北区田端スタジオアンダンティーノ 町のあちこちにたくさんいた長嶋選手
2025年06月05日 | カテゴリー: 山木康世
長嶋茂雄氏が89歳肺炎で死去。長嶋さんは2004年68歳の時脳梗塞を起こして発見が遅れて右半身不随、言語障害が残ってしまった。2時間が勝負、別れ際と言われている。夜中に発症して朝まで発見されなかった。実に厄介なこととなって、遂に帰らぬ人となった。我らが大ヒーロー背番号3番サード長嶋は永遠に戻らぬ人となってしまった。どれほど小さい頃、長嶋さんが日本国民のヒーローだったか。
一度だけ握手を貰い、一緒に写真を撮った思い出がある。
後楽園球場が閉鎖され、東京ドームにバトンタッチの夜があった。その頃はふきのとうに僕はいて札幌に住んでいた。武田鉄矢さんの事務所から「サヨナラ後楽園」の楽曲依頼であった。武田さんから詩が届いて早速ギターをボロンボロン、良い歌が出来た、と言いたいところだがまったくその頃のことを覚えていないという情けなさ。
当日球場に行くとエンドレスで流れていたような気が。客席には父と姉と息子たちが遊びに来ていた、イベントの最後にトランペットの日野てるまさ氏が一条のライトに照らされて歌のメロディを高らかに吹き鳴らしてくれた記憶が鮮明だ。その後に行われた楽屋で長嶋さんが目の前に、サインを頂き写真を武田さん、日野さん共々撮ったことは昨日のことのように思い出す。
1987年11月と言うから小生37歳、武田さん38歳、そして長嶋さん51歳。みんな若すぎてどこか違う星の住民の話のようだ。
今日の冒頭で「3番サード」を歌って長嶋さんことチョーさんを弔った。
♪町のあちこちにたくさんいた 長嶋選手がたくさんいた♪

「けやきホールは9月4日です」

いつもありがとうございます。

リハーサルで