となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

千葉県佐倉市サロンPスクエア佐倉の誇り長嶋選手

2026年02月27日 | カテゴリー: 山木康世  

今日の天気は予報では晴れ、温いと出ていたが、そこはそれ三寒四温の定理があって春一番などの浮かれ情報が出ても春にはまだまだ足踏み状態の2月26日。
2・26事件をご存じだろうか?
昭和16年激動の時代を象徴する事件である。当時の陸軍青年将校らが決起、軍隊によるクーデター。日本も未成熟な発展途上の国だったわけである。
日本も僕の生まれる10年ほど前の時代は今では考えられない時代であったのだな。当日は雪の降りしきる東京。その印象は事件の重大さもさることながら、若き軍人1500名あまりの血気あふれる熱き思いを考えれば、そこに降る雪が何とも言えないそこはかとない寂寥感を感じさせ脳裏に深く一歴史の事実として刻まれている。平和な今があるのはすべて先人の残した血と涙と汗の賜である。
出かける前いつものワイドショーを見ていた。
中野サンプラザホール解体されないまま3年。区長を初めとする役所の人間と中野住人による折衝である。解体費用の予算オーバーで誰も決断を出せずにいるとは何とも勿体なく、時間だけが無駄に過ぎて行く現実を知る思いである。確か当選の暁には速やかに解体、跡地に超高層ビルを建設などが区長選挙の折の公約の一つにあったのではと頭をひねってしまった。
スマホが子供に悪影響を与えて、海外では13歳以下の使用制限、禁止などが行われている。子供の自殺があっての海の向こうの大人の対応である。オーストラリアで決定されたニュースから半年も経つのであろうか。その間、我が国は選挙、オリンピックなどでマスコミやメディアは大わらわ。まだ端緒にもついていないという事実。金や銀が大事なこととはいえ、未来を担う人間たちの心の問題はもっと大事と思ってしまうのだがどうだろう。
1時間半ほどで佐倉には着く。50キロほどだが、年度末を控えての2月の最後的な世の中、車が何かと多くて少し遅れた。先日の令和天皇様のお誕生日、2・26事件などの報道は僕が聞く限りあまりなかったようだ。
日本の立ち位置や世の中の心の健康はリンピックの金メダルの数ほど優れ、かつまた前向きに張り切れているだろうか。
昔々作った歌、一人になって活動しながら作った歌、50年以上も経過しているのだが僕の中ではそれほど時の経過を感じさせない。スタンダードと呼んで良いような歌が多く残っている。先日の松虫さんたちの清らかな歌声は、僕を前に押し出してくれた。
シンガーソングライターが名目や肩書きだけの職業になってはいけない。中身が重要である。あまりにも手軽にサービス業のように成り下がっては先人たちに申し訳ない。
佐倉の誇り長嶋選手もいなくなってしまった。残された息子は大変であろうが、何かを忘れて生きておられる姿は今の日本を象徴している一コマのような気もする。
今日は予定していた「3番サード」「佐倉宗五郎」を歌わずじまいだった。何故だろう?

リハーサル中です


1曲目は「春の雨」


早くあったかーい春が来ますように

昭島フローラカルチャークラブ2月22日は猫の日寝る子は育つ

2026年02月23日 | カテゴリー: 山木康世  

2月22日がニャンニャンニャンの日=猫の日で猫への愛情を深めようという日だったとは知らなかった。1987年に猫の鳴き声ニャン2ニャン2ニャン2の語呂合わせで制定されたという。1987年といえば御年37歳、昭和62年、当時札幌に住んで居た。残念ながらフォークの世界は昔の話で、打ち込みが始まり縦ノリの世界が幅を利かせ始めていた。僕のYAMAKINGSも少し変化を見せ始め前年の1986年には「星空のページェント」を作っている。この頃レコード会社から「カラオケに似合う曲作り」なんか時代の要請かもしれないと作ったような記憶もある。札幌に個人的音楽スタジオなるものを設けて、日夜YAMAKINGSに精を出していたことを思い出す。少々苦手な時代の始まりでもあった。
昭島では「猫」ワードを検索してより多くの猫の歌を歌った。まだ完成の日の目を見ていない「猫」の歌もあった。YAMAKINGSには犬よりも猫が多いことも知った。おかしかったのは「猫背」も引っかかってきて、自分でも苦笑した。
僕の経験上「黒猫」は他の猫よりも人懐っこい猫と思っているのだがどうだろう?夜間など鉢合わせをするとチョット驚く黒猫のイメージだが、三毛猫や白猫よりも僕には懐いてくる。
数年前マンションの部屋の中まで付いてきた一匹の黒猫を思い出す。そのうち爪を研ぎ始めたので今後の事の成り行きを考慮して可哀想だが玄関より追い出してしまった。時間が経って外へ出ると階段の手前に座って鳴いて近寄ってきた日には困ったもんだ。「ゴメンゴメン飼うことは叶わないんだよ」とエレベータに乗って一緒に夜の通りにいったっけな。思わせぶりをして申し訳なかった夜の黒猫との思い出。
罪滅ぼしとばかりに未発表のこんな歌も歌ったよ。

♪夜の海岸で黒猫との会話

夜の海岸を散歩する 黒い猫に聞いてみた
どうしてこんな夜中に 一人で怖くないのって
そしたら奴は呆れたように 
怖いって?俺たちゃ夜行性なんだぜ 
怖いはずないべさ 怖かったら猫やってられないべさ 

べさだからあんたは 北海道の猫なんだな
昼間よく寝てるのは 夜出歩くせいなんだな
そしたら奴は困ったように
白内障らしいんだ 右目がボヤケてさ
歳なんだね気をつけれや ニャーンと寝るんだよ
ありがとよお前も ニャーンと寝ろや

睡眠は人生において実に重要なお仕事のようです。世界の大谷の陰にも大睡眠がありました。寝る子は育つ。憎まれっ子世にはばかる。

猫の歌、まだまだあるんです


昭島駅前の会場、お気に入りです


スターアンドストライプは今の世を何思う


福生でアメリカンなランチ


横田基地第5ゲートを眺める

さいたま市アトリエMで小さなハーモニー歴史を刻んだ日

2026年02月22日 | カテゴリー: 山木康世  

松虫ちゃんたちの歌声は2ヶ月経っても色褪せることなくSONYに保存され、本日付経由で僕たちの芸術は、さいたまから新城市東郷西小松組へさらに進化を遂げてウーバー配達された。
「新しい朝」はあの日のまま寸分狂わずデジタルデータに置き換わり、この日YAMAKINGと合体、ハーモニーとなり会場に居合わせた皆の心に侵入していった。
デジタルAI世界の無せる技、「ふきのとう」現役の昭和、平成の時代には逆立ちしたって成せ得なかったお手軽技術が今まさに行われて、先生や松組のもとに中空を無線でチンチロリーンと高らかな歌い上げ届いたはずだ。アナログだ、デジタルだ、生が良い、なんでも良い、心に感動を呼び起こし、あの日の再来が、そして何か得体のしれない脳みそへの潤い癒し効果が造作されれば大成功なのだ。
大本の松虫たちははるかなスピードで大人へと成長して、もうあの日の松虫はいない。しかし今日の僕とのコラボの「新しい朝」を聞いて個々の体内、脳内には何かがしっかり刻まれたはずだ。あの日の遭遇は伊達ではなかったのだ。映画「未知との遭遇」よりもハッキリと色濃く鮮明な「新しい朝」となって細胞分裂、新しい僕や松虫たちの心の拠り所となって今後巣食って怪しい色を放ってゆくことだろう。
この場所や時間にご一緒してくださった皆々様のおかげでもある。1週間前までなかった人生の心模様とカラフルなモザイク模様は現代の令和の名もなき小さな思い出として実に充実の良い一日となってチンチロリーンと余韻の響きを残している。
まさにマイナスをプラスに、ピンチをチャンスに、僕ら人間の心のミステリーを味わった良きさいたまアトリエMの一日にカンパーイ!

久しぶりのスマホタイム


次回アトリエMライブは5月です


皆さま、風邪にご注意を

東京都目黒区ギャラリーあるかぶるにやってきたアリさんたちの詩

2026年02月19日 | カテゴリー: 山木康世  

~中目黒 立春の譜を ひろげたり~
アリは実に自分の体重の何倍もの重さのものを持ち上げて巣の中へ運び込む。アリは一匹では社会を構成しない。生きていない。生きていけない。巣の中に君臨する一匹の女王アリのために、文句も言わずセッセセッセと運び込んでいる。これは兵隊アリだな。女王様が産んだ卵を育児や水の調達などを行うのは働きアリ。大きな群れ、コロニーで生活する昆虫である。
世界中の総数を計ると2京匹で総重量は1200万トンというから驚きだ。植物の種子運搬、土壌の撹拌などを行って生態系の重要な役割を果たしているという。中には殺人アリなどもいて穏やかではない。
僕はある日、父の花畑の通路に見つけたアリの巣を飽きることなく見ていたのは30歳の頃。それから、この巣を上から塞いだらどうなるのか興味を持って、アリさんたちには悪いけど足で土を穴に被せてみた。アリたちに混乱が起こって右往左往していた。しかしやがて何事もなかったかのように元の秩序を回復して穴を戻して働き始めた。本当に感動した日だった。
それから十数年後阪神淡路大地震が起こったとき、この日のことをなんとなく思い出していた。天上からの鉄槌はあの日の僕の人間の足。やがて文句も言わず元の回復をやってのけたアリたち。
会場には見知らぬ人たちが集まってくる。どんな人が来るか分からない。どんな人にも対応できないようでは会場としては失格である。トイレ、階段、室内の環境、雨や風や雪への対応。数えたらきりがないほど考えついて始めて対応できる会場を貸し出さなければならない。人間は誰でも年を取って足腰などが弱くなる。アリたちの寿命は1年ほど、しかし人間は70年ほども生きなければならない。
「ありさんの唄」は32歳の頃の歌だが、今考えると実に重要な歌だった。こんな詩を残しているかどうかで、YAMAKINGSの顔は変わってくる。
今まさに必要な歌の一つかもしれないなと思って、アリの巣のような掘り下げただけの殺風景な会場で歌い上げた目黒ギャラリーあるかぶらの日だった。

久しぶりの歌がたくさんありました



背後のスクリーンで影も歌ってます


深い森の中を演出

葛飾区鎌倉「空の杜」三寒四温

2026年02月16日 | カテゴリー: 山木康世  

三日寒くて四日暖かい。この1週間の 繰り返しで冬が終わって春がやってくる。元々はお隣の韓国や中国で使われていた言葉で日本でも使われるようになったという。
寒い日は天気が良くて、暖かい日は天気が悪い。どちらが良いか?と聞かれたらどっちが良い。やはり寒くてとんでもないも天気の良い日が良いか。しかし近頃滅法寒さには堪えることが多い。
窓の向こうに大きな鳥が3羽ほど松の木から瓦屋根に飛来する。ハーモニカの音が聞こえてるのだろうか。あれは確かムクドリか。
今日の庭は光り輝いている。風もない2月の東京、このまま春になってほしいもんだが、そうは問屋がおろさない。明日は真冬に逆戻りというから油断も隙もない。まぁジックリと春を待とう。
美原で3歳から9歳までの6年間冬を6回過ごしていた訳であるが寒くて寒くてという思い出がない。思い出すのは夜中中雪の降り続いた翌日の玄関から雪の階段を駆け上って地上に出た日。その前に朝起きて驚いた。よほど寒かったのだろう。顎に当たる布団の部分に雪のように白い霜が積もっていたことだ。それを面白おかしく指で引っ掻いて口に持っていったもんだ。自分の吐き出した息が白く布団にウッスラと積もっている。夜中中生きてた証拠だ。今だったら死んじゃう寒さだな。それから戦争のような慌ただしさだったろうな。まずはストーブにかじりついて、順番を待って便所へ。やがてお湯の立ち上る温かい朝飯を丸テーブルを囲んでガチャガチャ、しかしテレビもないので静かな朝食風景だったろう。毎日のことだが何を食べたのかの記憶は全く残っていない。物置の鶏の卵を毎日取りに行ったなぁ。今まで見た卵で3個黄身が最高だった。3つごの卵百まで。大事なタンパク源だ、今でも卵は大好きだ。そんなこんなで牛乳を受け取る一升瓶を片手に途中で畜舎に寄って真狩村字美原小学校へ。寒かったとは思うが子供は風の子、本当に凍え震えて困った記憶がない。平成15年美原小学校は50年の幕を下ろしました。振り返ると良いイベントを残せたもんだ。感謝の気持ちを皆でお祝いできたなんて。雪の中植えた山桜は花を咲かせる準備をしているだろうか。
先日の松組の声は僕の生きるハリであり希望であり思い出の代弁者だ。
♪流氷に輝く朝日 ピーンと張り詰めた空気の中 新しい朝が始まる 希望と夢の朝♪
今でも震えるほどの感動が胎内から湧き上がってきた朝の教室を思い出す。
良い歌を作らなくては、さぁ昼食をいただきに階段を降りてゆこう。

ロールカーテンを上げて庭園を眺めながらのライブ


ステージの背後は春爛漫です

練馬区江古田マーキーの大事な一日を建国記念の日に報告す

2026年02月12日 | カテゴリー: 山木康世  

予報されていた雨はすでに東の空に去ったよう。一日強い雨と風の日を予想していた。傘もいらないほど希望の朝が始まった。
いつもの駐車場も「満」を覚悟していたが、まるで無し「空」これも昼から縁起が良いや。何せ今日は古株の2人とのセッションの日である。遥か昔、若き日に全国を駆け巡った元バッキングメンバー。2人とも、いや3人ともいつの間にか70をすでに超えている。それにしても元気な3人、胸に去来するのは80年代前後の日本、いろいろな改革が始まっていた。今の時代とは問題にならないほどの大きなうねりがあった。後にやってくるバブル期の到来。誰一人携帯電話など持っていなかった。外で連絡を取るときは街のあちこちに並んでいた電話ボックスを利用。相手との連絡を密にしていた。しかし外から急に用事のあることなど稀であったような気がする。家の固定電話が外との重要な窓口である。頭の中には数人の電話番号が記憶されていて、空でダイアルを回したものだ。携帯電話は夢の世界である。
スティーブ・ジョブズがiPhoneの発表を世界的にしてから我等の生活や、人とのつながりが微妙に変化していった。高額だった電話の世界が身近になり必需品となる。「ふきのとう」もいつしか解散。待望の一人の音楽活動が始まって既に33年。
松本亮・角田順とは70年代後半の「ふきのとう」活躍期の重要なメンバーだった。何かと気が合って全国を面白おかしく駆け巡った音楽仲間である。ずっと疎遠だったがここにきて江古田マーキーでそろい踏みと相成った。きっかけは順との新年会。是非今度のマーキーに参加、音を重ねて遊んでみたいと言う。亮とはソロになりたての頃に太鼓や銅鑼を叩いてもらってお世話になった。そんなこんなでマーキーに磁石のように吸い寄せられてこの日の演奏会となった。
歳をいってからの音出しには興味がある。彼らも現役で音楽人生を歩んできたわけであるから、若かりし頃の音とは大分違う心意気で音楽をすることだろう。昔とは違ったセッションが醸し出されていたはずだ。後はお客さんの反応を待つことにしよう。我らは大いに楽しみ遊んだ。
とっぷりと日が暮れた一軒の居酒屋での同期会にも花が咲いて、いつもは滅多にない話で盛り上がった。もしかしたら全部神様のご用意された粋な計らい、充実の一日となった。みんなお客様のおかげでもある。いくら好きなこととはいえ誰もいないスタジオで遊べるほど音楽は水や空気とは違う。ある目的を持つことにより瑞々しく生の迫力となる。この励みが実は我らを前へ推し進めてくれるエネルギーなのである。生身の人間は伊達にいるわけではない。両者の心のキャッチボールによって成立する音楽という魔物。ビデオやユーチューブが普及しても生のステージには勝てない。そこには生身の人間の目には見えないエネルギーが充満しているからである。
大事な一日が終わった。二度とない一日が終わった。
再会を約束して別れとなった。まだ日中の穏やかさは残っていた中野の歓楽街の機嫌のいい夜だった。
先ずは元気でまた会おう!



打ち上げ後の3人。「次はいつ会う?」

東京都渋谷区表参道アンカフェで善いお客の乗り合いバスの良い一日

2026年02月11日 | カテゴリー: 山木康世  

実に此処を訪れるのは30年は経っているだろう。あの頃は「こどもの城」と言う名前で脳味噌に刻まれている。となりの国連大学の建物も記憶に残っていて、徐々によみがえってきた。
上京当時原宿、表参道はある種の特別区のような感じがして、休みの日には度々訪れていた。竹下通りなども懐かしい響きで、この通りの2階の店でGibsonB-25と巡り逢ってもいる。
ひょんなことで階段を駆け上がってドアの向こうに並んでいた1台のギター。当時はまだ「ふきのとう」現役だった。中野へ帰る車の後部座席に置かれた黒いギターケースが、後に一人になって全国各地を駆けずり回った人生の伴侶とも呼べる表現者の相棒になってくれたのである。相性という言葉がピッタリする「持ち物」を手に入れた街なのである。今回も「心の半鐘」を打ち鳴らし、75歳の道連れを大いに助けてくれた。
今回はオールリクエストで構成された「大江戸漫遊美食会」パテシェの細川氏が居て実現の運びとなった。僕の中では世間一般でよく言われるディナーライブとは一線を画していた。同郷のよしみ、ギター愛好者、理解者、後輩、気の置けない、大げさに言えば僕がここに居るアリバイを形作っている人の一人でもあるわけだ。
人が毎日生きていく上で実に重要なる動機の人や物は目に見えにくいが、見えにくいが故に大きさや深さ、重さなどは大事、優先順位であると常々思って生きてきた。数やランキングなどは結果として自ずから生ずるモノで、何も目先の猫だましのような人生ではないはずだ。でなければあまりにも人生は儚く短い。毎日は矢の如く過ぎ去って行く。人はそこで子供を作って、孫を作って貰い自分の顔を鏡で確かめて納得して歩んで行くのだろう。
太古や昔の人間は鏡などなかったので自分を見る術がなかった。水に映ったり何かのきっかけで自分を顔というモノを見て驚き興味深かったことだろう。この世で一番近い自分と言うものを見ることは希であった僕らのご先祖様たち。今ではAIなどが目の前に顔を見せてくれて夢か誠か騙されもする時代にもなった。
生きるとは息るでもある。無意識に死ぬまで吐く息は、活き、生きなのである。そして発せられる言葉が微妙な両者の接近、相づち、ブーイングなどを生み出す。
相手に対して美味しいモノを食べて頂く。簡単そうで難しい。ムズいなどは使いたくない言葉ではある。美味しいモノへの探求心のある人は信用できる人と思って生きていって大丈夫だろう。
今日はお日柄も好く良い一日だった。善い人たちとの乗り合いバスは本当に心地よき一日だ。皆さんにとって如何でしたか。病は気からは本当なのです。総じてヤマキなのです。ご一緒できてありがとうございました。

リクエスト曲は明るめの曲が多かった


久しぶりに着たシャツです



寒鰆のカルパッチョ サラダ仕立て


マッシュルームのポタージュ


真鯛のポワレ 菜の花ソース


和牛もも肉のロースト 赤ワインソース

和牛もも肉のロースト 赤ワインソース


パティシエの細川俊一さんは北海道留辺蘂生まれ


ル・ショコラ

ご参加のみなさまと


記念品です

冬銀河をみなさまと歌いました。 こちらをご覧ください。

新宿「あんさんぶるstudio音」人のお名前は粘ってでも思い出すようにしよう

2026年02月07日 | カテゴリー: 山木康世  

なんてのどかな日なんだまさに「となりの電話」。風も穏やか、日差しも春めいて、さすが立春を迎えての東京、まさに春間近という感じである。
北国では「さっぽろ雪祭り」世界では「ミラノオリンピック」が開催されている。
札幌でオリンピックが開催されたのは1972年の冬、僕は22歳の学生だった。学生と言うよりも音楽の道を志て上京の準備段階と言うところか。街がドンドン変わってゆく姿は頼もしくもあり、一抹の寂しさもあった。地下鉄が走って、駅前道路が丸井さんから三越へと変更、拡張整備されていって、子供のころからなじんでいた札幌の顔が変わってゆき、僕の顔立ちも少しずつ大人びて行くような変わり具合にも似ていた。
2年後に「白い冬」でデビューするのだが何の計画性もなく、今まで書きためていたYAMAKINGSONGSを2枚ほどアルバムを制作できれば良いかな、くらいのうっすらとした希望をぶら下げての上京だったような気がする。
東京都のもと水瓶、淀橋浄水場は1965年に廃止された。その跡地に副都心と呼ばれる超高層ビル群を主とする街並みが1970年代に形成されていった。想像を絶する広大な浄水場だったのだろう。何せ都民の命を賄っていた水飲み場。そして1996年には都庁が建設された。
地下のあんさんぶる音の会場より階段をトントン上って地上に出て遙か1キロほどだろうか、仰ぎ見れば雲一つない青空に未来への希望のようなビル群が見える。しかし目の前に何やら建物が建つようで、そのうちここからこの景観は見られなくなるのだろう。
本日はあの世から上田某と坂本某が遊びに来られたご様子。
「花紅柳緑」を札幌の歌として何とかしようとした年があったなぁ。今から10年ほど前のこと。そのころの札幌市長は上田文雄氏であった。市長室へ訪問した日の光景を昨日の事のように思い出す。市長は「ブラボーサッポロ」を好いてくれて、一人でビールジョッキーを片手にホテルや居酒屋で歌って下さったようだ。その後札幌は歌の街を掲げて、矛先を坂本龍一氏に充てた。上田さんは「ふきのとうホール」の楽屋に遊びに来られて、それが最後のお姿、25年にお亡くなりになられた。笑いながら「明日から入院しますよ」とおっしゃられていたなぁ。
しかし坂本某の下のお名前が直ぐに浮かんでこなくて失礼をした
。坂本九とつい先走って失笑を買った。戦メリ、その後高知の偉人坂本竜馬をたどって龍一へとたどり着いた。悲しいかな顔は浮かんでいるのに名前が直ぐに浮かんでこない。高齢者特有の物忘れとはホンとの話。すぐにスマホグーグルに頼らずに、笑われてでも最後まで粘って思い出すよう努力をしよう。

次回の「あんさんぶる音」ライブは3月5日です


「タペストリーの写真ってこんな感じ?」

神奈川県川崎市スタジオ「caramelo」 暦の上では立春だよ

2026年02月04日 | カテゴリー: 山木康世  

~立春や 春の息吹を鷺沼で~
1月も終わった。大雪のニュースで終始したという感じか。大寒も過ぎて今日は立春。暦の上では春である。
「ハルよ来い」と1月で締めくくって「ハルはそこまで」と2月は始めた。ハルちゃんは触らせてくれるようになったでしょうか?
今日から春の始まり。暦の上の言葉ではあっても気分が少し春めいて良い一日だった。「立春大吉」「幸せは青空の彼方から」まずは朝から天気が良いということは何事につけて神様に感謝だな。湿りがちな雨の日も趣はあるが、これに大風が付きまとっては厄介な一日となる。何かと不精になり行動規制がかかり青空が恋しくなる。しかし水がめの心配のニュースも聞こえてくる。それでも春の足音が聞こえてくると気分が良くなるもんだ。
「この風どこまで強いのか 北の風 お前と・・・・・」偶然にも会場より風邪気味の咳が3人聞こえてきて脳ミソが立ち止まる。「この風邪どこまで続くのか?」怖いもんである。自分でも恐れ入り屋の鬼子母神。お客様とつながった瞬間だ。誰のせいでもない。時空の悪戯。生きている言葉、死んだ言葉の歌詞なんて意味がない。」生きている人間の証として人間は言葉を吐くんだ。一応人間にしか与えられていないという言葉というコミュニケーションツール。よくぞ神様は我らに与えてくださったものだ。
ここの地名の鷺沼はおそらくその昔、サギが大勢で集まる沼があったところだろう。目の前の大きな通りは246である。かの有名で何かと羨望のまなざしの246である。
時刻は4時半、少し前までは暗かった。しかし今日はまだ日が沈んでいない。さぁ明るいうちに我が家に帰ろう。

住宅地の中のスタジオです


立春、春間近です


白い煉瓦の壁に影が揺れます


お客様に豆を配りました。「ヤマは~~うち!」

東京都渋谷区参宮橋革命と鍛錬「バンザイ馬耳東風」

2026年02月01日 | カテゴリー: 山木康世  

2つの箱に収納されたボクシングの赤や青の大きなグローブ。ボクシングは相手を倒すまで終わらないというスポーツ。負けた方はリングに屈辱のキスをする。勝った方はコーナーに駆け上がり、われこそは王者なりとガッツポーズ観客へ投げキッス。珍しい勝敗のハッキリしたスポーツ。もしかしたら相撲もそうかも知れない。選手は人知れず夜な夜な練習に励む。ただ相手を倒すのみ。人気の野球やバスケ、サッカーなどは穏やかなもんだ。相手が倒れるまでやったら試合にならない。
滝に打たれて修行を積んで心の鍛錬を積み重ねる。勝てるのは修練の賜物。
武力こそ使わないが脳みそを鍛えて、ある種の革命を起こす。歴史の中で革命と呼ばれる、民衆の蜂起は何度も行われてきた。抑圧された政府への抗議は次第にエスカレート、遂には暴動へと化し民衆は興奮へと突き進む。そのうち当初の考えや思考はそっちのけ、相手を倒すということが主題となる。
選挙なども革命に近い行事なのだろう。選挙カーに乗って、ご近所様のご迷惑を顧みず我が名前を連呼する。そんな子供じみた手法で本気で勝てるとでも思っているのだろうか。しかし勝てるのである。1票違いで当落が決まってしまう民主主義の選挙は本当に公平なのか。行かない人の声なき声は無視だ。もしも1票差で勝った人が悪人で負けた人が善人であっても責任は問われない。名前の知れた人は、本気でやる人なのか。
そこで考えた。スポーツにしちまえ。何かお題を決めて、とある競技会場で「あなたこそ一休さん」相手が遇の音を言うまで徹底討論。最後に勝ち残った候補者の雄叫びを聞いて選挙は終わり。政治家は本当に良い金をもらって優遇されて良い仕事をしているのだろう。
近頃考える。勝手に手足が動いて、喉元から言葉が吐き出される。その昔には考えられなかった自己流音楽作法。若さにはエネルギーという馬力が備わっている。それが徐々に穏やかになり外へというより内へと気分が高まり自身が恍惚となる。恍惚の人である。恍惚とはうっとりして物事に心奪われてぼんやりした状態、または意識がはっきりしない状態を言う。革命や鍛錬の時間が終わって人は恍惚へと向かうのか。まぁ相手を打ちのめすのは良くないが、長い時間かかってその人だけにしか分からない両者ともに静寂のノックダウン。
ボクサーに去来するのは何だろう。昨日のことだろうか、それとも1年前、それとも遠い昔のコーナーに駆け上がっての雄叫び姿か。いずれにせよ勝手に繰り出されるパンチの妙味は本人にしか分かり得ない醍醐味なのだろう。
選挙で勝ち残った候補者は「バンザーイ」と大声で連呼する。その昔「バンザーイ」と叫んで南の島に散っていった兵士がいる。「バンザーイ」は不思議な妙薬であるな。
ライブが終わってギター、荷物を引きづって駐車場へと向かう。今夜は月が出ていない。風もない。昼間より温かいような気がする。1000円札しか認めない駐車場の札入に向かって小声で「バンザイ馬耳東風」

参宮橋駅からすぐ。ゆったりとした午後のひと時


今日はウクレレも忘れません


背後には森、サイドには南国のビーチのタペストリー

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