ゴミの正体 その2
2010年08月26日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
実際に僕はプリンターを買いに出かけ箱は要らないのだが、と言った。初め困惑していた店員は売らないわけにはいかない。しかし箱の処理にも困った顔をしていた。問題が両者にはっきり見えてきた瞬間である。僕は駐車場に止めた車にむき出しで袋に入れられた新製品を運び込んだ。何の問題も起きていない。むしろ部屋は買い換えのプリンターが増えただけだ。あれで箱と一緒に買い込んでいたら、大事なスペースを不要なもので占領されるところだった。
この断ると言うことで問題が解決するかというとそうではない。「思い出」という表には顔を出さない内面のやっかいものが顔を出す。商品を買ったときの「こんな思い出」など抱え込まない方が良いのに、なぜか長時間家で保存しておくと脳細胞に深く深く刻み込まれて行き、捨てられないという事態に陥る。部屋はどんどん狭くなる。思い出は頭にどんどん蓄積される。
お願いです、企業の皆様、昔のように量り売り、新聞紙梱包(魚介類をパックしているあの白い柔らかい石油製品でどれだけの石油が浪費されていることか)の復活、過剰包装廃止(お菓子も実に近頃は手が込んだ商品になったもんだ)、木の箱のように頑丈な段ボール、過剰なプチプチの保護シートの廃止、電話会社等の毎月送付される領収書、請求書封筒のご大層さの廃止(これなどはがき一枚で足りる)、ポストに容赦なく入れられる企業のチラシ各種の迷惑(すぐに捨てられる運命なのだが、その中に大事な通知が混じり込んでいるかもしれない)ペットボトル全盛の華やかな時代、以上ご検討ください。
ゴミ問題がもしも精神的病を冒すと言うのなら、その前に最後の最後に残された手段と言えば、無人島で裸族となるしかない。
(山木康世)