となりの電話 山木康世 オフィシャルサイト

津軽鉄道各驛停車

2010年05月19日 | カテゴリー: ミュージック・コラム 

津軽五所川原は演歌歌手Y・Iの故郷である。「俺は田舎のプレスリー」と華々しくデビューしたのはずいぶん昔の話だ。テレビもねぇ、電話もねぇなどと何もない田舎と歌っていた。

五所川原に初めて足を運んだのは2006年11月11日。「雪酔」「故郷はここにある」を津軽鉄道がイメージソングとして話を広げてくれた時だった。ここでは両歌の作詞者中村光一氏の働きかけが大きく我を助けてくれた。まずストーブ列車に乗りたくて勝手に企画、ライブの話を持ち込んだ。あいにく初冬で地吹雪にはほど遠かったが、寒さはほんのりと寒く、夜には冷え込みが増した。駅スタッフが薪の暖をストーブでとって雰囲気を作ってくれた。ほのかな薪のぬくもりに包まれた電車で往復2時間あまりのライブをした。ストーブの上で焼かれたスルメに舌鼓、酒も進むというものだ。
その翌年10月25日、見事な紅葉の中「立ちねぷたの館」最上階で2回目のライブを行った。青森の横に広がったネブタではなく、こちらは立っているねぷたである。睡たい(ねぶたい)が眠たいに変化した。ねぶたは睡魔を取り払う祭りとして考案されたと物の本にある。

総じて東北の人は木訥として素朴な人が多い気がする。しかし酒が入ると饒舌になり、実におもしろい話しぶりで飽きさせない。青森県は東北の中でも異質の県である。何か違う文化圏の香りがする。おそらく遠い昔、北の最果ての日本という環境が独特の人間関係を作っていったものと思う。東京から800キロほども離れている。さらにそこから津軽へ行くと、良い意味で孤立していたのではと思う。弘前とは違う、意識が芽生えたのだろう。

そんな町のローカル鉄道のイメージソングを作った。車社会の中、地域の足としてがんばっている津軽鉄道に惚れた。エールを送った。きちんと年会費を払っているえらーい津軽鉄道応援団員でもある。歌詞は五所川原在住の藤田さんという人が作った。すばらしい詩である。作りたくてウズウズした詩である。すぐに快諾した。まだ藤田さんとはお会いしていないが、5月29日には会えると思う。
今年1月にはメロディーも簡潔な覚えやすい平成民謡ができた。我ながら秀逸なものができた。
2月、五所川原に立ち寄った際、発表会を兼ねてストーブ列車ライブを再度、5月に行うことができる運びとなった。あと10日ほどである。大いに楽しみである。当日乗り込んだお客さん、プレス関係の人にどのような印象を持ってもらえるだろう。好印象と踏んでいる。

新青森まで新幹線が伸びる。記念行事の一環として11月には「津軽鉄道各驛停車」CD発売ライブも行う予定である。
今年の「この国に生まれて60年」のお祝いコンサートの陰に隠れて目立たないが、僕にとっては楽しみな地域へ貢献活動ではある。
その前に明日から二戸へ伺う。ここも東北は岩手県である、そして盛岡ライブ。南秋田にも行く。初夏の東北へ風はなびいている。

さてもみなさんおききあれ 津軽鉄道おもしろや 
名所名物夏祭り 各驛じまんの二つ三つ(詩・藤田けんじ)

(山木康世)