クリスマスソング ミニアルバム発売
2025年10月28日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
「YAMAKI YASUYO SILENT CHRISTMAS」
全7曲入りミニアルバムを明日の名護ライブから会場で販売します。
同時に「BASE」でもダウンロード販売します。
よろしくお願いいたします。



渋谷区代々木参宮橋「革命と鍛錬」と馬耳東風
2025年10月26日 | カテゴリー: 山木康世
参宮橋と言うからどこを参宮するための橋だと思っていて今になって気づいた。すぐ近くに明治神宮という大神宮がある。そこへお参りをするための橋だった。では何処から明治神宮へお参りするのか。小田急線参宮橋前から徒歩で4分ほどで到着。別に橋という橋はなくてこのような経緯で地名はあった。
ちなみに明治神宮もそれほど古い神宮ではなく、読んで字の如く明治天皇様とお妃様を祀られていると言うから、天皇様がお亡くなりになられた後に大正9年に建立されたという。大正9年といえば母が生まれた年である。
LIVEは生モノである。「その後のオータムマン」で歌い始めた。オータムマンとは、その昔にでっち上げた僕自身の化身である。飽きっぽい秋の男とでも言ってくだされ。生まれ変わったオータムマンのこと、母の生まれ変わりは蜘蛛であること云々。そして9月4日のけやきホールで冒頭に歌った「星空ホテル1022号室」この日は奇遇で母の命日であった。そして「粉雪」の中に「虫たち 花たち」が出てきた。何も計算や思惑など一切無かった「参宮橋革命と鍛錬」先日のバースデーLIVEとは一味違ったYAMAKINGSONGS。
本来ふきのとうではない山木康世の得意とする歌たち本領発揮のLIVEだったようだ。
外はとっぷり暮れて、小雨がそぼ降る晩秋の参宮橋、そこにこの日の命題でもあるような「革命と鍛錬」なんだか言葉で説明のつかない、74歳のプロフィールで記した不思議な安心立命を感じた。筋書きのない2時間は時空のなせる技、妙に坂道のある一度迷い込んだら永久に脱け出せないようなラビリンス街のなせる技ではなかったか。
朝と夜が変わらない13度という肌寒い12月のような参宮橋を後にした。
鮫洲で自動車免許更新の後、晴れて琉球王国へひとっ飛び、1週間後にはお江戸へ舞い戻って来る次第です。
皆様お寒い中誠にありがとうございました。ちなみに本編最後は「馬耳東風」で終えました。明治神宮に隣接している「東京乗馬倶楽部」があったからではないです。ばじとうふうと読み、人に何を言われてもまるで気にせず、知らん顔をしていること。

新曲は「馬耳東風」。来年は午年ですもんね

レトロなビル内の会場は落ち着きました
南青山MANDALAで人生の節目を祝う
2025年10月24日 | カテゴリー: 山木康世
75回目の誕生日。70代と80代の真ん中の日々。
60代は還暦という60年に干支が一回りして元に戻るという大節目の一大イベントだった。そして10年経って古稀という古来まれなる年代突入。人生50年と言われていた時代の人にとっては75年生きるということは未知の世界。一番は栄養状態なのか。その時代の人にとって塩は大好物。塩辛いものでコメを食う。しかし徐々に栄養学が発達していろいろなことが解明されてきた。そして今も続いている。
塩満載の海から上陸してきた生き物の末裔が我らだったとしたら、母親のような存在が海。海は塩辛い。その塩が血管に悪さをする。血管、つまり血の通り道が詰まったり破れたり、そして病を発生、死に至ったりもする。解っちゃいるけど母なる海の故郷が忘れられなく塩を舐める。方や砂糖はもっと手強いらしい。子供のころ母親の障子貼りを手伝って、最後に器に残った糊、つまりデンプン糊に砂糖を入れて食べた。美味かった、そりゃそうだ澱粉=馬鈴薯だもの。そのうえ甘い砂糖と来たら止められない。
今日から世間から後期高齢者と言われる。いかにもお役所的区分の呼び名だ。高貴、光輝、好奇などなど同音異義語がある。後期の次は何?末期、こりゃまずい、いずれにしても皆通り過ぎてゆく道。
3人に一人が60歳以上というニッポンらしい。僕も40代の頃にそんなタイトルのエッセイを書いた記憶がある。この度国勢調査が行われて人口分布の詳しい今を知ることになるだろう。
ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、エリック・クラプトンそうそうたる先輩80代ミュージシャン。いつの間にかここまで来る時代になったかという雑感。人生100年時代は本当なのかもしれない。
さすればまだ25年もある。しかし25年前と言えば50歳。確実に足の衰えは感じる。歩かなくなったからなのか歩けなくなったのか、どちらかであるが足から来ると聞いていた老いの始まりは確かなのである。
昨日高らかに「RAOJIN」を歌い上げて締めても良かった。「グッドナイトグッドナイト」で締めようという前夜未明の気分だった。
会報132号も発送完了。「山木倶楽部」は歳が行ってますます威光を放つ存在になるような気がするしそうしたい。そのためには中身の充実、健全、生きる意識の強さ。倶楽部自体の活況さ、ゴチャゴチャした個人的物議はさておいて、集団でいることの安心、強さを大いに感じて生きてもらいたい。
そのための羅針盤としての未だ見ぬ力のある歌を書いていこうと思ったトラオンパレード南青山MANDALAであった。
みなさん我が誕生会にご出席いただきまことにありがとうございました。遠方からの惜しみないご支援、ご協力、誠に感謝する次第です。
明日は参宮橋の「革命と鍛錬」何やら意味深な店名、お待ち申しておりまする。

75歳の出発も視界良好、前途洋々

寅年のパワー全開します

クリスマスムードの照明も
新宿永谷ホールFu-いよいよ高貴高齢者の仲間入り。
2025年10月22日 | カテゴリー: 山木康世
先日白内障の施術をして医者嫌い病院嫌いと言ってられなくなったなとジョイさん連に感謝した。
鉄はいつの間にか酸化してボロボロになる。生きる者に必要不可欠な酸素の成せる技。鉄でさえあの様なのだから、もろくてナイーブな骨や肉などは必然的に壊れる運命にあるのだな。実に皮肉な神様の采配。
75年生きてきた。今年のバースデーライブは本当に贅沢で申し訳のない時間を皆さんと共有できて幸せである。古希の五日間も貴重なイベントだった。あれから5年が過ぎたとは、さすれば後5年も直ぐにやってくるのか。80代突入か。
いつの間にか歌で生きる道を歩いてきた。それも自作自演とは恐れ入谷の鬼子母神。
新宿永谷ホールは月日の匂いを感じさせる旧いホールだ。人間は生きていく上で匂いを発して生きて行く。毎日毎日新陳代謝をするためには食べて古くなったモノを外に排出しなくてはならない。しかし人類は匂いを消し去る技術を発明、クリーンな人間像をこしらえた。
人間臭い歌をより強く作らねば成るまい。それとも少し鼻の穴を狭めてしまえば済むかも知れない匂い問題。しかし美味しいモノの匂いまで分からなくなっては困るな。
昔の家の中は臭かった。いろんな匂いが入り交じって臭かった。習慣と慣れで自分の家の匂いは気にならなく、むしろ懐かしさや居心地の良さを感じたりした。他人様の家の匂いを奇異に感じたりした。早く帰ろうと母親と玄関を後にする。そして思いっきり外気を吸って「うまーい!」しかしその空気中に潜む酸素は鉄をボロボロにしてしまうんだぞ、とは気がつかない洟垂れ小僧も75歳になった。
早いですね。明日は本番、嘘偽りのない日で、母の子宮から空気を吸うために思いっきり這い出でた記念の日である。父は自転車で1時間もかかる職場から急いで駆けつけて何を思ったことか。1950年10月22日は日曜日なのでつじつまが合わないぞ。役場に届けた日なのかも知れない。札幌の10月と言えば晩秋情景。吐く息も白いつるべ落としの夕暮れは寒かったろうな。産婆さんの森さんのおばさん、ありがとうございました。森さんがいなかったら、先ず畳の上を第一歩、そしてこの世を歩き始められなかったのですから。
みなさんお忙しい中、誠にありがとうございました。
南青山MANDARAでお会いしましょう。

ちょっと間抜けな顔の虎ですがよろしくです

後ろ姿も気を抜けません

ご主人様、チューニングしておきました

正座ができないのでこれでお許しを
新宿永谷ホールFu-はどうしてFu-?
2025年10月21日 | カテゴリー: 山木康世
西武新宿線の始発地は西武新宿ホテルがある通称ぺぺビル、新宿歌舞伎町の勢いがここの線路によって断たれる。その線路沿いの沿線風景は昔の痕跡を留めて独特の味わいを出している。駅から歩いて沿線直ぐにFu-の青い看板が目に入る。ここが永谷ビル。ここの永谷さんはどうやら不動産屋さんで理念を持っていて芸人の育つ根拠地にしたいというものだ。と楽屋の壁の張り紙に書いてあったような記憶がある。
昨日は落語の催し物があったようで、そこを訪れたお客さんが今日の日を知って来られたという話を伺った。僕は全く思っていないのだが、世間の75歳のバースデーライブというイメージは相当な老齢な弾き語りシンガーという感じであろうか。
そんな噂話をよそに今日はバースデーライブ初日ということでアマチュア時代の歌、なんと50年以上、つまり半世紀前に作った歌20曲オンパレードと相成った。まぁ自分で言うのも可笑しいが今とさほど変わっていないビル建物の外観であるな、という印象であった。しかし住んでいる住人は大いに風貌容姿は変わっているし周りはドンドン変わって行くのが現状である。歌の特に歌詞は原形を留めている。しかし歌い手の心理は天と地の違いもあるほどの時間的経緯がある。つまり昨日と少しずつ変わって行くシワの深さ、長さ、頭髪の有無、目や耳、歯などの衰えによる時間的経過で50年前と偉い違いのヒトがそこにいる。そ
の人が醸し出す歌曲、これは相当に面白い体験なのであるな。機械やAI技術では成し得ないその場でしか成し得ない事実、実に興味深い事実なのである。本人が言うのであるから間違いがないが、熟成、発酵などに似ているかも知れない。一歩間違えば腐敗ということにもなり得る事実。
昔と今の渾然一体。表裏一体と化した2時間であった訳である。これは一つのドキュメント、即席では作れない時空間、未だ解明されていない脳という生命維持装置器官が作り出している生き物の世界の奇妙で、はたまた理性的な現実空間の経験は金銭で買うことの出来ない財産であるような感じに見えてくる。
日が明けて2日目の今日は、より今に近い時間内に作ってきた歌たちの2時間としたい。
すっかり10月の中旬の顔をした西新宿歌舞伎町でドキュメントの出来る幸福感を味わいたいと沸々と心底思っている丑三つ時を後にして、もう寝ます。

ペットのトラ2頭がステージに登場

鈴木さん、毎度お世話になります

北海道から九州までお客さんにお越しいただき感謝です
千葉県松戸市ハンドクラップで本物の歌を
2025年10月17日 | カテゴリー: 山木康世
~水戸街道 松戸馬橋に赤とんぼひらり~
水戸街道は江戸時代の街道の一つで、江戸を立って千住を通って茨城県水戸に至るまでの街道。千住は日光街道の宿場町「千住宿」として、荒川に架けられた千住大橋が交通の要衝として栄えた。松尾芭蕉も奥の細道で訪れ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と詠んで出発地としたという。
今は国道6号線として、やはり交通の要である。ふきのとう時代マネジャーはここを通るのをいつも混んで渋滞しているので嫌がった。
江戸川を渡ると千葉県である。やがて千葉県人口3番目の松戸50万人の街へと続く。ちなみに千葉市、船橋市、そして松戸市である。
馬橋はまばしと読んで宿泊は禁止されていたが、休憩所的な間の宿場として栄えたという。全国にこのような間の宿はたくさんあって調べると面白い。江戸幕府はこのような形で道路整備、関連する宿場を設けて国家繁栄を願ったわけであるな。
Handclapは拍手や手拍子という意味であるが、今回は1曲も手拍子じみた歌曲はなくてしっとりした秋模様の歌曲で決めた。
♪秋はドングリとキノコを連れて♪
秋はドングリとキノコを連れて山ブドウの路を
空では円を描いてトンビがピーヒョロヒヨロ
山親爺は長い冬の眠りに備えて
枯れ葉をひとり敷き詰めベッドに入る
稲穂は首を垂れて黄金色の大地に
山が染まる赤や黄色に枯れ葉のじゅうたん
澄み渡る北の空に光り輝ける
星に願いを君に思いを寄せる街角
一雨ごとに霜が降りて寒さを増して
ストーブを囲んで4人の子どもたちは
おばあちゃんの昔話の絵本を聞いて
いつかサンタの夢を見て 眠りについたよ
美原時代の晩秋を思いながら1曲目、なかなかに良いスタート。
「冬のワルツ」「消えそうなスタンプ」「暮れゆく秋の旅」「チバニアンを見に行った」「佐倉宗五郎」アンコールでは「野良犬HOBOの唄」「夜の終わり」で幕を閉じた。
終演後地下から階段を上がって表に出ると、とっぷり日は暮れていた。昼間来た水戸街道を戻り青砥で右折、環七をひた走り中野に帰ってくる。
来る20日、21日は新宿、22日は青山で節目の75歳記念ライブである。
巨きくなって偉くなってふんぞり返ってる大御所の歌は本物の歌ではない。そこはかとなく深く静かにしみいる歌こそ年齢相応の本物の歌であると思いたい。
秋の夜長ギターをボロンボロロンと一曲でもいいから本物の歌を!

地下1階の光が遮断された空間でライブ

74歳ももうすぐ終了
12月25日忘年会のお知らせ
2025年10月14日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
12月25日(木)お江戸両国亭ライブの後、両国駅近くの居酒屋で、16時過ぎから2時間、山木康世を囲んで忘年会をします。終了は18時です。
参加費5000円(料理と飲み放題付)。
参加ご希望の方は、12月12日(金)までに、山木倶楽部九段支部までご連絡ください。
当日のお江戸両国亭のライブに参加された方に限らせていただきます。
繁忙期につき、12月12日の締め切り厳守ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
多くの皆様のご参加をお待ちしています。
東京都昭島市フローラカルチャークラブ昭和町と拝島村
2025年10月13日 | カテゴリー: 山木康世
1954年僕が4歳のころ、昭和町と拝島村が合体して市制。市名は両方から仲良く一字ずつ取って昭島市。現在の人口は約11万人、北海道小樽市と同じような規模の街。
僕が生まれる前の戦前には軍需施設があったというから、何かと軍関係の街だったのだろうか。その頃は辺り一面クワ畑があって養蚕が盛んだっという。
八王子から横浜まで絹街道と呼ばれる道路がある。その時代、絹は重要な輸出産業。ここら辺り一帯は絹のためのお蚕さん業者が大勢いたのだろう。横浜から海を渡って世界へ絹の織物は羽ばたいていた。絹製品は高価であるが、部屋に物があふれる現代、多少値の張る持ち物や衣類は自分だけのアイデンティティ確立のために必要なのかもしれない。みながみなアイフォン、ダイソー、ユニクロでは寂しすぎる。
10月といえば立派な晩秋、初冬のはず。それにしてもおかげさまで日中は少し汗ばむが、夕方から夜にかけて程よい気温が続く。
昨晩は開けた窓の隙間から一匹の蚊がコンバンワ。脛や腿に痒みを覚えて明かりをつけるとヤツは慌てていた。さっそく金鳥渦巻に火を点けて眠りについた。
「銀色の世界」「柿の実色した水曜日」「月天心貧しき町を通りけり」「晩秋情景」おなじみ秋色の冒頭と相なった。歌ってていて遠い故郷のことを思っていた。故郷の人は昭島などという街も知らないし、聞いたこともないだろう。
今回「深夜の速達便」はお休み、ショットタイムも次の機会へ。

しっとり落ち着いたよき空間ですね

全国からのお客様、ありがとうございました
東京都葛飾区新小岩鎌倉空の杜でキジバトを見かける
2025年10月09日 | カテゴリー: 山木康世
何度見渡しても、空の杜のお庭は心を健やかにしてくれる。今日はライブ途中に2羽のキジバトが仲良く水浴をしていた。公園などによくいる鳩はドバト。キジバトは全身が土色をしている。
僕が中野に越してきた頃、西新宿のロータリーの小籔の中で見つけて拾ってマンションに連れて帰り育てたキジバト。徐々に成長してみるみる間に大きくなり、あまり見かけない体の色に驚いたことを思い出す。ある日ホバリングをして浮き上がった姿には声を上げたものだ。野生の力を見せつけられ生命の力強さを痛く感じた。やがて窓から巣立って行った日、いつまでも離れないで電信柱でこっちを見ていたな。そして近所の公園の方へ飛んでいった。僕は急いで階段を降りて追いかけるように公園へ行ってみた。呼んでみたけど見当たらなかった。どこかの緑の隙間からこっちを見ていたかもしれないな。
深夜の速達便は「デイゴの花」撮影タイムもだいぶ熟れてきた。しかしたまには休みの日もあっても良いと思った。毎回毎回当たり前のように慣れてしまうより、新鮮さを保つには少し距離をおいたほうが良いときもある。元来の飽きっぽさが顔をもたげる初秋ではあるが、実に暖かい。
10月といえば北海道に住んでいた頃は初冬というイメージであったが、今や北海道でも昔の天候は微塵もないらしい。移りゆく大自然、本当に人間が作り出した異変なのだろうか。地球の大きな営みのダイナミックのひとつであるかもしれない。
タブレットのくっきりしたフォントは精神的にも健やかである。淀みや曇、迷いのない生き方は自ずから溌剌とさせてくれる。目や耳、口は伊達には付いていないのだな。
「空の杜」良い会場である。
みなさんお忙しい中、ともに過ごすことが出来、幸せでした。次は昭島でお会いしましょう!

小岩ライブはカーテンを開けて庭園を眺めながらの明るいライブ

秋祭りの祭り提灯と幟が飾られた「空の杜」入り口
山木さんバースデーお祝い参加募集
2025年10月05日 | カテゴリー: 山木康世後援会
10月22日は 山木さんのバースデーです。
南青山マンダラで開催されるバースデーライブに向けて恒例のお祝い金を募集します。
今年は、ステージを彩る飾りなどにお祝い金の利用を考えています。
ぜひ、当日ご来場して一緒に楽しみましょう。やむなく参加出来ない方、配信でお楽しみの方も参加して山木さんのバースデーをお祝いしましょう。
ご参加希望の方は、ゆうちょ銀行に送金をお願いします。
ゆうちょ銀行
口座番号:02760-9-101611
口座名:山木康世オータムマンコンサート
締め切りは、10月17日(金)
住所、お名前、連絡先 お祝いメッセージを記載して送金ください。
金額は特に決めておりません。 お気持ちで参加くださいませ。
問い合わせは 山木康世後援会 川口まで
080-3503-3813
kouenkai@yamaki-club.com
