宮崎「絃」後始末記
2010年04月06日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
「お母さんがふきのとうファンでファンクラブに入会していた」と、タウン誌の取材に来た男性は携帯の画面を見せてくれた。
確かに昔の懐かしい会員証が写っている。男性は20代後半か。月日が経つとこのような世代交代劇は当たり前なのであるが、まだまだ馴染めない徐々に移りゆく時間の経過だ。
各地を回って感じることは当時中学生、高校生だった人が圧倒的に多いと言うことである。多感な年齢とよく言われる年齢である。
ライブ会場に足を運び易い年齢があるとすればここのところにヒントが隠されていると思った。
当時僕は24歳、高校1年生だとすると8歳の違いがある。そして今僕は59歳、そうすると当時の高校生は51歳である。その子が25歳で子供を授かったとすると子供は今25歳である。まさにタウン誌取材男性の年齢になるのである。
僕は若い若いと言われる。いつもライブでお相手している人の平均年齢が50歳前後だとすると分からないわけでもない。僕の持っているフィーリングや話す話がそこの年齢の人に合うかどうかでお客さんの数のバロメーターにもなるわけである。
そして第二の発見はギターを弾いて歌いたくなるような歌を作っていたかどうかである。さらに二人組で当時遊んでいたかどうかである。一人の歌い手は、ファンの中心は一人で楽しむ人が多い。二人組は二人で、三人組は三人で、そしてグループとなるとグループ人数でとなる。
グループサウンズの平均人数は4人であろうか。そうするとファンも4人で楽しむというのが理想であろう。しかしグループサウンズはそうはいかなかった。ドラム、ベース、ギターなど相当な楽器演奏者が見つからないとグループを作れない。故にライブハウスで歌っているグループサウンズ出身者は少ない、ないしあまりいないという結果になる。
ふきのとうは二人組で、それもギター二人で良いと言うことになる。ギター二人は集まりやすいかもしれない。時のギターブームも見えてくる。ヒット曲1曲でギターが2本売れる計算にもなる。こうして流行が作られ時代が作られてゆく。やはり人間は一人で生きているわけではなく、いろいろなところに波紋が波打って自分もその中を漂っていると言うことがよーく見えてくる。自覚の第一歩。
なんだかんだと書いてきたが、そのうちこんな会話も普通になるかもしれない。
「おばあちゃんがファンでファンクラブに入っていたんですよ」
デビューから36年、当時生まれた人は当たり前であるが36歳である。子供も一人二人いても不思議ではない年齢である。驚きだよね。
宮崎の夜は4月にしては少々寒かったが、「絃」は熱かった。絃の現代表記は弦である。弓のつるを言うのだが、夫婦の縁という意味もあると知った。そういえば夫婦が3組も打ち上げに参加した。異常に多い確率である。宮崎は仲の良い夫婦が多いのか、それとも自分が作ってきた歌やふきのとうの影響なのであろうか。いずれにしても微笑ましい時間の経過である。
みなさーん、ありがとう、ありがとう!10月東京で待ってるよ。
(山木康世)