江古田マーキー己の脳みそのいわれなき思い過ごしには気をつけよう
2025年08月10日 | カテゴリー: 山木康世
今日は長崎に原爆が落とされて80年目。戦争において人の命は軽くなる。日常ではあれほど、地球より重い人の命などと言われるのに、いざ戦争という事態に陥ればチリやゴミのように軽くなる。日常では命の重さに差別はない。偉い大臣でも、ただの人でも、子供でも、大人でも、音かでも、女でもみな平等である。それがいざ戦争という名の下に差別が行われ、人の命など虫けら同然である。こんな愚行をいつまで続けるのか。人の殺され方にランクなどない。素手で殺されるのも、クスリで殺されるのも、兵器で殺されるのも、爆弾で殺されるのも、原爆で殺されるのも、殺される当事者は一瞬のうちに無と成る。
暦の上では立秋、二十四節気で8月8日頃の気候を言って、これ以降残暑となり今までの暑さが幾分和らいで、吹く風にも少し涼しさが加わってくると言う。40度越えの暑さは異常というしかない。経験したことのない暑さでメディアは盛んに不要不急の外出は控えて、熱中症には十二分に気をつけて水分、塩分をとって、クーラーは付けっぱなしにしておいて下さいと。そんな暑さも少し和らいだ今日である。
今日のLIVEの一番の執着心は些細な誤解が最後まで尾を引いた。
キーの話だがAのコードの次はA#ということはすでに60年も前に教わることである。さてその次はBなのであるが、ここが今日の脳みそには爪楊枝が挟まったように謎のらせん階段に陥ってしまった。
リハで楽屋で時間をかけて確かめたのに、ここのドツボにはまってしまい這い上がれないウスバカゲロウに捕獲されたアリの状態。
「水の底に映ってない月」は何とも言いようのない月で夜空にぶら下がっていた。すべてコードの勘違い問題が全てを引き起こし、脳みそを撹乱、全てを終わらせてしまった。
もう二度とこのような話はなしにする。返してほしいあの時間、自分の脳みそが思い起こしていた間違った解釈をした時間を返してほしい。しかし覆水盆に返らず。盆に帰るのはかわいい息子である。戦争も第三者、遠く離れて俯瞰して眺めれば、双方誤解、勘違い、取り返しのつかない意思疎通に欠く結果であるといえるかも知れない大事な国民の命を守る政府が犠牲にして何を得たいと言うのだろうか。
油断禁物、大敵、どこにいつ何時つまずきが待っているかも知れない。
お盆が過ぎて秋風が吹いて、木枯らしが吹くと「寒い、寒い」と天を仰いでいる2月だろう。
次回マーキーは2月の建国記念の日を予定しております。
今日はお忙しい中、皆様マーキーでの夕刻の一時を共有できたことに感謝致します。
どうぞ元気でお達者で、またお会い致しましょう。

広島、長崎を思いスイートホームメモリーを

マーキー、次回は2026年2月です
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