市川市妙典サクラコートホール6弦ブリッジピンへの困惑
2025年09月13日 | カテゴリー: 山木康世
関東各地を襲ったゲリラ豪雨、心配された川の氾濫はなく穏やかな朝である。
中野区の心配された雨による被害はお陰様で軽微で何よりだった。しかし都心の方ではかなりの被害があったと朝のモーニングショーで知った。
台風一過のような涼しげな風が久しぶりに吹いていた。
市川の方へは下道で1時間ほどの距離である。何も高速で行くほどではない。じゃーまぁーいっかー。
銀座を抜けて築地を抜けて江戸川を渡り、浦安東京ディズニーを右手に見ながら市川へ向かう。
妙典サクラコートはもう10回以上にもなるであろうか。一日最大1000円はうれしい近隣駐車場である。以前の斜めの少し煩雑とした駐車場よりも大きめの道にある駐車場へ車を入れる。歩いても2分もかからない適度な距離にある。
途中猛烈な雨に襲われたが、太平洋へ去ってゆく最後のお別れの雨の挨拶状。
突然我がGibsonB25の6弦ブリッジピンの叛乱が始まった。何だか弾いていて弦が決まらない。演奏しながら修正したのだが、収まってくれず最後にはピンが客席の方まで飛んでいってしまった。じゃーまぁーいっかどころの騒ぎではない。お客様の中にギターに通ずる人がたまたまいて別室にて応急修理と相成って事なきを得た。多いなるお助け、ありがとうございました。最後まで何とか持ちこたえたが、先日のけやきほーるでのピン紛失に続き心穏やかではない。帰ったら詳しく見てみよう。
そんなこんなで10分ほども要らぬ寄り道をしたが、人生にはつきものであるアクシデント。しかしピンによるアクシデント、ただただ申し訳なく平謝り。
朝の速達も皆でスマホを広げ確認、22秒の撮影タイムも無事終えて差し迫る会場次ぎ使用者への時間も慌ただしく後片付け、お店の方もご協力して下さった。
雨は上がって夕刻の6時はもうすでに暗い。遠くにスカイツリーの灯りを見ながら帰路へと就いた。
白の開襟シャツにはまっていたふきのとう時代の若き日があったなぁ。

妙典駅から近くの住宅街に会場はあります

22秒間で何枚撮影できましたか?

入場時はスタンプ帳に押印
東京都北区スタジオ・アンダンティーノ 第3スタジオ 音楽は偉大で永遠である
2025年09月10日 | カテゴリー: 山木康世
今日はStudio大繁盛で朝、昼、晩の交代制である。Studioに入る前、朝組の人たちの利用か、となりの駐車場は満車、仕方なく荷物を下ろし第2の駐車場へ向かう。しかしStudioに戻ってくるととなりの駐車場に「空」が出来たじゃないか。急いでそこに人を待たせて確保と相成った。
「プラットホーム」は若干22歳の青年が作って好評を博していたアマチュア時代の人気曲。そういえば兄貴もアルバムの中で一番好きだったと後に聞いたことがある。「敬老の日」が来週に迫っている。そこでみんなでシングアウトはどうだろう。2時間のライブの途中骨休み、閑話休題的な感じの「プラットホーム」を朝に思いついて「風のアホウドリ」に速達便で送った。Studioでお会いできる皆さんの元にも届いているはずだ。
♪雨の中で一人 見送るなんて♪
8小節繰り返しの素朴なメロディーのフォークソングだ。当時ススキノでアルバイトしていた「うたごえ」で何度もリクエストされ誇らしげに合唱したモノだ。
まだ電車という響きよりも汽車の方が世の中になじんでいた頃の「プラットホーム」である。白い煙を残して汽車は彼方に去って行った。もう帰ろうである。月日は青年をRAOJINに変えていた。
僕の母親はアメリカの大作曲家フォスターの歌曲が好きだった。アメリカの大草原に響き渡る至福のメロディ。本当にGibson、Martinが良く似合うアメリカ合衆国。いかなる状況に於いても原爆だけは願い下げだった。慈悲と慈愛に満ちたアメリカ人でいてほしかった。フォスターのメロディが似合う懐の深く大きな尊大な国であってほしいと願ってシングアウトした。
12日の市川市サクラコートホールの朝にも「風のアホウドリ」に速達便が届くだろう。何が届くかお楽しみ。徐々に徐々に過ごしやすい季節に向かって地球は回り続けている。異常気象という言葉に振り回されないで、せめて心に潤いをもたらす速達便を受け取って、その日そのときには皆で斉唱しよう。
音楽は目立たないかも知れないが、十六夜の月のように少し控えめに東の空から昇ってくる。僕らの生活になくてはならなく偉大で永遠である。

スマホで撮影OKの時間もありました
西新宿初台studioあんさんぶる音雨の日のけやきの良好なる後始末
2025年09月06日 | カテゴリー: 山木康世
こんなことは初めてである。
雨が相当降っていた。台風15号の影響で西からやってきた雨であろう。突然勢いを増してワイパーも追いつかないほどの雨になったリする。何も用事のない時の雨風景はそれはそれで風情があって好きである。
昨日は急いでいたし約束の時間もあったので何かと雨は厄介である。
西新宿あんさんぶる音はもう何度もお気に入りの会場なので、周辺駐車場事情も心得たものである。しかし今日の事情はいつもと違ってどこもかしこも赤色の「満」最後の頼みとして大通りを挟んだ高層ビル地下の駐車場へ。20分もロスした時間を雨のせいにして舌打ち「チェッ」。しかし雨の勢いはさっきがピークで、どうやら太平洋へ去っていくようである。
今日のlivelibraryは昨夜の「けやきホール」の後締めのような感じのlive。
こじんまりりしたオーケストラがリハーサルでよく使うようで黒い譜面台が何台も置かれている。いつも書いてある通りここは昔の東京都の水がめの跡地に作られた都庁をはじめとする副都心の高層ビル群のすぐ隣の住宅街である。頭上には首都高の高速道が忙しい隙間の住宅街。昔と今がまさに隣り合わせの西新宿なのである。
けやきの後片付けでギブソンの1弦のエンドピンがないことに気づいた。珍しいことである。弦の交換の時にはよくある話。ピンの紛失には気を遣う。それが本番中に気づかず抜けていたとは、本当に信じられない出来事である。さっきまで熱かったステージを捜索したが見当たらずで、家のピンを代用しようと考えて帰宅した。
そして今日のあんさんぶるで気が付いた。そうだピンをなくしたままだった。そこで一計を案じてスズキの1弦を拝借、代用となった。結局スズキは今日はお休み。駐車場まで行けばあったのだが、時間も押し迫っていたのでこれで今日は我慢した。
しょっぱなの「SeptemberMoonNight」を始めとする全23曲「神様にありがとう」まで、けやきと全て入れ替えのけやきに負けず劣らずのYAMAKINGSONGS。お陰様で良い後始末ができました。
お忙しい中、雨の中、昨日に引き続きの皆様をはじめとする多くのご来場者様へ、かしこみかしこみ誠にありがとうございました。道は続く続く。

ライブ後は雨もすっかり上がっていました
渋谷区古賀政男音楽博物館内 けやきホールに一条の光明の灯がともる予感
2025年09月05日 | カテゴリー: 山木康世
代々木上原という字面、響きは昔から清潔感、高揚感を感じて東京の新しい顔と受け取っていた。会場のけやきホールは道を挟んで相向かいの少々斜めの敷地にある。おそらく大きなけやきの木が立っていたんだろうな。古賀政男さんが活躍していた時代の街の様相を妄想する。何を隠そう上京してすぐに連れてこられた思い出のアパート富ヶ谷の交差点を突っ切った処だった。51年前の
不快指数100パーセントの肌にジンワリムシムシムンムンの富ヶ谷の夜は脳みその片隅にしっかりと刻まれている。待ち受けている日々はこれからどんな目まぐるしさで展開されていくのだろう。
会場の弾き語りにはもってこいの規模と雰囲気は一変で好きになった。どこかお役所的な著作権協会付属の古賀政男音楽博物館内けやきホールはもっともっと広く皆に認知されていい。
ステージを飾る見事な曲線美の木材はけやきなのだろう。お寺などによく使われるけやき、欅と書く。何となく読めそうだが書くとなると全く歯が立たない。スマホ全盛の時代、漢字を書かなく読めなくなったなぁ。
今日はいつも使っているパソコンより一回り大きな画面を用意した。それでもややこしい漢字には辟易、歌い飛ばしがあったことを深謝します。
冒頭に用意した「星空ホテル1022号室」一番が終わって大きな拍手で心に発車の灯がともり全開だ。ボーカル、ギターの響きがナチュラルで言うことなし。
また是非伺いたいと思って後にした。
皆さんとの記念写真、ふきのとう最後の札幌公演を思い出した。
奇しくも母の命日と同じ日だったけやきホールは何か因縁めいていて今後のお導きの一つとなったようだ、
お忙しい中、お暑い中、皆さん誠にありがとうございました。また元気でお会いしましょう!

ありがとうございました。

お花もいただきました

カメラマンの内堀タケシさん(左)、サウンドポートの城生さんと