全文前文掲載
2022年07月27日 | カテゴリー: 山木康世
誤解、行き違いがございましたら不本意ですので会員様には全文前文掲載いたします。
吉田拓郎が引退を発表して最後のアルバアムを出した。
デビュー前札幌で何かとフォークにのめり込んでいた頃、先頭旗手は岡林信康から吉田拓郎に変わっていた。高校生の頃は「友よ」が好きで皆で車座になって歌ったもんだ。大学になって吉田拓郎が日本のディランとして華々しく活躍し始めた。しかし一度札幌のテレビで彼を目撃したことがある。フォークの人がテレビに出ることはないと思っていたのであれ?と思ったりもした。彼はハーモニカを吹きながらギター1本で歌い上げていた。何を歌ったのかは記憶にない。彼は偉大なる作曲家である。僕好みのシンプルさが売り物の作曲家であった。一度聞いたら直ぐに口ずさみたくなる愛嬌のあるメロディを次々と創っていった。「襟裳岬」が頂点であろうか。その後彼はキンキキッズ辺りと活躍の場を変えてテレビのフォークのカリスマは形を変えて世の中に存在感を大きくしていってある時インタビューで「自分は本当はナベプロに入りたかった」と胸の内を開けた。
僕が50年ほど前見たテレビでの彼は素の彼だったのだ。
今でも僕の音楽活動に多大な影響を与えたのは間違いがない。
「Ah-面白かった」を最後に身を引いた。
戦後団塊の世代1年生の彼の行き方は、日本全国の方たちに共通する生き方なのであろうか。どうであれカリスマであることは変わらないであろう。
長い間お疲れご苦労様でした、吉田拓郎様。
お暑い中、どうぞご自愛ください!
コメントする