富澤一誠氏はAgeFreeMusic
2025年07月17日 | カテゴリー: 山木康世
Nac5AgeFreeMusicは長きにわたり847回を数えるという。そのうち僕は光栄なことに7回登場していた。
パーナリティは富澤一誠氏である。一誠氏との間柄は長く、最初に会ったのはふきのとうデビュー直後、六本木飯倉片町スペイン村にあった才谷音楽出版の事務所である。
ドアより登場の一誠氏、黒いサングラスに長髪、アタッシュケースを片手に毛皮のロングコート、黒のロングブーツで現れた。スターのようであった。方やふきのとうは田舎から出てきて日が浅い。蛇に飲まれる蛙状態でアッハッハー。
その後何度もお世話になった。周りにはライター、評論家、カメラマンなど同世代の音楽関係者が大勢いて世の中の一役を担っていた。ツアー同行取材なども行われ雑誌にも多くお世話になった。しかしいつしか世の中も変わっていなくなった人もいる。
そんな中いつものスタイルでひょうひょうとAgeFreeMyusicを発展させている一誠氏は頼もしき発信者である。
昨日は本番収録後、美味い居酒屋で短い時間ではあったが杯を交わした。
まだまだ現役元気で駆け抜けましょう一誠さん、良いお名前だ。僕の周りに「一」のつくおやじたちが多数いる。何かの引き合わせかもしれない。
ありがとうございました。

有楽町のスタジオで収録

富澤さん、9月4日お待ちしています
さいたま市浦和区アトリエMで暑気払い
2025年07月16日 | カテゴリー: 山木康世
今時は小暑。梅雨が明けて夏本番。小暑と大暑の間を暑気という。暑中見舞いを出す時期である。そして77候では蓮始開はすはじめてひらく。深夜蓮の花が人知れず開花する時期とある。
♪星のきらめく夜空 白い鶴が飛んでいる ハスの赤い花が咲く 夜の魚がはねる 水の底に映った月♪
6月22日夏至も過ぎて12月22日の冬至へと向かって昼間がどんどん短くなる、しかし気温の方はグングン上昇、特に埼玉県は温熱地獄、東京で暖められた気温が上昇、そして下降。埼玉県辺りに降り注ぎ猛暑酷暑などと呼ばれる夏となる。そのうえ今日は台風の余波か時折大粒の雨がヴィスタのフロントガラスに音を立て通過し会話もままならずワイパー全開である。
何度もアトリエMには足を運んでいるのだが、どの道から侵入してくるかでガラリと周囲の風景が変わって見えて、突然目の前に現れて脳みそが付いていけず、なんとなく予想していたお店の前の光景にぶち当たったりする。戸惑いの極みである。今日がその日で突然予期せぬ見慣れた風景、アトリエMが現れる。キツネにつままれた感じである。
予想出来そうで出来ない脳みその混乱、僕の内部で普段味わえないスリル、興奮、緊張、弛緩が瞬時に襲ってきてミッションインポッシブル、トム・クルーズである。
「拝啓こんにちは」は解散直後の94年に作った歌で今日のいち推しだった。
♪拝啓こんにちはお元気ですか 随分会ってない会いたいよ いつだろうか最後に会ったのは 思い出せなくて淋しいよ♪
その頃20代30代40代とふきのとう生活で目まぐるしく駆け抜けた青春と呼べる時代を終えてホッと一息、久しぶりの自分との再会、そんな味わいを歌ってみたくて作った歌だ。もう戻らないあの時代。
そんな折、夜に一報が入った。東京から札幌へ居を移した30代春夏秋冬を大いに駆り立ててくれた自由国民社の大越氏が5月に亡くなっていた。知らなくてすまない。
そう言えば最後に歌おうと用意していた「秋の夜」なぜか歌わなかった。
皆さんお忙しい真夏にありがとうございました。
来る21日海の日祝日は柏市studioWUUです。どうぞ泳いで遊びに来てください。

ほっと落ち着く空間

外の風雨の音も気になりません

Tシャツの新作、よろしくお願いします
池袋ムーブメントスタジオ騒音も台風予報も何のその
2025年07月15日 | カテゴリー: 山木康世
もう何度になるだろう。なんと環境の宜しい平和で穏やかな男と女の街でのyamakingsongs。池袋西口界隈の昼時には腹を満たすための店がひしめいていて、石を投げればどこかに当たるほどだ。今日は中華の店でエネルギーを補充。まだ目覚めていない心身が瑞々しさで満たされる。青椒肉絲、麻婆茄子の余韻は4時間十分だ。
表の道路工事の騒音が気にかかる。電気ドリルの断続音は本番まで続くのだろうか。
ムーブメントスタジオは嬉しいことに少しずつ室内環境が良くなっている。観客席、天井の照明器具、普段の盛況ぶりがうかがえる。決して新しくてきれいだとは言い難いが使いやすさの向上に気分も軽くなる。
新曲「早起きのブルース」「朝焼けのセスナ」「ヒーイズフィッシャーマン」お久の「狸小路ワルツ」「Mr.Bass Man」などなど、あまりふきのとう時代作品は顔を出さなかった。締めは「秋の夜」
近頃過熱気味の気象状況予測、不急不測の外出は控えなさいってか。2時間の熱演が終わって外に出ると工事も終わり青空が見え隠れ、雨など一滴も降っていない。風も穏やかだ。確か台風接近情報、どこ吹く風だ。
本番が終わったら騒音もピタリと止んでいたんだよ。
皆さんお忙しいなかありがとうございました。いつになく良いLiveLibraryでホッとして山手通りを間違えることもなく帰宅、中野へと急いだ。
明日のあとりえMに思いを馳せて幸福を託そう。会報131号の最終蔵出しも鋭意準備しよう。
8月のラッキーデー8月22日は札幌CubeGardenへ
2025年07月14日 | カテゴリー: 山木倶楽部
来月の8月22日は、札幌LiveLibrayです。
札幌で作った沢山の歌たちを披露する予定です。
初夏~ 狸小路ワルツ クリックして是非お聴きください。
天衣無縫CD発売記念コンサートで「雨ふり道玄坂」を披露してくれた 田高健太郎をゲストに迎えてます。
お待ちしております。
新潟県柏崎市福巌院ガタガタツアー最終日
2025年07月10日 | カテゴリー: 山木康世
柏崎は海沿いの街ということで猛暑という感じではなく、風が少し柔らかく涼風である。市内のお寺福巌院の方丈さんと9人でメンバー構成コカリナ演奏がオープニングである。素朴なメロディーに乗せてコカリナの素朴な音が心地よく響き渡る。
30体ほどもあろうか、金色の観音様に見守られての2時間のステージ、お集まりの皆様のご期待に答えられたかどうか。
ステージの壁の上に掲げられたスピーカーの名器「ヤマハNS10」の勇姿が昭和という世代の人間模様を物語る。
今が旬のナスが打ち上げで出てきた。その中でも十全ナスがうまい。新潟の特産十全ナスの塩漬けである。子供の頃弁当のおかずとしてピカイチであったナスの塩漬け。それに刻んだソーセージ入りの卵焼き、揚げ物があれば 高級弁当だった。3つの味が口の中で1つになって絶妙な味わいを醸し出す。
味の好みは幼い頃に馴染んだ味が決めるようである。それはおそらく母親の作った料理の味が長年にわたって自分の体内に留まっていて、ある意味愁いの味なのである。
僕のライブにはナスの漬物のような憂いのある味わいがあってほしいものである。
何かにつけてご尽力くださったM氏、並びに関係者の皆様に大いなる感謝をいたします。

お世話になったMさんと
新潟県新発田市/SHOWBEN-小僧は尿もれ頻尿どこ吹く風やら
2025年07月09日 | カテゴリー: 山木康世
いよいよツアーも中日、福島県から山形県へ、そして神戸ではなく新潟県、日本海の新発田を一路目指す。
阿賀野川を見ながら鮮やかな緑が目に染む懐かしい田園風景が続く。いい加減にしてほしい国の米騒動を日本有数な穀倉地帯であるここら辺の従事者は如何に感じてきたことだろう。
世界中がコロナで揺れた5年間、あれ以来であろうか。長くて遠かった新発田の町。江戸時代すでに10万石の町であったので今の10万人は人口の面ではさほど変わらない町だったのか。以前伺ったよりも郊外にたくさんのお店ができていた。
店の前小さな緑、小便小僧は今日も一人、尿もれ頻尿の言葉どこ吹く風、酷暑猛暑の風の中木陰で小便をしている。お店の名前の由来の小僧である。なかなか思いつかないユニークな名前である。マスターはお気の毒にもご病気をなされていたが大事に至らず何よりだった。この歳での5年は長く、何があってもおかしくない歳なんだなと痛感した。
ふきのとうのやまきというありがたくもあるが、たまには鬱陶しくなる過去。しかしその長い時間の中で作ってきた歌たちは今日も自分を援助してくれてエンジョイできた。互いの時空を超えてコミュニケーションができることは出来そうでできない素晴らしいことである。伊達に時間はあるわけではない。やはり有効に確実にコツコツと歩くことがゴールへと続く道なのであるな。
近頃、「雪の町へ」という歌がなぜかしみじみと心にしみてきて涙が出てくる。作ったころ感じなかった哀愁郷愁が勢い増して迫ってくる。それほど悲しい歌ではないのになぜか切なく追想され、時代のエレジーなのである。モクモクと煙を履いて黙々と走っていた汽車が電気で走るクリーンな電車に代わって「オーイ」と呼びかけたくなるような昭和がますます遠くなる一方である。
カラオケなどでの受け狙いの小賢しい歌いっぷりのあざとい気持ちを捨てて、純真で素直な子供の頃のような一心の心で過ごて行きたいものである。頭でっかちの妙なな唐変木にはなりたくはない。争いのない平和な世の中が一番である。
お忙しい中、皆様誠にありがとうございました。
新潟県内柏崎へ平穏一路目指したいと思います。
マスターどうぞお大事ご自愛ください。またお会いしましょうぞ。

久しぶりの新発田ライブ

海の中を思わせるblue

店前に立つ小便小僧
山形市ノイジーダックを親子イエローダックと共に我がルーツを感じながら
2025年07月07日 | カテゴリー: 山木康世
「山形はおじいちゃんの故郷」は実に有意義で且つ格別な歌であったようである。この歌を作ったきっかけは還暦を前に、おそらく自分の父、そのまた父にあたるおじいちゃんの故郷を尋ねたいと思う気持ちが高まったからであろう。
振り返ればふきのとう時代にも何度も訪れている山形であるが、いつの日か個人的に深く探訪する日が来るだろう、とかすかな期待と予感を持ってコンサートを続けていた18年であった。おじいちゃんの故郷を正確に言えば山形県高畠町であるが、父親でさえ訪れたことのない高畠町であった。
初めて高畠町に足を踏み入れた日のことを覚えている。ワインの町、まほろばの里として高畠町は実にのどかな緑の中に広がっていた。山木家のお墓を探しに行って、西安寺というお寺を見つけ、その界隈は山木家だらけで戸惑ったことをよく覚えている。お寺さんで先祖代々のお墓がどこにあるか尋ねた。しかし山木さんだらけなのでお寺の人にもわからなかった。電話で父に聞いたが父も定かではなかった。しかしお寺で粘っておじいちゃんのお父さんまで遡ることができた。大きな収穫であった高畠の日。3年続けて高畠でライブを続けた。続けられたのは山形市の土屋氏の大きな愛情と尽力によるものあったと言っても言い過ぎではない。今思い出しても大きな収穫で感謝である。やりたいと思っても一人では絶対にできない作業であった。おばあちゃんの方は赤湯の地が故郷であった。後日のことではあるが今でも温泉宿を営んでいる遠い親戚の家を訪ねた日のこともよく覚えている。遠い昔、若き祖父母は山形で出会って結婚に至ったのである。
僕の父方の方はかなり詳しく知ることができて60歳の頃から新たな自分というものを意識しながら生きて来られてきたことは幸いである。自分とはどこから来てどこへ行くのだろう?というテーマはみんなの心にも潜んでいる大きなテーマであろう。
「山形はおじいちゃんの故郷」は遠い昔の若い頃よりもさらにくっきりと自分の中で捉えことができて強くかみしめて歌っている。明治という遠い時代を札幌から離れた山形県高畠という自分のルーツは明確に生きているようだ。今まで作ってきた歌の詩の部分によく現れているようである。僕の中でおじいちゃん、おばあちゃんの血が時を隔てて脈々と生き延びている証拠だろうか。
かたや母方のルーツの函館松太郎じいさんは「ヒーイズフィッシャーマン」で今日もしみじみと誇らしげに歌い上げた。
かなり精神の安定した日々を過ごしている。7月5日は災いで日本が壊滅などという漫画家とそれを取り巻くメディアの迷惑な予想など木っ端微塵であった。
山形は蕎麦の産地である。喜多方から2時間弱の山道で到着のお昼時、うまい蕎麦で胃の腑を整えて「ノイジータック」へ向かう。
皆さんと共に過ごした夕刻のひとときは格別なもので思い出深いものになるだろう。ハッチありがとう。
ギター1本弾き語り、ますます自分で言うのもおかしいが味わいを深く深く、まるでキャンバスに向かって時の不思議さを絵の具を重ね重ね続けて描いている画家の作業の途中のようにも感じるyamakingsongsの日々である。
皆さんお忙しい中ありがとうございました。
またおじいちゃんの故郷を訪れたいと思ってます。
山を越え川を越えて越後の地へ旅は続く続く。

初めての会場は多少の緊張感が心地よし

リハーサルで

マスター、お世話になりました
福島県喜多方市FMきたかたライブスペース蔵の町ラーメンの町異状なし
2025年07月06日 | カテゴリー: 山木康世
福島県の国の宝、会津磐梯山・猪苗代湖。東北とは思えない雄大なスケールで迫ってくる秀麗財産である。
朝からの突然の雨に少々先を案じたが、思うほどのことはなく一転ピーカンの喜多方への道である。1年ぶりに僕に会いに来た方はどんな感じをLiveLibraryで受けたことだろう。気持ちが穏やかに楽になり、ココロ軽くなったならと願う次第だ。
今日は配信も兼ねているのでいつにもまして力のこもるyamakingsongsである。
FMのオダチュー会長とも1年ぶり、何でも脳につながる左右の動脈が片方しかなく製造元の親も知らない先天的な異常らしい。しかし何のそのまり、いたってお元気、いつもの笑顔で荷物の搬入を手伝ってくれて嬉しい限りである。
マーチン0028クラプトンモデルを人から譲ってもらったと言って話が弾む。確か以前はギブソンを人から譲ってもらったと言って話が弾んだが、その時は持ってってもいいと言ってたはずだがライブが終了、後片付けの時、気が変わったのか、そのままケースに納めて持って帰ってしまった。今回もおそらく同じケースであろう。
今日のyamakingsongsは冒頭3曲をしっとり系で決めてみた。意外に緊張するものである。箸休め程度に地味な歌を挟むと効果的であるということがよくわかった。しかし最前列の男性客人らとのさりげないやりとりに心がホッコリ助かったよ。
音の方は、なんとあのMr.ウスーキー氏が直々に担当してくださるというありがたき所存、幸せの極みである。ステージの陰の立役者は黙々と自信と沈思黙考、キャッチボール、聞いているみなに感動と生きる張りを与える。国の宝と言っても過言ではない。音魂の職人との再会は喜多方に来ることが出来ると言う目に見えない幸福のひとつではあるのだ。
今日は7月5日、この日日本に到来するという大きなまことしやかなフェイクニューが流れていた。しかし災いは何もなく漫画家の予想はこっぱみじん、幸いだった。振り回された関係者は苦虫を潰していることだろう。笑い事では済まされない想像以上のネット社会における風評。クワバラクワバラ。
皆さんありがとうございました。次回はホールでお会いしましょう。元気にこの暑い暑い米騒動・油騒動の夏を乗り切りましょう。

「会場の前で拾った」(山木談)マーティンギターで演奏

最初の3曲は哀歌・ひまわり・れもん

ウス―キーさん(左)、FM会長のオダチューさんと。ウス―キーさんはディープパープルの傑作「Live In Japan 」(1972年)の音響を担当したすごい方
田端スタジオアンダンティーノ元気でやれよ!
2025年07月04日 | カテゴリー: 山木康世
巡る季節は随分と早いモノがある。うなぎも安くはなるというニュースを聞いてから久しいが、一向に安くならない。なんでも養殖に成功したのでスタミナ補給にはもってこいの魚であるのに、期待に反して相変わらず高価なうなぎである。そのうなぎが今度は手に入らなくなり、アメリカ当たりのトランプの切り札になりそうとの憶測も聞かれる。
会場の直ぐ横の駐車場は使いやすくなった。金額も手頃で田端への道は遠くなく気が楽である。
坂の途中にある庭先からネコヤナギが見えていたっけ。しかしこれは穂先が猫の尻尾のように見えただけで、実際はハクモクレンを見誤ったものだった。半年くらいも前の話だ。その庭先も真緑で、あのとき話題になったハクモクレンの木も何所にあるか分からないほど濃い緑の季節になった。
駐車場は心配の程もなく、直ぐに駐車が出来た。文士たちの町と呼ばれる田端の駅前には文士館があって、田端は精神学上自分好みの町である。まんだらけを擁する我が中野の町より好感の持てるところである。コスプレ、アニメの聖地になってしまって外人さんも漫画のキャラでアーケード街を歩いている姿を見るに付け面白いがもう少し落ち着いた中野の町を望んだりもしている、
今日の推しは「ヒーイズフィッシャーマン」今までの元気な松太郎さんを郷愁の姿に変えてみた。確かにニシンの釣り人であったが、正確にはフィッシャーマンズボス、訳すと網元ということになる。前日に急遽変えて制作してみた。淡々と栄華の時代を振り返るわけであるが、まさに諸行無常の世界、おごる平家の興亡はいつの世も同じ、人間の世界は儚さを秘めているのでロマンそこはかとないのである。あの世には持って行けないお金、名誉、権威など何かと争いの種に成りかねないエネルギーは確かに生きる張りを与えてくれる。生きる夢を見させてくれる。生きる目標を教えてくれる。しかし人間の生は有限である。神様は時間を悠長に与えてくれない。兄弟、姉妹、家族に災いを与えかねないモノに振り回されない冷静さも必要である。仲良しは良い言葉。お金という代物を考えついた古代の人間がいる。
新宿から中野の町へ行く道の途中に企業のビルがある。その玄関先に石で作られた1メートルもあるような大きなお金のオブジェが飾ってある。レプリカであるが、本物を使っていた人間たちは、こんな持ち運びも困難なモノを、どんな目的で使っていたのだろう。
松太郎さんは最後に人生はゲーム、ギャンブルの奥義を残して去って行く。武士のような威厳に満ちた一枚の写真は僕に語りかけてくる。元気でやれよ!
ミュージックダイアリー<メルマガ編>
2025年07月01日 | カテゴリー: 山木倶楽部九段支部
不定期に配信しております山木康世メルマガに、今後、やはり不定期に「ミュージックダイアリー<メルマガ編>」として音源をお届けしていきます。
新曲、改曲、新アレンジの曲などなど、バリエーションに富んだ曲をアップしていきますのでお楽しみに。
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