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千葉県東金八鶴館自習室

2024年04月14日 | カテゴリー: 山木康世 

東金はなぜか脳みその片隅に刻まれていた。それがいつ刻まれたのか定かではないが刻まれていた。
そこで今回訪れるということでネットで自習勉強した。
先ず東金は周囲の山の形が鴇トキに似ていることから鴇が根(ときがね)と呼ばれていて、それがいつしかトウガネとなまったようだ。それよりもトキの漢字が「鴇」であるということを学んだ。
徳川家康は東金に「東金御殿」を造っていて鷹狩に使っていた。今でいえばゴルフに使う御殿とでも言えばいいのか。その際に眺めの良い池を改造した。
そして土井某大名に命じて沼のような水辺を湖に改造、当時は八鶴池(やつるいけ)と呼ばれていた。土井某とは土井利勝という人物である。この人は家康の落胤(らくいん)という話もあると学んだ。家康には多くの落とし種がいた。家康さんやるねぇ。流石天下人、絶滅危惧種に近かったトキとは大違い大いに繁殖を遂げる。やがて各地にトキを配置させて勢力を広げ維持する。勢力=精力。
今の裏金問題など火曜日のごみの日にポイ捨ての東金か。なんと屁のようなゴミであるか。時間がもったいない。あまりにも身動きが取れないほどガンジガラメに縛られて良い人ぶらなきゃ生きられない現代人の悲劇か。基本世の中、男と女であると思っているが、これを声高に叫べない、哀れ絶滅危惧種トキ。
コンクリートジャングル東京では味わえないのどかな自然に囲まれた地に少しいれば本来の人間力を回復できると、母なる太陽のサンサンと降り注ぐ光を全身に浴びてニッコリ、誠に良き二日の旅だった。
今日のポイントは「初夏」だった。弾き語り、の良さを獲得した。詩の持っている隠された底力を発見、自覚できた。八鶴館(はっかくかん)で学生時代の自分が発覚したような50年という長い時間の中での一コマであった。
みなさん誠にありがとうございました。午前3時半のお便りでした。

今日は何を歌おうかな


大勢のお客様にお越しいただきました


ライブ後の八鶴湖畔で


八鶴館、また帰ってきます

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