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土浦ユージンホールを一陣の風が吹きすさぶ

2024年08月04日 | カテゴリー: 山木康世 

土浦といえば「土浦航空隊」。霞ヶ浦といえば「予科練」時を遡ること80数年、我が国は戦時体制、風雲急を告げる慌ただしく物騒な時代であった。資源の乏しい国は、経済経済が高じて、つまり金が金が国の目的となって、結果戦争、もっと国土を広げようと海外へ調達に出かけそのまま住み込んでしまう。こんなことが今では誰が考えても許されないが、当時は世界が帝国覇権主義、植民地主義が堂々闊歩、ひとり歩きしていて、先ず英国、独国、仏国、蘭国などが覇権を世界に広げて、日本も仲間入り、怖い話である。そして原爆という人類が考え出した技術の粋によって終演を迎えた。しかし話はそこで終わらない。技術の粋は馬鹿げているが、頭脳明晰なる一人の天才科学者の脳内のデザインで破滅、破局の縁まで行ってしまう。なんとも愚かな構図である。世界が終わってしまっては何の意味もないのに人間はその一歩を80数年前に踏み入れてしまったのだ。そして米国と露国によって加速され三途の川の瀬戸際まで僕らは連れて行かれそうになっている。
新札が発行された。前のお札に比べて妙に軽い感じのポップなデザインのお札である。今の時代を反映している。しかし写っている人は、経済人、学校創立者、感染学者。その昔は聖徳太子が一番だった。それから福沢諭吉、そして渋沢栄一。国の考えの変遷を読み取る事ができる。やはり僕にはロマンの欠如を感じて寂しい気もする。
僕の前の社長は人生電卓であると言いきって心のなかで僕は少々反発していた。それだけじゃないだろう。もっともっと必要なのは豊かな心というものがあるだろうと。今の時代は電卓どころではなく、目に見えないネットでの金の動き。登るのも早いが落ちるのもあっという間の時代。昔は金が高じて戦争までやらかす人間なのである。クワバラクワバラ。
ユージンホールには400人のフラメンコダンス生徒が出入りしていて栄華を極めていたという。
土浦には戦時下の建物がそのまま保存されていて一般公開を有料でしている。
平家物語、徒然草が猛暑の中だだっ広い飛行場跡地の農地で風に吹かれていた。
みなさん遠路はるばる誠にありがとうございました。
今日は群馬県デイケアサービス「こらしょ」へドッコイショヨッコラヨッコイショ。

「若き血潮の予科練の…」80年前、ニッポン男児が目指した予科練は霞ヶ浦にありました。いまBOSSがニッポンの心を歌います

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