となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

山形市ノイジーダックを親子イエローダックと共に我がルーツを感じながら

2025年07月07日 | カテゴリー: 山木康世 

「山形はおじいちゃんの故郷」は実に有意義で且つ格別な歌であったようである。この歌を作ったきっかけは還暦を前に、おそらく自分の父、そのまた父にあたるおじいちゃんの故郷を尋ねたいと思う気持ちが高まったからであろう。
振り返ればふきのとう時代にも何度も訪れている山形であるが、いつの日か個人的に深く探訪する日が来るだろう、とかすかな期待と予感を持ってコンサートを続けていた18年であった。おじいちゃんの故郷を正確に言えば山形県高畠町であるが、父親でさえ訪れたことのない高畠町であった。
初めて高畠町に足を踏み入れた日のことを覚えている。ワインの町、まほろばの里として高畠町は実にのどかな緑の中に広がっていた。山木家のお墓を探しに行って、西安寺というお寺を見つけ、その界隈は山木家だらけで戸惑ったことをよく覚えている。お寺さんで先祖代々のお墓がどこにあるか尋ねた。しかし山木さんだらけなのでお寺の人にもわからなかった。電話で父に聞いたが父も定かではなかった。しかしお寺で粘っておじいちゃんのお父さんまで遡ることができた。大きな収穫であった高畠の日。3年続けて高畠でライブを続けた。続けられたのは山形市の土屋氏の大きな愛情と尽力によるものあったと言っても言い過ぎではない。今思い出しても大きな収穫で感謝である。やりたいと思っても一人では絶対にできない作業であった。おばあちゃんの方は赤湯の地が故郷であった。後日のことではあるが今でも温泉宿を営んでいる遠い親戚の家を訪ねた日のこともよく覚えている。遠い昔、若き祖父母は山形で出会って結婚に至ったのである。
僕の父方の方はかなり詳しく知ることができて60歳の頃から新たな自分というものを意識しながら生きて来られてきたことは幸いである。自分とはどこから来てどこへ行くのだろう?というテーマはみんなの心にも潜んでいる大きなテーマであろう。
「山形はおじいちゃんの故郷」は遠い昔の若い頃よりもさらにくっきりと自分の中で捉えことができて強くかみしめて歌っている。明治という遠い時代を札幌から離れた山形県高畠という自分のルーツは明確に生きているようだ。今まで作ってきた歌の詩の部分によく現れているようである。僕の中でおじいちゃん、おばあちゃんの血が時を隔てて脈々と生き延びている証拠だろうか。
かたや母方のルーツの函館松太郎じいさんは「ヒーイズフィッシャーマン」で今日もしみじみと誇らしげに歌い上げた。
かなり精神の安定した日々を過ごしている。7月5日は災いで日本が壊滅などという漫画家とそれを取り巻くメディアの迷惑な予想など木っ端微塵であった。
山形は蕎麦の産地である。喜多方から2時間弱の山道で到着のお昼時、うまい蕎麦で胃の腑を整えて「ノイジータック」へ向かう。
皆さんと共に過ごした夕刻のひとときは格別なもので思い出深いものになるだろう。ハッチありがとう。
ギター1本弾き語り、ますます自分で言うのもおかしいが味わいを深く深く、まるでキャンバスに向かって時の不思議さを絵の具を重ね重ね続けて描いている画家の作業の途中のようにも感じるyamakingsongsの日々である。
皆さんお忙しい中ありがとうございました。
またおじいちゃんの故郷を訪れたいと思ってます。
山を越え川を越えて越後の地へ旅は続く続く。

初めての会場は多少の緊張感が心地よし


リハーサルで


マスター、お世話になりました

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