となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

ご隠居さん

2010年02月28日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

昭和22年まで日本には隠居制度というものがあったという。
この歳になると現役を自ら去って、後輩に譲るというもの。いわゆる表舞台を降りて次世代に譲り裏舞台に回る。もしくは静かに暮らす。家族では家長に戸主を譲ったり、財産を子供たちに譲ったり、世間では引退して身を引くというものだ。

昭和22年といえば、父は結婚2年目、35歳頃であろうか。兄が生まれたころだ。
僕はまだ宇宙の暗闇をエーテル状態で彷徨っていた。
父はかなり生真面目な人だったので、これから先子供が増えて家族を統率しなければいけないという意識は強かったと思う。それが家制度の廃止で戸主というものがなくなった。

考えたのではないだろうか。国である程度認められていた権利がすっかりなくなってしまった。子供たちがまともに大きくなれば良いが、もしも自分の手に負えないようなワルに育ったらどうしたものか。人様に傷など負わせるような人に育ったらどうしよう。
一見民主主義の善良さが見える廃止であるが、個人個人の問題としてはややこしくなったと思ったことはないだろうか。ある意味で不幸な世代な人たちと言っても良いかもしれない。戦争に負けてあらゆる価値観の見直しをしなけらばならなくなった大人たち。

父の父の時代は何かにつけて戸主が強権的だったのだろう。
これで丸く収まる事柄も大いにあるような気もする。何せ日本に中世から続いていた制度らしいから、日本人には合っていたのではないか。
今はまったくそんなものは存在しないのに、僕の中にも何かしらそのような空気がわずかながらあるような気がする。仕方がない、廃止されてもそんな風潮が完全に消え去るにはまだまだ時間がかかる。

隠居に戻るが、歳取った人間はいつ何時倒れてこの世を去るかもしれない。その人間があまり権力を持ちすぎていると、緊急時混乱を招く。それを防ぐためもあったのでは。そして遺産を巡って子供たちや孫が争いをしないように生きてるうちに分与しておくなどというのも賢い社会システムだ。

そんな年齢に突入するとは思ってもみなかった。まだ鏡を見ても信じられない。昔とそれほど変わっていない風貌に自分の気持ちをどのように摺り合わせるかは大いなるテーマでもある。

矢張り良い歌を書いて、自らの葛藤を解決するしかないか、なぁご隠居さん。
(山木康世)