となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

広島置時計音始末記

2010年07月03日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

何とも不思議な空間の「置時計」。
何が不思議ってかい。
現代と昔が整然と同居している今昔物語。

レースのカーテン越しの小窓から見える外には巨大な建造物が天に向かってニョキニョキと手のひらを突き出したように照明灯をかざして建っている。ここの場所自体が開発中という感じで新しいのである。これが噂の「マツダズームズームスタジアム」かとタクシーでお店に向かう途中感心していた。野球場の大きさにはどこも巨大さで大きな声が出てしまう。まぁため息も少し混じっているが。
それでその真ん前に「置時計」があったのさ。ドアを開けると壁一面にフォークギターが20本くらいはあったであろうか、吊されていた。よく見るとみんな日本のフォークギター黎明期の頃のギター連である。あぁ懐かしき1970年前後の日本フォークギター。日本の各メーカーは本家のマーチン、ギブソンに追いつけ、追い越せとヤマハを筆頭に頭をもたげ始めていた頃のギター連である。「YAMAKI」「SUZUKI」「モーリス」などなど。俺の学生時代にタイムスリップだ。見た目は本家そのもののギターもある。オーナーに許しを得て一本、一本手にしてみた。オーナー留佳氏は26歳と言うから、まだこのギター連がしのぎを削っていた頃は宇宙をエーテル状態で彷徨えし魂の頃の話である。オーナーはギターをどこで、どのような値段で手に入れたかをこと細かく説明してくれる。

分かる分かる、この情熱なんだよな、俺も君に負けんばかりの情熱家でいたよ。ギター、ギターで明け暮れた頃を思い出させてくれたギターとオーナー。きれいに吊されたギターに古い傷は多少あっても、埃や油汚れも一切なく手入れが行き届き、張ってある弦もエリクサーのピッカピッカである。そのうち君もダイエットなどという言葉を平気で使うようになるだろう。そんな時もここに吊されてあるギターのことや、ライブのことを思い出してほしい。俺だって50キロに満たなくて、太りたかった頃があったんだよ。

若さというのはまぶしいのである。光を発しているのである。町にしろ、建物にしろ、人間も同じだ。そのうち時間の魔法で徐々にくすんできて精神をも鈍らせるときがくるのだろう。「温故知新」を地でいってるようなオーナー「RUKA」。
あの頃あんなに情熱を燃やしたかのように見えたレコード会社、事務所たち。生き残りなのかもしれないが何も吉田拓郎を筆頭とした70年音楽は十把一絡げで始末するような音楽ではなかったはずだ。日本全国にいた、ここにいるようなオーナーたちが洪水のように押し寄せてきた洋楽の津波に嬌声を上げて、我も我もと自作した、いわば声の代弁なのであった。その内の一握りが売れて商売になっただけの話で、みんな売れようとして作ったものばかりではなかったはずだ。今、団塊の世代、孫がいるような昔の若人のアマチュアの声、若さの声だったのだ。

どっこい男山木は身体は幾分くすぶってきたが、精神は鈍ってはいない。十月の天晴れコンサートに向けて沸々と夜ごと内なるエネルギーが湧いてきている。広島に向かう新幹線の中で広げた日経新聞の片隅に偶然見つけたコンサート案内。全国から聞こえてくる券売状況、完売御礼も間近のようだ。みなさーん、お忙しい中ありがとー。また一歩、歩を進めることのできる生き甲斐を感じることができました。
これから在来線で福山は松永へ歩を進め飛車を取りに向かう。
(山木康世)