、明日には何とかしなくてはと思いつつビルの谷間に落ちる夕日を眺めて、きれいだなぁと終わってしまう自分。明日はきっと良いことが待っている、良い日にしよう!みんな少なからず抱えているであろう、しなければいけない事柄を先送りにして、それと共に眠りにつく。リラックスタイムの親分の揺りかごの元、やがて朝を迎える。
北海道に「茶志内(ちゃしない)」という町がある。丁寧な誘い言葉でお茶しない?「歌志内(うたしない)」という町もある。お歌しない?
今度故郷の北海道に帰ったらここいらの町でリラックスタイムはありだなぁと丑三つ時に今日の日のダイアリーを書きつつ我が脳みそに忍び込んできたアイデア。どうだろう?
初めてのティータイムlivelibrary、柏WUUにおけるあなた様の脳内開放、リラックスタイムと相成ったでことしょうか。
またお会い致しましょう!

紅茶で「かんぱ~い!」

ケーキは数種類の中から選ぶことができました
神奈川県大和市鶴間アートロイド スタジオで浦島太郎さんを前に
2025年12月12日 | カテゴリー: 山木康世
何時だっただろう。東名高速道を名古屋方面から戻ってきたときのことである。高速道の上にかかる陸橋に書かれた文字「大和市は60歳以上を高齢者と呼ばない街」とあった。いろいろな街に未だ出かけるYAMAKINGであるが、他の街で見かけたことのないスローガンであった。そしてその後ここを通るたびに、まだ書かれてあるだろうかと期待するようになった。それがである「大和市は70歳以上を高齢者と呼ばない街」とあった。あれ何時から70歳だっただろう?以前は60歳だったはずだがという不思議が残っていた。
この度大和でYAMAKINGSONGSを開くにあたってネットで調べた。
2014年に60歳以上とあって、その4年後に70歳以上に書き加えられていた。不思議の謎が判明したのである。
本人はそれほど年齢を意識していなくても、何かと世の中はくくってくる。先日の運転免許更新の際にはあるで隔離でもするようなくくりで「認知症検査」「運転適性検査」を国は行ってくれるのでいやが上にも年齢を意識せざるを得ない。そう言えば65歳になったその日から「高齢者保健」なるものを年収に見合って徴収されている。そこに来て大和市のスローガンにはいろいろと考えさせられて面白い。何かとマイナス面が強調される我が国の高齢者像。誰でも年を取る。加齢とにあたって必ず病、老いという問題になるのである。そこに長年生きてきた足跡やプライド、レジェンドなどが後回しになっている。孤独死、空き家問題などが暗いイメージで伸し掛かってくる。メディアはその問題を更に加速させる。自分たちも遠からず年を取ることをたかも他人のことのような感じで報道。これでは老い先面白くない世の中という風に過剰に喧伝される。現実は現実なのであるが大和市のように宣言するような街の面白さも必要なのである。
「アートロイド スタジオ」は広々とした空間で周囲に鏡を配置しておりさらに広さが倍増される。鶴間の駅から歩いて1分ほどの好立地でもあり弾き語りをするにはもったいないほどのスペースである。厚木基地が近いのか、時折轟音を立てて飛行機が行き交う。しかし歌っている当人にはさほど気にならずソファのような座り語心地の良い椅子でリラックスされて2時間を楽しんでいただけたものと思っている。中には「15歳の時に初めて聞いて40年ぶり」という浦島太郎のようなお客様にも出会えた。健康であればこその話だ。
今日も小春日であった。ライブ終了後高速をお隣の県千葉県柏市へ夜を急いだ。70キロを超えていたが8時前には柏駅に着いていた。今日はケーキとお茶の午後のひと時を演じる。
柏StudioWUU~ティータイムは良質な音楽で。CAFE YAMAKING へようこそ~
僕もケーキと紅茶で午後のひと時、どんな感じのYAMAKINGになることだろう。最後は全員で良き日の思い出をハイポーズ。



開演前のサイン会は珍しい
北区田端アンダンティーノ真珠湾攻撃とジョン・レノン
2025年12月09日 | カテゴリー: 山木康世
まだまだ続く小春日の師走。本当に抜けるような青空のもと、風も穏やか中野から30分ほどの会場までの時間は言いようのないやる気と元気を与えてくれる。幸せは青空の彼方らかである。
事務所を出る前に朝茶と紀州南高梅を体内に注入する。さすが梅の本場である。見事な梅の果実は元気をくれる。旅先道の駅で入手したキャベツのぬか漬け、紀州の沢庵も美味い。漬物の故郷は東北、特に山形県と思っていたが数年前紀州、三重県の紀州古漬けに山形には珍しい古漬けの虜になった。浅漬も新鮮で美味いが、古漬けの独特の酸っぱさも実に興味深いものがある。人間も同じであろうか。少し酸っぱいくらいの人間臭さは奥深く哀愁のあるもんである。若い時分の新鮮さとパワーにはない味わい、こんな人間で完結したいもんだ。その人間から作り出される音楽も同じであろう。ニヤリとしたくなるような深みのある言葉に非常に興味を感じる。裏の裏に隠された言葉の妙味は朝茶と梅干しみたいなもんだ。
今回も前回と同じく近隣の駐車場の「満」には手を焼く。今まではスムーズに駐車できたお気に入りは、2回続けてままならなく付近を散策する羽目に陥っている。アンダンティーノの使い勝手のよさの一つに、ここの駐車場があった。それがなぜか「満」が続く。しかし捨てる神が居て、はたまた拾う神も居るのである。グルっと一回り、何処もかしこも空いていない非常事態、しかしである、またも戻ってくると隣のお気に入りが「空」になってるじゃないか。前回と同じじゃ。神様のちょっとした悪戯に苦笑してしまった。
今日は12月8日、我が国にとって大事な日である。真珠湾に攻撃をかけて、自衛のための戦争を仕掛けた重要な日なのである。当時の人間たちの揺れ動く様相を想像すると、申し訳のないそれぞれの裏事情が垣間見えてくる。最高責任者は天皇陛下である。そのように憲法で決められていて、教育勅語などを幼い頃より読まされて親のあり方、国のあり方などが厳しく教育されていたのだろう。今も同じであるが、憲法のもとでは何も立てつけない静かなる国民の不安さも感じる。そして最後は原子爆弾による最終ノックダウン。それから実に80年、我が国は平和をとりあえず享受し続けてきた。国防は義務であるし、覚悟も必要であるが、有無を言わさず殺し合いが平気で行われてはたまらない。戦争とはそういうものであると80年前教えられた日本国。国民が死んでまでの犠牲を出しては何の意味も持たない。強面のスローガンも大事だが、翌々考えての行動が必要となる。
「12月の雨」「スイートホームメモリー」「パールハーバー」と続けた。やはり威勢の良い感情や言葉は大事であるが、男女の偽らざる物語はもっともっと素晴らしく必要性を感じる。ワンちゃんやニャチャンたちの行動と何も変わりがないのである。穏やかな心持ちにしかロマンは生まれない。改めてYAMAKINGSONGSに我ながら感じてしまった。
ちなみに多くのロマンを地球人に与えてくれたビートルズの出現は奇跡でもあるし僕らの幸福の一つでもある。そのメンバージョンが凶弾に倒れた日でもある。僕は30歳、信濃町SONYスタジオで「野良犬hoboの唄」格闘中だった。一発の銃弾が、宇宙の果のニュースよりも大事な才能という脳みそを打ち砕いてしまった。もったいない話であった。
お忙しい中みなさまありがとうございました。


池袋ムーブメントスタジオの寒さはきつかったが見上げる上空にはうろこ雲が
2025年12月06日 | カテゴリー: 山木康世
穏やかすぎる小春日続きの11月が過ぎての冬本番、いきなり北風ピューピューの寒さである。自然は嘘をつかない。二十四節気で小雪(しょうせつ)そして七十二候では第六十候橘始黄(たちばなはじめてきなり)とある。橘とは古代の柑橘類の総称を言うとある。
名古屋、奈良、白浜では走り去る高速の向こう山々に橘が実っていたなぁ。さらに子どもたちの歌声ですっかり忘れていた季節の寒さ。街では緑に掛けられたイルミネーションの明かりで、クリスマスなんだなと一年の素早さとそこに留まっている自分に吐くため息で複雑な心境だった。毎年毎年募る月日の早さ、昔の人はよく言ったもんだ「光陰矢の如し」。
LIVELibraryYAMAKINGSONGSも本年百十回を超えた。実に3日に一回の割で音楽の日々を過ごした計算である。目的のはっきりした朝の目覚めは体全体にエンジンを掛け、あっという間の一日、一年であった。
昨日のビル群の地平線から上る鮮やかな大きい黄色のまん丸い月の明かりに思わず声を出してしまった。今年最後のスーパームーン満月寒月だもの素晴らしいの一言である。ぜひ橘に入れてほしいとも思った。
今日は十六夜(いざよい)ためらいがちに東の真っ黒な夜空から上ってくるだろうか。縁側でススキを愛でて、ウサギの付く餅にきな粉を付けてフーフー言いながら、徘徊するクマ騒動、米騒動の次にやってきた思わぬ事態だな、そして日中騒動、クマも眠っていられないと言うからクマったモンだベアー。
環境抜群の池袋駅前ムーブメントスタジオにおける駐車場探しで、しばし徘徊したが、最大2000円で停めることができて幸いだった。これで安い方だと言うんだから、コメの値段とガソリンの値段とで算段してみる。おそらく週末や休日祝日にはさらに混んでため息混じりの駐車場探しの荒んで寂しいしばしの気持ちを持て余すことだろう。
大都会の片隅で2時間超えの午後のひととき、如何だったでしょうか?なかなか人が集まっても温くならなかった会場で珍しく指が冷たく少々難儀した。机の前に並べられた20の子アヒルを一つづつ確認して歌の数の時間的推移を測った。3Dプリンター作と言うんだからおちおち本当に現代は眠っていられない。あっち向いたりこっち向いたりの子アヒルに少し心がほころんだ。来る日曜が終わって翌日8日は田端でバタバタ、見上げる月はすでに欠け始めているだろう。
1941年我が国は生き残りのためかパールハーバーに向かうため隠密で冬の嵐の中、千島単冠(ヒトカップ)湾に集結していた。父も母も知らなかったであろう国民不在の厳しい冬を思えば寒いなんて言ってられない。

大アヒル、中アヒル、小アヒルがわんさかのアヒル一家と一緒のステージ

久しぶりの歌がいっぱい

小学校の子供たちの歌声も聴いていただきました

