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東京新宿永谷ホール(Fu-)詩のココロとは

2025年01月15日 | カテゴリー: 山木康世 

新宿は僕の気性に合う。昔と今が絶妙なバランスでマッチしている町。人間の喜怒哀楽があちこちに垣間見られるようで妙に安心してしまう。その昔の宿場町の持っている、あちこちからやって来た人が、翌日にはまたみんなどこかへ行ってしまうような町の宿命。そんな新宿の真ん中に歌舞伎町が、そのすぐ隣には副都心の超高層ビル群がニョキニョキと、町を歩くと昔の地名が大事にされているという。
新宿永谷ホールは「デイジー」で始めた。ふきのとう時代の歌であるが歌詞が大幅に変わっている。当時も随分悩んだ末にアイスホッケーに落ち着いたのだが、長い目で見た場合、やはりあまり具体的テーマは命短しと考える。
もう1曲「桜の樹の下で春を待ってる」このメロディー構成は我ながら絶品と思う。しかし詩がデイジー同様零戦が出てくるなどテーマが少し無理があったか。元歌は新井薬師に住もうと考えた時の西武電車に乗って下見に来たときの詩だった。これも初めての歌い上げだったが自然体で良かったな。
歌の持っている宿命。メロディーは動かしがたいが詩は時代によって、または作者の年齢によって変更可能で、今で言うアップデート、更新というところか。流動的であるが故に、ホントのところが変わってくると言うことなのか。しかしそれも人間千差万別、ひとそれぞれの考え方の違いで好みも変わってくると言う面も持っている。
詩の大きな役割は本体の真髄が何であるかまで行き着いてしまう。ヒット曲はキャッチーな題名が命である。小説など何ページにも及ぶ内容を一言で言うのだから当たれば素晴らしいものになる。オリジナリティーで生きてゆけたらその道は険しく辛いモノかもしれないが、生まれてきた意味合いが強く出てきてその人ならではの「道」ということになり拍手喝采だ。
「たん切り地蔵尊」は四谷の路地裏の片隅で今日も
オンカーカーカービサマエイソワカを聞いてくださって、ひっそりと不動のお姿で見守ってくださっている。
皆様お忙しい中誠にありがとうございました。

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