熊本廣徳寺音始末記
2010年10月03日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
人間、優しくなければ始まらない。その優しさの根本は何か、どこから来るか? 答えは他者への気配り、特に弱い立場の人、動物への気遣い、心配りにあると考える。
音楽は皮膚の色、宗教の違い、国境を越えて差別なく伝搬するすばらしさにある。良い音楽がこの世に誕生したとき世界は幸運な時代と言えるだろう。それほど音楽は心の奥底に住み着いて、聴いた人の人生を揺さぶるほどの力がある。と信じている。
熊本の天気はどうか?羽田で占った。現地の知り合いに聞くと、どんよりして今にも雨が落ちてきそうとのこと。これはいくら晴れ男でもだめかと一時は思った。離陸すると富士山が遠くに見えて、東京の街、横浜、静岡などが見事な秋の空気の中で息づいている。しかし機が南下して四国、九州に近づくにつれ雲は厚さを増し、完全に視界を遮った。こりゃだめか、と思ったのもつかの間、阿蘇の上空に来ると、雲の切れ間に熊本の街が見え始めた。その上青空もチラホラ、日差しまで差し込み始めた。晴れ男健在なり。
廣徳寺は水前寺の近くにあった。住職さんご夫婦と対面、うれしいことにふきのとう、特に小生の30年来の大ファンというであはあーりませんか。音楽を続けていて幸せに感じる瞬間でもある。学生時代からファンでいてくれて、この日の宴の会となったのである。その上ご夫婦そろってファン、と言ってくださることの幸運よ。2匹の大型ワンちゃんも尻尾を振って歓迎してくれる。思いっきり頭をムシャムシャしてあげた。恐れ多くも阿弥陀様を後ろに、音合わせを始めた。ワンちゃんも一緒に歌い始める。西日がスポットライトのように照らす。まだ日没には2時間はあると踏んだ。熊本支部、自称弟子のTは傘を持って遮ってくれた。ドブロが熱くなった。こんなドブロ見たことない。目玉焼きでも焼こうかと思った。焼けるか!このとき思った。このお堂に安置されている阿弥陀様は、おそらく計算されて安置されている。今自分が受けている西日が差し込み、さらに深い深い輝きを増し、祈り願う弱き人へ魂の水先をしてくださる。まさに天然のスポットライト。先ほどまでの天気の不安などどこ行ったか、という感じである。
オープニングは「笙」という日本古来の伝統楽器とともに住職さんのお話、お勤めである。そして初めての体験、仏教賛歌という教会における賛美歌のような歌を13人の男女混声合唱団が歌う。夜空には星まで聴きに来ている。もちろん境内にはびっしり、立ち見まで出る盛況ぶりである。このようなお寺のあり方をみて、背筋がゾクゾクしてきた。もちろん鐘と太鼓と木魚のお話もすばらしい。しかしもっともっと自然な形で音楽とお寺の阿弥陀様が渾然一体化する、一体化できるということを実証された実に良い夜である。
そして8時前「羊飼いの恋」とともに登場である。灯りの灯された境内には焼き鳥屋台の煙がスモークのように漂い、向かいには道路越しに大勢の御仏のあの世の住処が立ち並んでいる。そして夜空には星達、こんなシチュエーションは願ってもなかなか出会えない。忘れていたお堂でじっと我々の平安を祈り、守ってくださる阿弥陀様の元、~秋の宵に浄土の宴~が執り行われた。1週間前には安宅の関での野外音楽界、今まさに九州、熊本での野外音楽界。草むらからは虫たちも合唱に加わる。ワンちゃんたちは吠えもせずじっと聴いているようだ。浄土の宴が終了したら吠えだした。こんなところにも何か言葉では言えない人と動物のつながり、縁を感じてしまう。
11年前に住職ご夫妻と一緒に撮った写真を見せてくれた。小生49歳、住職44歳ともにまだ40代である。その縁が実に11年後に結実しこの宴となったのである。
このお庭で「タイムトラベル」を歌えた幸運に感謝いたします。
この星空の下で「桃太郎と吉備団子」を歌えた僥倖に感謝いたします。
気持ちの良い平穏な宴に参加してくださった心優しい皆々様へ、誠の感謝をいたします。
明けて3日の朝の熊本に雨が降り始め、雷鳴が聞こえる。
これから車で小倉へ向かう。
「タイムトラベル」
今宵は奇麗な 星の夜 あなたを誘って タイムトラベル
僕達がこの世に 生まれたとき父や母はどんなに 喜んだことでしょう
夜空から星が 降るように 何もなかった部屋が にぎやかに
僕達がこの世に 生まれたとき どこかで誰かが 泣いていたのでしょう
陽が昇り落ちて 星の夜 またひとつ小さな 歴史が生まれ
僕達がこの世に 生まれたとき 窓の外にどんな花が 咲いていたのでしょう
窓の外にどんな花が 咲いていたのでしょう
(山木康世)