田辺市鬪雞神社と弁慶さん
2024年11月01日 | カテゴリー: 山木康世
今日は朝から心がざわついていた。奈良紀宝町田辺ツアー最終日、弁慶さんの故郷、 和歌山県田辺市 世界遺産 鬪雞神社
「山木康世 Live Library 2024」
~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~歌奉納続き社務所内におけるLiveの日である。
先ずは駅前に堂々と屹立する弁慶さんにご挨拶。雲の中、時折顔を出す太陽の元、晴れ男健在なりの田辺駅前である。それから学校のすぐ脇の八坂神社にお参り、ここには弁慶さんが子供のころお座りになったという石が置かれている。丸くお尻の形にえぐられた椅子に座ってみるが途中で止めにする。座ったがいいが抜け出すのに大変だろうと思うくらいジャストサイズ。止めにした。
いよいよ鬪雞神社へ向かう。
弁慶さんのお父さんの時代に源平合戦があった。そこで双方から援軍を頼まれた。お父さんは水軍の大将だった。どうしたものかと思案、そこでこの神社内で7羽の鶏に紅白の印をつけて戦わせた。結果すべて白が勝ったので源氏方に付いたといういわくつきの神社なのである。
境内にある弁慶社の御前で歌奉納という運びになる。誰も参列者のいないひとりぽっちの歌奉納も寂しいな、そのうえ雨にでも降られては晴れの日に相応しくないな、など要らぬ心配だった。
宮司さんにお祓いを受けて玉串の奉納に続き社に向かって高らかに「弁慶と義経」出会い編を歌い上げた。長年身体に染みついたYAMAKINGSONGSは伊達ではない。夢中になって全国を歌いかけ巡ったあの頃を身体が覚えていることの不思議さ月日の長さの大事さをかみしめる。
30分ほど休憩ののち、2時間にわたる~歴史と浪漫のまち田辺 弁慶さんに届け 心の歌~は50年の長さを自らが感じ入る良いひと時を過ごすことができて幸福な田辺市の夕刻だった。大勢の皆さんにサイン、写真撮影も気分が軽かった。
終演後宮司さんによる鬪雞神社ご説明を受けてお札を奉納させていただいた。木のお札の一部をお守りとしてもいただいた。
お忙しい中、大勢の皆さんふきのとうつながりでの歌による絆は長い年月を経ても色あせていなかったね。本当に長い時間ありがとうございました。
最後に多大なるご助力いただきました森さん、そして泉さんご夫妻、そしてそして心の内なる弁慶さん、誠にありがとうございました。生涯の一日となりました。
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