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札幌市中央区cube garden(キューブガーデン) ~秋が立つ YAMAKINGSONGS de 残暑見舞~

2025年08月24日 | カテゴリー: 山木康世 

あー懐かしや、何年前のことだろう。このステージで繰り広げられた天衣無縫の世界。次々と若きミュージシャンたちが現れ我の作った歌たちを高らかに歌い上げる世界を夢のように2階席から見ていた。最後のアンコールで用意された歌は「初夏」学生時代に作った歌なので随分昔の歌である。階段をトントンと駆け下りてステージへ。我はジャケットの内ポケットから取り出したGキーのハーモニカを事もなげに吹いた。そして最後に表彰状を一人の男から渡された。何を隠そうその男が今夜のゲスト田高健太郎だった。さっき彼が歌い上げた「雨ふり道玄坂」は鳥肌モノだった。その脳みその片隅に刻まれた微かな感動をもう一度と言うことでキューブガーデン、秋が立つ YAMAKINGSONGS De 残暑見舞と相成った。
田高は昨日41歳を迎えたという。我が「ふきのとう」を解散した42歳の頃を思い出していた。学生時代「ふきのとう」をある日何気なく立ち上げてからの日々は我に晴れをもたらして、いろいろあったが今日に至っている。そして思い出のステージで田高をゲストに迎えての「雨ふり道玄坂」アンコールでは「RAOJINN」
今回では普通に使用しているタブレットを止めて、モニターを用意、20曲に及ぶYAMAKINGSONGSを歌い上げた。確かに暗記すれば良いだけの話なのであるが、51年間も人生のパートナーとして譜面台は必要且つ欠かさざるモノとして体の一部になってしまった。ソロになってからのデジタルへの興味はますます高じて、歌作りにおいて重要な歌詞作りを担ってもきた。
札幌は生まれ育って23年間生かしてくれた唯一の故郷である。そのうちの6年間は美原、大人になってこれまた6年間、東京で過ごしてきた。一度は戻った故郷であるが、再度上京、それから早や33年東京人である。好き勝手に風を読んで歩いてきた。周りの人たちの大いなる理解、お客様の大いなる支援、風を見ていた安兵衛はここまで来た。
高齢化で世間は弱さばかりが強調される。肉体の衰えは神のなせる宿命。しかし精神は衰えるどころか、ますます神経質に1本の束ねた鋼よりも強く体外へ言葉の魂となって浮遊する。
2時間半に及ぶ2025年札幌は新たなステップとして記憶されるかも知れない。
みなさまお忙しい中、ご来場誠にありがとうございました。
明日から釧路、中標津と道東の旅である。カニやサンマの美味い季節に風に吹かれて何を思い、何を残すことが出来るだろう。

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