となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

ヒーイズ フィッシャーマン!

2024年06月04日 | カテゴリー: 山木康世 

お昼前札幌出立、定山渓→中山峠→ニセコ→黒松内→八雲→大沼公園→七飯そして夕刻の函館である。函館山が遠くに、ここまで来ると眼の前、津軽海峡の向こうに青森、大間辺りが見えてくる。北海道の南である。札幌から4時間、イカの町、往時の活気のあった町を偲ばせる金森倉庫郡は函館の宝であるな。建て替え建て替えで忙しい日本の落ち着かない東京もエネルギーを感じて頼もしいが、なぜか虚しさも同居する現代である。
母の親戚が大勢住んでいた函館の町。海とは無縁の羊蹄山の麓から函館の町は♪遠い山の向こうの 知らない町よ♪大都会、電車の走る町、函館山のロープウエイ、トラピスト修道院、温泉、棒二森屋、七飯の絵描きのおじさん、大事な大事な子供の頃の夢いっぱいの街、函館は今でも脳裏にぎゅうぎゅう詰めでいっぱいだ。町中に溢れていた塩辛工場の匂いまでこびりついていて風に運ばれてくる。大人になってギターをかついで青森から上陸、青函連絡船の桟橋は内地からのなくてはならない北海道上陸への道。
あうん堂の入口にはGLAYの大きな写真が飾られている。彼らが高校生の頃に通っていたという会場は木の温もりで一杯だ。対象的に音響設備に抜かりはない。マスターは挨拶もそこそこにステージ後ろの壁に新しい弁天様との中旗を貼ってくれる。リハを終えて案内された楽屋は説明の通り見事な天井裏の楽屋である。あれほど頭には気をつけて下さいと言われたのに。頑丈な木の梁に2回も頭を強打、目を覚まさせてくれる。
夕方に広げた数の子、身欠きニシンの親子弁当は美味かった。ニシンはまた少し戻ってきたが、いっとき遠ざかっていた魚である。独特の趣を持つニシンは好き嫌いがあるだろう。骨がうるさく、すぐに傷んでしまう。季節になるとニシンを求めて日本海を北上、まだ日本領が半分あった大きな大きな島、樺太の町へでかけた松太郎祖父さん。海が山のようにうねって真っ白くなりニシンの到来を告げる。大きな双眼鏡に飛び込んできて逸る心を抑える祖父さんの胸中を思うと涙が出てくる。生活ではあっただろうが、男のロマンの大漁節で抱腹絶倒、声も枯らさんばかりに眼の前のお宝を一匹逃さずガンバレー!とヤンシュウたちにエールを送る。帰ったらみなで美酒の乾杯だ。
2時間半の現代の孫の大漁節は終わった。ふきのとうのイメージから抜け出ることが出来ただろうか。祖父さん、どうだっただろうな。良い意味でも悪い意味でも今を生きなきゃ一回きりの人生もったいない。
終演後、月寒高校の同級生K氏が待っていた。今は写真家で函館が故郷になってしまったという。函館新聞のA氏は退職に際して、中学の頃から憧れだったと言って、今日の紹介記事を自ら大きく書いて頂いた。
そんなこんなで時空を超えての応援もあってあうん堂LiveLibraryは盛り上がって終えることが出来た。誠に皆々様のおかげである。
♪イカを食いたきゃ函館においで♪
♪松太郎さーんニシン来た来た樺太へ♪
ヒーイズ フィッシャーマン ヒーイズ フィッシャーマン!
僕ら全員人生の荒波でのフィッシャーマンである。海をかき分けかき分け航海を強く続けよう。
ありがとうございました。

アコースティック音楽を奏でるのに最適なウッディな空間でした


函館の想い出を語りました


「あうん堂ホール」のマスター笹井さんと


月寒高校の同級生、函館新聞社の記者もご来場


ミニひまわりを発見。あした「ひまわり」を歌おうか


真狩村「湧水の里」で水を汲む

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