木村松太郎
2016年02月18日 | カテゴリー: 山木康世
函館のとある網本の総大将、松太郎はニシンの季節になると樺太へ家族とともに渡った。
ヤンシュウと呼ばれるニシンの獲り手たちを数百人も引き連れて樺太へ。当時日本とソビエトで半分半分管理していた稚内沖の大型の島である。
松太郎の手には大型の双眼鏡が握られていて、さっきから海を凝視している。
そのとき海が銀色に光り波打った。
「それゆけー!」
松太郎の号令一下ヤンシュウの船団が浜を離れる。
沖では数万匹のニシンが群れを成して泳ぎ回っている。一斉に網を海中へ放り入れる。海上はニシンの油と体液でさらに銀色を増しギラギラ、ギドギド光っている。
松太郎の横では小学校に上がる前のおかっぱの女の子がじっと海を見ていた。
僕の母親とお祖父さんの在りし日の樺太における想像の世界だ。
何度か母から聞いたが、今本当に心底聞いてみたい話の一つだ。
コメント(13) to “木村松太郎”
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山木さーん、新曲ですか? 函館までの新幹線は3月26日開業! 今月の26日から切符が発売です!と新聞で賑わってました。
是非、木村松太郎さん伝説の歌を作ってくださーい!
鰊がそろそろ 美味しく魚やさんに並んでくる季節ですね。
塩ふりで焼いたら 美味しいんだわ~。ってそんな話題でないですね。
したっけ、仕事に戻ります。
こんにちは(^-^)/
親戚によく似た名前の中村松太朗(しょうたろう)
がおります。名前はレトロですがまだ青年(笑)。
こんにちは(^^)
お母様が小さかったころ
見られたニシン漁の風景
を想像しています。
勇壮な漁だったのですね。
メルマガのお話の四神相応、
韓国ドラマの時代劇の風神という
ドラマのなかで見たことがあります。
日本でも平安京を作るときに
そうだったのですね。
影法師さん、お陰様で
見れました~(^^)/
これまでの人生にギターが
どれだけ大切なものだったのかを
熱く語っておられましたね(^^)/♪
もうすぐの京都と滋賀のライブへの
意気込みも感じられましたね♪
参加されるみなさま
山木さんの世界にどっぷりと
浸かってきてくださいね~(^^)/♪
山木さんの想像の世界は素晴らしいです。
なにげに「小樽旅情」の歌が頭に流れてきました。
この歌を聞くとなぜか 修学旅行で行った函館の旅館から見えた(聞こえた)
ある情景が浮かんできます。
漁師さん?の不思議な光景でした。
メルマガでの「四神相応」
家にも、玄関にお守りとして東西南北に向くように
置いています。
北に玄武(黒石)、東に清龍(青石)、南に朱雀(赤石)、西に白虎(白石)
穏やかに毎日を過ごせるような気がします。
気のせい?じゃないですよねぇぇ
ダイアリー木村松太郎さん。大漁の銀色のニシンが網に獲る光景は
圧巻なのでしょうかぁぁぁ~~漁師さんすごい!!
「ニシン御殿」が脳裏に浮かんできました。
こちらでは、魚屋さんで生のニシンは、お目にかかった事はありませんが、
ニシン大好きです。甘く煮てるニシンそば!!
北海道の居酒屋にはニシンの刺身がありますよね。
ニシンは焼くか煮るかしかないと思っていたので、ビックリしました。
あ、身欠ニシンは絶対に蕎麦ですね。
ニシンで海が銀色に染まった話は私も聞いたことがあります。
実際に見てみたかったなあ。
山木さんのおじいちゃんは山木駒吉さんと木村松太郎さんという名前なんですね。どちらも木が付きますね。だから山木さんは気がつくお方なんですね。
そういう私はおじいちゃんの名前は一人しか知らないなあ。
今日のミュージックダイアリーのお話で、「もし.今、亡くなった母に会えたら、私は何を話したいか?」って考えてました。
いろんな聞きたかったこともあるけど、きっと会ったら言葉ではなく、嬉しさで埋もれてしまうのかな?
それとも、サヨナラした後の時間のことを、ただただとめどもなく話すのかな?
そんなこと思ってたら、「君に会いたい」が頭の中でずっとめぐっています。
あ〜!聴きたいなあ。
山木さん、絶対CDにしてください(^O^)/
小樽の海やスタッフダイアリーの小平の高台で、ニシンが産卵にやってきて、海の色がミルク色になったのを見た事があります。
最初、変わった色だなぁって思ってたのですが、後でそれが群来だと知りました。
ニシンは 生をフライパンで表面をカリカリに焼いて、醤油をたら~っとかけて食べるのが一番です。
山木さんのお母さんとおじいちゃんのお話し 歌になったら聞いてみたいですね~。
山木さん、白財布といい、風水に凝ってらっしゃるのですか?
私の友達は風水、占いに凝ってしまい、数年前からほとんどの生活を風水を基に生活していますよ。
最近結婚したのですが、結婚相手も完全に生年月日で決めて、引っ越し先も風水で決めていました。
何でも時期によってよい方角があるそうで、、、方角を見てわざわざ一人旅しているようでした。
しょっちゅう離島に行ったり、海外に行ったり、忙しそうです。まぁ、楽しそうで何よりなんですが(^○^)
撫子様、韓流ドラマはそういう話多いみたいですね、「大風水」ってドラマもそんな話じゃなかったでしょうか。まだ他にもあった気がします。自分は見ないので詳しくは解りませんが(^-^;)
私の祖父の更に祖父は「増太郎」と言って、(松太郎さんとは一文字違いですね)
養蚕が盛んな土地から、明治に秩父銘仙の機織り工場をはじめ、失敗し財産を沢山失ったそうです。
昔押し入れを漁っていたら、古文書のような書類があって、よく見たら田畑を抵当に入れた借金の借用書でした(悲)
親戚のおじさんが、「うちは町一番の山持ちだったんだぞー」とよく言いますが、今となっては貧乏のどん底………
没落具合が逆に哀しいです(泣)
山木さんのお祖父様、大勢のやん衆を引き連れた漁はどんな希望に満ちたお仕事だったのでしょうね!
私の母方の祖父は船大工の棟梁で、一時はたいへん羽振りが良かったそうです。
その頃育った母はたいそうなお嬢様だったらしく、私はちょっと羨ましい(笑)
伊豆だったのでたぶん祖父は漁船を造っていたんだと思います。
祖父が一線を退いたあとに造ってくれた船盛に使うような小さな木の船はずっと私のお気に入りです。
無口だったおじいちゃん、もっといろんなことを聞きたかった。
ニシンが光る海を見たお母様は感動された事でしょう♪
私も母との時間を大切にしなくちゃなー♪とあらためて思います♪
介護状態になってからは、「ありがとう。ありがとう。」ばかり言います。
じいちゃんの時もそうでした。涙が出ます。
一生懸命育ててくれて、ありがとう。と言葉にして返します。
涙ながらに微笑む母を見て、少しでも生きていてもらいたいと思います。
スタジオこほくは、後からでも見る(聴く)ことが出来ました♪
山木さまのライブチラシが何度も画面に映し出されていました♪
四神相応を心にとめて、京都を訪れたいと思います♪
あま様同様、私も「小樽旅情」がリピしていましたが、
突然!昔聴いた「♪ヤーレンソーラン北海道」と言う
子供向けの歌を思いだしました。
かれこれ30年以上忘れていましたが、フラッシュバックの様に急に思い出すものですね。ビックリ。
牛目線の歌です。結構有名かと思います~。
YouTubeにあったので、聞き直したら、北海道弁の面白い歌詞でした。当時は何気に歌ってましたが、、全く気が付かなかった…
朝からどうでもいい話題すみませんでした( ;´・ω・`)
山木さん京都、滋賀ライブに備えて良い1日を~♪
お過ごし下さい~!
昨日のメルマガのお話(今頃になつてスミマセン)
四神相応って京都はもちろんですが、昔のお江戸も
そうだったらしいですね。
北の大宮台地、東の隅田川や荒川、南の東京湾(昔の)
西は甲州街道とか青梅街道がそれにあたるらしいです。
最初にお城を作った太田道灌さんが、易学に詳しかったお人らしく
それらの地形を見てお城の場所を決めたとか。
余計な話で失礼しました。(こういうの割と好きなもので・・・)
明日は京都でライブですね。いいなぁ~ いきたいなぁ~
う~ 今は我慢 我慢です~