札幌山葉野原音始末記
2010年05月18日 | カテゴリー: ミュージック・コラム
ふきのとう「011」を思い出す。
ヤマハスタジオジャックで1ヶ月にわたり録音された。東京からのメンバーはススキノのホテルに缶詰状態である。録音を終えて外に出ると、夏でもヒンヤリとした北海道の朝が待っていた。早朝まで営業しているクラブで最後の仕上げをする。
「音」で興奮した脳はすぐには冷めない。一杯引っかけて帰るのが楽しみで、今日の録音をあーでもない、こーでもないと語り合いながら時間は過ぎていった。あの夏は脳のヒダに深く鮮明に刻まれている。徐々に陽が昇ってくる。カラスがススキノの朝を掃除している。ヤマハと言えばスタジオジャック、011と連想する。あれから30年ほども経っているだろうか。
スタジオジャックは無くなっていた。あのときのカメラマンOもいない。事務所も無くなった。しかしレコードはしっかりと「音」を残している。
そんなこんなの思い出の詰まっているヤマハでジョニーことギタリストの曽山良一さんと共演となった。さすがヤマハである。出る音に寸分の狂いがない。現代の澄んだ音が場内に鳴り響く。
モニタースピーカーと称するのものが足下に転がっている。今ではイヤホンでモニターする人も多くなっている。それも無線で音を聞くというのもある。音楽を演奏する場合、通常表(客席側)に出す音と中(ステージ側)に出す音がある。表に出る音に関しては表にいる技術屋に任せるしかない。しかし中の音は演奏者が演奏しやすいように注文を付ける。ギターの感じも同じである。ボーカルとギターの音量バランスなどを技術屋に伝える。このモニター次第で出来不出来が大きく変わってくる。気分の手元で弾かれるギターの音は、脳が何かを感じて弾かせるのである。すべてそうであるが、脳が基本、司令部、連合艦隊の旗艦総大将なのである。こいつがおかしな命令を出すとことごとく隊列は乱れ、何かおかしな戦闘となる。その結果負け戦となるのである。
59歳札幌での音楽会は予想以上の成果を上げて終了した。
良い音は良い演奏となる。それを聞いた観客の心が平穏になり、時には感動の嵐が吹き荒れる。何が良い音楽で何が悪い音楽かは鉛筆で紙の上に書いて説明ができない。しかし確実に存在する。それはその場にいた人たちがミューズ(音楽の女神)に会う瞬間でもある。天から舞い降りてくる女神はいつも居るわけではない。きちんと我らが用意して、おもてなしの心を見せないと降りてこない。
この日はここにいた全員のエネルギーが女神降臨となった。
かくして五月晴れの故郷音楽巡礼は幕を下ろした。
ジョニーありがとう、みなさんありがとう、ヤマハさんありがとう。
(山木康世)