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空くう

2022年05月27日 | カテゴリー: 山木康世 

約束しても来ないやつ、車いすを押しても来るやつ、時間どおり集まってくれるやつ、人それぞれである。

明日は東京葛飾区「空の杜」でLiveLibrary。

生きていて何人の人間と知り合って別れてゆくのだろう。最後は死で終焉する。しかし分からない。死後の世界だってあるやもしれぬ。

せめて直近で会って知り合って、約束までした人ならば信じておこう。陰でいい加減な言動をしているかもしれないが、誰かが見ていると町の掲示板は戒めている。

「色即是空」で有名な般若心経では「空くう」とは大辞泉によると

《梵śūnyaの訳。うつろであること、ない、の意》仏語。すべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実体や自我などはないということ。

僕がこの言葉の本当の意味を知ったのは30歳で、母の葬儀の席だった。何度も行われて初めて知った読経の実態。本当に一皮むけた感じの最愛母との別れだった。母は当時59歳、父は66歳だったのか。そして僕はと言えば29歳。今の僕より若かった父も一生懸命に読経して、実家に戻った時など自らお坊さんのように家族を従えて読経した。お坊さんのようにお布施はあげなかったが懐かしい思い出である。

宇宙がビックバンで誕生して137億年前、太陽が46億年前、地球が誕生して45億年、人類は700万年くらいだろうか。そして巨大な星になった太陽に飲み込まれ大爆発をして40億年後くらいには地球すら無になるという。

しかしあくまでも人間の考えた考察・論証・歴史であるので、これすらも空かもしれない。そもそも宇宙の果ての先には何があるかすら誰も分かっていないのに、いかにも何かがあるような考え方も妄想なのかもしれない。

そんなこんな思いを馳せて「空の杜」何回目だろう。2022年記念の年に相応しいLIVEにしよう。

お時間ございましたら、ひと時ロマンと妄想にひっつかまれ豊かな心を感じてみてください。あくまでも全ては「空くう」なのですが。

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