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千葉県松戸市ハンドクラップで本物の歌を

2025年10月17日 | カテゴリー: 山木康世  

~水戸街道 松戸馬橋に赤とんぼひらり~
水戸街道は江戸時代の街道の一つで、江戸を立って千住を通って茨城県水戸に至るまでの街道。千住は日光街道の宿場町「千住宿」として、荒川に架けられた千住大橋が交通の要衝として栄えた。松尾芭蕉も奥の細道で訪れ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と詠んで出発地としたという。
今は国道6号線として、やはり交通の要である。ふきのとう時代マネジャーはここを通るのをいつも混んで渋滞しているので嫌がった。
江戸川を渡ると千葉県である。やがて千葉県人口3番目の松戸50万人の街へと続く。ちなみに千葉市、船橋市、そして松戸市である。
馬橋はまばしと読んで宿泊は禁止されていたが、休憩所的な間の宿場として栄えたという。全国にこのような間の宿はたくさんあって調べると面白い。江戸幕府はこのような形で道路整備、関連する宿場を設けて国家繁栄を願ったわけであるな。
Handclapは拍手や手拍子という意味であるが、今回は1曲も手拍子じみた歌曲はなくてしっとりした秋模様の歌曲で決めた。

♪秋はドングリとキノコを連れて♪

秋はドングリとキノコを連れて山ブドウの路を
空では円を描いてトンビがピーヒョロヒヨロ
山親爺は長い冬の眠りに備えて
枯れ葉をひとり敷き詰めベッドに入る 

稲穂は首を垂れて黄金色の大地に
山が染まる赤や黄色に枯れ葉のじゅうたん
澄み渡る北の空に光り輝ける
星に願いを君に思いを寄せる街角

一雨ごとに霜が降りて寒さを増して
ストーブを囲んで4人の子どもたちは
おばあちゃんの昔話の絵本を聞いて
いつかサンタの夢を見て 眠りについたよ

美原時代の晩秋を思いながら1曲目、なかなかに良いスタート。
「冬のワルツ」「消えそうなスタンプ」「暮れゆく秋の旅」「チバニアンを見に行った」「佐倉宗五郎」アンコールでは「野良犬HOBOの唄」「夜の終わり」で幕を閉じた。
終演後地下から階段を上がって表に出ると、とっぷり日は暮れていた。昼間来た水戸街道を戻り青砥で右折、環七をひた走り中野に帰ってくる。
来る20日、21日は新宿、22日は青山で節目の75歳記念ライブである。
巨きくなって偉くなってふんぞり返ってる大御所の歌は本物の歌ではない。そこはかとなく深く静かにしみいる歌こそ年齢相応の本物の歌であると思いたい。
秋の夜長ギターをボロンボロロンと一曲でもいいから本物の歌を!

地下1階の光が遮断された空間でライブ


74歳ももうすぐ終了

12月25日忘年会のお知らせ

2025年10月14日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部  

12月25日(木)お江戸両国亭ライブの後、両国駅近くの居酒屋で、16時過ぎから2時間、山木康世を囲んで忘年会をします。終了は18時です。
参加費5000円(料理と飲み放題付)。
参加ご希望の方は、12月12日(金)までに、山木倶楽部九段支部までご連絡ください。
当日のお江戸両国亭のライブに参加された方に限らせていただきます。
繁忙期につき、12月12日の締め切り厳守ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
多くの皆様のご参加をお待ちしています。

東京都昭島市フローラカルチャークラブ昭和町と拝島村

2025年10月13日 | カテゴリー: 山木康世  

1954年僕が4歳のころ、昭和町と拝島村が合体して市制。市名は両方から仲良く一字ずつ取って昭島市。現在の人口は約11万人、北海道小樽市と同じような規模の街。
僕が生まれる前の戦前には軍需施設があったというから、何かと軍関係の街だったのだろうか。その頃は辺り一面クワ畑があって養蚕が盛んだっという。
八王子から横浜まで絹街道と呼ばれる道路がある。その時代、絹は重要な輸出産業。ここら辺り一帯は絹のためのお蚕さん業者が大勢いたのだろう。横浜から海を渡って世界へ絹の織物は羽ばたいていた。絹製品は高価であるが、部屋に物があふれる現代、多少値の張る持ち物や衣類は自分だけのアイデンティティ確立のために必要なのかもしれない。みながみなアイフォン、ダイソー、ユニクロでは寂しすぎる。
10月といえば立派な晩秋、初冬のはず。それにしてもおかげさまで日中は少し汗ばむが、夕方から夜にかけて程よい気温が続く。
昨晩は開けた窓の隙間から一匹の蚊がコンバンワ。脛や腿に痒みを覚えて明かりをつけるとヤツは慌てていた。さっそく金鳥渦巻に火を点けて眠りについた。
「銀色の世界」「柿の実色した水曜日」「月天心貧しき町を通りけり」「晩秋情景」おなじみ秋色の冒頭と相なった。歌ってていて遠い故郷のことを思っていた。故郷の人は昭島などという街も知らないし、聞いたこともないだろう。
今回「深夜の速達便」はお休み、ショットタイムも次の機会へ。

しっとり落ち着いたよき空間ですね


全国からのお客様、ありがとうございました

東京都葛飾区新小岩鎌倉空の杜でキジバトを見かける

2025年10月09日 | カテゴリー: 山木康世  

何度見渡しても、空の杜のお庭は心を健やかにしてくれる。今日はライブ途中に2羽のキジバトが仲良く水浴をしていた。公園などによくいる鳩はドバト。キジバトは全身が土色をしている。
僕が中野に越してきた頃、西新宿のロータリーの小籔の中で見つけて拾ってマンションに連れて帰り育てたキジバト。徐々に成長してみるみる間に大きくなり、あまり見かけない体の色に驚いたことを思い出す。ある日ホバリングをして浮き上がった姿には声を上げたものだ。野生の力を見せつけられ生命の力強さを痛く感じた。やがて窓から巣立って行った日、いつまでも離れないで電信柱でこっちを見ていたな。そして近所の公園の方へ飛んでいった。僕は急いで階段を降りて追いかけるように公園へ行ってみた。呼んでみたけど見当たらなかった。どこかの緑の隙間からこっちを見ていたかもしれないな。
深夜の速達便は「デイゴの花」撮影タイムもだいぶ熟れてきた。しかしたまには休みの日もあっても良いと思った。毎回毎回当たり前のように慣れてしまうより、新鮮さを保つには少し距離をおいたほうが良いときもある。元来の飽きっぽさが顔をもたげる初秋ではあるが、実に暖かい。
10月といえば北海道に住んでいた頃は初冬というイメージであったが、今や北海道でも昔の天候は微塵もないらしい。移りゆく大自然、本当に人間が作り出した異変なのだろうか。地球の大きな営みのダイナミックのひとつであるかもしれない。
タブレットのくっきりしたフォントは精神的にも健やかである。淀みや曇、迷いのない生き方は自ずから溌剌とさせてくれる。目や耳、口は伊達には付いていないのだな。
「空の杜」良い会場である。
みなさんお忙しい中、ともに過ごすことが出来、幸せでした。次は昭島でお会いしましょう!

小岩ライブはカーテンを開けて庭園を眺めながらの明るいライブ


秋祭りの祭り提灯と幟が飾られた「空の杜」入り口

山木さんバースデーお祝い参加募集

2025年10月05日 | カテゴリー: 山木康世後援会  

10月22日は 山木さんのバースデーです。

南青山マンダラで開催されるバースデーライブに向けて恒例のお祝い金を募集します。
今年は、ステージを彩る飾りなどにお祝い金の利用を考えています。
ぜひ、当日ご来場して一緒に楽しみましょう。やむなく参加出来ない方、配信でお楽しみの方も参加して山木さんのバースデーをお祝いしましょう。

ご参加希望の方は、ゆうちょ銀行に送金をお願いします。

ゆうちょ銀行 
口座番号:02760-9-101611   
口座名:山木康世オータムマンコンサート

締め切りは、10月17日(金)
住所、お名前、連絡先 お祝いメッセージを記載して送金ください。
金額は特に決めておりません。 お気持ちで参加くださいませ。

問い合わせは 山木康世後援会 川口まで
080-3503-3813
kouenkai@yamaki-club.com

東京都新宿区 あんさんぶるStudio音白内障解消す

2025年10月04日 | カテゴリー: 山木康世  

実はここだけの話、前日過密スケジュールを割いて近所の眼科医で白内障の治療を行い施術をした。
幼い頃より目は自慢の視力、悩んだことがなかった。それが加齢に伴い一丁前の白内障。前回の運転免許更新のおり、例の白い丸切れ目の屈辱の複数回やり直しがあって、これは次回の2年後までに直さねばと決意したのであるが、延び延びの施術と相成った。
昔昔の足首骨折以来のリスク解消の病院訪問である。父母よりいただいたる大事な肉体への再生復帰には医者嫌いも手伝って延び延びとなっていたもの。
手術自体は想像をはるかに超える短時間、無痛は話に聞いていた現代医療に舌を巻いた次第で脱帽、早くに済ませておけばと後悔も半分あった。
そして帰りの夜空に見上げた見事な三日月の久しぶりの姿、何度も右目片目で称賛した。
あんさんぶるにおける歌詞のクッキリスッキリも久しぶりである。眼の大事さを痛感、眼前に控える節目の誕生日を心待ちにすることができて大きな前進であった。生まれてきたからには避けられない「死」との遭遇。四苦である「生老病死」は人として大きなテーマであるが元気なときにはつい先送りが常であった。ますます神様のお作りになった正確無比、巧妙なデザインにメスを入れてしまった事実は人が考える以上のものがあった気がする。そしてお医者様への畏怖、驚嘆を感じ入った。今更であるが平身低頭、健康に生きることの大切さは何者にも代えがたい幸福である。
「オータムマン」から始まって、速達便の「YABO」撮影会、高層ビルに星が雪のように降る「眠れないジェラシー」ふきのとう三部作は術後翌日の晴れ晴れした再出発となった。
初台へお忙しい中参加いただいた皆様方にはいつもながら感謝致します。

YAMAKINGSONGSの大盤振る舞い


大虎・中虎・小虎のトラ・トラ・トラ大作戦


「こんなペットが欲しいなあ」

広島市SixoneLiveMOON日本も広い国だね

2025年09月29日 | カテゴリー: 山木康世  

松山からしまなみ海道を一走り、山陽道に入り、走ること約4時間の旅。空では絹雲のような白雲が山水画を描こうとしているかのようだ。暑い暑いと今年の夏を何日過ごしたのだろう、確実に秋がそこまで来ている。吹く風の心地良さ。9月も終わろうとしている。北海道で走っているといつまで経っても北海道。アッという間に日が暮れて行く。四国から本州も今ではアッという間なのだが、県をまたいでくると、北海道の広大さとは違って日本の歴史を感じて、その昔の人たちが息づいていた頃の町並みが風と一緒に走って行き日本の顔を感じることが出来て思えば遠くへ来たもんだとなる。
今回はGibsonB25とクワイアンウクレレで2時間1本勝負を駆け抜けてきたが、実はGibsonは去年大修理、半年入院の末の姿だった。勝手にシンドバットであるが古いGibsonは総じてMartinよりも華やかさはないが、朴訥とした力強さが魅力的でソロになって随分と一緒に旅をした。退院後のB25は少し薄れたが、その分高音弦のきらびやかさが増したような気がする。優秀なクラスの子に仲間入りした親の気持ちである。クワイアンは小ぶりながら存在感のある音で楽曲に軽やかな表情を付けてくれてライブに潤いを持たせてくれる。
今回の速達便は「流星ワルツ」で皆と一緒にワルツをした。この世は取り敢えず男と女が奏でるハーモニー、足並みそろえていついつまでも。歌を作り始めた頃の学生時代の夢は、まさに将来良い歌を見ず知らずの人たちと歌える歌を1曲でも残せたら良いという願いも込めて創作し続けてきた。そしてその方はこの方ですよと思い出のショットタイムを22秒設けて刻んで貰った。元来飽きっぽい性格なので、いつまで続くやらと言う企画であるが、飽きずに今年いっぱいくらいは頑張ってみようか。バースデーカードに記したORコードも届いているのやらいないのやら。僕からすれば以前は考えられなかった魔法のような現代のテクノロジーに魅了され、あの四角に囲まれた中のゲジゲジのような謎の判じ絵を何時も感心して見ている。これを考えついた日本人の脳みそにカンパーイである。実は今書いている記事も一端QRコード化、文字変換の後、自分のメール宛てに飛ばしている。瞬間芸の一言に尽きるのであるが、この現場を見たらワァーゲロゲロ!と声を上げるだろう。
つつがなく西のツアー4日間を終了させてくださった時の氏神様と生身の皆様方に大いなる感謝と、これからも変わらない愛AI情とAIの豊かさを願って終了致します。それにしても能舞台いきなり今昔物語、僕の脳みそはピッカピッカに輝いていた。

晴天の広島。ですが、会場内は夜のムード


アヒルが定位置にスタンバイ

アイドルの撮影会ではありません。

愛媛県松山市スタジオOWLにフクロウが降りてきた夜

2025年09月27日 | カテゴリー: 山木康世  

松山は雨も上がって穏やかな良い日和だった。少し汗ばむほどの秋の日、夏目先生の頃の松山に思いを馳せる。東京から赴任して数々の名作を生んだ我が国の巨匠。
正岡子規との出会いが素晴らしかったのか。門下生に芥川龍之介、寺田寅彦らがいて矢張り我が国の巨人だったわけである。
今夜の音響は素晴らしく我を集中させてくれた。近頃小規模自前音響の音場に慣れてしまったのか、場にそぐわないリッチで緻密なモニター音響が少々鼻につき集中力が持てなくなり、自然YAMAKINGSONGSが平坦になり長い2時間となる。しかし今日の2時間は我ながらあっという間だった。
エレボの良質なスピーカーが2台天井の隅に配置されていた。通常は転がしと言ってステージの上、演者の足元に配置されることの多いモニタースピーカー。正直デジタルな音が良すぎると、そちらの音が気になり退屈になり肝心な歌の内容が薄っぺらくなったりする。一番はやはりギター一本なので演者の周りを包み込むように自然に聞こえてくると豚は木に登ったりする。この音の他に場内からの返し、響きも重要なのである。
心が奏でて人の心に届く。説明のつかない音楽のシャワーを浴びて、いわゆる癒やしの心が生まれて口元が自然ほころび、目元が潤んで、さっきまでのスマホの見過ぎの眉間のシワがいっとき消える。笑うからおかしいのか、はたまたおかしいから笑うのか。鏡を見て笑ってごらん。脳みそが緩んで少し気持ちが軽くなるよ。不思議だな。
高齢者にシワ隠しやシミ隠しにと美容会社は躍起である。しかしそれよりも肝心なのは心の朗らかさ。気持ちの若々しさ。頬が重力でたるんで妙に近頃下降してきた。こんな人は口元を少し持ち上げるだけで気が軽くなる。お試しあれ。
アンコールふきのとうここにありの3曲。正しく歌わせていただきました。やはり日本中に響き渡った美しく良い歌曲で力があるなと実感した。すべて20代の頃の作である。
皆様と共に過ごしてきた長い時間、そして今の時間、まさに時の魔法にかかったOWLの時間は重要、かつ良質、良好な大人の夜のひと時だった。ちなみにOWLにはフクロウの他に夜ふかし(する人)の意味もあるそう。それともったいぶった人ともある。これは一寸遠慮しとくわ。

リハーサル中

スポットライト1本に浮かび上がるYAMAKING

岡山市ブルーブルースの楽屋には桃太郎さんがいた

2025年09月25日 | カテゴリー: 山木康世  

岡山を訪れて何年になるんだろう。ふきのとうコンサートで訪ねた時ががお初であろう。北海道に住んでいて、それまで受ける岡山の印象はやはり桃太郎さんであろうか。桃太郎と言えば吉備団子。吉備とは備前、備中、備後、美作地方の古名とある。しかしきびには黍もある。黍で作った団子。それとも古人の遊び、掛詞かけことばによる団子か。
札幌の近くに栗山という町がある。ここにもキビダンゴがある。ちなみに製造元は私の遠い親戚である。そしてここのキビダンゴはまったく吉備団子と形状、質が異なると言うことを始めて知ったのもふきのとうの時である。
岡山の夜は怖い町なので、あまり暗がりや寂しいところには行かないようにと注意を受けた記憶がある。ふきのとう時代は駅の目の前の第一ホテルというところに投宿した。今の駅前の華やかさとは偉い違いだった。
桃太郎さんが町のシンボルというのは良い。断然良い!ゆるキャラの元祖であろうが鬼退治をする桃太郎は今でも必要な心のシンボル。社会には色々な鬼がいる。さしずめ詐欺鬼、大水鬼、飢饉鬼、戦争鬼、地震鬼、噴火鬼、病鬼、事故鬼、これらを退治してくれる桃太郎。事故に遭った原発の収束に40年もかかるという途方もない時間を費やすとは人間は賢いのか愚かなのか。今日は水曜日だったということもあり「柿の実色した水曜日」を皆と共有した。ネット時代になっていかにも何千、何万人にもつながっているようで、それは妄想かも知れない。むしろ昔の時代の方が少なかったかも知れないが人間として人とのつながりは強くて太く長かったような気もする。「拝啓こんには」昔の水曜日の自分に手紙を書いてみる。性根は腐って変わってしまっていないか。正しくお辞儀をしているか。心の豊かさを僕はすでに30年以上も前に歌で問うている。たばこの煙が他人に及ぼすマイナスの影響を作り出している会社のコマーシャルに疑問を感じてしまう。先ずは身近の人に優しくいよう。
「blue blues」オーナーの思わぬ降って沸いたような大けがを聞き、言葉を失ってしまった。誠に音楽好きできれい好きでいつもいつも何かしら向上心旺盛で控えめな彼に何故神様はあのような夜を用意なさっていたのか。
お忙しい中、皆様方ありがとうございました。くれぐれも事故や病気には注意されて、また元気にお会いしましょう。

今回のツアーはB-25一本勝負


マスター、どうぞお大事に

京都市冬青庵能舞台古き良き日本古来の伝統精神は良いもんだ

2025年09月23日 | カテゴリー: 山木康世  

「冬青」という言葉を知ったのはここで9月にライブを行う、と言うことで今までの生活に於いてまったく関わりのない言葉だった。
「とうせい」と読んで調べると・ソヨゴの異名・モチノキの異名とある。ソヨゴもお初。ソロバンや駒に使われる堅い木とある。モチノキは聞き覚えあり。こちらは樹皮や果実から抽出した液をノリ状にして枝の先に点けて小鳥や昆虫を捕らえるために使われる。とある。
どちらも現代では使用頻度の少なくなった言葉である。しかしソロバンが子供たちに普及し始めているというニュースも聞いたりしているので、微笑ましいソヨゴのお話。ソロバンを算盤と書く。父は生前よく5玉の算盤を手にしていたな。僕は全くダメ。算盤が出来る人は、頭に算盤が浮かんで計算をするとき球をはじいて暗算を素早くすると言う。これは習っておいた方が良かったなぁと思ったりする。頭のためには脳を使わなくてはいけない。何でもかんでもカードで済ませて現金を数えなくなっては脳の一番の安楽である。小銭を所持していて乗り物の乗車くらいには使った方が楽しい。
トリモチの方は実際に使った例はないが、なぜか懐かしい風景。夏休みに昆虫や小鳥を捕まえる子供たちが夕景に浮かんでくる。妄想族の所以ゆえ許しておくれ。
さて肝心のお能の方であるが600年来の日本の伝統芸の一つである。その舞台を下見に伺った今年の春、「トウセイを知って、ソヨゴ、モチノキのことも知った。勉強になる。ここら辺はその昔冬青の木が生い茂っていたのか。そして今般の能舞台に多く使われているのか。良い名前であるなぁ。
礼儀として、ただ舞台を拝借するのは失礼と思い、烏帽子と黒の足袋、法被を用意して臨んだYAMAKINGS。
お陰様で満員の中、楽屋からGibson、ハモニカと共に「橋掛かり」という廊下を渡り松の描かれた背景の舞台へと登場、遂に始まった念願の能舞台、心身共に大変に新鮮で生き生きと2時間1本勝負は始まった。今回はノンマイク、アンプラグド果たしてどうなることやら。舞台の中央は音が良く響くように作られているのかお客様に良く届き渡っているようで「タイムトラベル」は直ぐに心を舞台に、今日の日になじませてくれた。この冒頭先発部隊は成功したようである。昨日の深夜の速達便「雪の町へ」も成功だった。汽車は走って走って北の町へ。そして撮影タイム。僕はお客様への感謝、サービスで舞台の周囲へ。大勢のスマホがこちらを見ていた。今日の良き日をどうぞお手元に共有して下され。アンコール、ここぞとばかりに「弁慶と義経」オープンDの全開、全力疾走、2時間越えの「冬青庵」は完遂した。51年はだてではなかった。やはり時間というモノは必要なのであるなぁ。付け刃では真似の出来ない身に染みこんだものがものを言う、と言うことを実感する。
大盛況、大成功、最後にオーナーが床に正座して頭を深々と垂れてお礼を申して下さった。普段立ったままで握手などをして慣れてしまった欧米風挨拶、別れの姿に忘れていた幼い頃の畳の文化、日本の古き良き古来からの人との交流を思い出してしまった。
本当に良い一日だった古都京都「冬青庵能舞台」よ左様なら。明日は岡山ブルブルが待っている。

満員御礼、ありがとうございます


撮影タイム!22秒


リハーサルです


高瀬川沿いを散策


ランチ後に鴨川を眺めるカフェでアールグレイティーを

雪の町へを大合唱 画像をクリックしてください

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