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埼玉県熊谷市/タニタ楽器熊谷本店5Fホール人生の日曜楽器屋さんで思うこと

2025年01月20日 | カテゴリー: 山木康世 

日曜の楽器屋さんの駐車場に車がたくさん停まっている。お母さんに連れられて楽器を習っている子どもたちが車から降りてくる。何を習っているのだろう。
僕は幼稚園に行ってない。幼稚園自体の存在も知らないで小学校へ上がった。何と言ってもランドセルを背負って学校に行くことが鼻高々立った。確か小樽の叔母さんがクリスマスプレゼントでくれたもので、男の子の黒いランドセルで嬉しかった。
音楽の時間、先生はオルガンを弾いて歌を教えてくれた。札幌に移って月に一回の誕生会の日に女の子が弾くお琴を初めて見た。音色も初めて聞く音だった。とても裕福な家の子どものように思って教室に響き渡る音色を聞いていた。
子供時代に楽器を覚えることは口では言い表せない情操教育を育むと考える。上達することの面白さを覚え、自分も楽しみ、それを人に伝えられることは説明のつかない喜びで、それまでにない感情を覚える。
今降りてきた子どもの表情は明るい。決して暗い子どもはいないはずだ。しかしいやいや親の勧めで逃げ出したい子どももいるだろう。お母さんの手を握って子どもは同じエレベータでどこかの教室に消えていった。
ギターを弾いていると、この年になっても時間を忘れる。そりゃ上手いに越したことはないのだろうけど、ギターの音色が好きでここまで来ている。理由を聞かれても応えられない。好きなものは好きとしか応えられない。
今日も時空を超えて共有する事のできる思い出の歌を「今」の脳みそで沸き起こってくる感情で再現する。2時間ギター1本勝負は考えてみたら大変なことである。好きなことでなければ椅子に座ってではあるがジッとしていられない。しかし重要なのは言葉である。何を歌いかけるかで時間は短くもなり長くもなる。やはり月並みだが好い歌を奏でなければならない。
仕事上3日に一回2時間は「今」を興じているわけだが、15歳から初めた情操教育は今でも続いていて僕のココロを安定させ穏やかにしてくれる。
下の階のさっき消えて行った子どもは何を感じて楽器と遊んでいることだろう。決して泣き出したりしてはいないだろうな。頑張れよ、楽器は死ぬまで楽しむことのできる人類が考え出した最高の玩具なんだからね。
争いのない平和な世界の指導者の経歴に楽器演奏はどこそこ大学卒業よりも大事なような気がする。
比較的穏やかな天気のもと熊谷タニタ楽器ホールにお越しの皆さん誠にありがとうございました。

~熊谷冬景色 燃ゆる想いの午後の調べ~


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