埼玉県さいたま市アトリエMはなんのM?
2025年01月19日 | カテゴリー: 山木康世
「たかが歌されど歌」50年作り続けてまだまだ作り続ける。
こんな言葉を芳名帳ならぬ出演者ノートに記してきた。初めのページはコロナの収束もままならない頃の話で光栄なことに僕が記してあった。アトリアMの御夫婦は必ず到着時間を見計らってか、お二人でお迎えお待ちくださりありがたい話である。旦那さんは甲斐甲斐しく壁に旗を吊るしてくれたり、ブラインドのことなどで応対してくれる。
今どきは会場への鍵番号を事前に通知、それを頼りに中に入り、終わっても同じく鍵をリセットして帰って来る。こんな場面が当たり前になって、無人で部屋を借りるシステムが常態化している。室内には無人監視カメラが見張っていて勝手を許さない。配信と一緒にコロナが顕著化して変化を遂げた社会の進化とも呼べるような小さな変化である。そこに関わり合わない方には全く関係のない小さな変化である。初めの頃には少々頭をかしげたくなるような感じもしたが、慣れてしまえば実に合理的な「今」であることだと感心していた。マイナスをプラスに変えたコロナのお陰と言っても良いくらいである。70歳過ぎてからの小さな社会の変化。
「歌」は当事者にとっては大きなココロの働きかけ、動きであろうが、関係のない方にとっては無関係、無関心の存在である。
「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉もある。恐らくヒット曲を指してのことだろうが、当事者の双方にとっては「たかが歌、されど歌」なのであるな。いわゆる流行歌ではない歌を作り続けて51年目生活である。未だ枯れずに作り続けている作業は趣味と言って良い。まさかこんな人生を歩むとは誰が予想したであろう。15歳のときにギターを知らなければ絶対になかった人生であると言い切れる。それほど切っても切れない人生の手段となってしまったギターという楽器。
75歳辺りから認知症が顔を出し始めるという。誰も説明のつかない寂しい病である。いつ何時身に降り掛かっても誰も気が付かない。自分の脳でありながら自分を説明できないという実情をなんとする。ひとつだけ言えそうなことは、いつも休まないで脳を体を使い続けることが防止の手段である。昨日と同じように自分の毎日を切磋琢磨することが病がよって来ないための自己防衛方法なのだろうな。そのためには趣味は大事である。無我夢中になれる趣味は認知症を遠ざける一番のサプリメントである。それも無過値が良い。目的など要らない。対価などもってのほかだ。自分の為が一番である。千差万別な他人の評価など気にしない。本当に好きなものには他者への説明などいらない。自ずと行動を起こしているのが趣味なのだろう。
明日は熊谷である。趣味が高じて仕事になって、さらに道楽とも言えるような音楽生活。お付き合いしていただけるのなら、どうぞお気をつけてお寒い中お越しになり、ともに時間を共有してくだされ。そこに何かの発見があるやも知れない。説明のつかない無我夢中な時間を持てそうな予感を夢見ておリます。それも「幸福」の一つに間違いはなさそうです。
「たかが歌されど歌」
コメントする