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埼玉県さいたま市/宮内家近くて遠いさいたま市にも道はつながっている。

2025年05月26日 | カテゴリー: 山木康世 

ひとたび車を走らせれば、鹿児島の南端から稚内の北端まで車外に出ずに日本を縦断することが可能となるわけである。車の免許を取った動機にはこんな遠大なロマンも加担している。
当時のガソリン価格は100円前後、安いときは80円代の時もあったと記憶する。今の170円代が嘘のような話である。アメリカでは30円代で売られていたような記憶もある。まさに現代の経済の根本は車の往来の是非という感じである。上京した頃都内の渋滞はひどかった。あっちへ行ってみたい、こっちへ行ってみたいと休日ごとに夢は膨らむのだが、道路の設計の不備なのか、はたまた人の多すぎなのか何度か遠出してみては、道半ばでやむなく帰宅したという無念の思い出も残る。高速道路は低速道路と化し、遊びに出かけることがめっきり少なくなった。
さいたま市は東京にほぼ隣接、中野から20キロほど、通常だと30分といきたいところだが何せ人口過密、そうは問屋が卸さない。2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市が誕生。どおりでピンとこないはずである。ひらがなのさいたま市がピンとこなかったのである。
25年ほど前に大きな聞き慣れた街が忽然と姿を消して新しいひらがなの巨大な街が誕生したということに今更ながら、そんなことがあったんだと驚いている始末。浦島太郎ではないが直ぐ近くで色々な人間模様を乗り越えてドラマが進行していたとはつゆ知らず、反省している。3つのそれまで持っていた歴史、伝統などの大きな街が一つになるとは想像以上の壁が立ちはだかっていたのではと推測憶測する。一番の難題は街の名前、相当な神経を関係者はとがらせたことだろう。最後に皆に不公平のないようにひらがなの「さいたま市」が誕生したというわけか。
今年あと2回残している2回目の宮内家は照明など良い感じでまとめることが出来た。旭川の横ちゃんが宮内家誕生に大きく関わっていたとは少なからず驚いたり、感動したりである。元自衛隊員の横ちゃんとは長い付き合いである。元気で歌って店経営をしているだろうか。
一つ残された疑問を述べておく。「桃扇」は父が命名したオリジナルダリア品種であるが辞書を繰っても出てこない。読み方はトウセンなのであるが、辞書に桃花扇トウカセンは出てくるのだが、果たしてどんないきさつで父は命名したのか聞いてみたくなった。造語であったらどれほどの思い入れがこのダリアにあったのだろう。
次回は8月酷暑の日のさいたま市宮内家であろうが、ご主人並びにジジ、関係者、最後にお客様の健やかなる無事の日々を願い、そのうえ吾は良い歌を引っさげて参上、皆と再会したいものである。SARABAじゃ。

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