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大分ブリックブロック後記 1992年、ふきのとう18年の歴史に幕を下ろした

2025年06月08日 | カテゴリー: 山木康世 

1992年、ふきのとう18年の歴史に幕を下ろした。全国さよならコンサートを開催、大分は農業会館で執り行われた。後日ふきのとうを知らない子供がそこで行われたふきのとうフェアという看板を見てお母さんに教えたそうだ。お母さんはそんな筈はない、もうふきのとうは解散して最後のコンサートを農業会館で見たんだもの。何を隠そう春の山菜フェアだったわけである。
そんな子供も40代か。
まぁ農業会館でふきのとうとはこれ如何に。楽屋から見えた靄にかすんだ別府湾は格別なものがあった。
すべて歌い終えて後かたづけ、打ち上げまでの小休止に熊本のSは「ソロになったら手頃な良い会場がすぐ近くにあるんですが見に行きましょうか?」と言って車の助手席にオレを乗せて海辺の一軒の建物へ連れて行った。そこがbrickblockだった。ドアを押して中へ足を入った瞬間電流のようにしびれた。
ここは良い!guitar一本弾き語りには申し分のない広さ、天井の高さ、階段状の客席、すべてがお初の未知の世界だが、明るい希望の未来が見えてきてSと一緒に喜んだ。あれから何度ドアを開けて中へ。全国広しといえども5本の指に入るのではと思えるほどお気に入りの会場として僕の中で思いは熟している。
ここでのもう一つの楽しみは、初代かぐや姫のメンバーにお会いすることが恒例となっていて、連れだって打ち上げに行く。学生時代音楽雑誌でお見かけした同じような時代を駆け抜け生きてきた音楽人と話をすることはいつになく面白い。
日本のフォーク、ニューミュージックの夜明けのころに切磋琢磨していた北と南のギターを抱えた当時まだ学生だった人間たちの話は実に面白いものがある。互いに元気で高齢者となった今、それなりの生き様を笑いながら話ができる。やはり元気でいたならそのうちに待っているであろう更なる幸福に出会えるチャンスが多いのである。
次のライブ地は北九州市である。小倉と言った方がピンとくる。国東半島から関門へ。そろそろ梅雨入りになるのであろうか。

奈多海岸でラジオトークを収録


初夏の日差しが注ぐ


お花をありがとうございます。


ブリックブロック入り口


ありがとうございました。