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蓼食う虫も好き好き(第82回アカデミー賞考)

2010年03月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

蓼食う虫も好き好き(第82回アカデミー賞考)

「アバター」もエクボ。「ハート・ロッカー」はコクボウ。オリンピック開催直前にさんざんな目にあったのが石狩出身のコクボ。
アカデミー賞はアメリカで、戦前の1928年から始まった世界最大規模の映画賞。会員4000人の映画人が投票して上位を決めるという。

「僕の作った作品では珍しいくらいの超娯楽大作さ。お金も時間もつぎ込んだ。それに3Dという未来先取りの映画でもある。これがハリウッド映画の決定版、大賞を取らなくて何が取るというのだ」
「彼も鈍ってきたわね。いくら時代がCGの時代と言っても、あそこまでCGだとアニメと何も変わらないわね。アメリカンコミックよ、簡単に言えば。でも中身はなかなか濃いテーマを扱っているのに、表面の評価が過大すぎて残念ね」
「昔はあいつも優しくていつも俺に気を遣ってくれた。まさかこんな大それたテーマの映画を撮るとは正直考えてもいなかった。戦争映画に足を踏み込むとは、クリント・イーストウッドばりだね。」
「あの頃の彼はタイタニックを地でいっていた。まぁ若さがそうさせるのね。あの同じ監督が今度はコミック。一貫性がないわね。若い頃ならまだしも歳行ってからの寄り道は危険ね。命取りにもなりかねないわ。でも人間って年取ってからの方が出鱈目になるらしいわね、古狸ね、彼もそうかもしれないわね」

元夫婦監督対決の映画賞対決はイラク戦争を扱った映画に軍配は上がった。
当然日本では半畳が入るところだ。まさに朝青龍を破った日本相撲人のごときである。
アメリカ人も最終で「アバター」を選ばず良心の断片を見せた。戦争状態にある御国がこの映画を選んだら、世界から良識を疑われたろう。
国内からもブーイングの嵐だったろう。
彼は惜しみない握手を贈った。なんてヒューマンなのだろう。アメリカ人は惜しみなく表面で敵に塩を贈る。しかしこの塩は海水から摂ったそのままの食えない塩かもしれない。
彼女も、この映画をイラクで戦っているアメリカの兵士に捧げますと言ったとか言わなかったとか。ヒューマンだ。

アメリカ人は、自分たちも世界の中心にいると思ってイラクで死んでいった中東の人たちにはあまり関心がないようだ。それよりも正義の警察は地球上のどこへでも平和のためなら駆けつけますと半ばお節介のごとき介入してゆく。
しかし言うことを聞かない相手には容赦なくガンをぶっ放す。正当防衛ならまだ分かるが、所詮都合の良いように振る舞っているだけだ。自国の利益が一番。

年末年始にかけてテレビで「アバター」がさんざん流れた。僕も平日観に行ったが満員御礼、残席は一番前だった。異常な混雑ぶりはテレビのせいだ、と毒づきながらSD用眼鏡をかけて自分もそうだったのだからおかしい。

ここまで情報が氾濫洪水状態の現代は昔のように、それぞれが好き嫌いを言ってランキングが決まるなどと言うことはないのかもしれない。みんな知らないうちに操作されて、蓼食う虫も好き好きではなく、田で食う虫も好き好きという感じで足を運んで勝手に大賞の話題など知ったかぶりでブログに書いたりする。

今でも、もっと小粒でピリリと蓼のように辛い映画がどこかでは制作されているんだろうな。知らないだけか。映画館を揺さぶるほどの大音響と矢継ぎ早の展開ではなく、隣の人の飲み込む唾の音が聞こえるほどの静けさの中、じっくりと人間の間合いを感じさせる映画が観たい。

知人が言っていた。「黒沢映画はカラーになってつまらなくなった。白黒の画像は映像にならない映像をそれぞれの脳でイメージしやすかった。色が2色なだけに意識を集中して深みがドンドン増してくる。これがフルカラーになると色が邪魔して確信に入って行きづらい。」本当にそうかもしれない。今度は3D、飛び出る映像の世界だよ。死ぬまで両方の目を大事にせにゃあかんね。

(山木康世)