となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

「小倉民謡村」後始末記

2010年04月02日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

九州ツアーの初日。福岡空港は久しぶりである。
荷物を受け取る前にトイレに入る。的に弓矢が刺さっている小さなマークが男性用便器の中に書かれている。なぜか男はここを狙ってひとときの安堵の発射をする。そうすると周りにあちこち飛び散らないのだ。女性には分からない、ささやかな喜び。見事命中。最後の一滴まで的を外さぬよう射続ける。これはヨーロッパのどこぞの国で考案された男性体内不要水付近飛散汚染防止法だと聞いたことがあった。噂通りの効力があった。

小倉までの移動の途中、高速道の古賀SAでトンコツラーメン&明太子ご飯セットを食う。これで福岡の食の文化を2つ同時に味わうことができた。チャーシューがもっとうまかったら”古賀のトンコツ”として脳裏に刻まれるところ、至極残念であった。

小倉には午後4時半に着く。イメージ通りの時間経過。
フォークビレッジは「民謡村」とでも訳したらいいのだろうか。しかしこれではフォークギターではなく三味線になってしまう。やはりフォークビレッジはフォークビレッジでしかない。
ディランはニューヨークのコーヒーハウス「フォークビレッジ」で歌っていたという伝説が確かあった。42歳の初夏にアメリカに初めて行った際、ニューヨークに行った理由がこれだった。
しかしフォークビレッジ跡しか残っていなかった。

さてライブ。今日はエイプリルフールだったのでステージで開口一番「さっきまでのポツン、ポツンが今は土砂降りです」なんてウソを言ったモンだからかどうかしらないが、終わった時に本当に神様は雨を小倉の空に降らせてしまった。
ライブの打ち上げで登場したのは、大きなヒラメとシマアジの活き作り。その周りにはウニ、タイラガイ、サザエ、タコなどがお控えつかわす大皿が鎮座する。糠床漬けイワシに舌鼓を打つ。
「小倉民謡村」を訪れた民謡奏者の伝言ノートを渡された。僕の前にライブをしたリンテン、青木某から自分への伝言を読み、僕は次にライブをする永井某へとノートにメッセージを記す。

外で酒をたしなむと眠たくなってしまうので、家に帰ってから飲むという村長の小野さんへ。
「いつまでもこのスタイルで行きましょう」とお礼を兼ねて伝言いたします。
噂では小野さんは帰ってからも酒は飲まず、障子の陰で夜ごと油を舐めているという。オーノー!

(山木康世)