飯田絵布後始末記
2010年05月10日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
夢を見た。
パソコンを保護するインナーバッグが見あたらない。昨日の店へ戻ってみた。長いトンネルを歩いたらおばあさんたちが大勢いて何かをしている。トンネルなんかあったかなぁ?昨日の若いスタッフや社長らが一人も見あたらない。
地面を見ると泥の中にインナーが落ちていた。どうしてこんなところに落ちているのか。しかしよくぞ店に戻ったものだと思いトンネルを戻ると、昨日降ったらしい雪がたくさん積もっている。トンネルの先が明るい。今日は夏タイヤでどうやって帰ろうか、帰れないのではと思いホテルに急いだ。
社長に挨拶をしてから返ろうと思いまた引き返す。今度は昨日のスタッフの他にも大勢の男女が集まっている、そしてお笑いのSもいる。Sはベラベラしゃべっている。
僕と社長はステージの方へ移動して、片時Sを忘れていた。すかさずステージへやってきた。Sは僕のギターを貸してくれという感じで手を伸ばすとチューニングを始めた。本当にギターを出来るのか思いながら、チューナーではなくカポを渡した。Sは実に大きく厚い手をしていた。ごつくて僕の二倍もあるような手であった。Sはここでも笑いを取ろうとしている。隣には店の女性スタッフが。俺の好みだったとか何とか言いながら、Sはチューニングをする振りをしている。ここで夢が終わった。
飯田「キャンバス」ではなんと16年ぶりの再会があった。キャンバスは場所が移ったという噂があったがそれはデマで、もとの場所にあった。階段を下りると薄暗い懐かしい店内が。かなり使い込んだ感じだ。当時僕は前乗りして突然、下見と称して店に現れたそうだ。びっくりしたそうだ。それはそうだろう、電話の一本でも入れればいいものを。これも父の癖の一つだった。そんな父の癖をしっかり44歳の僕が受け継ぎ行動していたとは、驚きだよね。
オーナーのミスターKは初対面の僕に大学生のような印象を受けたという。偽善を嫌って、とても非難して偽善者をクソ呼ばわりして夜遅くまで焼き肉を食ったそうだ。初対面の人にずいぶんだとは思うが、今もそれほど変わっていない。キャンバスはスタッフも増えてKはとても良い53歳になっていた。
もう一人再会があった。篠笛奏者のミスターUが遅くに笛を持って現れた。Kの誘いであった。Uはその後何年か年賀状をくれたりした。今は笛の第一人者になっていた。そして大昔のススダケで作った笛を取りだし、なんと吹き始めてくれた。即興で「義経」をイメージして吹いてくれた。会うべくしてあった感じで、天を仰いでしまった。
キャンバスを紹介してくれた大阪在住S子さんの旦那さんは鼓奏者である。60歳「弁慶と義経」には、笛と鼓とドラムとベースのコラボもおもしろいかもしれない。夢はふくらみ59歳5月11日2300キロツアーは大盛況、無事終了となった。天は我にあり。
お忙しい中、アリーナ席、二階席の皆様まっことありがとうございました。今日も着々と500g軽くなったようだ。
(山木康世)