FUNまつり初日あけぼのアートコミュニティセンター
2024年02月03日 | カテゴリー: 山木康世
FUNまつり初日の旧曙小学校現あけぼのアートコミュニティセンターにおける〜春はあけぼの〜は9年ぶりでの学校である。このような使われかたをしている学校に誇りを感じて、一日身も心も軽かった。
当時モダンスクールとして建てられた札幌市立曙小学校。今も鉄筋コンクリート3階建ての建物は健在である。東京にいると目まぐるしく建て替えられる50年建物。上へ上へと高さを伸ばして見事である。と同時に人間の生きている時間を考えると虚しさ、切なさ、儚さを感じてしまう。無機質な現代建物の頑丈さはあまりにも頑丈すぎて度を越している。次々と建て替え替えられる超高層ビル群は何を目指しているのだろう。まるでお祭り騒ぎである。そこまでして建てるかいなという呆れてしまう感情も沸き起こる。金があれば建築やの未来願望と手を組んで建て上がるのであるが、そこには人間としてのココロが少し置き去りにされてはいないか。見上げて上に上がって街の眺望に歓声を上げてそれで終わりである。
規模は問題にならないが、それでも70年前には見上げて歓声を上げて飛び回って遊んで学んでいた人間たちが生きているのである。中には健康問題などで建物同様建て替えが必要であるが、元気な人も大勢いて街を国を作っている。何を考え、どうより良く生きていくかがみんなの大方の意見だろう。
デジタル時代、ネット時代における快適な人間の心模様。春はあけぼのである。寒さと雪の中で執り行われたLIVELibraryはいろいろな心模様の寄り集まりを大いに感じさせてくれて大満足だった。ギター弾き語り50年、ここにありという感じか。
公園軒の川崎氏のご尽力により開催され現実となった。中島公園を抜けると電車通りが見えてくる。そこに玄関のように今でも建っている床屋さん。生きていて何度も僕らは髪の手入れをしてきた。それでなくてはまるで本に見る太古の人のような有り様になってしまう。そこでチョキチョキとこまめに手入れをして清々しくなって出直す。考えると髪はふしぎなもんだな。一番の目的は恐らく司令塔のような脳みそを守るという神様の考え方から来てるのだろう。生まれたときにはまだ髪は生えてない。しかし根っこはあって徐々に建物のように黒ぐろと伸びてくる。そして何度も手入れをして50年も経てば生まれてきたときと同じような感じで、もう建て替えもなくなってしまう。という人も大勢出てくる。この時間的経過を考えざるをえない生きるということ。みんな髪の毛の下の脳みそが考えざるをえない時間的経過と今。
同窓会を用意してくれた公園軒。川崎の笑顔を見ていたら、また元気で会おうという未来への希望が湧いてきた。
良い一日だった。何かと手伝ってくださったみなさん、お集まりいただいたみなさん、本当にお寒い中有難うございました。今日は雪の中、隣町恵庭へひとっ走り。