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中山道板橋から桶川へ

2019年02月27日 | カテゴリー: 山木康世 

東海道五十三次の表街道に対して中山道六十九次を裏街道と言ったらしい。大江戸板橋→蕨→浦和→大宮→上尾→桶川→鴻巣それから信濃を経て62宿でSOMENO京都に着く。昔の人は一日で男40キロ、女32キロ歩いたという。京都まで540キロと言うから、2週間ほどで京都に着いたということになる。今だったら新幹線で2時間半。今では首都圏で片付けられてしまう、この差をなんとしたらいいのだろう。その上50歳まで生きたら長生きという時代。決死必死の覚悟で京都へ。そんな旅の序の口にあったのが桶川郷。宿場町である。中野からだと40キロほどであろうか。柏とそれほど変わらない距離の桶川である。車や電車がなかった時代の旅人は日の出とともに板橋宿を出て桶川宿に日が落ちて到着。先ずは風呂でも入ってというところだろうか。現代では思い立ったら着いてしまう距離であるが、しばし旅人気分で週末、桶川Veinへ初めて参上する。まぁ徒歩は叶わず車ですが・・・みなさんも如何ですか?

コメント(3) to “中山道板橋から桶川へ”

  1. 蛸の夜

    よござんす〜よござんすと〜〜♪
    お初の桶川‼︎
    参加させて頂きます‼︎*\(^o^)/*

  2. 花心

    一日32キロですか。
    県外に出ようとしたら、覚悟を決めて出発ですね。
    昔の人は、確かな情報も無くすべてが恐る恐るの旅でしょう。
    中山道はほんと中ですね。
    黄昏時は逢魔時、昔は一日も短いし一生だって短いものです。
    今とは全く違った感覚なのでしょう。
    見え過ぎ、情報過多、予測され過ぎの現代、これはこれで過剰な気がします。

    もうすぐ3月です。
    山木さんの素敵なギター、予測できないアレンジありのライブ、ビューンと新幹線で行きたいところですが、今しばらくは予測できないものの静観です。

  3. えみか

    40キロというと、フルマラソンよりちょっと近い感じですか。
    江戸時代頃の人々は、なんば歩きで歩幅が小さく、
    かかとからではなくて、足全体を地面にべったりつけて、
    ちょこちょこ歩いていたので、
    疲れにくかったと聞きましたが、
    実際どうだったんでしょうね。
    時間の流れなんかも、現代とはずいぶん違っていたかも?

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